第2話

 転校初日。

 自室の姿見で制服姿の自分を見る。ブレザータイプの制服で、今はスカートではなくズボンだ。身長は男子としては高くないけれども、手術後の見た目は顔つきなども少しは男子らしくなったと思う。髪もショートヘアで寝ぐせもなし。バッチリだ。

「あっ――と」

 明美との約束を思い出した。スマホで姿見に映った自分の姿を撮り、写真だけ送信しておく。明美とはあれからも何てことない内容で連絡を取っていたが、手術後の自分の写真を送るのは初めてだ。

 返事は待たず一階のダイニングへ向かい、テーブルの席に着く。


「あ。鈴花おはよう。制服似合ってるわね」

「うん、おはよ。ありがとう。和人は朝練?」

「そうなの。こっちに来ても相変わらずってところね」

「じゃあわたし――じゃなくて俺、学校行ったら探してみる」

「俺。男の子っぽいわね」

「だって俺は男だからね」

 すまし顔でトーストをかじる。


 和人は俺より一月以上早く同じ高校に転校している。手術後の二か月ほどは入院が必要だったからだ。手術後の二か月間、最初の頃は全身のきしむような痛みと吐き気に苦しみ、後半は体が思ったように動かないのをコントロールするためのトレーニングで苦しんだ。

 驚いたのは体が変わっていたこともあるけれど、手術痕が短期間できれいさっぱりなくなったこと。それと今までなかった体の一部が知らぬ間に作られていたこと。これは手術後に母から聞いたことだけれど、女子時代の俺の髪をブラシでとかした時に採取した髪の毛を病院に送り、あらかじめ毛根の体細胞から幹細胞を作って足りない部分を用意していたそうだ。

 朝食を終えてからもう一度身だしなみを整え、リュックを背負って玄関に立つ。母が見送りにきてくれた。


「鈴花、まだ無理はしないでね」

「大丈夫。体力はほとんど戻ってるから、心配しないで」

「ちゃんとお昼食べるのよ」

「学食は楽しみにしてる」

「何かあったら和人に言うか、すぐに帰ってくるのよ」

「もう、心配しすぎだって」

 上京する息子を送り出す母のセリフみたいで少し面白かった。

「そう?」

「そうだよ。じゃあいってきます」

「はい。いってらっしゃい」


 *


 眼前に広がる数十の瞳。視線・熱線・注目の的。

あいだ鈴花りんかです。よろしくお願いします」

 新しいクラスメイトの前で自己紹介をする。見た目におかしいところはないはずだけれど、手術後の姿での学校生活が始まることを思うと少し緊張する。

 クラス内は多少ざわついたが、無理もない。二年生になった直後に転校してきたのだから、何か事情がありそうだと思ったのだろう。俺の場合は問題を起こしたのではなくただの父の転勤なのだが。


 わたし江尻――

 俺竹井――

 馬場です――


 席に着いた後と授業間の短い休み中に、席が近いクラスメイトから何度か自己紹介があった。


 どこから来たの――

 部活は何を――

 漫画とか見るの――

 あの映画見たの――

 ソシャゲは――


 二限の後の短い休み中には軽く会話をすることができたが、その時に新鮮だったのは、話しかけてきたのがほとんど男子だったことだ。やはり男になると、男のほうが話しかけやすくなるのだろう。とりわけ新鮮に思ったのは、会話が楽なことだった。男子は単純な話題を短く終わらせることが多い。父も弟もそのタイプだ。俺は女子時代に話すのは苦手ではなかったので話をもっと拡げることもできたが、適当に愛想を良くしてさっと流した。男子らしさを演出しているのだ。

 そして三限後の休みで学校の男子トイレデビューを果たした。病院のトイレはバリアフリータイプの個室を使っていたので、誰かと同じ空間で男子として用を足すのは初めてになる。小便器を利用したが、はじめは出なかった。なぜなら隣にほかの生徒がいて緊張していたから。噂に聞いたことがある。男子の中には小便器の隣に立たれたくない人もいるらしく、そうされると出ないらしい。もしかしたら噂の出どころは俺と同じように手術を受けた人間なのかもしれない。


「間で合ってるよね。メシ行く?」


 昼休みには学食に誘われた。同じクラスの二人組で、片方は茶髪に緩いパーマをかけていて、もう片方はさっぱりした黒のショートヘアだ。


 俺は名前〇〇――

 俺は――

 鈴花って呼んでもいい?――

 部活決めた?――

 俺ら軽音楽部なんだけど今バンドメンバー募集中でさ――

 音楽興味ある?――

 おおー、それでそれで――

 俺もそう思うんだけどさー、コイツがな――

 それでこの前もさ――

 変だけど俺の経験ではさ――


 話は相手のおかげで途切れることはなく、話し上手とも言えるけれど、そういうところはどちらかと言えば女子らしく感じた。懐かしい感じだ。なんだか見た目もモテそうな感じだし、男子の場合はこういう会話の方が女子に好まれるのだろうか。


「まあ部活の件、考えといてよ」

「うん、誘ってくれてサンキューね」


 昼食をとった後、和人を探すことにしたので二人とは別れた。

 校内を歩きながら、考える。自分がどういう人たちと仲良くして、そしてどんな人を好きになるのだろうと。さっきの男子二人組と話していた時は、仲良くなれそうだとは思ったが、それ以上については特になんとも感じなかった。女子の頃であれば意識していたかもしれない。体の変化によるものだろうか。

 廊下を歩く女子をそっと目で追う。綺麗な子や可愛い子も見かけるが、特に付き合ってみたいという衝動にはかられない。元々女子だったせいだろうか。

 同じ学年であるはずの和人がなぜが見つからず、自分の教室に向かった時、入り口に立って話していたクラスメイトの女子三人と目が合う。


 間君だよね。転校生の――

 あ。そうなんだー。よろしくー――

 へえ、あっ、弟君がこの前の間君なんだ――

 おー、じゃあ鈴花って呼んでいいの?――

 女の子っぽい名前だねー――

 あっ、悪い意味じゃないよ――

 わっ、今めっちゃ静電気きたんだけど――


 話そうと思えばいくらでも話せそうなほど自然と会話ができた。女子時代に慣れていた会話だ。異性として話していることが少し新鮮で楽しくはあったけど、それでも特別な感情は湧いてこない。

 弟に連絡があるからと会話を途中で抜け、教室の窓際まで来てスマホを取り出す。なんとなしに外のグラウンドを見ると、制服姿でサッカーをしている生徒が数人目に入る。まさか――と思いじっと見ていると、やっぱり和人だった。こっちの高校でも早々に仲の良い友人ができているらしい。俺は運動は苦手ではないが、今からあそこに混じってサッカーをする気にはならず、ただぼんやり和人たちを眺める。


 サッカーでもバンドでも、何かを始めて誰かと出会い、誰かを知っていけば、そのうち誰かを好きになるのかもしれない。今日出会ったばかりの男子や女子と話して特別な感情が湧かないのも当然ではある。まだ知らないことがたくさんあるからだ。こんなに恋愛のことばかり考えているのは、やはり自分がどう変わったのか確かめたいからなのだろう。


 何が変わったのか――。和人がサッカーをしていて、不器用ながらも俺のことを考えてくれる両親がいる。

 和人が放ったロングシュートが弧を描く。

 ――何も変わっていないのかもしれない。


 ただ、恋が人生のすべてではないが、父が語っていたような幸せを、できることなら感じてみたい。

 ふとスマホを見ると、通知が表示されていた。

 明美からメッセージが届いている。


『まあまあ

 こんなにイケメンになっちゃって

 お母さんは嬉しいよ』

『いつの間に親になったんだよ』

『それがそっちの制服かー

 スカートにしないの?』

『俺は男だ』

『男でもイケるよ!』

『それは目立つ転校生になるな』

『昔はワシもズボンはいとったのぅ』

『?』

『今だから言えるけど

 私昔男だったんだよねー

 えへへ☆』

『俺に合わせて

 適当な嘘つくんじゃない』

『いや本当だって

 鈴も男女比率調整委員会でしょ?』

『どうしてその名を』

『だから私もそれで変わったんだってばー』

『マジか!!』

『どうだ驚いたか』

『転校初日で一番驚いたわ

 午後の授業に支障が出るだろやめろよ』

『私からの転校祝いだヨ』

『サプライズのタイミングよ

 でも今思えば明美って性格あっさりしてて男っぽかったかもな』

『あー。それね

 それはほら、ちょっと恥ずかしかったから』

『なんで』

『だって元は異性だったし』

『うん』

『それに、好きだったし』

『うnーうん!?』

『二つ目のサプライズでした☆』

『やめろ混乱させるんじゃない』

『ということで付き合って』

『お断りします』

『仲良しだったよね!?』

『それはそれ

 でも、今度会おうか

 休みにどっちかが来よう』

『行く行く!

 絶対に行くから!

 今すぐ行く!!』

『今すぐはやめろよ』


 ふと視線をスマホからグラウンドへ向ける。

 和人がドリブルでボールを運んでいた。

 ――何も変わっていないのかもしれない。


 でも、これから何かが変わるかもしれない。

 俺は、今新しい世界を見ている。

 前より少しだけ違う、新しい景色を。


「よし、サッカー混ざりに行こう」


 俺はスマホをポケットにねじ込んで駆け出した。

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