男女比率調整委員会

向日葵椎

第1話

 父の転勤のタイミングに合わせて引っ越すことになり、わたしは高校を転校することになった。今日は家族そろって「新天地でも頑張ろう会」をかねての夕食。父、母、弟、わたしは引っ越し前の家のテーブルで焼肉を囲んでいる。


「いやあ、変なタイミングですまんなみんな。父さんもできるだけ苦労をかけないよう頑張ってはみたんだが――いや、言い訳はよくないな。まあ、そんなこんなでもういろいろ決定事項ではあるから、今日は腹一杯うまい肉を食おう」

 と、父。

 父はいつも家族のことを第一に考えてはいるが、それを顔には出さず大きめな変化を突然報告するのでいつも驚かされる。

 わたしは来月高校二年になるし、子供扱いされたって自分では世の中についてしっかり考えられる年ごろだと思っているので、大人な対応をすることにする。


「わたしは今の友達と別れるのはさみしいけど、引っ越し先で新しい友達ができることを思うと楽しみではあるから、平気だよ」

 そう。人生は出会いと別れの繰り返し。実に大人らしい考え方じゃないか。わたしはこの浮世で悲しむよりも楽しんでいたい。


「俺もクラスのやつらにお菓子とかもらったから満足かな! あとサッカーボールにサインめっちゃもらったし!」

 と弟。満面の笑み。チョロい。弟はわたしと同じ高校一年生だが、遅生まれなので今はわたしと一歳違いになる。

 わたしは「すごいね」と言う。

「あとで見してあげっから! もぅず#$%&=~¥んぁ!」

 後半は暗号なのかよくわからないのでとりあえず弟が肉を食べ終わってから聞くことにする。すごいことは本当だ。高校生活が始まって一年も経っていないのに、もうそこまでしてもらえる関係ができているのはすごい。わたしはごく親しい友人と長めの昼食をとったくらいで、何かもらったりはしていない。


「まあ、すごいのね、サッカーボールが真っ黒なんて。お母さんにも見せてね」

 と母。弟の暗号が解読できる超能力者だ。突然おかしなことを言う父がいて、子供が二人いて、家事から何までをなんてことないようにナチュラルにこなしているところを見ると本当に超能力者なのではないかと思う時はある。

 母はまた弟の暗号を頷きながら聞き終えて、

「そうよね。新しい場所でもサッカーできるものね。お母さんも楽しみなの。お引越し先の近くにあるスーパーの特売日はチェックしてあるから、これからスケジュールを組んで最高のお買い物をしてみせる……!」

 仕事が早い。父はちゃんとボーナスを用意しているのだろうか。母が父と結婚して退職する前は、部署内で仕事に夢中になりすぎて心配されるタイプだったらしい。昇進意欲からか、過度な義務感か、それとも純粋に楽しんでいるのか、高校生のわたしにはわからないが、今超能力も使えるところを見ると、苦労が多そうで心配になる。


「そうだ。鈴花りんかは明日の病院忘れないようにな。後からいろいろ持っていくのでもいいが、先に準備しておくものがあるなら今日のうちにしておくといい」

 と父。

 病院? 知らない何それ。

「健康診断? それとも誰か入院してたっけ」

「ん? 違うよ。ほら、鈴花明日手術だからさ」

「え……? え? 手術、わたしが?」

「そうだけど、忘れちゃったのかい? 前に言ったと思ったけど」

「いや聞いてないよ。そんなこと言われたら覚えてるって」

「あれぇ……おっかしいなあ」

「わたし何か病気だったっけ」

「いや病気ではないよ」

「じゃあなんの手術よ」

「男の子になる手術だよ」

「お……と、このこ?」

「そう。男の子」


 意味が分からない。父はいつも急によくわからないことを言うが、今回はその中でも本当に意味が分からない。それもあっさりしている。わたしの勘違いか。男の子というのには何か別の解釈があって、実はそんなに大したことがないものなのか?


「何か見た目がちょっと変わるとか、そういうこと?」

「いや、機能的にも完全に変わるものだ」


 いやいやいやいや、何を言ってるんだ。仮に、仮にそれが本当のことだとして、ここで「あ、はーい」みたいになるわけがない。というか機能ってなんだ。どこの何がどういう風になるんだ。


「ちょっとお母さん。お父さんが変なこと言ってるんだけど」

「ごめんね鈴花。それわたしも知ってたけど、お父さんがもう伝えてあるかと思って何も言ってなかったの」

「それにしても何か一言くらいあってもいいと思うんだけど。これからの生活が大きく変わるから大変だよね、とか」

「そうよね。でもこういう繊細なお話は鈴花が切り出すのを待とうと思っていたの。今までこういう会話がなかったから、てっきり問題ないと思っていたけど。それが裏目に出ちゃったみたいで、お母さんは申し訳なく思うわ。この反省を活かして、次から大事な話は直接確認することにしようと思うの」

「真面目か!」


 なんということだ。母も私が手術を受けると考えていたらしい。だが母は悪くない。つい声を荒げてしまったが、問題の根っこは伝え忘れた父にある。父も悪気はなかったことは知っているので、後で問題の処理と改善を要求するにとどめておくことにする。

 わたしはそれより先に状況の確認をする。弟がこのことを知っているのかだ。


「ええっと。じゃあ和人かずとはこのこと知ってたの?」

「明日からお兄ちゃんって呼べばいいんだよね!」


 お話にならない。おそらく聞かされてはいたが、興味と関心がなかったのか、今まで忘れていたかといったところだろう。

 そもそも手術を受けるとは言っていない!


「お父さん、どうしてこういう話になったの? わたしいきなりこんなこと聞かされても困るんだけど」

「うーん。――あ、このカルビ焼けてるから鈴花にやろう」

「あ、ありがとう」

「そうだな。順を追って話そう。少し前の話になるが、鈴花が中学生の頃に少し学校を休んだ時期があっただろう」

「それは知ってるけど……」


 わたしは中学生の頃に、学校に行くのが嫌になって数か月ほど登校を拒否したことがある。父も母もそこまで重く受け止めていなかったので、わたしは自分が社会から外れたことへの罪悪感のようなものをほとんど感じずに済んで、その点はおおらかな両親に感謝している。


「その時に女の子に生まれたことをとても後悔していたよね」

「まあ、そうだけど」


 わたしが中学生時代に登校を拒否したのは、当時のクラスの女子グループの人間関係が嫌になったからだ。おそらく人間関係が嫌になる経験というのは、男も女も同じようにあるものだとは思うが、当時のわたしはそうではなかった。

 だから「男に生まれればよかった」と、ことあるごとに繰り返した。


「それが理由の一つだよ」

「それだけじゃないってことだよね。ほかの理由は」

「男女比率調整委員会からお願いがきたんだ」

「男女……なんて?」

「男女比率、調整、委員会。今回の転校の話を進めていたら手紙が届いてね。なんでも転校先の学校では男女比率がよくないらしくて、鈴花が男の子になってくれるというなら手術費用は全額向こうの負担で、それにプレゼントもつくって書いてあった」

「それが二つ目の理由?」

「そう。鈴花が嫌じゃないならいい機会だと思ったんだ。それにね、鈴花。鈴花が男であろうが女であろうが、お父さんお母さんの子供であり家族であることには変わりはないんだから、ぼくらは鈴花が望むように生きられることを願っている。今嫌だと言うのであれば、ちゃんとキャンセルの連絡はしておく」

「うーん……。ちなみにその委員会からもらえるプレゼントって?」

「高級和牛の焼肉セット!」

「あ、もしかしてこの肉」

「そう。おいしいよね!」

「もう食べちゃってるけどホントにキャンセルできるの」

「キャンセル料はかかると思うけど、まあ大事なことだから気にすることはないよ」


 わたしは考える。

 キャンセルするかどうか――の前に男女比率調整委員会についてだ。なんだそれ。聞いたことないぞ。詐欺だろうか。しかし本当であれば、父の話ではその委員会が手術費用を全額負担するというのだから、学校の男女比率を相当重要に考えていることがわかる。それはわたしの知ったことではないのだが。

 さて必要な確認を行おう。


「これ詐欺とかじゃないよね。男女比率のためにわざわざ手術費用を負担してくれたり焼肉プレゼントしてくれたりって、大げさすぎる気がするんだけど」

 父に向かって言うと、母がこちらを向く。

「その点は心配ないわ。手紙に書いてあった住所に行ってみたんだけどね、まず見た目は歴史のある立派な建物で、フロントも綺麗で問題なし。次に実体なんだけど、そこも歴史や実績、それと委員会のメンバーに不審な点はなかったし、委員会のウェブサイト含めネット上の評価も問題ないものだったわ」

「……お母さん探偵だったの?」

「途中から楽しくなっちゃって」

 父が頷く。

「お母さんは昔から興味のあるものに夢中になりすぎるところがあるけどね、その時の結果は間違いないものだから安心できるよ。お父さんも昔、会社で熱心に仕事をするお母さんを見て心配になるほどだったけど、でもそういう何かに夢中になれるお母さんが素敵に見えたんだ」

「まあ、お父さんたら……」

「そんなお母さんにぼくは今も夢中というわけさ」

「きゃっ」


 わたしは何を見せられているのだろう。

 しかし詐欺ではなさそうなことがわかった。委員会は小さな見返りよりも、広い視点での社会貢献を考えている歴史ある組織ということか。最初、わたしの頭の片隅には手術をして内臓をごっそり奪われるのではないかという不安もあったが、それもほとんどなくなった。


「和人はどう思う。お姉ちゃんが男になるっていうのは」

「一緒にサッカーできるのでは!?」

「それは今もできると思うけど」

「じゃあ今度しよう!」

「あ、うん。――あれ何の話だっけ。ってそうそう、和人は嫌じゃないの?」

「うーん、弟にはならない?」

「私の方が背は低いけど年は変わらん。和人は弟欲しいの?」

「違うよ。年上がいなくなったらやだなーって思って」

「そっか」

「ま。あんまり変わらないってことだねー」

「なるほど」


 和人的にはサッカーができる年上であれば問題ないらしい。であれば、家族のことは気にせず、あとはわたしが手術を受けるかどうか次第になる。

 塩カルビを食べながら、わたしは過去を振り返る。

 ――おいしい。

 じゃなくて、わたしは女の子に生まれて、これといって幸運と感じるようなことはなかった。メリットと言った方がいいかもしれない。もちろん両親から可愛がられたことは間違いないが、それは弟の可愛がられようを見れば男女で関係ないとわかる。可愛がられすぎた弟は、人を疑わないサッカーと食べ物を愛する人間に育っている。わたしは大人だという自覚があるので、それなりに人を疑う。そういうこともあり、中学時代には女子グループ間やグループ内でのいざこざに心労と面倒を感じて数か月間不登校になったのだ。

 そういえば大してモテたこともない。自分の容姿についてそこまで悪いと思ったことはないが、特に優れているわけではないようである。身だしなみを整えるくらいのことはしてきたが、やはり相当の努力は必要だったのだろう。

 ではこれからはどうだろう。わたしが男になってしまえば、これからの生き方は確実に変わる。後悔は生まれるだろうか。しかし未来のことはわからない。予定ですらほとんど白紙なのだから。それについては、男になっても変わらないように思う。

 そうであれば、確実に変わる部分で無理がないかを確認しなくてはならない。物心がついた後から男になる――男の初心者になるのだ。急に男の世界に飛び込んで苦労することになるのは嫌である。

 ベテランの意見を伺おう。


「お父さん、男ってどんな感じ?」

「そうだなあ、世代によるかもしれないけど、……女性がお花なら男は石だな。ゴツゴツしてても丸くなってもそれなりに味がある」

「ちょっとわかんないかな……」

「男といってもいろんなタイプがいるからなあ」

「お父さんは男に生まれてどう思う」

「お母さんと出会えて、鈴花や和人が生まれて、お父さんは幸せ者だな。これはお父さんが男に生まれたからできたことだと思う。女性に生まれていたらまた違った人生があっただろうからね」

「なるほど」


 わたしが男になった場合、これから出会う人も変わっていくのだろう。

 ……好きになる相手も?

 わたしは当たり前のように異性を好きになっていたけれど、自分が男になったらそれも変わるのだろうか。小さい頃は白馬の王子様に憧れて、なんなら今も少し来てくれたら嬉しいとは思っているが、それも変わるのだろうか。

 わからない。ただ、変わる必要はないだろう。恋が人生のすべてではないし、何をどう思おうが個人の自由である。

 ただ今、確かにわかることが一つある。わたしの心はときめいている。今までなかった景色を見たい。踊る胸と弾む心臓は正直である。もしかしたらガッカリするかもしれないけれど、変わらないかもしれないけれど、一つ扉の先に広がる新しい世界を確かめずにはいられない。

 だから――


「なる。わたし男になることに決めた」


 *


 夕食を終えて自室に戻り、ベッドで休む――肉を食べ過ぎたのである。スマホを手に取って高校で唯一の親しい友人にメッセージを送る。


『これから男として生きることにしたぜ』

『お、おう

 どうした急に』

明美あけみには言っておこうと思って』

『熱く燃える魂的な?』

『いや肉体的に』

『寝耳に水だぜ

 転校先から?』

『そう』

『マジか

 じゃあ制服着たら写メ送って』

『うん』

『あと付き合って』

『お断りします』

『仲良しだったよね!?』

『それはそれ』

『俺は諦めないからな!』

『また今度ね』


 明美は女子にしてはあっさりした性格だけど、だからこそこういう話もしやすい。あっさりしすぎてわたしの転校が決まっても長めの昼食をともにしたくらいで、何かくれるようなことがなかったほどである。それでも不思議と明美とはずっと一緒にいた。


「明美は変わらないなあ」

 小さく笑ってスマホを胸に置き、目を閉じた。

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