20.笹塚 聖良

適当なスーツ、と言ってもそれなりに値の張る良い物だが、其れを羽織り適当なネクタイを締める。普段だらしないという訳では無いのだが、ここまでキッチリとした格好をする事が少ない為、少し新鮮な気分だ。

「居るか?」取り敢えず、出掛ける前に側近の部屋に訪れようと思い、側近の自室のドアをノックする。部屋のドア越しにも足音や物音は聞こえない。「何でしょう。」背後から聞こえる声。微かな足音も聴こえなかったが、どうやら彼女は用事があって部屋を出ていたらしい。

「出る前に挨拶を………と思ってな。お前の事、信用してるぞ。無理しない程度に殺れ。」彼女は 俺の言葉に対してうんともスンともいわない。彼女はただ暫くの間此方をじっと見つめていただけだ。

「了解です。」彼女は俺の顔を見つめたままそう答えた。俺には彼女にとってこの行為が何を意味するかは知らなかったし、理解も出来なかったがこれ以上話す事も無かったので無言でその場から立ち去った。


彼女にとってこの挨拶は意味が無かったのだろう。良く考えれば俺にもこの挨拶には意味は無い。ただ、軽い願掛けみたいな物で、また無事に帰ってきて挨拶出来れば良いな程度に思っていた。もしかしたら俺は心の片隅で死ぬのが怖かったのかもしれない。そんなの気を張って居たら自分では到底分からないが。ただふとそんな気がした。


外に待たせていた組員の車に乗り込む。時計を見て考えると、集合時間に遅れてしまいそうだった。まぁ良いだろう。別に遅れても遅れなくても変わらない。そこに待っているのは定められた運命なのだろうから。変える事の出来るのは彼女だけだ。俺は関係無い。

「出せ。」俺は助手席に座ると組員にそう告げた。組員は何も答えずにただ浅く頷き、エンジンをかけて屋敷から出発した。


俺はその間、今日は何を話そうかと考えた。所謂イメージトレーニングだ。俺にはイメージトレーニングが必要だった。脳内でグルグルと今日話そうと考える内容を反復した。相手が話題を提供してくれれば良いが、そうでも無かった場合困るので多めに考えておく事とした。


「着きますよ。」そう組員に声をかけられた。時計を確認する。数分遅れと言ったところか。道が混んでいた様だ仕方が無い。車は暫くして外壁が少し白っぽい大きな美しいとも言える外見のホテルの前に停まった。どうやらここが会場の様だ。

「お前は帰って良いぞ。待ちぼうけ食らわせる程俺は酷い奴じゃないからな。」組員にそう告げると、組員は少し苦笑いをして頷いた。どちらかと言うと、これが気まずかった気まずくないの笑いでは無く、貴方をそんな人だとは思っていないといった系統の苦笑いだろう。彼にとっては恐らくアメリカのブラックジョークのユーモアが欠如した物の様なそんな位置付けな気がする。

「んじゃあな。なんかあったら組に連絡入れるわ。」車から降りると外気の冷たい空気に晒される。まぁまだ朝だ。次第に暖かくはなるだろう。歩く度にメリケンサックのやナイフがぶつかり合う金属音が響かないのはいつもと違い少し違和感を感じるが、両方持った所でどうにかなるとは思って居なかった。今日はメリケンサックを置いて来た代わりにナイフを2本持っている。それに、逃げる時に変に音が立たない方が良い事もあるかもしれない。違和感を感じる自分自身にそう言い聞かせながら、ホテルに入ってからというもの、女の店員の案内で部屋まで向かっている。


「遅くなってすまなかったな。おかえりか?」丁度扉を開き彼の姿を目に捉えた時、目に入った彼は咋帰ろうとしていた。遅刻したのだから帰ってもおかしくは無いが、今彼が帰ってしまっては面白く無いので、半笑いで相手に挑発する様に問いかけてみる。勿論、彼がどう動くか様子見だ。

「昔話でもしに来たのかよ。」と彼は苛立った様子で俺に向かって吐き捨てた。昔と変わっていない。それに対して俺は一般的な表現で表すのであれば、実家に帰った様な安心に近い様な感覚に陥った。それは俺にとって家族、いや青年の頃の日常の1ページにはいつも彼が居たからかもしれない。自分ではよく分からないがきっとそういうことなのだろう。


「ああ。楽しい昔話をしに来たよ。」俺はまた笑った。最高の気分という訳では無い。ただこれから、俺と瀬尾さんとどっちが勝つのかはたまた大差無いのか、その結果を見るのが楽しみだった。だから俺は笑った。人は愉快な時で無くても笑えるのだ。普通の人からすれば笑う様な事では無い事位知っていた。ただ俺は、この世界に入った時点で自分の命を大切にしようと微塵も思って居ないし、普通の人間の様に病気で死ねる等とは思ってい無かった。それこそ、何処かで殺されるか警察に捕まって一生お縄に掛けられたまま死ぬかの2択だと思っていた。

だから今日、ここで捕まった所で許しを乞う気も無ければ、怖がって逃げる気も無い。ただ自分に向かって来る運命を素直に受け入れるだけしか無いと思っている。だから、短い短編小説を読む様なそんな気分にすらなっていた。俺の人生は誰かの手で書かれた小説より遥かに薄っぺらな人生だった気もするが、それはまた別の話だ。


「笑うんじゃねぇよ。」彼は此方に視線を向けず狼が唸るかの様に言った。彼のリアクションには毎度毎度既視感を感じる。矢張り俺は彼の俺らの姿と重ねているのだろう。相変わらず言葉を大切にしないその姿勢や、気を許した相手には出る少し大きな態度。俺は別にその態度が嫌いでは無かった。好きでもあった。

「ああ、失礼。」俺はなんとか込み上げて来そうになる笑いを首元や耳の下辺りで止めて椅子に腰を下ろす。彼は俺に嫌がらせがしたいらしく、態々俺の近くの椅子に腰を下ろしたので、本当に怒っている、というか苛立って居る様だ。恐らくその原因は、俺がここに来た件だろう。

俺はそのまま椅子に腰を降ろす。


そのまま食事が始まり、暫くしても二人の間に会話がなかったので何か話を振ろうと「怒ってんのか?」と適当なことを抜かしてみる。彼はその質問に対して、口で答えずに食事中にも関わらずブンブンと激しく首を横に振ったので思わず面白くなり、「昔みたいに拗ねてんじゃねぇよ。」と笑い半分で弄ってみる。

すると彼は、「拗ねてなんかねぇよ。」とあからさまにいじけた様子で答える。素直じゃ無いな。彼が素直では無いのは昔からだった。俺はその性格を面倒くさいと思った。しかし、良く考えればこの様な系統の質問には答えもしない、俺の方がもっとタチが悪くて面倒くさい性格なのかもしれない。

俺はそんな事を考えると1度彼に話しかけるのを辞めた。この話題を続けた所で何の生産性も無いことに気が付き、この話題はもう終わりにしよう。そう考えた。その代わり何か話題を考えなければいけない、同時にそう考えた。義務では無いのだろうが、此方から一方的に話を振っておいて勝手に辞めた身だ。普通此方から話題を提供すべきだろう。


「最近どうよ。」暫くして何とか思いついた言葉を口にする。この世界にどうもこうも無いだろうが、旧友が再会する時によく言うと言う言葉だ。言っても違和感は差程無いだろう。

どうも何も。お前が思ってる通りだよ。」彼は此方に1度も視線を向けず、目が合わないまま少し下を見てそう言った。俺には彼の姿が不貞腐れている様にも見えた。ただ、彼はそのまま口を閉じておく訳では無かった。「お前こそどうなんだよ。」なんて此方を見ずに聞いてきた。俺は最近大した事も無かったので、この間の側近との話に関して彼に話を振ろうと考えて、「神崎から聞いた。お前との事。」 なんて言う。勿論これはメールの返答すらしない彼の口から聞く為の嘘ではなく、勿論他の側面から見たとしても事実であり嘘では無い。

暫く間を開けて、彼がこの言葉に対して何のリアクションも示さない事を確認してから俺は再度口を開き話を続ける。「そろそろ聞かせてくれねぇか?そっちの話。」と。まるで警察官が容疑者に事情聴取しているみたいだと思う。勿論、俺は警察官でも無いし警察官に捕まった事も無いからただの勝手な想像の域だが。


「俺は彼奴に騙されてた。それだけ。」すると彼は、凄く単純でシンプルな、誰が聞いても伝わる様な物凄く簡単な言葉を口にした。その言葉はとても短く言葉だけではその時何があったのか図り知ることは到底出来そうに無かった。

ただ、その言葉から察するに恐らく話をきちんと聞けば長くなるだろうし、彼もまた神崎と同じ様な事を抜かすのだろう。自分は悪く無い。相手が悪い。そう言うのだろう。それが自分で予想出来るのであれば、聞く必要が無いじゃないかと、俺はそのまま口を開かずにいた。

そして彼はその俺の態度に関して、不思議そうな顔をしながら「聞かないの?」と問いかけてきたので、俺は即答で「聞かねぇよ。」とだけ答えた。これ以上この話をするつもりは無いと、俺はその様な態度を取り続けた。彼もその態度を見て察したのだろうか。これ以上この話には触れて来なかった。


「そろそろ帰るかね?」それから暫くして、俺はそう声をかけた。彼は短く「だね。」とだけ言うとそのまま帰る支度を始めた。自分から帰ろうと提案したにも関わらず、その姿を見ていると少し寂しくなる。これで会えるのは最後かもしれない。俺が心の片隅でそう考えてしまっていたのもあるだろう。

「ごめんね、今日は態々来て貰っちゃって。」彼は俺よりも少し先に立ち上がるとそう呟いた。その声は少し悲しそうにも感じた。俺は普段元気な彼を直視出来ずに居て、視線を逸らしたまま「嗚呼。また会えたら………良いな。」と言うつもりも無かった言葉を呟いた。彼に届いて居たかは分からない。ただ、この言葉を口にすると本当に自分が死ぬのでは無いかと思ってしまう。死んだ所で最初から覚悟していた事だし、特に悔いも無いのだが。


扉の開く音。空気が篭もり湿っていた空気を裂く様に流れ込む少し冷たい外気。扉が開いた事を知った。ただ、其方の方を見る気は無かった。もし扉の向こうに居るのが不知火の人間だったとして、自分の体が怯み勝手に逃げようとする気がした。。もしかしたら俺は、心の片隅ではどこか死ぬのも捕まるのも怖かったのかもしれない。

「じゃあね。」彼が口を開いた。彼もまた扉の方に視線を向けず、その場に立ち尽くしていた。「おう。」俺は、床の木の板を眺めながらそう答えた。帰るしか無い。ここから出るしか無い。扉に向かうしか無い。俺は脳内で瞬時にそう思った。もし扉の向こうに居るのが不知火の人間で、彼の方へと逃げれば彼が疑われる。彼までこの件に巻き込む気は無かった。本当は彼だけでは無く自分の側近も巻き込みたく無い位だ。

前を見ず、扉の方へ1歩1歩と震える足を進める。幼い頃、親父とまだ2人で暮らしていた頃と同じ気分だ。常に死を覚悟しなければならない重い空気。 それを普段以上に身近に、敏感に感じ取っていた。


ドンッ。


何かが爆発する様な音が響いた。

しかし、周囲に何も異常は無い。勿論自分の体にもだ。状況が読めずただ呆然とその場に立ち尽くした。


コツンコツンッ。

床に滑るようなヒールの音。俺は覚悟を決め、目を瞑った。今の俺には逃げる程の気力は無かった。


手に触れる冷たい物。

暫くして、自分の体に伝わる相手の体熱にそれが手だと直ぐに分かった。


「逃げましょう。組長。」


腕を掴み、少女は大人の女の笑みを浮かべた。


「ああ。そうだな神崎。」


俺はそのまま振り向かずにドアから飛び出した。

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闇夜の街の光と影。 月ヶ瀬 千紗 @amamiya_rain

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