ナンセンスだわ。何もかも

『見えた。あれだ』


 先行するフラッシュの声に眼を凝らせば、進路上に黒い点がある。見る間にそれは大きさを増して、つい今し方、情報コンソールで確認した爆撃機の形を取った。


『コサックどものB-113は旋回機銃を積んでる。距離は1200空ける。不用意に近づくな』

「了解」


 だが、そんなに心配する必要は無さそうだった。エイトの機体のコンピュータは、敵機の武装が全て使用不可能であると結論付けていた。四発のエンジンは二発が機能停止していて、機体の各所からは被弾の煙の尾を曳いていた。


「火砲は全て死んでいる」 


 エイトは指示された通りの距離を保ちながら、報告用の写真の為に敵の旧式爆撃機全体がガンカメラに写る位置へと機体を滑り込ませた。


 ピーーーッ!!!


「えっ」


 くすんだ星のマークを付けた爆撃機の三つの旋回砲塔が、一斉にアイシクル機に向きを変えた。

 罠だ。


「しまっ……」


 た、と言おうとしたエイトは息を飲んでその言葉を紡ぐのに失敗した。

 目の前を大きな翼が横切って、敵の三つの機銃が猛然と吐き出す凶弾から彼女を庇ったからだ。


「フラッシュ……‼︎」


 咄嗟に引き起こし上昇するアイシクルの機体と交差するようにフラッシュの機体は炎に包まれながら紺碧の海に向かって堕ちてゆく。


「おのれッッ!!!」


 エイトは生まれて初めて激昂した。

 垂直上昇から失速反転テールスライド。敵機は弾幕を張るが彼女を捉えることは出来ない。降り注ぐ曳光弾の閃きの雨の間を踊るようにすり抜けて。アイシクルは眼下の巨鳥に急迫しながら怒りと憎悪とをもってありったけの弾丸を叩き込んだ。


 火を吹く爆撃機。翼がグシャリと折れ落下が始まる。次の瞬間それは大きな爆発に変わって大量の破片をばら撒く。大空に大輪の火焔の花が咲いた。



***



 医療センターの特別処置室には、沢山のチューブやコードが繋がれた岡崎が包帯だらけで、飾り気のないベッドに横たわっていた。


 真っ白な部屋。

 ペ、ぺ、ぺ、ぺ、と頼りなく刻まれるバイタルの電子音。


 その隣には、パイロットスーツのままのエイトが立っていた。


「……無事だったか」


 酸素マスクを自分でずらし、岡崎は弱々しく言った。


「センサーでは」


 エイトはなぜか自分の言語機能が低下していることに困惑した。


「センサーでは、火器は全てダウンしていた。あなたの機でも同じだったはず。なぜ撃ってくると分かったの?」

 岡崎は小さく笑った。

「殺気さ」

「殺気?」

「黙って飛んでるあのバカガラスの様子に、殺気を感じたんだ」

「……ナンセンスだわ」

「そうかもな」


「なぜ」

 まただ。岡崎に言葉を掛けようとすると、彼女の中に無数の論理演算が繰り返し駆け巡って言語野モジュールがジャムを起こす。

「なぜ、私を庇ったの」

「レディをちゃんとエスコートしろって命令だ。司令から直々にな。あんたが無事なら、任務は成功だ」

「ウソだわ」


 表面では平静に振る舞いながらその実、彼女は混乱していた。岡崎の言うことは論理的には破綻がないが、真実ではないという確信があった。それが、岡崎の言う「勘」というものかもしれなかった。


「あなたは例え命令がなくても、同じ状況なら私を庇った」

「どうだかな。その辺、いちいち考えながら飛んでねえ」

「これだから人間は……」

「まあでも、死なせたくねえとは思ったんだろうな」

「自分の、命を捨てても?」

「好きってことさ」


 彼女が完全にフリーズした瞬間、バイタルが拍子を取るのをやめた。


 ピーーーーーー、という長い電子音が無機的な処置室に冷たく響く。


 フラッシュは。岡崎悦郎二佐は、死亡した。


 バンッと大きな音を立てて、扉が開かれた。

 そこには汗だくで、息を切らせたショートカットの女性パイロットが立っていた。


「そんな……」


 彼女は荒い息の間からそう呟いて、よろよろと岡崎の亡骸に近づいた。

 初対面だったがエイトは、山中三佐だ、と直感した。


「隊長。目を開けてください。隊長。私です。山中です。そんな……なんで……どうしてよ……嫌……こんなの……」


 エイトは何か言わなければと身動みじろぎしたが、その気配を感じたのか山中は振り向いて、キッ、とエイトを睨み付けた。エイトは車に跳ねられたような心地で、何も言えなくなった。


「岡崎二佐! フラッシュ! 返事をしてください! 私たちには! 十一飛行隊にはまだあなたが必要です! 隊長! 私、私はあなたが……」


 そこから先は言葉にならないようだった。

 山中は崩れるように跪き、岡崎にすがると叫ぶようにして泣き始めた。


 エイトは少しの間、呆然とその様子をただ見ていたが、音を立てないように後退り、そっと処置室から出た。



***


 なぜか真っ直ぐ立っているのも億劫で、彼女は処置室の外の廊下の壁に寄り掛かった。


 処置室からはまだ山中の泣く声が漏れ聞こえている。


 山中は岡崎を愛していたのだろう。それは上官として以上に。岡崎がそれに気付いてる様子がなかったのは彼らしいとは言えるかも知れない。


 エイトは山中が羨ましいと思った。

 アンドロイドである自分が、ヒトの形はしているのに、何かが大きく欠けていると感じて悲しかった。

 あなたは私に心を教えたけれど、あなただって心のことをなんにも分かっちゃいないじゃない。山中三佐がかわいそうだし、私だって……。

 そこまで考えてエイトは、自分からまろび出た理屈の非合理に気付いて自嘲した。


「ナンセンスだわ。何もかも」




*** 了 ***

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機人の空 木船田ヒロマル @hiromaru712

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