人狼の館

 ヒュートラムは上へ向けた視線を再び下へ落とし、猫雅を見据える。それから首と目で合図。猫雅をヒュートラムの背後――樹木がある一点を避けるように離れていく。

 離れたところに見えたものは、植物豊かな屋敷。沢山の柱と骨組みで立派な姿を見せていた。


「ここからは君のことをと呼び捨てにさせてもらう。して、猫雅よ」

「ん、何だ?」

「その様子だと、行く宛てもないのだろう?」


 今の猫雅はどこから見ても孤児である。

 みずほらしい服装に、泥だらけの頬。髪も艶がなく、パサパサとしていた。その様子を鑑みてか、ヒュートラムは屋敷へいざなう。


「入れ。そして湯船に浸かりたまえ……その後に、少し話でもしよう」

「……っ、わかった」


 屋敷の中に入ると、ヒュートラムは少しくだけた口調で言った。中には何人かの使用人メイドがいて、壁沿いにならぶ。そのうちの数人が猫雅のもとへ駆け寄り、ぼろきれのような服を脱がして風呂へ連れていった。

 それからしばらくして、猫雅は戻ってくる。髪の艶と、肌の弾力が戻っていることは一目でわかるくらいに、大きな変貌を遂げていた。

 しかし、切れ長の暗そうな目はそのままだ。


「この森に住み着いてから誰かと話すのは久々だ。何か思い出すかもしれないが、干支競争について話すとしよう」


 ヒュートラムは戌神の他に全ての神――十二支に加え、人神、魔神のはじまりについてを語り出す。


「かつて原初の神……人神と魔神が四つの世界を創造した。運命さだめに生きる者のための自然界、現象を司る者のための精霊界、肉体を失った者のための地国、そして神たちの居場所である神界。二柱の神は自分たちの役割を分担するために、神の位を与える存在を自然界から選んだ。その選出方法が所謂、干支競争だ」


 ヒュートラムが言うに、干支競争に勝った十二の存在が今も神として君臨しているのだそうだ。その一角が、ヒュートラムの主の戌神である。

 そして、戌神の権能は現象を切り離すこと。神刀の詳細は眷属のヒュートラムにも知られていた。


「……他の神の能力も分かるのか?」

「いや? 神の代名詞とも言える神刀の能力を公にする方がおかしいというものだ。神同士ねは知っていたとしても、眷属までには伝わらんよ」

「なるほど……」


 猫雅は自分の中で霞がかった記憶――そのもやを手で払い除ける。しかし、戌神以外の記憶は脳裏に映らなかった。

 そして、ヒュートラムは掛け時計へ目を移す。日は頂上まで登りきっていて、窓の外の木々はその光を嬉しそうに浴びる。


「君はしばらく、ここに住みたまえ。眷属の私がいれば、君は何かを思い出すかもしれない……!」

「ありがとう、ござい、ます」

「礼はしっかりと言えるのだな」


 そこで丁度、猫雅の腹の虫が鳴く。ヒュートラムはふっ、と笑いにも似た息を吐いた。


「……そろそろ昼食を用意しようか」


 ヒュートラムが使用人に用意させた料理は主に、森で採れる新鮮な木の実と菌類きのこをふんだんに使ったものだった。

 その一つが、きのこのペーストとナッツで調理したポタージュだった。中央に香草が乗っていて、時折窓から流れる風に香りが運ばれる。


「っ、ぅおおぉ……!」


 たった一口で、猫雅は目を見開いた。口の中を駆け巡る強烈な香りと味のダブルパンチに。

 そして無言でスプーンを握り、ただひたすらに口の中へ運ぶ。他にもきのこのキッシュなど、色とりどりの料理が並び、テーブルの上はカラフルに彩られる。

 それからまもなく、猫雅は目も舌も。挙句の果てに心までも、目の前の料理に踊らせていたのだ。



 ***



「さて、ここに住めばいいとは伝えたが、先に私から注意して欲しいことを挙げておこう」

「……?」


 猫雅は声を出すことも眉を動かすこともなく、ただ首を傾げるだけの反応を見せる。


「まあ、ついて来たまえ」


 ヒュートラムは猫雅を連れて、一つの大きな扉の前まで連れて来た。


「この向こうには……私の娘が眠り続けているんだ」

「眠り、続ける?」


 その、どうにも含みのある言い方に猫雅は尋ね返す。


「そうなのだよ。まだ幼いのだがね……大きなショックで眠ったままなんだ。それも全部、私の――」


 最後の一言は声が小さくて猫雅の耳までは届かなかった。一瞬、暗かった表情もすぐに顔を上げて、猫雅と目をあわせる。強い眼光で猫雅を睨むように、軽く威圧した。


「だから私の許可なく入ることは許さないと、伝えておくよ」

「はい……わかりました」


 猫雅はうなずく。

 それから部屋の中にいるヒュートラムの娘を、どうにかして目覚めさせることはできないか。それを以て、この恩を返すことはできないかと、考えてみる。


「次に、君の部屋は奥の空き部屋を使ってもらおうと考えている」


 猫雅に、自分の部屋を与えられる。


「何故、そこまで……してくれるんですか?」


 ヒュートラムは良い意味で打算的な人格だった。猫雅の記憶に戌神が隠れてしまったきっかけがあるのだろうとヒュートラムは今、考えている。

 記憶を取り戻したい、この少年の目的と一致していた。

 それだけのことだった。


「……ふむ、まあそう思うだろうな。恐らく、君の目的と同じだから協力したいと思ったのだよ」


 ヒュートラムは言葉を濁して答える。

 それから扉のノブを捻って、猫雅を部屋の中に招き入れる。

 部屋の内装は比較的簡素で、かつ上品なものだった。暗めの木材で造られているテーブルや椅子、木箱、鏡の額縁など、木材の色味も統一されている。

 そこでヒュートラムはそっと一言こぼした。


「もう少し、明るい部屋のほうが良かったかもしれないな……」


 まだ表情の暗い猫雅に、暗めの部屋。どこか申し訳なさそうに顎の髭を撫でた。


「ふむ、もう少しでティータイムの時間だな。用意ができたらじき使用人メイドが呼びに来る。私も少し、ここで待つとしよう」


 そう言って、猫雅の部屋の中へヒュートラムも入り、椅子に座る。猫雅もそれに倣って、反対側の椅子に腰を下ろした。

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叛逆ノ猫神 文壱文(ふーみん) @fu-min12

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