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川瀬 鮎
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あ……やばい。
よく知っている姿を見つけて、思わず隠れそうになった。もともと自分の間の悪さは自覚していたけど、たまには間に助けられたいものだと心底思った。
「
前方にいたよく知っている人、
普段は全くしていない化粧もしているし、髪型も違うし、メガネもかけていないし、大丈夫だろう。それに、新朝輝と話したことなんてない。
「中納さん、第三スタジオに変更になったんですぅ」
私のもとにたどり着いたそのスタッフが息を切らせながら言う。そんなことなら別に変更前のスタジオの誰かに言伝として残してくれてればいいのに……そんな愚痴がでそうになったけど、飲みこんだ。
「あ、そうなんですか。わざわざありがとうございます」
私がそう答えるのと、新朝輝が通りすぎていくのがほぼ同時だった。
「久保さん、お疲れ様です」
「あ、新さん!お疲れ様ですっ!!」
うわ……この人達繋がってたのか……久保さんは私の本名とかは何も知らないはず……大丈夫だよね?
「あの……」
あまり見ないようにしていた私に、わざわざ新朝輝が声を掛けてきた。
お願い、やめて。あなたはこの目がハートになってる久保さんを相手にしてればいいでしょう。
「あの、中納さんって、中納
「あ、そうなんですぅ!」
なぜ、久保さん、あんたが答える。という心の声は閉まっておき、普段の私が絶対に表に出さないような笑顔を作る。
「はい、中納眞綾です。はじめまして」
「おれ、新朝輝といいます。中納さんの舞台、子供の頃見て、ずっと憧れてたんです!」
思いの外真剣な表情にちょっと狼狽えた。教室で見かける軽い感じなんて全くなかった。それは私の正体にも気がついていないということだろう。
「ありがとうございます」
長居は禁物と第三スタジオの方へ向かおうとしたとき、予想もしなかった一言が新朝輝の口から飛び出した。
「俺も第三スタジオに来るように言われてるんですよ。一緒に行きましょう」
日本中の女子のハートを鷲掴みにしている笑顔がこぼれた。
「……はい?」
あ、この「はい?」ってあの刑事ドラマの素敵な警部さんみたい。理解を超えるとどうでもいいことが思い浮かぶ。
「染谷さんから呼ばれてて」
「……そうなんですか」
染谷……あのおっさん、一体何を考えてるんだ?顔が引き攣り始めてるのが自分でも分かる。
「質問してもいいですか?」
「……なんでしょうか」
「なんで、舞台やらなくなったんですか?」
もう、なんで第三スタジオだけ場所が離れてるのよ。
「えっと、あんまり演技……向いてない、かなぁって……」
「ええっ!?あんなに大絶賛されてたのにっ!?」
「……評論家が与える評価と、実際に耳に入る評価は必ずしも一致しないわ」
「え……?」
あ。思わず本音がでちゃった。もっとうまい言い訳考えておけばよかった。普段インタビューとかも一切受けてないからいざという時にぼろが出る。
「歌は違うの?」
「……音楽は、表にでなくても出来るから」
「ふうん」
第三スタジオの入り口が見えてホッとした。扉を通り抜けようとした私の後ろから新朝輝の声が追いかけてきた。
「それって、逃げてるの?葉山
「!!」
息が止まるかと思った。振り返った私を見つめて、新朝輝がニヤリと笑う。
「やっぱりな」
「……鎌かけたの?」
「いや、確認。俺は知ってたよ」
「なんでっ……今更そんな確認しなくたっていいじゃない」
もうごまかせる訳もない。諦めた。
「さっき言ったでしょう。俺、子供の頃にあんたのヘレン・ケラーの舞台見て憧れたって」
「……」
「入学式で見かけたとき、すっげー興奮したんだけど。でも、まるで雰囲気違うし。名前も変えてるくらいだからあんまり知られたくないのかなってずっと観察 してた」
「観察って……」
「んー、ちょっとストーカーっぽいって自分でも思ってたくらい」
そんな、あははーって。随分とあっけらかんと言ってくれるじゃない。
「今の俺があるのは中納眞綾のおかげなんだよ」
覗き込むように見つめられ、なんか胸の奥がざわざわした。
「まーやーっ!」
スタジオの奥から突如大声で呼ばれてビクっとした。この声は間違いなく染谷
「お、朝輝も一緒か。お前たち同級生なんだって?朝輝が聖林高校だっていうからさ、うちの娘もだって言ったら、染谷なんて居ないって。いやいや、娘は葉山 だって教えてやったら同じクラスだけど話したことないんだって?」
この人は話しだすと止まらない。一気によくここまでべらべらと話せるもんだ、と感心したけど、何かひっかかる。黙ったまま隣に立っている新朝輝の顔を見上げ ると、まいったなていう感じの苦笑が浮かんでた。
「だったら、友達になってやってくれよってお願いしてさ。朝輝は中納眞綾に憧れてたって前に聞いたことあったからちょうどいいと思ってな。娘が中納眞綾 だって教えてやってな」
「知ってたって、教えられてたのね」
「……教えられる前からそうじゃないかって思ってたけどね」
意味ありげな笑みは、憎たらしいほど様になっていた。
「もうどっちでもいいわ。ところで、なんでスタジオ変更したの?」
「ん?気分?」
なんで、変更したあんたが疑問形なのよ……
「俺は何したらいいんですかね?」
「朝輝も一緒に写ってよ」
新朝輝が一緒に写る?私のアルバムジャケットの写真に?なんで?
「普段着でって言われたけど、この格好で大丈夫ですか?」
「ああ、用意してあるから大丈夫だよー」
ところで、なんで私が会話に置いてけぼりにされてるのかしら?
「ちょっと、染谷さん。どういうこと?」
「また染谷さんって……パパって呼んで」
いい年した男が拗ねるな。
「私今回の何も聞いてないので、説明していただけますか、染谷さん」
「……パパって呼んでくれたら教えてあげる」
一度言い出すとこの人は絶対に曲げない。それはよく知っている。この優男風の見た目に皆騙されてると思う。元女優魂をこんなくだらないことにしか最近は 使っていない。
「パパ。花音、何も聞いてなかったから教えてくれる?」
首をかしげて、上目遣い。両手を顔の前で組んでお願いポーズ。大抵この人はこれで言う事を聞く。まあこんなの女優魂もなにもないんだけど。
「花音、かわいいーっ!」
隣で、思いっきり吹き出した同級生はこの際放っておくしかない。この人もパパと仲がいいみたいだから、隠しても仕方がないだろう。
「樹生さーん、準備できましたよー」
パパを呼ぶ声にハッとする。パパの元に来ればいるのは当たり前なのに。毎度のことながら、この瞬間が来なければいいと思う反面、この瞬間を待っているよ うな気もする。
「ふうん」
新朝輝の声がすぐ近くでした。
「ああいうのがいいんだ」
「……どういう意味かしら」
「自分が一番よく分かってるんじゃないの?」
何か言い返してやろうと思ったけど、やっぱり私は間が悪いらしい。
「眞綾ちゃん、こんにちは」
「早乙女さん……こんにちは」
「今日は樹生さんがなんか張り切ってるよ」
あの人が張り切っているときは碌なことがない。何を企んでいるんだ?
「じゃ、これに着替えてきて。こっちは新くんの。控え室ないから、そっちの奥で交代で着替えてね」
早乙女さんが私と新朝輝に一つずつ紙袋を手渡す。
「先どうぞ」
新朝輝がにっこり笑った。
「どうも」
それだけ言って、セットの裏側に回る。私もだいぶ可愛げないよね。今をときめく人気アイドル?俳優?新朝輝にこんな無愛想。
渡された紙袋を開けるとセーラー服が出てきた。いくら卒業っぽい感じだからって……ちょっと安直じゃない?セットもいかにも教室だし。あの人はいったいどんな画を撮る気なんだろう……
**********
「セーラー服、かわいいね」
着替えてから元の場所に戻ると、早乙女さんがにっこり笑う。この人ににっこり笑われるとどうしたらいいか分からなくなる。
「どうも。新さん、どうぞ。お待たせしました」
「新さんって……同級生なんだし、朝輝でいいよ」
「……お仕事ですから」
ちぇーって口を尖らせる姿も様になるってどういうことよ。しかも、ちぇーなんてわざわざ口に出して本当にいう人はじめて見たんだけど。
聖林高校の制服はブレザーだから、着慣れていないセーラー服はなんだか落ち着かない。新朝輝もきっと制服が用意されているのだろう。ブレザーなのだろう か。ならば普段の制服と変わらない。
落ち着け、私。むしろ今までこういう鉢合わせが無かった事のほうが不思議なくらいなんだから。たまたまその鉢合わせする日が今日だったってだけのことな んだから。
新朝輝と去年はクラスが違い、接点もなかったから安心していた。それが2年になってクラスメートになってしまった上に、この前の席替えで隣の席になってしまった。最悪だと思った。
私がしまいこんでいる秘密がいつバレるかと冷や冷やしていた。だから近付かないようにしていた。ある意味不自然なくらい……
きっとふつうの女子高生なら、同じ学校、しかも同じクラスに芸能人がいたら少しくらい気にしたりするだろう。私も気にはなった。たぶん、別の意味で。
私の平穏な生活をこの人によって壊されるかもしれないって危ぶんでいたんだ。
「なに難しい顔してんの」
いつの間に着替えたのか、目の前に学ラン姿の新朝輝がいた。思わず後ずさってしまった。
「なに、この距離感。俺、そんなに嫌われてんの?ストーカーみていって言ったから?」
「ちがっ……、いや、あの……ふつう、考え事しているときに突然声を掛けられたら驚くと思う」
つい睨んでしまった。なんか、調子狂うな……落ち着け、私。ただお仕事で一緒になった人……って思い込むのはちょっと無理があるか。同級生だし。
「考え事?そんな難しいこと考えてたの?」
「……別に何考えてたっていいでしょ」
つい口調が強くなる。
「あ、俺と共演できてウレシーとかって思ってたり?」
「違いますっ」
「……否定が早いよ……」
本気で拗ねたような顔をして見せる。でも、こういう人こそ、いつどんな場面で演技しているかわからない。この表情だって本心じゃないかもしれない。いつ だったか私がそう思われていたように……
「また眉間にシワ。クセになっちゃうよ。せっかく可愛い顔してるのに」
「っ……私の顔なんだから、私の勝手でしょっ」
ペースは乱されっぱなしで、中納眞綾になりきれない。
「ねえ、花音」
「……はい?」
あ、はい?って言っちゃった。やっぱりあの警部さんみたいな言い方になっちゃう。じゃなくて。
「花音ってなんですか?」
「え、だってそっちが本当の名前じゃないの?」
「そうですけどっ。じゃなくて、中納眞綾です」
「え?中納眞綾の方が本名ってこと?」
「違うくて。なんで花音って呼んだんですか?」
「だって、名前だし」
「……あの、ここでは中納眞綾としているんです。第一、ここにいる中でも本名知ってるなんてパパしか居ないし、私と染谷樹生が親子だって知っている人も早 乙女さんだけだし。しかも同級生とは言え、話するのも初めて。初対面同然なのに、なんで花音なんて下の名前で呼ぶのよ」
一気にまくし立ててしまった。新朝輝は唖然としたまま聞き終わると、少しの間を置いて吹き出した。
「お前、染谷さんと話し方そっくりな」
「なっ……そんなことない」
まだ笑ってる。確かに今のまくし立て方はパパが話す感じに近いかもしれないけど、言いたいことを全部言おうとしたら、止まらなくなったのよっ。
「お前、学校でもそうやってたらいいのに」
「……関わる人増やして、バレたら面倒くさいからいいのよっ」
「ふうん。なんでイヤなの?」
「……面倒、だからよ」
「ふうん」
まだ何か聞いてきそうな雰囲気から私は逃げた。
「染谷さん、どうしたらいいんですか。何も聞いてないから説明してくださいってさっきも言ったはずなんですけど」
「あれー、説明してなかったっけ?」
すっとぼけやがった……
「はい、何も伺っておりません」
「そっかー。じゃ、ここのセット教室になってるから」
そんなことは見りゃ分かります。しっかり黒板も、机も椅子もある。窓側にはご丁寧にカーテンまでかかってる。
「ですから。ここでどうしろと?」
「んー。朝輝と適当に動いてよ」
「適当にって……」
「うん。適当でいいよ。あ、一応詩に合わせてね」
歌詞……卒業間近、離れ離れになる同級生たち、そして想い人。毎日隣の席の横顔を見ていた。通じた恋心、そしてすれ違う恋。この教室で過ごす日々も残り僅か……まだ卒業したくないってちょっとワガママ言ってみたい……叶わないことはもちろんわかってる。だけど。
あれ?ってことは新朝輝を想い人にあてろってこと?やりにくいいなぁ……
「今、やりにくいとかって思ったでしょ」
考えていたことが口に出てたのかと本気で思った。
「眞綾ちゃん、けっこう分かりやすいね。それとも分かりやすいのは花音の方?」
「…………」
「なんだ、二人仲いいじゃない。今まで話したこともなかったって本当に?」
パパが割って入ってきたのが助けになったかどうかはわからないけど、なんかちょっとホッとした。
「あ、そうだ。今日ちょっとビデオも回してるけど、それパパの記念用だから気にしないで適当にやっていいからね」
「……記念てなんの記念よ」
「眞綾17歳記念」
「17歳記念って……なんでそんな半端な年齢が記念になるのよ」
「秘密?」
なんであんたが疑問形なんですか。
「ほらほら、教室に入って」
パパの言葉と同時に音が掛かり始めた。最初この曲をもらったとき、今までと世界観が違いすぎて抵抗があったけど、でも歌っているうちに、やっぱり自分は 今高校生なんだなって実感した。等身大ってこういうことなのかなって。
私だって、友達が欲しくないわけじゃない。でも、怖いんだよね、自分がどう思われるか想像すると。だったら最初から友達なんていないほうがいいかなとか 思っちゃったり。
「お前、本当に考え事ばっかりしてない?」
「え?」
周りのことみえてなかった……気づけば既にパパのシャッター音が響いてる。
「ま、いいや。これ、新曲なの?」
「……そう」
「いいね。なんか切ない」
この人も切ないとか思うことあるんだな……
「あのね。俺だって感傷に浸ることくらいあるんですけど」
「えっ!?あの、いや、私別にそんな……」
「別にそんな、なに?」
「いえ……なんでもありません」
この人、こんなに笑う人だったっけ?愛想いいイメージはあったけど、こうやって笑うっていうのとはちょっと違ったような気がするんだけど。
「あのさ」
急に真面目な顔をされると、ちょっとドキッとする。
「小3だっけ?ヘレン・ケラーやったの」
「小3、だね」
「うちの母親が演劇好きでさ。連れてかれて。最初は興味なかったし、行くのも面倒くさかったんだけど、一緒に行ったらなんだか買ってあげるからって言われ て。そのなんだか目当てに行ったはずなのに、それがなんだったのかまったく記憶にないんだけど」
新朝輝は机の上で、窓に寄りかかって座っていた。私は一つの分机をあけて、二つ前の席の椅子に、でも新朝輝と同じように窓の方へ寄りかかっていた。
静かな口調は声を張っているわけでもないのに、机一つ分の距離があいてるのに、周りでは音楽がけっこうなボリュームでかかってるのに、それに私の方を向 いているわけでもないのに、なぜだかまっすぐ届いた。
「目当てだったはずのモノも覚えてないくらい強烈だったんだよ」
あ、こっち見た……気配で分かったけど、なんか恥ずかしくて私はそっちを見れない。髪下ろしててよかった。どんな顔をしたらいいか分からない。
「俺も誰かの人生を、舞台の上で生きてみたいって思ったんだ。まあ、うちの母親はしてやったりだったらしいんだけど。俺にそっちやらせたかったって最近聞いた」
そうだ……私も、誰かの人生を、それが一時のことであっても、その誰かが実在してようとしてなかろうと、舞台の上で誰かとして生きることが楽しくてしょ うがなかった。
「お前はいつまで葉山花音も中納眞綾もどっちも演じ続けるの?」
ハッとして新朝輝に思わず顔を向けた。まっすぐな瞳が私を捕らえる。目が離せなかった。
図星だった。私はあの時から、葉山花音も中納眞綾もどちらも役として捉えるようになった。それを続けているうちに、本当の自分が分からなくなった……結局私は言われていた通りの「役者」になったんだ。もう今となってはニワトリか卵かって感じかもしれない。
あの時私がそこにいるとも知らずに早乙女さんは誰かと話していた。
「あの子の演技の才能はすごいと思うけどね。だけどさ、子供のくせにあんなに演技力あると怖いよな。普段の姿も全部演技に見えてくるし。だから俺あの子怖 いんだよね」
いつも私のことを気にかけてくれる優しいお兄さんは私を怖がっている。このことは子供心にショックだったし、その後続いた言葉に打ちのめされた。
「ランドセル姿とか見ると何か嘘臭いしね。いい子過ぎて胡散臭い。まだ子供だからアレだけど、タチの悪いオトナになるんだろうなー」
パパの一番弟子でよく家にも遊びにきていた早乙女さんにそう思われていたなんて知らなかった。
「なあ」
「え?」
ぼーっとしてた。
「見せてよ」
「……なにを?」
「お前の本気」
言わんとしていることがよくわからなかった。
「本気って?」
「今、撮影中」
そういえば撮影中だった。今までこんなことなかったのに。やっぱりなんか調子が狂う。
「だからさ。今のお前が中納眞綾か葉山花音かわからないけど、でもまだ詩の世界に入ってないじゃん」
ニヤリと笑うその顔にむかついたけど、でも言ってることは間違っていない。
「クラスメートの俺に想いを寄せる、卒業間近の女子高生。やってみせてよ」
上からの物言いにやっぱりむかつく。いつもならジャケットの撮影なんて景色だけにしてもらってた。たまに裏用とかに私が入ったとしても後ろ姿が多く、顔が入ったとしても遠目の横顔。なのに、今回のこれはなんなんだろう。パパは一体何を企んでいるの?
「染谷さんが前に言ってたんだけど、17歳って染谷さんにとって特別な年齢なんだって。だから、なんかいつもと違うことしてみたかったって言ってた」
「17歳……」
パパが写真で賞を初めてとったのが17歳だったはず……それから写真だけじゃなく映像にも興味を持ち始めたって聞いたことがある。この撮影が私にとってそれくらいの変化をもたらすきっかけになるのだろうか?
「だからさ。見せてよ。俺に思いを寄せる女の子。俺、すっげー見たい」
「……だからって繋がるのかがよくわからないんだけど」
「いいじゃん、理由なんて。俺が見たいんだよ」
なんか勝手な理由で乗せられているような気もするけど……
「わかった」
「……え?」
ちょっと乗ってやってもいいかなって思ったのに。なんであんたが「え?」って驚くのよ。
「……やろうかと思ったんだけど」
「マジでっ!?いいの!?」
「何よその反応。せっかくその気になったっていうのに」
さっき上からの物言いにむかついたなんて思いながら、私も十分上から言ってるよね。
「いや、やるって言ってくれる想像できてなかったから、超ウレシー」
満面の笑み……こうやって人と正面から向きあって話するの、久しぶり。ちょっと恥ずかしくてツッケンドンな物言いになってしまう。
「……始めるから、隣の席に移動していい?」
詩に合わせて。隣の席の彼に想いを寄せる私。いつも彼をこっそり見つめてた。そして、その思いは通じる。楽しい学校生活。高校3年生、進む道が異なるこ ともある……すれ違い、隙間が出てきた彼との距離。残す学校生活はあとわずか……
「俺は?どうしたらいい?」
「適当でいいよ」
「適当って……さっき染谷さんが言ったのと同じじゃねえかよ」
楽しそうに笑ってる新朝輝を軽く睨んで、私はその隣の席に腰をおろした。
流れている歌に合わせて少し口ずさむ。だんだんと今の私がいる世界と歌の世界がシンクロし始める。
こっそりいつも見つめる隣の彼。何気ないふうを装って、そちらに眼を向ける。彼が私を見ていた。ハッとしてつい思い切り顔を背けてしまった。なんか、胸の奥が苦しい。心臓がすごい速さで動いているのが分かる。
机の上に座っている、ちょっと行儀の悪い彼。目があって、焦ってその視線を逸らしちゃったけど、気づけばまたそちらを見ようとしている私。でも、まだ こっちを見てたらどうしようって少し怖い。それにさっき思いっきり顔背けちゃったし……
それでも気になってもう一度そっと伺ってみる。今度は彼は姿勢はそのまま黒板の方を眺めていた。真っ直ぐな強い瞳。何を思い、何を考えているのかはわか らないけど、何か強い意思がその横顔から伝わってくる。
目が離せない。私はああいう瞳を持っているかな……?きっと今の私にはない。いつも斜めから物事も人も見ている……
「そんなに熱い視線を送られると、さすがに俺も照れくさいんだけど」
突然こっちを見た彼の言葉に、顔が熱くなるのが分かった。恥ずかしくて、俯く。長い髪が私を隠してくれる。彼が机から降り、近づいてくる。顔を隠してい る髪の間から彼の足が見えた。
「いつまで隠れてるの?」
顔にかかる髪をそっと持ち上げられた。痛いくらいの動悸に息がうまくできない。
「ねえ。ちゃんとこっちを見て」
恐る恐る見上げる。右手に絡められた私の髪の毛に、彼が口づけた。声が出ない。
「そんなに怖がらなくても、大丈夫だよ。もっと近寄って。近寄らせて。これ演技じゃなくて俺の、新朝輝の本心だから」
「……え?」
「ずっと見てたって言っただろ。ストーカー並みに。全然気がついてなかったみたいだけど。なんでお前がそんなにガード固くしてるのかは分からないけど、伝えたい事は言葉にしないと何も伝わらないんだよ。高校生活あと1年しかないんだ。ちょっと踏み出してみてもいいんじゃない?」
この人はいつの間に私を見ていたんだろう。こんなまっすぐな瞳で見てくれていたのだろうか?
「大丈夫。みんなお前と仲良くなりたがってるよ」
「……でも、演技だと思われたら……」
言葉が詰まる。
「なに、それ。誰かにそんなこと言われたの?」
「……昔、すごくいつも可愛がってくれて、優しくて大好きだったお兄さんがそう話してるのを聞いちゃったことがあって。普段の姿も演技に見える、胡散臭いって……」
「なあ、花音。ちゃんと話したのは今日が最初だけど。お前、すっげー分かりやすいし。確かに今まで見てた学校での姿は本当のお前じゃないと思う。だって、 我慢してなかった?誰かと仲良くなりたいとか、話ししたいとか、みんなで一緒になにかやりたいとか、そういうの我慢してなかった?俺にはそう見えてたんだ けど」
我慢、してたのかな……
「誤魔化すなよ。俺はお前とちゃんと仲良くなりたいんだけど。お前のこともっと知りたい」
「なんで……」
「なんでって、わからない?」
私を見つめるその瞳には私が映っている。その私が私を見つめる。
「私も……知りたい、かも」
「……かも?」
ぷっと吹き出した。
「けっこう意地っ張りだね、花音」
新朝輝の顔が近づく。互いの唇がそっと触れた。
「……っ、にすんのよっ!」
「挨拶?」
「挨拶って、何考えてんのよ」
ふっと笑って、新朝輝は私から離れ、セットから出て行く。その後姿を、目が追いかけてしまう理由を私はわからなかった。
撮影はそのまま終了した。新朝輝が帰ったからかと思ったが、パパが望む画が全て撮れたからだと説明された。
新朝輝に言われた言葉が何度となく蘇る。
なんか、よくよく考えると随分と恥ずかしい言葉を喋っていたんじゃないの?なによ、お前のこともっと知りたいとかって。だいたいお前なんて呼ばれる筋合 いないしっ。
でも、ちょっと嬉しかった。あんな風に私にきちんと近づこうとしてくれた人、初めてだった。
次の日、学校へ行くのに少し緊張したが、新朝輝は休みだった。何か仕事が入っていたのだろうか。
その次の日も、そのまた次の日も新朝輝は欠席で、それは2週間続いた。
そして、私の新曲がリリースされる頃、矢鱈と視線を感じることが増えた。電車の中でも、何人かがチラチラ私を見る。
なんなんだろう……
「おはよう、花音」
「……花音?」
「眞綾じゃダメでしょう?」
「そういう問題じゃないって話したと思いますけど」
登校するなり下駄箱で2週間ぶりに新朝輝と鉢合わせた。
「ねえ、知ってる?巷で中納眞綾のPVがすごく噂になってるって」
「……え?」
「今回の新曲のPV、超話題だよ」
「あの男、一体何をやらかしてくれたのよっ」
「まだ知らないの?俺、あのPVすっげー気に入ったから、データもらっちゃった」
無言で新朝輝を睨みつけた。
「もう葉山花音が中納眞綾ってクラス中にばれちゃってるかもねー」
楽しそうに言う新朝輝の言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。
どうしよう……ばれた?
「花音。一歩を踏み出せ」
「っ、なによ、それ!あんた染谷の片棒担いだわね!?」
「ふっ、気が強いくせに、ビビリだな」
「悪かったわね。この前話したでしょ。私は平穏に過ごしたいのっ」
「俺もちゃんと話したよな。もっと近寄りたいって。お前も知りたいって言ったじゃん」
「……前言撤回よっ。あれは……そう、あれは演技よ」
新朝輝が吹き出した。えらくムカツクんですけど。
「お前バカ?」
「バカってなによ」
「はっきり言わないと分からないか。もう少し時間掛けようかと思ったけどやーめた」
「はい?」
「ね、花音。俺と付き合って」
「……はい?」
「だから、俺と付き合って。俺、葉山花音に超興味津々」
「意味わかんない」
「きっと、俺と付き合ったらあんたの世界広がるよ」
新朝輝が私の顔を覗き込む。その瞳は、この前と同じようにキレイだった。瞳の中の私が私を見つめている。この人に私はどう映っているのだろう。
「さすがに俺もこんな公衆の面前でコクるつもりはなかったんだけどねー」
「……え?」
公衆の面前……?
言われて、ここが下駄箱の前だったことを思い出した。見渡せば大勢の人が私たちを取り囲んでいる。
「……あんたこそバカじゃないの?芸能人がこんな人前で。マスコミに流れたらどうするのよ。私はどうせ表に出ないけど、あんたはは違うでしょ。自分でスキャンダル作ってどうすんのよっ」
なんか、しゃべりすぎて息切れしてきた……
「花音、ちょっと落ち着いて」
新朝輝が笑いながら、私の頭にぽんぽんと手を乗せる。
「……なによ」
「実はさ、クラスの連中、みんな知ってるんだよ。花音が中納眞綾だってこと」
「はい?」
「俺さ、1年の時花音見かけてちょっと一人で騒いでたから。でも、花音はそんな素振りを全く見せないし、それに人とも関わろうとしないから、ずっと気になってて。だからみんな俺が花音を気にしていることも知ってる。まあ、付き合ってってのは急すぎるかもしれないけど、花音。自然体でいて大丈夫だよ」
この人は何を言ってるの?
「花音。一歩踏み出せ」
同じ言葉を繰り返された。一歩……?
「お前、このままでいたいか?勿体無いよ。高校生活は卒業すれば取り戻せない。時間は戻らないんだ。せっかく出会った人と知り合うこともなくお前はそうやってとどまり続けるの?それで楽しい?」
「……っ、楽しいとかそういうんじゃないわよ」
「そりゃいろんな人がいるから、裏切られることとかやな気持ちにさせられたりとかあると思うけど、こっちから信用しないと、人はこっちを信用しないんだ よ」
こっちをそもそも信用しない人だっている。早乙女さんだって……
「早乙女さんは、お前のことさっぱりわかってないな」
「なんでっ」
「お前、考えてること分り易すぎ」
私、この前アノ話のとき、早乙女さんだって言ったっけ?
「様子見てりゃ分かるよ。あれが早乙女さんのことだって」
「ちょっと、なんで人が考えてること分かるのよ!」
「だから言ったろ。お前分り易すぎ。俺は分かるよ。だから、早乙女さんの時のようなことには絶対にならない。俺はお前をそういう目では見な い。信じろ」
「信じろって……」
「信じられない?」
まっすぐ私を見つめるこの瞳は揺るがない。この瞳を信じられないなら、私は何を信じるの?
「信じられなく、ない、かも……」
「うん、少しずつでもいいから進もうよ」
新朝輝の言葉に素直に頷いた。その途端、周りから拍手がおきて歓声があがった。
「朝輝、よかったねー」
「やっとだな」
「粘り勝ちだな」
皆が次々に口にする言葉は、笑顔と共に朝輝に向けられた。
「花音。あと1年ちょっとだけど、ちゃんと高校生しようよ」
「……うん」
朝輝に向けられていた皆の笑顔は私にも向けられた。
「葉山さん、今さらだけどよろしくね」
一番そばにいた一人の女子がそう言うと、皆が頷く。
「私も中納眞綾の大ファンなの」
「あ……ありがとう」
「ずっと葉山さんとお話してみたいなって思ってたんだ」
「あのっ、私こそ今さらだけど、よろしく、ね」
「うんっ」
名前もしらない彼女が微笑んだ。人の笑顔って、こんなに幸せな気持ちにさせてくれるのね。
「あ、花音」
「なに?」
「染谷さんからまだ聞いてないと思うけど、夏の映画お前と俺で主演決まったから」
「……はい?」
「染谷さん、楽しみにしてたよ。しかも中納眞綾の名前で出すか、葉山花音の名前で出すか迷ってた」
あの男、何をしてくれる。
「花音。お前次第でお前の世界は変わる。楽しめ」
「……あのおっさんを一発殴ってからそうするわ」
感化されちゃったかたな。でも、そういうのも悪くないかもなんて思っちゃった。私はこれからどう変わっていくのだろう。朝輝のように、まっすぐ前を見つめる瞳を持てるだろうか。
楽しめ。
一人勝手に傷ついて、後ろ向きになっていた。どうせ私なんてって卑屈だった。
バイバイ、弱虫な私。
progress 川瀬 鮎 @ayu_kawase
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