石の心臓

朽葉陽々

第1話

 いまはむかしか、昔は今か。

 いつしかその世界では、人々は石の心臓を持って生まれてくるようになった。

 石の種類は千差万別。人それぞれに違う石を持っている。精緻なカッティングが施されたダイヤモンドを持つ者もいれば、原石そのままのような母岩付きのベリルを持つ者もいる。稜線の鋭い黒曜石を持つ者もいれば、丸く滑らかに削られた翡翠を持つ者もいる。

 そんな世界のとある国、その片隅の小さな町に、一人の少女が暮らしていた。

 名を、星野舞花ほしのまいかという。



 彼女が住む町は、とても小さな田舎町。主な産業は農業で、大人も子どもも相応に少ない。一番近くの家まで何メートルも離れているような家ばかりだが、人数が少ない分、みんながみんな知り合い同士。大した事件もそうそう起きない、いたって平和な町だ。

 しかし、最近、一つの奇妙な噂が、町に漂い始めた。

 最初にそれを話し出したのは、子ども達だった。

 舞花も、自分の通う小学校でその話を聞いた。学区が隣の町とひとくくりになっているけれど、それでも一学年に三十人もいない、小さな学校だ。

 ある夏の日の放課後。昇降口前のベンチに座って、舞花は母の迎えを待っていた。その間に、同級生の瀬川美夜せがわみよが話してくれたのは、こんな話であった。

「ねえ舞花、『心臓交換師』って知ってる?」

 美夜はそう切り出した。舞花は少し考えたのち、「ううん、知らない」と告げる。美夜はそれを見て、いかにも楽しそうに話し始めた。

「なんでもねえ、世の中には、もっと硬くて強い心臓が欲しいって思ってる人のために、他の人の持っている心臓と交換してくれる人がいるんだって。それが『心臓交換師』」

 心臓である石の強度と、人の寿命や健康状態はある程度比例していると言われている。もちろん、『ある程度』であって、全てがそれで決まっているわけではないのだが。

「その人に心臓の交換を頼むには、すごくたくさんのお金が要るらしいんだけど……。『心臓交換師』は、依頼した人が欲しがっている心臓を持っている人を見つけると、その人を攫って閉じ込めると、生きたままお腹を切り開いて心臓を持っていっちゃうんだって。でね、ここからが本題なんだけど……」

 そこまで言うと、美夜は声を潜めた。

「なんとね、最近この辺りに、その『心臓交換師』が来たって、今うわさになってるの」

 ね、怖くない? 美夜はひそひそ声のまま、舞花に問いかけた。舞花は少し間を置くと、美夜に合わせるように声を低くする。

「……でも、その人は、より強い石を持っている人を狙うんでしょ? だったら、私は大丈夫。……美夜のほうが、気を付けないと危ないかもよ?」

「えー、怖いこと言わないでよー!」

 舞花が声を潜めたままにやりと笑うと、美夜はけらけら笑った。

 美夜の心臓は、大きな赤翡翠。翡翠は、ダイヤモンドよりも割れにくく、水晶と同じくらいには傷つきにくい。この世界では、かなり硬くて強い部類の石だ。

 対して、舞花の心臓は白雲母。翡翠には遠く及ばないくらいに傷つきやすく、脆く、壊れやすい。『心臓交換師』が噂通りの人物なら、より狙われやすいだろうのは美夜のほうだった。

「……ま、こんな田舎町にはそうそう来ないでしょ。もし来たとしても、知らない人がいたらみんな気付くしさ」

「それもそうだねー。誰かが攫われていなくなっちゃったとしても、すぐにみんな気付いて大騒ぎになるだろうし」

 舞花が肩をすくめれば、美夜もそれを真似る。こんな町では、『心臓交換師』のような人物が現れても行動しにくい。それを二人は分かっていたのだ。

 そのまま話題は移り変わって、いつの間にか空も橙色に移り変わっていく。帰りの放送が聞こえてきた。

「あれ、もうこんな時間か。舞花のお母さん、今日は遅いね?」

「うん……。美夜は、そろそろ帰らないとだよね」

「うーん、そうだね。夕飯の準備手伝わないと」

 いつもは、授業が終わってから舞花の迎えが来るまでの時間、美夜が一緒に居てくれるのだけれど。今日は何があったのだろう? 美夜は舞花を置いて帰らなければならないことに、少しだけ申し訳なさそうな顔をした。

「それじゃあごめん、先に帰るね。また明日」

「うん、また明日ね。気を付けて」

「うん。ばいばい」

 美夜は軽く手を振ると、田んぼの間の道を駆けていった。

 さて、そうすると、舞花はとても退屈になる。ベンチに座ったままただ待つのもつまらないし、本でも読もうかと思ったが、そろそろ文字を追うには暗くなってきている。どうしたものかと口を尖らせたとき、目の前に影が掛かった。

 それにつられて顔を上げると、そこには見知らぬ少年が立っていた。

 黒い髪、赤い瞳。生白い肌。年のころは舞花と同じくらい、背丈は舞花より少し高いくらいに見える。背筋を真直ぐ伸ばしたまま、その少年は舞花の顔を覗き込むようにした。

「こんにちは。星野舞花さん、だね?」

 少年は、まだ声変り前であろう柔らかな声で言った。舞花は思わず頷く。

「ああよかった。噂を聞いて来たはいいけれど、あんまり田舎なものだから、本当に君が居るのか不安になっていたところだったんだ」

「……ええと……。きみは、一体?」

 舞花が首を傾げると、彼は舞花と目を合わせ、そのいやに白い顔に綺麗な笑みを浮かべて言った。

「僕は、心臓を探してるんだ。脆くて、弱くて、長生きの出来なそうな心臓。……自分の心臓と、取り替えようと思ってさ」

 心臓の取り換え。その言葉に、舞花はではこの少年が件の『心臓交換師』かと一瞬考え、すぐに否定する。もし彼が噂通りの『心臓交換師』だとしたら、弱い心臓を探すのはおかしいからだ。それに、噂に語られているようなことを、こんな少年がするとも思えなかった。……じゃあ彼は、一体何だ? 正体が分からない。名前が付けられない。そのせいで、その綺麗な笑みさえ得体の知れないものに見えてしまう。少年は続けた。

「僕はさ、とても強い心臓を持ってるんだ。この世の誰のものよりも、傷つきにくく割れにくい。あんまり丈夫なものだから、僕は老いることも死ぬこともなく、とても長い時を過ごしてきてしまった。……いい加減、終わりにしたくなるくらいには」

「……だから、弱い心臓が欲しいの?」

「うん。君が持っているような心臓が。代わりに、僕が今持っている強い心臓をあげるから」

 その笑みは、本当に、お手本のように整っている。舞花は顔に戸惑いを浮かべつつも、少し考えたのち口を開く。

「ええと、嫌だけど……」

 その言葉に、少年は目を伏せ、溜め息を吐いた。

「……残念だけど、しょうがないか。そろそろ時間も限界だし……」

 それを聞いた舞花が首を傾げる前に、車のエンジン音が聞こえてきた。舞花は音のする方向を見やり、校門の前に停まっている母の車を見つける。そのドアが開き、母が下りてこちらに向かってくる。

「それじゃあ、今日はこれで切り上げることにするよ。またね」

 少年の声に舞花が顔を向ける。しかし、彼は既に姿を消していた。

「……何だったんだろ、今の子……」

「ごめんね舞花、遅くなっちゃって。なんかねえ、今日はどうしたことか道に迷っちゃって。おんなじところをぐるぐる回ってたんだけど、ようやく抜けられたよ。……うん? 誰かいたの?」

「……ううん、何でもないよ、母さん。今日も迎えありがとう」

 舞花が言うと、母は少しだけ困ったように、でもにっこりと笑った。二人で連れ立って車に向かう。母が話しかけてくるのを聞きながら、舞花は先ほどの少年の言葉を思い出していた。

(『今日は』って言った。『またね』って言ってた。……じゃああの子、また来るのかな。また、心臓を交換しようって言ってくるのかな)

 次は、ちゃんと断る理由も言わなくちゃいけないな。

 そう思いながらシートベルトを締める。車が発進した。



 夕食後。舞花は自室の本棚から、一冊の本を抜き出した。

 舞花は脆い心臓に負担をかけてはならないため、激しい運動をしたり、他の子どもたちと外で遊んだりすることができない。そんな彼女が退屈することがないようにと、彼女の両親はたくさんの本を与えてくれている。舞花がどんどん読書にのめり込んでいったのもあって、舞花の部屋には多種多様な本が溢れていた。彼女は、その中から都市伝説に纏わる本を選び出すと、ベッドの端に腰掛け、ぱらぱらとページを捲っていく。

「ええと、確かこの本のどこかに……あ」

 一度手を止め、その本の中ほどを開く。小見出しには、『心臓交換師』の文字が記されていた。舞花はそのくだりに一通り目を通すと、小さく溜め息を吐く。

(やっぱり、美夜の教えてくれた噂の方に近いな……。彼とは、違う)

 実はこの世界において、『心臓交換師』はそこそこ有名な話なのだ。どんな地域でも、周期的に流行ったり流行らなかったりする、他愛もない噂話。どこで語られるとしても、大筋は似たり寄ったりの話。それが今は、この辺りの地域で流行っているというだけなのだろう、と舞花はひとり頷く。

 でも、彼は。あの少年は。

 噂の『心臓交換師』とは、全然違う。彼は噂でなく、舞花の前に実際に現れて、そして、舞花の心臓を欲しがった。

(そう、よりにもよって、私の心臓を)

 脆くて弱い石を求め、確かにそのような心臓を持っている舞花に、過たず接触してきた。舞花自身は、自分の心臓のことを隠しているわけではないにしても、むやみやたらと吹聴しているわけでもない。今までまるで関わりがなかった相手なのに、心臓のことを(恐らく正確に)把握されている。それだけで、彼女にとっては、あの少年は警戒すべき対象だった。

 しかし、あの少年のことが、どうにも気になってしまうのもまた、舞花にとって確かなことだった。不思議だし、得体が知れなくて怖くもあるけれど、不快だとは思えないのだ。

 なぜだろう? 舞花は首を傾げ、すぐに一つの答えに辿り着く。

 ……あの笑みが、あんまり綺麗だったから。

 あの整った笑みは、綺麗だったけど、彼の顔色にはそぐわないものであったし。お手本のように整って、整い過ぎていて、……まるで、殊更に何かを覆い隠そうとしているような。きっと、それが気になったのだ。

 彼は、『またね』と言っていた。

 次に会うときは、あの笑顔の奥にあるものを、少しでも見てみたい。

 舞花はそう考えながら、持っていた本を本棚に収めた。



 その機会は、思った以上に早くやってきた。

 舞花があの少年に会った次の日。放課後になると、舞花はまた、昇降口前のベンチに座って、母の迎えを待っていた。しかし、今日はいつもと違って、美夜は既に帰ってしまっていた。

「なんだか、早く帰った方が良い気がするんだよねー。ごめんね舞花、また明日」

 それだけ言って、彼女は足早に田んぼの間の道を駆けて行った。

 いつもは校庭で遊んでいるはずの他の子どもたちも、なぜか今日は、みな足早に帰っていく。帰りの会が終わって、十五分もしないうちに、学校に残っている子どもは、舞花だけになってしまった。

「今日はみんな、どうしたんだろう……?」

 首を傾げた舞花が、軽い足音を聞き取る。先生の誰かだろうかと音のした方を向けば、そこには、あの少年が立っていた。

「こんにちは。みんなには帰ってもらったんだ」

「……びっくりした。ええと、帰ってもらったって、どういうこと?」

 舞花は目を瞬かせる。少年はにっこり笑って、

「君とゆっくり話がしたかったから、少しばかり仕掛けさせてもらったのさ。上手くいって良かったよ」

 言いながら彼は、舞花の隣に座る。思いのほか、綺麗な所作だった。

「ええと、それで、本題なんだけれど。心臓の交換の件、どうか考え直してはもらえないかな。君にとっても、悪い話じゃないと思うのだけれど」

 そのくせ、話の切り出し方はへたくそだ。笑顔は綺麗に整ったままなのに、しどろもどろになってしまった。昨日はすらすら話していたのに、それとは打って変わった今日の様子に、舞花は少し微笑ましくなる。

「名前を教えて」

「えっ?」

「だって、これから話をするのに、名前が分からないのは不便だよ。名前を教えてくれたら、交換を断った理由を教えてあげる。どう?」

 今度は、少年が目を瞬かせる番だった。その綺麗な笑みが初めて崩れ、戸惑いを露わにする。

「ええ……。そんなことを言ったのは、君が初めてだ」

「へえ、そうなんだ。それで、ね、名前は?」

 舞花がもう一度問うと、少年は照れくさそうに目を細めて、その下を指で掻きながら名乗った。

「僕は、タルク。……名乗るなんて久しぶりだから、何だか気恥ずかしいや」

滑石タルク? 強い心臓を持つっていうのが本当なら、あんまり似つかわしくない名前だね」

 滑石は、傷つきにくさを示すモース硬度の、一を示す基準石。爪で容易に傷をつけることができる。『この世の誰のものよりも、傷つきにくく割れにくい』という彼の心臓からは、かけ離れた存在だ。

「そういえば、タルクが持っている心臓って、何の石なの? 傷つきにくく割れにくいってことは、やっぱりボルツとか?」

 劈開が無いため割れにくい、多結晶ダイヤモンドの名を出すと、タルクは首を横に振った。

「そんなものじゃないよ。……もしかしたら、この世界にあるその石は、僕の心臓だけかもしれない」

 この石は、僕の失敗の証拠なんだ。タルクは胸に手を当てて呟く。しかしすぐに、また首を振って、もう一度舞花に微笑みかけた。

「そ、そんなことより。心臓の交換の話だ。ねえ、本当に、考え直してはもらえないかな? ……実は、これまでも何人かの人にこの話を持ち掛けたことがあるんだ。でも、ずっと断られ通しでさ……」

 その笑みは、これまでのものと違って、幾分かぎこちないもので。舞花はくすりと笑いながら答えた。

「ゆうべも考えたけど、やっぱり断らせてもらうよ。私、なんとなく『嫌だ』って言ったわけじゃないもの」

「そういえば、さっきも言っていたね。僕が名乗ったら、その理由を教えてくれるって……」

 舞花は深く頷く。

「うん。どれから言おうかな……ええと、まず、君がとっても強い、老いることも死ぬこともない心臓を持ってるっていう、その話が本当なのか疑わしいっていうのが挙げられるね」

 それから、と続けようとする舞花に、タルクは慌てて言う。

「う、嘘じゃないよ。本当のことしか、僕は言ってない」

「それを言うのが君しかいない以上、たとえ本当だとしても、証明するのは難しい。今まで君の話を断った人たちの中にも、そう考えた人がいたんじゃないのかな。君の見た目はどう見たって、私と同じくらいの子どもなわけだし。ガキのくだらないほら話だって思われてた可能性もあるよね」

 舞花はにやりと口角を上げる。タルクは俯きながら肩を落とした。

「まあ、私は、信じても良いかなって思ってはいるけどね。それでも、断る理由がなくなるわけじゃないけれど」

 タルクがその言葉に、勢いよく顔を上げる。舞花はまた小さくにやりとして、口を開いた。

「だって、どうやって心臓を交換するのかってことも、分かってないからね。もし腹を掻っ捌かれたりして、自分の心臓を持ってかれるだけになったら目もあてられない」

「そ、そんなことしないよ。血がでることも、痛いこともない。そういう魔法があるんだ」

「魔法?」

 舞花が首を傾げる。タルクは強く頷いた。

「僕は魔法使いだもの。心臓の交換ができる魔法も、心得てる」

「これについても、さっきと同じ疑問が生まれるよね。君が魔法を使えるんだとしても、それが本当かどうか、確かなところは分からない」

「こ、これは証拠があるよ! 今日も昨日も、君と話すのを邪魔されないように、他の人が寄れないようにしてるんだ。君の同級生たちも、今日はみんないないでしょう?」

(美夜たちが不自然に早く帰っていったのはタルクのせいだったのか……。それに、母さんが昨日なぜか道に迷ったのも)

 果たしてそれは証拠と言えるだろうか? 舞花は内心で首を傾げるも、(ま、いいか)とまた口を開く。

「まあ、私は信じたいから信じるけどさ。それ以外にも、理由はいろいろあるよ。他には、例えば、急に心臓が別のものと変わったら、他のひとに不審がられるから、っていうのが挙げられるかな」

 そう言うと、舞花は指折り数えながら続ける。

「私が通ってる病院の先生でしょ、親にも伝わるだろうし、急に一緒に遊べるようになったら同級生のみんなも、学校の先生も、みんな不思議がるでしょ? それがきっかけでどんなことになるかわかったもんじゃない」

 あ、と、タルクは口を半開きにする。舞花は続ける。

「それにね、これが一番大きな理由なんだけど――その心臓を手に入れたら、死ぬことも老いることも出来ないんでしょ? 今の私がそうなったら、この子どもの姿のまま、ずっと成長することも出来ず、終いには自分から、もう終わりにしたいって思うようになるくらい、うんざりするくらい長い時間を生きることになるんでしょう? ――今の君と、同じように」

 舞花はタルクと目を合わせる。タルクは絶句している。

「私は、そうなるのは嫌だ。ずっと子どものままなのも嫌だし、もしかしたら自分も、誰かにその厄介な心臓を押し付けることになるかもしれないのも嫌だ。もちろん厄介な心臓を抱えっ放しなのも嫌だ。……今の心臓だって、厄介なことには変わりないかもしれないけどさ……それでも、もう死にたいなんて思うより、ずっとましだよ」

 そんなこと、ずっと思ってるのはしんどいからね。

 舞花はそう言って、柔らかく微笑んだ。

「……ごめん、なさい」

「どうして謝るの? 君の頼みを蹴った私が謝るならともかくさ」

「……君に言われて、初めて気付いたんだ。僕は、君や、今まで交換を持ち掛けた人たちに、酷い事をしていた。自分が嫌なものを、ひとに押し付けようとしていた、それだけだったんだ。……なんで、その程度のことに気付けなかったんだろう」

 子どものうちに不老不死になってしまったから。

 子どもでいるうちに、成長できなくなってしまったから。

 考え方も、子どものまま。

 そういうこと? 舞花は考えつくけれど、黙っている。その代わり、俯くタルクの手を取って言った。

「……でも、私がそう思うだけ、かもしれないよ? 私は、死にたいって思うのは嫌だけど、世の中のどこかには、脆い心臓を手放したくてたまらない、強い心臓が得られるならどうなろうと構わない、老いることも死ぬこともしなくていい、死にたいなんて思わないってひとが、いるかもしれない」

 それが、私や、今まで君が交換を持ち掛けた人たちではなかったというだけのことだよ、と。舞花は柔らかく笑んでいる。

「ごめんね、タルク」

 微笑んだまま、眉だけを下げてそう言う舞花に、タルクは首を横に振った。

「ううん、いいんだ。……でも、これから、どうしようかな」

 もう、この石を交換することはできそうにない。顎に手を当てて考え込むタルクの顔を、舞花は覗き込む。タルクはその不思議そうな顔に、少しだけ悲しそうな色を滲ませた笑みを返した。

「僕は、ずっとこうだったから。ずっとこうしてきたから。僕の心臓がこうなったころから、僕はずっと、こうじゃなくなりたいと思ってたんだ。だから、そうする方法を捨てようと思ったら、じゃあ、今度は何をしようかなって……」

 その言葉の途中で、舞花は首を傾げる。その角度はどんどん深くなっていき、とうとう腕を組んで顔を顰めてしまった。

「……待って。……ちょっと待って、タルク。『僕の心臓がこうなったころ』?」

 舞花はそのまま、ぶつぶつと呟き始める。思考がそのまま零れていくかのようだった。

「ってことは、タルクが生まれたときは、その石じゃなかったってこと、だよね。あ、そうか、そうだよな。生まれた時から不老不死だったら、タルクは赤ちゃんの状態のままだろうし……じゃあ、いつ、タルクはそうなったんだ? 心臓が後から変わることなんて……ああいや、それこそ、交換とか?」

 その言葉が終わるころには、舞花はタルクの目を真直ぐ見つめていた。タルクはその目線にたじろいで身を反らす。

「ねえ、タルク。訊いてもいいかな。……その心臓は、どうやって手に入れたの?」

 舞花の問いに、タルクは目を伏せて答えた。

「……うん、君になら、教えてもいいかな。僕が今までしてきたことに気付かせてくれた、君になら」

 タルクは一度舞花と目を合わせると、眉尻を下げて微笑む。それから目を逸らすと、そっと目を瞑って話し始めた。



「この石は、僕の失敗の証拠なんだ。

「僕は、ずっと昔に生まれた人間なんだ。この世界の住人が、みんな石の心臓を持つよりも、ずっと前から生きている。

「でも、肉の心臓を持つ頃の僕は、とても貧弱だった。……心臓に、病気があったんだ。他の人がみんなできることが、何もできないくらいに。

「そんな僕にも、一つだけは得意なことがあった。……魔法だよ。

「躰が貧弱になった代わりに、僕には魔法の才があった。他の人がみんなできないようなことが、できるくらいに。

「だから、調子に乗っていたのかも知れないね。

「僕はある時、『躰を強くする魔法』というものを見つけたんだ。古くて珍しい形式のものだったし、複雑なものではあったけど、僕ならできると思った。

「いくら魔法が使えたって、他の子どもと一緒に遊ぶことに憧れが無い訳じゃなかったから。気にしない振りをしていたけれど、いざ方法が見つかったら、どうしても試してみたくなってしまったんだ。

「……でも、駄目だった。失敗した。

「僕はその魔法をコントロールできなくなったんだ。大きさも、方向も、何も。どうにもならないくらい膨れ上がったそれは、すぐ傍にいた僕の躰を通って世界中に散らばってしまった。

「僕はいつの間にか気を失ってしまって……目が覚めたら、自分の躰がすっかり別物になってしまっているのに気付いたんだ。

「魔法で、自分の躰の中を確認して、そして、僕の心臓が未知の石に変わってしまったことを知った。

「僕が制御できなくなった魔法は、心臓を石にすることで肉体を強化する魔法だったんだ。それが世界中に散らばってしまったせいで、この世界では、人は石の心臓を持って生まれてくるようになってしまった。

「……それもあって、僕はこの心臓を手放したかったんだ。

「僕の、失敗の証拠だから。その事実から、目を逸らしたかったから。

「それに、誰かにこの心臓を渡すことで、僕の罪が拭われることも、期待していたのかも。……そんな訳、なかったけどね。

「――やっと気付いたよ。僕はただ、罪を重ねただけだったんだ」



 タルクは瞑目したまま、語り終えた。

 対して舞花は、ぽかんとした顔。あまりにも突拍子もない話だから、なかなか現実感が湧いてこない。ただ、ひとつだけ、分かったことがある。

 舞花はベンチから立ち上がる。タルクの正面に立って、彼の手を取った。そのまま彼を引っ張り上げて立たせると、彼としっかり目を合わせて、口を開いた。

「ねえ、タルク。私、分かったよ。君が、これから何をすればいいか」

 舞花はにっこり笑う。タルクは怪訝な顔で首を傾げた。

「僕が、何をすればいいか?」

「うん。……タルク、君は、魔法を解く方法を探すといいと思う。それか、掛けた魔法と逆の魔法を。時間は、あるでしょ?」

「逆って、石の心臓を肉の心臓に戻す魔法ってこと、か。……む、無理だよ。どっちにしたって、もう手遅れだもの」

「手遅れ? 何で?」

「だって、……だって、もう、誰も彼も、心臓が石であることが当たり前だと思ってるから。石の心臓は当たり前になって、もう世界はそれを前提にしている。……魔法が、馴染みきってしまってるんだ。今更、どうにも……」

 俯くタルクの手を、舞花は強く握る。

「そんなの、まだ分からないよ!」

 舞花は笑みを消し、タルクの目をきっと睨みつける。

「君は、これからずっと生きていることができるんでしょう? 君には、これから信じられないくらいの時間があるんでしょう? だったら、諦めないでよ!」

 タルクがはっと顔を上げる。その様子に、舞花は目元を緩めた。

「ねえ、きっと何かあるよ。どうにかなるよ。私は確かに、魔法のことは何も分かってないけどさ、でも、きっと。……大丈夫。きっと心臓が石じゃなくなったって、いつかみんな、それが当たり前だと思うときがくる。そうなったら、きっと君も、普通に生きて、……普通に死ねるよ」

 最後は少しだけ悲しそうだったけれど、それでも、またにっこり笑って言った。

 タルクは幾度か目を瞬いて、それから、彼もまた、笑って言った。

「……ありがとう、舞花。――僕、頑張ってみるよ!」

 それは、少しばかり歪で、くしゃくしゃで、でも、心から溢れた、とびきりの笑顔。

 タルクに、よく似合いのものだった。



 今は昔か、むかしはいまか。

 いつしかその世界では、人々は肉の心臓を持って生まれてくるようになった。

 そんな世界の、ある街で。

 一人の少年が、くしゃくしゃの笑みを浮かべていた。


 終

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石の心臓 朽葉陽々 @Akiyo19Kuchiha31

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