第3話 常に絶好調という違和感
数学の小テストは肩透かしだった。問題文を一目見ただけで式と展開が頭の中で出来上がり、それから衝動的に答えを書いていく。
式、展開、答え。この3つを書くこと10問目で、普段の自分なら苦戦するか諦める問題が、いとも簡単に解けてしまっている事に気づく。
「(でも年に2,3日は絶好調な日ってあるし、今日がそうなのかな・・・?)」
などと自分に言い聞かせて、休んで遅れていた分を取り戻そうと通常の授業と同時進行で復習する自分がいた。
不思議な事に、これまで聞いていた授業の断片的な記憶と、テキストに書かれた文字列と数式、または自分で考えて得るに至った計算能力がひも付けされて、パズルのピースのように一つ一つががっちりとはめ込まれ、有用で生きた数学として再構築される。
こんな事、今までなかったことだ。面倒事は焼き払いたくなるのが思春期の性分だというのに、冷静かつ順序立てて対処できている。脳がフル回転していると誇張すべきか、快適な熱効率で集中できている。
しかもそれは英語の授業にまで持続している。小テストはこれといって苦戦せず、むしろなぜ今朝の自分は小テスト如きに気が滅入るような気持ちだったのかと不審に思った。
授業中、英語で質問してくるALT(外国語指導助手)は私の淀みない返答に目を見開いて、もう少しだけ突っ込んだ質問をした。
質問の内容が先日レンタルしていた映画のワンシーンと一緒だった事に気づき、私はその映画のセリフで返事した。するとALTはニカッと笑い、“よくそんなの憶えているな、休み中も勉強したのか?”と握手してきた。アイムオンイット。
昼前の授業は体育だった。体操服に着替える時、校庭がバイクで荒らされ夥しい数の轍ができた為、体育館でバスケだと知らされる。
「井上から聞いたけどさ、そんなにひどかったの?」
隣の席の友人に聞くと即座に首肯する。他の友人たちも着替えながら駄弁りはじめる。
「あーひどかったぜぇ10台以上バイク入り込んでよ!」
「授業にならなかったもんなっ」
「しばらく校庭は使えないんじゃね?」
「午後から業者が入って校庭整備させるってよ」
皆いつも以上に話してくれる。その饒舌さは退屈な学校生活から逸脱した、非日常の出来事がおこったためだろう。校庭にバイクが10台くらい乱入した事件から明けてみんな萎縮して大人しくしているように見えるけど、その内面は修羅場寸前だった状況を教室の窓から見て触発されてか、熱く脈打っているようだ。
着替え終わった私は異常な飢餓感を覚え、カバンからパンを1つ出して、行儀は悪いが食べながら体育館へ移動した。
「病み上がりなのに平気か?」
「へーきへーき」
とにかく、腹が減る。それ以外は絶好調だった。
「へいパスっ」
3Pラインから少し離れてからボールを受け取り、両手でキープしながらディフェンスを見渡す。
私をチェックしている相手がクローズアウト(ディフェンスが距離を詰める事)しない、素人とバスケ部が入り混じってダラダラとしているのを見て、3Pシュートを狙ってみる。
「おっ、D3(ディープスリー)・・・」
いつもより力が入り、バスケットボールがバレーボールより軽く感じる。
「――――あっ」
3Pラインより1m以上遠い位置から撃つことをディープスリーというが、ボールは遥か彼方へと飛んでいき、2階の通路、ギャラリーの手すりに『ガンッ』と激突する。
「なにやってんだよ蹴早~!」
「飛ばし過ぎぃ!」
チームメイトのからかいの言葉に申し訳ない気持ちになるよりも、自分の力加減がおかしい事に困惑する。少し遠くからバスケ部の一人が「あれで届くのか・・・」とつぶやくのが聞こえた。
気を取り直してディフェンス。みんな難しい事は出来ないので、基本はワンツーマン。自分の近くにボールマンが来たら近づいてディフェンスの真似事をするくらいで、それだけでも十分楽しい。
「(お、こっち来た・・・)」
私の近くにボールを持ってドリブルしながら指示を飛ばすのはバスケ部の鹿島君。2年生でベンチから必ず試合に出場する、シックスマンというポジション?らしい。
ウィング(フリースローラインの延長線上で3Pラインと重なるあたり)から1対1でディフェンスを突破しようと周りの味方を遠ざけて、アイソレーション(隔離して1on1に持ち込むの戦術)。普段の試合でできない事を体育の授業でする辺り、熱心なバスケットボールプレイヤーなのだろう。
「(えーっと、抜かせないように幅効かせて距離を取るんだっけ・・・?)」
腕を広げ、手を少しだけ伸ばして『キュキュッ』と摺り足で近づく。鹿島が「おっ」となって、少しだけフェイントを見せてからドライブする。
鹿島にピッタリ付いて行って、ボールではなく鹿島の体全体を進行方向に自分の体を出して止めていく。ボールの持ち手を切り替えて半歩後ろに下がったのを見て一歩前に出る。鹿島が素人のタイトディフェンスを仕掛けた事に好機を見出し、インサイドアウトからクロスオーバーを仕掛ける。
鹿島と私に十分な距離ができ、あとはスピードで抜き去るだけだった。しかし私は体の向きを変えずサイドステップだけで鹿島に追いついてしまい、二人同時にぎょっとしてしまう。鹿島は咄嗟にバックステップしてジャンプシュートする。
シュートは咄嗟の対応だった為かイージーバスケットとはならず、ゴールリングにぶつかる。すぐゴール下まで走って、皆とほぼ同時にリバウンドする。
シュートに失敗したこぼれ球をジャンプして取るリバウンド。取りにいくはバスケ部のパワーフォワード?の川島と素人3人、そして一番遠いところから私が飛び込む形となった。
川島の187cmの背丈とガッチリとした体格、そして取りやすい位置をキープするボックスアウトができている為、川島がとるしゃものと思われていた。しかし、私は川島よりも頭一つ分高く飛んで、ボールを片手で取ろうとする。
「はぁっ?!」
川島が驚くが、私は素人なので、片手で上手くボールが扱えずこぼしてしまう。
運よく味方がボールをとり、攻守が切り替わる。
「今のジャンプ、リングに触れそうだったろっ、やるじゃんっ」
ディフェンスに戻る際に川島はそう言い放つ。私はフロントコートに入ってすぐボール運びをしていた味方からパスを貰う。
「(えーっと、さっき鹿島がやったのは・・・)」
私は鹿島の真似をしてクロスオーバーを仕掛けてみた。すると腹に響くようなバウンド音から1m以上横へスライド移動して、一気にゴール下へドライブする。
誰もリカバリーについていない。チャンスだ。
「よいしょっ」
レイアップシュートを試みるが、見事に失敗。フォームはバラバラだし、手元からスポーンと抜けて、ボールはゴールリングとボートの間にスッポリ挟まってしまう。
これにはみんな爆笑。私もつられて笑ってしまう。
「ほら、奢るよ蹴早」
「ありがとう――――って、牛乳かよっ」
体育の授業が終わり、男子更衣室にて。
鹿島が気前よくドリンクを差し出したが、牛乳瓶だった。私はもう一言文句を言おうかと思ったが、腹が減っているのですぐ受け取って一口飲みはじめる。
「ってかヤバくね今日の蹴早!? どうしたんだよ急に」
「ええ、いや別に・・・」
「病み上がりじゃなかったのか?」
同じく川島も話しかけてくる。しどろもどろになる前に、牛乳をもう一度口に付ける。本当に自分はどうしたのだろうか。
「ぷは・・・そうなんだよねぇ・・・なんか絶好調でさ」
「病み上がりで絶好調はおかしいだろ、さっきのドライブといいリバウンドといい」
「あのディープスリーはすげぇよ。俺らでも片手シュートでギャラリーにまで届くなんて無理だし」
「ああ、アレが一番ヤベェ」
二人して盛り上がるが、私は自分のやった事に困惑するばかりだ。
届くはずのない3P。追いつくことのないディフェンスのステップ。高く飛べるはずのないリバウンド。真似してできたドライブ。
どれもごく普通の高校生の自分には無理な注文であったはずだ。
「とりまディープスリーは今度練習に取り入れね?」
「ああ、蹴早でできたんだし、俺らもカリー(有名な人らしい)目指そうぜ」
なんだかわからないが、バスケ部の二人は私がやった“普段より遠いシュート”を真剣に検討しているようだ。
のちに、我が校のバスケ部は「全員ディープ3Pシュートを狙えるディフェンスチーム」という常勝校に生まれ変わるのだが、それは別のお話。
考え事をしていたら不意に、牛乳瓶を握りつぶしてしまう。
「うわっ」
ガラスの破片が男子更衣室の床に落ちていく。幸いにも中身は空だったので、牛乳をぶちまける事はなかった。特有の臭いも控えめだった。
慌てて私は素手でガラス片を拾おうとするが、鹿島にとめられる。
「なにやってんだよ、素手はあぶないだろっ」
川島はすぐに掃除用具の入ったロッカーから箒とチリトリをとりだす。
「俺らがやっておくから昼休みいけよ蹴早」
時計は正午を少し過ぎたくらいだった。
「う、うん。ありがとう・・・」
私は言われたとおり、立ちあがって男子更衣室を後にする。
廊下を歩きながら、自分の右手を凝視する。
鹿島と川島は、私が手を滑らせて牛乳瓶を落としてしまったと思っているだろう。だが違う、私は確かに握りつぶしたのだ。
自分の力と度胸じゃ、絶対に牛乳瓶は握りつぶせないのにだ。
どうにも、おかしい。今朝のコンビニの所から、自分自身に疑問を持つべきだった。
あの時、ただ商品棚から商品を取っただけで、値段など一目見ただけなのに、支払う合計金額を自然と計算し、しかも財布の中身も見ずに所持金を思い出して計算していた。
数学と英語の小テストも、あり得ないほど長時間集中できていた。
体育の授業も、普段じゃありえない力を発揮して、バスケ部をうならせた。
なぜ? 病み上がりで絶好調だから?
でも絶好調が、こんなに続くのか?
常に絶好調というには、違和感がある。
神薬デュランダル 梅田志手 @touchstone
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