笑わないピエロ

@teheusagi

笑わないピエロ

笑わないピエロ


く…くる…苦しい

生暖かい手が私の首を絞めている。

起き上がれない。

夢か現実かわからない。


はっ…はぁはぁ…


起き上がれた時には自分のベッドの上で、誰もいなかった。

でも確かに絞められた、生暖かい感触がしっかり残っていた。


金縛り?

…にしては生々しすぎる。


息が上がり、だるい体を起こして外を見る。金曜日の夜。部屋の窓から見た空は星がきれいで空気が澄みきっていた。


私はもういつだって死にたかった。


部屋の窓は大きめで、天気のいい日には太陽の光が射し込み、穏やかな時間が流れる。その光を浴びながら、私は白い紙に「死」と殴り書きした。



床に仰向けに寝転がる。


この空虚感は何なんだろう。いつか抜け出せる時がくるのか。


「あー、もう、、、死に…」


言いかけたと同時に異様な気配がした。


起き上がって見たドアに誰かがもたれかかっている。

下を向いたままのそれは、昔子供の頃サーカスで見た、ピエロのようだった。


私は固まったまま、何も出来なかった。


ピエロはこちらに見向きもせず下を向いたままその場に座り込んだ。


ピエロに陽気なイメージを持っていたが、そいつは落ち込んでいるみたいに、ものすごく暗かった。

その様子が何だか親近感を憶えた。


「…あの…」


私が声をかけると、

ピエロは


「…死にたいってゆうから殺してやろうと思ったんだよ。」


と低い声で言った。


その瞬間、コイツが私の首を締めたのだとわかった。


「どういうことですか。」


「どういうことって、わからせてやるよ、行くんだ一緒に。さあ!」


ピエロは顔を上げ、びっくりするほど目を見開いて、瞬間移動みたいにこちらに来た。

手を思いっきり引っ張られて、

「痛っ!」と目をつぶった。


目を開けたらそこは自分の部屋ではなかった。


病院?

騒がしい。赤ちゃんの泣き声が聞こえた。

「オギャー!オギャー!」

一際大きな声が聞こえたので、声の方へ行った。


ある病室のベッドで母親が赤ちゃんを抱いていた。


突っ立っていた私は周りからは見えていないようだった。私の手のひらは透き通っていた。


「死ねたのかな」


ボソッと言うと、間髪なく


「勘違いすんなよ、そんな簡単に死ねると思うな」


さっきのピエロが後ろで言った。

下を向いたまま私の隣に来た。


「よく見るんだ。」


赤ちゃんを抱いていたのは、私の母だった。

赤ちゃんは私に違いなかった。


百合の花が飾られていたからだ。

それで小百合と名付けられた。


父や祖父母や親戚が来て、赤ちゃんは皆に囲まれていた。


とても幸せそうだった。自然と涙が流れた。


そうだ、本当に待ち望まれて、愛されて産まれてきた。皆に守られて。


「さあ、行くぞ」

ピエロはそう言ってまたぐっと私の手を引っ張った。

「誰なんですか、私は死んだのですか。」

謎の風がビュービュー吹く霧の中、聞いた。私は普段から声が小さいから、ものすごく頑張って声を出した。

「だから、簡単に死ねないって言ってんだ!!」

ものすごく怒られた。

何も教えてくれない。何が何だかわからない。どこに連れて行かれるのかも。


でも、いつもの世界にいないことは確かで、それは心地良かった。こんな状況なのに別にこのままずっとピエロと一緒でいいやと思った。


「俺は嫌だね!」


ピエロは言った。どうやら私の思考が筒抜けらしい。


「あんたにはやらなきゃいけないことがある。俺はそこに導いてやる。言うことを聞け。」


横柄な態度で心底ムカついたけれど、諦めてピエロについていく。




プルル…プルル…

電話の音と共に霧から抜けてどこかに辿り着いた。


「あ、もしもし、お義母さん、…なんか機嫌悪いみたいで…仕事で何かあったのかと思ってるんですけど…」

暗い部屋で泣いている女の人と子供が二人。

ここは子供の頃住んでいたマンションの部屋だった。

ああ、そうだ、私は本当に母が不幸に見えて、とにかく母を喜ばせたかった。

父とはほとんど会話がなかった。コミュニケーションがうまく取れなかった。話かけても無視のことが多く、子供の私達はうまく愛情を受け取ることが出来なかった。


母によく聞いた。

「パパのどこが好き?どうして結婚したの?」

その時の母はいつも

「大好きだから結婚したのよ。」

と言ったけれど、嘘だと思った。何だか気まずそうだったから。子供は敏感だからよくわかる。


家の中は学校よりも好きだった。私は緘黙症で大人しかったから、家の中でひっそり時を過ごすのは本当に幸せだった。

でも、何となく気を使う微妙な空気が家の中で渦巻いていた。


小さい頃、夕方になると夕日を見て、寂しくなった。

そう、私は感受性の強い子供だった。


それは感動とか喜びよりも、悲しみや苦しみの方に強く反応し、自分を覆ってしまう。



「わかるか、お前の中にしつこくこびりついている、黒い塊がお前を長年苦しめている。父と母、周りに対しての不安。

お前に“感謝の気持ちを持て”なんてゆう、説教じみたことは言うつもりはない。ただ、その状況を“良かった”と思うだけでいい。父がいて、良かった。母がいて、良かった。そうしなければ塊はどんどん、どんどん大きくなって、お前を覆うだろう。現に、今、その状態じゃないか。死神を呼んでるじゃないか。」


ピエロに言われた通り、いつも私は自分で自分を地獄に追い込む。

 

「どうしようもない私を助けに来てくれたってわけ?そんな格好して死神なの?」



「俺も昔は人間だった。

でももう戻れないんだ。2度と人間には…。」


「いいじゃん。私はあんたのポジション欲しいよ。」

 

「お前悪魔になりかけているんだぞ。」


「…そう……もうどうだっていいや、自分じゃなくなりたいから…」



そう言った時だった。急に狭く暗い場所に移動した。

ギギギ…

真っ暗闇の中で奇妙な音が響いた。



「俺は自殺した。首吊でな。」


「…どうだった?苦しかった?」


「苦しかった。死んだ後もこれよりもっと暗闇に包まれて、長い時を過ごした。こんな状態ならもっと生きれば良かったと後悔した。何に後悔したかって、自分も誰かの役に立つこともあったかもしれないのに、そのチャンスを自分から絶ってしまった。

…あまりにも長い時が流れた。変化は何一つなかったけれど、ある時、声が聞こえた。」


「神様の声?」


「誰かわからない。そいつは“役に立つ仕事をやろう”と言った。」


「神様かな」


「真っ暗闇の所に光の筋が何本も差し込んできて、あまりにも久しぶりの光に、俺はずっと下を向いていた。生きていた時も下向いてばかりだったが…。

それからまた声がして、“人間が人間でいられるよう、尽力せよ。それこそが暗闇からお前を救う。”

と声が聞こえた。」


「そうなんだ…。…それにしても、そのカッコはピエロだよね。名前は?」


「もう忘れてしまったんだ。名前を。適当に呼んでくれ。」



サワサワ風が吹いた。青々と茂った草が風と共に揺れる音がした。

その草原にポツンと一つのベンチがあって、私達はそこに座った。


「なぁ、なくなることでありがたみがわかることってあるだろ?」


「そうだね、結構あるかも…物も人も…」


「当たり前のように生きている時がなくなると、本当に人間が羨ましくなる。」


「…でももう人間には戻りたくないんでしょ?」


「もう踏み入れたから、この暗闇に。一度戻ろうとしたんだ、太陽や空がある壮大な世界に。でも人差し指で触れた瞬間、灰になった。もうこの姿でさえ存在できなくなるとわかったんだ。戻りたくないんじゃない。戻れないんだ。」


「生きる場所とか生きる意味とか生きる喜びなんて、そこらじゅうに散らばってる。もっとよく見ろ。」 


ピエロが目を見開いて私を見た。

ドクン!!

心臓が潰れそうなくらいの動悸で倒れそうになった。





「もうお別れだ。俺の任務終了だな。」

「…え?ピエロも行こうよ。」

「言っただろうがよ。もう戻れないって。俺はここにいる。もう二度と俺を呼ぶなよ。」

「呼んだ覚えはないけど…一緒に生きて欲しいよ。君と一緒なら生きるよ。」

「バカ言うな。いいか、美味いもんいっぱい食って、めちゃくちゃに走って、めちゃくちゃに笑って、めちゃくちゃに泣いて、めちゃくちゃに怒って、疲れてめちゃくちゃ寝て、それから、それで…めちゃくちゃ幸せになれよ。いいか、どんな1秒でもお前がいる所は幸せに満ちてる。気づけよ。忘れんな。」


そう言うと、ピエロは笑った。

急におもちゃ箱みたいなカラフルな箱が現れて、箱が掃除機みたいにものすごい勢いでピエロを吸い込んでしまった。あっという間に箱は小さくなって消えた。


「なんなんだよ…」


涙が出た。色んな感情が混じって何色かわからない、ぐちゃぐちゃな気持ち。

でも、もう、生きる。あいつの仕事を無駄にしたくないから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

笑わないピエロ @teheusagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る