第17話 それぞれの夜

「とりあえず、お前の言い分はわかった。だが、まずは言ったことが事実か確認する。朝にはドラゴンの姿に戻るという話だったな」


 私がグラスの水を飲み終わった頃を見計らって、キースさんが言う。


「はい。そのはずです」

「なら、夜明けまでに竜舎に戻ってその様子を俺に見せろ」

「……わかりました」


 キースさんはまだ半信半疑のようだったけれど、無理もないことだろう。

 とりあえずは警備に差し出されなかっただけありがたい。


「あの……私からも、ひとつ質問してもいいでしょうか」


 私はふとあることを思い出して、そう問いかけた。


「何だ」

「キースさんとウィリスさんって、何か個人的な関係があるんでしょうか?」

「なぜそう思う?」

「ウィリスさんが言ってたんです。『浅からぬ因縁があるんだよ。ワタシは別にキース君のこと嫌いじゃ無いんだけどね』って」


 キースさんが気絶している間、夜の花畑で聞いたことを思い返す。

 それは、もしかすると指名手配犯とそれを追う立場の者という意味だったのかもしれないけれど。

 でもなぜかそれ以上のものを暗示しているように聞こえた。


「お前はあの魔法使いと随分親しいようだな」

「親しくはありませんよ。毎回勝手に言いたいこと言うだけ言って消えてしまいますし」

「……あいつらしいと言えばあいつらしいが」


 嘲るような声には、少しの懐かしさのようなものが込められていた。


「……認めたくはないが、あいつは俺の姉と親しくしていた」

「お姉さんと?」

「血の繋がってない義姉だ。俺が生まれる前に両親に拾われた。魔法使いの血が入ってることが発覚してからは、ずっと審判の塔にいたが」

「『いた』? 今は違う場所にいらっしゃるんですか?」

「……まあ、そうだな。もう会うこともないだろう」


 意味深な言葉だった。

 気になるけれど、なんとなくそれ以上の追及をしてはいけないような気がする。


「そうだったんですね。身内の方と親しくしていたウィリスさんが何かしらの罪を犯したとなると、穏やかではいられないのもわかります」


 相づちを打ってすぐに、次の疑問がわいてくる。


「審判の塔……って、どうしてそう呼ばれているんですか? 魔法の研究機関っていうことですよね?」

「そんなことを知ってどうする」

「ただ知りたいだけです。私はあまり物を知らないので」


 正直に言うと、キースさんはため息をついてから話してくれた。


「……魔法使いたちは、かつて人間に変わってこの地を支配していたという妖精の血を引いてる。そして奴らの身体には、人間が持ち得ない膨大な魔力が巡っている。それは世界を滅ぼしかねない危険なものだ。妖精たちは、その強い好奇心と魔力の暴走のせいで、わずかな生き残りを残して自らを滅ぼした。

 一説には、神に近づきすぎた罰が下ったのだと言われている。その罪と過ちを忘れないよう、魔法使いたちが集うあの場所は『審判の塔』と名付けられた。魔法使いたちが常に神の審判を恐れ、自らの行いを見つめて正しき道を歩むようにという意味が込められている」


 そんな由来があったのね……。

 私はいつしかキースさんの話に聞き入っていた。


「これで満足か?」

「はい! ありがとうございます」

「そんなに喜ぶことでもないだろ」


 怪訝な顔で言うキースさんの瞳の中に、いかにもわくわくとした様子で身を乗り出している私が映っていた。


「知らないことを知ることができるのは嬉しいです」

「変な女だな。ますます信用できない」


 うっ……。

 純粋な好奇心で聞いてみたものの、確かに、何かしらの情報を得ようとしているようにも見えてしまったかもしれない。


「質問はもう終わりだ。お前の好奇心を満たしてやる必要はないだろ」


 それはその通りなのだけれど。

 王都まで少しの間一緒に旅していた期間とはまるで違う冷たい表情に、少し悲しくなってしまった。

 俯くと、キースさんはなぜかぎくりとしたように私を見る。


「な、なんだその反応は」

「……ドラゴンだった時は、もっと優しかったような気がします。よく撫でてくれましたし、リンゴも食べさせてくれました」

「なっ……あの時はまさかドラゴンに化けた人間だとは……そ、それに今はまだ、お前が本当にブルーノだって証明はできてないだろ」


 今度はキースさんの頬がわずかに赤くなる。

 意外と表情豊かな人のようだった。


 ――それから、冷たく装った態度に似合わないお人好しだ。

 私は抑えきれない笑みを浮かべ、さっきまでのいかにも悲しんでいるような表情を打ち消した。

 試すような真似をして申し訳なかったけれど、やっぱりキースさんは良い人だ。

 無闇に疑い怯えるよりも、この人を信じよう。


「今度はにやにやして、変な奴だな。ともかく、今日はもうお前と話すことはない」


 キースさんはそう言ってそっぽを向いてしまう。

 これ以上話しかけても拒絶されてしまいそうだった。


「それでは、私は竜舎に戻りますね。ここにいることが他の人に知られたら、キースさんにもご迷惑をかけてしまうでしょうし」

「駄目だ。お前が言ったことが事実かどうかまだ証明できていない以上、逃がすわけにはいかない」

「あ……そうですよね」


 私は浮かせかけた腰を再び椅子にすとんと落とす。


「それに、まさか藁の上で寝るつもりか?」

「あ、はい。キースさんとの道中でも一度竜舎に泊まりましたけど、藁のベッド、ふかふかで悪くありませんでした」


 そう答えると、キースさんがぎょっとした顔になる。

 その反応の意味がわからず戸惑っていると、キースさんは片手で顔を覆ってため息をついた。


「ここで眠れ」

「えっ? でも……」


 ここにベッドは一つしかない。

 でもおそらくこれは、人間の姿の私を竜舎に帰すわけにはいかないということなのだろう。

 途中で人に見つかりでもしたら、説明のしようもない。


「……わかりました。それでは床の隅をお借りします」


 藁のベッドよりも身体が痛くなるだろうけれど、仕方がない。

 諦めて身を横たえようとしたところで、後ろから猫の子のように抱き上げられた。


「なっ……淑女に何をするんですか!?」

「淑女を自称するならなんの躊躇もなく床で寝ようとするな! 本当に貴族の令嬢なのか!?」


 渾身のツッコミと共にベッドの上にポイッと投げられた。

 スプリングの効いたベッドが、私の身体をぽすん、と柔らかく跳ね返す。

 見た目は簡素なベッドでも、私が屋敷で使っているベッドよりもはるかにふかふかだった。


 ……やっぱり、騎士は身体が資本だから寝具は重要なのかしら……?

 未だに状況に追いついていない頭で、どうでもいいことを考える。


「そこで寝ろ。一歩も動くな。お前の言ったことが本当なのか確かめるために、明朝日が昇る前に一緒に竜舎に戻る。いいな?」


 キースさんは片手を腰に当て、もう片方の手で私を指さしてそう言った。

 威圧的なポーズだけれど、どこか滑稽な可愛らしさがあると感じてしまうのは、この姿の時でも感覚はまだドラゴンの姿に引きずられているからだろうか。


「あの、でも、ベッドを奪ってしまうのはさすがにいたたまれません」

「うるさい黙れ、そして眠れ、俺も眠る。……今日は色々なことがありすぎた」


 とりつく島もない。

 キースさんはベッドとは反対の壁の方にもたれるように座り、目を閉じた。

 これ以上はもう話さないという意思表示のようだ。

 やっぱり申し訳ないけれど……仕方ないわ。

 今日だけベッドを借りることにしよう。


「すみません。では、失礼します」


 気恥ずかしさを感じながらシーツの中に潜り込む。

 いつもリイナの手によってハーブ水が吹きかけられている屋敷のシーツとは違う、お日様のような清潔な匂い。

 人間に戻る前に水浴びをしてさっぱりしたこともあって、横になると心地よかった。


 柔らかなシーツに包まれた途端、ふいに心がふっと緩んで、今更ながら自分が気を張り詰めていたことに気づく。

 いつもだったらきっと、殿方のベッドを借りて呑気に眠るような真似はできない。

 けれど抗いがたい眠気に誘われて、私の意識はゆっくりと暖かな微睡みの中へと沈んでいった。


 ◆


 ディアが寝息を立て始めた頃を見計らって、キースが静かに目を開ける。


 ――なんだ? この女は。

 キースは茫然と自分のベッドを見つめていた。

 その上には、さっきまでびくびくしていた女が、驚きのふてぶてしさでぐっすり眠っている。


 その唇は微笑みを浮かべてさえいた。

 突然実はドラゴンだと明かし、男の部屋に来て、安らぎに満ちた眠りを貪っている。

 頭が固い自覚のあるキースにとって、この混乱に満ちた状況は恐怖でしかなかった。

 それに……


「……本当にブルーノなのか?」

「うーん……」


 ふいに女が小さく唸って寝返りを打つ。

 キースは思わずびくりとしたが、女の細い手足が毛布からはみ出ていることに気付いて、その華奢さに自分の怯えが馬鹿馬鹿しくなった。

 今までの人生で一番身近な異性であった姉が高身長であったことを鑑みても、ディアは小柄で非力に見える。

 あの堂々とした佇まいの漆黒のドラゴンの正体だとは到底信じられない。


 まだ完全に信じたわけではないが、仮にこの女が話したことが全部本当だとしたら、どんなに図太く見えようとも内心は不安でいっぱいだったことだろう。

 口ではああ言っていたが、ようやくまともな寝床にありつけて安堵しているのかもしれない。


 そう考えると、急に同情が湧いてきた。

 ……警戒しているのも馬鹿らしいか。

 仕方なく立ち上がり、毛布をぞんざいにかけてやる。


 けれど――

 女が寝返りを打った拍子に、でろん、とまた細く華奢な手が毛布から飛び出た。


「寝相が悪いな。……はぁ、まったく」


 もう一度掛け直してやりながらため息をつく。だいぶ気が抜けた。

 どちらにせよ、この女の語ることが真実かどうかは明日分かる。

 これ以上何かを考えようと無駄だと判断して、キースは壁に寄りかかるようにして床に座り直し、目を閉じた。


 きっと今日も夢を見る。

 キースの周囲にまとわりつく死の夢を。

 今は亡き主の最期の願いを。

 悪夢に苛まれることにはとっくに慣れていて、抵抗があるとすればそれは、それはうなされて目覚めるたびに己の弱さを突きつけられることに対する恐れだった。

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ワケあってドラゴンになった貧乏令嬢は高所恐怖症の竜騎士を愛でたい 保月ミヒル @mihitora

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