描いては送り描いては送りの賞金生活
燈 歩(alum)
1.
「えっ!? これ本当!?」
「ホントホント。行こうよ」
流花のスマホにはチケット当選の赤文字が躍っていた。
半年後に行われる、私たちの大好きなBLラジオドラマの公開録音。その観覧チケットを流花は当てたのだった。
嬉しさのあまり、美術室の石膏像を抱えてステップを踏んでしまう。ミカエル、ごめん。でもこの嬉しさを、頭だけだとしてもあなたと分かち合いたいの。
「二枚取れたから、一華も行こうよ」
「行きたい! ……けど」
そんなチケット、喉から手が出るくらい欲しいに決まってる。だって、推しに会える。あのドエロボイスを生で聞けるなんて死んでもいいくらいだ。こんな幸運、滅多にない。
だけど嬉しさは瞬く間にしぼんで、ミカエルを元の棚へ戻した。
「けど?」
「けど、お金、ない」
そう。わたしは万年金欠の貧乏女子高生。月々のおこづかい制度なんてない。それならばとバイトを申し出ても、両親の教育方針でそれは認められなかった。華の女子高生なのに。友達と帰りにマックやスタバ、カラオケに行くなんて夢のまた夢。……ド田舎すぎて、マックもスタバもないけれど。
「だって東京でしょ!? いったいいくらかかるのよ」
「新幹線と宿泊費とグッズで、五万くらいじゃない?」
「簡単に言ってくれるね……」
こっちはお昼ご飯用にもらう五百円をいかに切り詰めるかって頭を悩ませているっていうのにゼロが何個も違うじゃない。
流花の家はお金持ちだ。よくわからないけど、お父さんが社長らしい。絵の具だってキャンバスだってコピックだって、流花が持っているのはいつも新品最新版。いつだって流花はお金の心配をすることがない。
今度はジョナサンに抱きつき、慰めてもらう。石膏のスベスベに潜むちょっとしたザラつきが気持ちいい。
「このチャンス、逃していいの?」
「よくない! でもさぁ……。お金、どうしよう」
ジョナサンのくるくるパーマをぐりぐりいじりながら、うなだれた。
「パパにお願いしてみよっか? 交通費と宿泊費くらいはなんとかしてくれると思うけど」
「それじゃ意味ないじゃん! 推しだよ!? 自分でお金払ってナンボでしょ!」
「じゃあどうするの」
「どうしよう……」
おこづかいがないのは百歩譲っていいとして、バイトができないのがつらすぎる。かと言って、この趣味を両親にカミングアウトする勇気もない。バイトすら許してくれない親だもの、BLのなんて言ったら監禁されるんじゃなかろうか。
「百万円くらい、ポーンと降ってこないかなぁ」
「宝くじでも買う?」
「貴重な全財産賭けろっていうの? あんなの当たるわけないじゃん」
ラファエルも棚から下ろしてきてがっしり抱きしめるけれど、冷たい感触ばかりで味気なかった。
「なんか他にいい方法ないかなぁ」
「んー、あ、こんなのどう?」
流花のスマホには「公募のつどう街・アート編」とタイトルが表示され、大小様々なコンテストが並んでいた。
「これに片っ端からエントリーして、稼げばいいじゃん」
「こんなのあるんだ!」
目からウロコだった。こんなお金の稼ぎ方があるなんて。神様は私のことをまだ見捨てていなかったみたい。
腐っても美術部。私だって、自分の描く絵に多少の自信はある。画材は授業で使うとでも言えば、あのお堅い両親を説得することができそうだ。
「流花! ありがとう! これしか私にはないよ!」
「すごいねー、これなんか賞金百万円だって」
「なんだって!?」
百万円。なんにも考えられない。百万円って、いったいおいくら? お年玉と誕生日とお盆に親戚からもらうおこづかい全部を足したって、十万もいかないのに。
「わたし、やるよ! それ、やりたい!」
「大きくでたね」
「一回頑張ったら終わるし、百万円だよ? 百万円!」
ひゃっくまんえん、ひゃっくまんえんと適当な歌を歌いながら、ジョナサンとラファエルを棚に戻した。もうこんなの、推しに会えたも同然だった。わたしの未来は明るい。持つべきものは友。同志はやっぱり強い。
「で、どんな内容なの?」
なんだってどんとこいだ。今のわたしは無敵モード。なんだって描いてみせる。
「えっとね、S100号以内でテーマはなんでもいいんだって」
「え、そんな雑なの?」
「だってこれ、かなり大きなコンテストだもん。画家目指してる人とか用じゃない?」
「うーん、でもなんでもいいならいいか! 出してみないと分かんないしね!」
「あ、でもエントリー料かかるよ。五千円」
「え、お金取るの」
「だって大きいコンテストだもん」
「全然意味わかんない!」
しおしおと萎んでいくわたしの心。推しがどんどん遠ざかっていく。いやいや、ここで諦めちゃだめだ。
ガラガラ―――。
その時、美術室の扉が音を立てて開いた。
「神永せんせー!!!」
美術部顧問の神永笑子先生にわたしは飛びついた。化粧っ気のないのっぺりとした顔で、いつも絵の具で極彩色に染まったジーンズのエプロンをかけている神永先生。わたしたちのやりたいことを後押ししてくれる心強い味方。先生なら、きっとなんとかしてくれるはず。
「このコンテスト出したいんですけど、エントリー料って部費とかでなんとかなりませんか?」
流花のスマホを借りて、先生の鼻先へ押し付ける。
「なぁに、ちょっと見えないよ」
「これ、これに出てみたいんです!」
わたしより身長の小さい先生の慌てる様子はかわいい。
「あら、これ。私もエントリーするのよ」
じっくり要項を読んだ先生が、にっこりとわたしに微笑みかけた。
「え! 先生も!?」
「そうよ。大きなコンテストだものね。出す作品はどうするの? もう時間がないけど」
「今からやります! だけど、エントリー料が高すぎて払えないんです」
「そうねぇ、高校生には大金よね。……いいわ、何事も勉強ね。今回は私がエントリー料を出しましょう」
「ホント!? いいの!?」
「その代わり、真面目に取り組むこと。隔週で私がやってる絵画教室の小学生クラスのお手伝いを一年間すること。この二つが条件よ」
「やる! やります! 先生ありがとう!」
渡りに船とはこのことか。そうと決まればあとは描くものだ。何にしよう。
家に帰っても、そのことばかり考えていた。でもどうにもまとまらない。流花にLINEで相談してみると、
「推しへの気持ちでも表現しとけば?」
と、ありがたいオコトバが返ってきた。
そこからは一気に描き上げた。時間がなかった割に上手くできたと思う。
「よく描き上げたね。たとえ落ちても、落胆しないこと。挑戦したことに意味があるのよ」
先生の言葉は右から左へ。わたしのウキウキは止まらなかった。
―――――
一ヶ月後、わたしは落ち込んでいた。
「落ちたぁぁぁぁぁ」
今日何度目か分からない嘆きの叫びを流花に投げつけている。
「そりゃあ、そう簡単にいかないよね」
「うぅ~……」
美術室の机におでこをぐりぐりと押し付けるけれど、何も変わらない。この一ヶ月、当たったつもりでいて遊んでしまった。推しのライブまで、あと五ヶ月しかない。時間がない。
「流花、もう四の五の言ってらんない。待ってる間何もしなかったから、一ヶ月無駄にしちゃった。推しは待ってくれない。だから、今出てる金額の高い順に片っ端から応募する!」
「締め切りが近いものの方がよくない?」
「どっちも!」
そうしてわたしは、流花の手を借りながら描きまくることにした。
イラスト、ポスター、風景画、現代アートの抽象画や、イメージ画、人物画。サイズもテーマも様々、コンテストの規模も全然違うけど、わたしには推しの姿しか見えていない。
おこづかいがなくて、バイトもできないわたしができることはこれしかない。絵を描いて、お金を稼いで、推しに貢ぐんだ。そうと分かればつらくない。だって推しが待っているんだもの。
三日、四日で雑に描き上げ、数撃ちゃ当たる方式に切り替えたわたしは走り出した。
―――――
「やったぁぁぁぁぁ!!!!!!」
わたしは勝利の雄叫びを上げていた。
石膏像が収められている棚に突進する勢いで、手当たり次第に抱きしめる。
「流花! やったよ! 本当に選ばれた!」
「良かったじゃん。おめでとう。なんのやつ?」
「えっとね、関西のどこかの環境美化ポスターに出したやつ! 副賞で千円!」
流花は爆笑していた。笑い事じゃないけど、わたしにとっては嬉しくて顔がにやけてしまう出来事。
手応えの無かったこの一ヶ月、心が折れそうだった。推しのために寝る間も惜しんで描きまくっているのに、連絡の一本もなかったから。世の中そんなに甘くないぜ、なんてニヒルを気取ったりしても気持ちはやきもきしてつらかった。
それが、報われた。
「千円だけど、たった千円だけど、本当に自分の絵がお金に化けた!」
「たくさん描いてたもんね」
「うん、めっちゃ頑張った。めっちゃ嬉しい。本当にお金になるんだ……」
じぃんと余韻のようなものがわたしの胸に広がっていく。千円の価値をこんなに実感する女子高生がわたし以外にいるだろうか。
「あ、神永先生! 聞いて!」
美術室に入ってきた神永先生を捕まえて、嬉しさを爆発させるわたし。もうこんなに嬉しいこと、他にないと思う。あ、推しに会うのはもちろん別次元で。
俄然やる気が出て、燃えてきた。推しに会うためにはあと四万九千円。もっと一生懸命ちゃんと描こう。そうしたら、もっと早く貯まる気がする。あと四ヶ月。
―――――
「また絵描いてるの?」
「今度はなんのコンテストー?」
「時間かけた割に合わなくない?」
「親に隠れてバイトした方が効率いいのに」
「そんなんでお金貯めるとかあほくさ」
「いいなぁ、私も挑戦してみようかな」
数ヶ月前のわたしからは想像もつかなかったことがどんどん起こっていた。
わたしが急に絵をたくさん描くようになって、美術部のメンバーや仲の良いクラスメイトたちが応援してくれた。逆にバカにされたり、けなされたりもしたけれど、わたしに残された手段はこれしかないんだから、なりふり構ってられない。
それに、あの環境美化ポスターのあとから、少しずつ受賞作品が増えてお金の額もそれなりになってきた。そのことがわたしの気持ちに拍車をかける。今のわたしはニンジンをぶら下げられた馬の如く、前を見て走り続けている。
「あとどのくらい?」
流花は相変わらず、応援して背中を押してくれる。挫けそうな時に何度救われただろう。
「今四万円いくかどうかってところ。もうひと踏ん張りなんだけどね~」
今描いているのは、縁もゆかりもない土地のご当地キャラクターのデザイン。
推しのライブまであと一ヶ月。目標金額には届いていなくて、焦る気持ちはとてもある。あるけれども、まだ結果の出ていないコンテストもあるわけで、そこに希望を持ってできるものを描いていた。
ピコピコピーン―――。
このふざけた通知音はわたしのスマホのメール受信音。
「……えっ? ねぇ流花、ちょっと」
「なに、どうしたの?」
「新人クリエイター
「あのちょっと大きいコンテスト? すごいじゃん!」
「え、なに、これ、夢? ちょっと流花、わたしのこと引っぱたいて」
「つねるんじゃ、ないんだ」
流花にとてもいい笑顔で言われて左頬をはたかれた。いい音。目をつむる暇もなかった。痛い。ジンジンする。……もっと加減してくれてもよくない? はたけと言ったのはわたしだけど。
「イタイ」
「でしょうね」
「夢じゃない」
「もう一発いっとく?」
「もういい」
実感が湧かない。でも左頬が痛いのは本当。ということは、やっぱりこれが現実? 何度も何度もメールの文章を読み返すけど、全然頭に入って来ない。
「おめでとう、一華。これで目標達成だね」
「目標……」
「来月、一緒に推しに会いに行けるね」
ゾゾゾと背中を何かが駆けあがっていく感じがした。推しに、会える。夢にまで見たドエロボイスを生で聴けて、そのお姿も拝見することができる。
「来月、推し……。そっか、やったんだ、わたし。やった、やったぁぁぁぁぁ!!!!!!」
身体中の細胞が喜びで震えるとはこのことか。石膏像の棚まで行くのがもどかしい。
流花に体当たりをかまして抱きしめる。ふわふわしていい匂い。そうじゃない。推しに会えることが嬉しすぎる。この喜びをどうしよう。
「一華、もう一発引っぱたくよ」
「それは嫌。でも、嬉しすぎてどうしていいか分かんない。流花があの時コンテストのこと教えてくれたからだし、来月推しに会えるし、推しの生ボイスと思うと居ても立ってもいられない! 流花、ありがとう!」
流花を振り回してダンスを踊りたい気分だったけど、今度は本気ではたかれそうだからやめといた。
諦めないで行動してよかった。無謀な挑戦もしたけれど、自分にちゃんと返ってきた。絵を描く技術も、アイディアの出し方も、応募の仕方も、お金を貯める苦労も、たくさん学んだ。
来月、推しに会いに行きます。待ってて。
……この時の新人クリエイターコンテストに出した私の絵が、推しのジャケットに使われることになるのは、また別のお話。
描いては送り描いては送りの賞金生活 燈 歩(alum) @kakutounorenkinjutushiR
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