電車酔い
農場の夫
この電車は 行きです
薄暗いホームに黒煙と騒音を吐き出す列車が停車した。今まで自宅にいたはずなのに、なぜこんな所にいるのだろう。
仰々しい音と共に列車の扉が開いた。私の足はまるでピアノ線に引っ張られるかのように動かされ、私は車内に入っていた。周りを見回すと、進学校の制服を着た青年や黒いスーツをばっちり着こなし背筋を両側から引っ張られた糸みたいに伸ばしたOLが座っている。あ、あの人はテレビでよく見る俳優だ。やっぱりイケメンだなあ。
突然ポー! という轟音が鳴り響き、徐々に列車は動き出した。窓から見える景色が徐々に後退していき、やがて何本もの直線が縦に並んだように見える。そして列車のスピードが遅くなると同時に景色は元の形を取り戻していった。
列車が停車した古い駅から入ってきたのは少し肥えたお腹を揺らしながら歩く中年の男。男は扉のすぐそばに座り、貧乏ゆすりで車内を僅かに揺らし始めた。
再び列車が走り出した。景色が縦に並んだ直線へと姿を変える。その後列車は何度か停止を繰り返し、その度に一人を乗せていった。
先程入ってきた、なんだか気分が悪そうに歩く青年が扉に比較的近い私の隣りに座った。
「あのー、大丈夫ですか?」
私が話しかけるとその学生はまるで驚かされた猫みたいに飛び退いた。そんなに驚かなくても......。
「な、なんですか......?」
「いや、大丈夫かなって。体調悪そうですし」
「いえ、大丈夫です......。ほんとに、はい......」
「そ、そうですか」
青年は俯いた。彼の瞳を盗み見ると黒目が四方に行ったり来たりしていて、全然大丈夫じゃなさそうだ。景色の直線が少しずつ曲がり始めた。
「あーもう我慢できねえ!」
突然、最初に乗っていた学生が叫び出した。学生は鞄から何かを取り出し口元に近づけると、辺りにパチンコ屋の中のような臭いが漂い始める。すると太った中年の男がバッと立ち上がり、耳障りな罵声を吐き出し始めた。
「いつになったらパチ屋に着くんだよ! 閉まっちまうじゃねえか!」
するとその声に反応したのか、隣りの青年の震えがさらに大きくなっていく。黒目はぐるぐると渦巻きを描いていた。
「大丈夫ですか? 列車、止めてもらいますか?」
「......。......」
青年は私の言葉には答えずブツブツと何か呟いている。放っておくのも手だったが、隣りでこんなことをされていると正直気分が悪い。取り敢えず、こんな時どうすればいいのかを尋ねるためポケットからスマホを取り出した。青年の瞳が鋭い光を帯び出す。
「スマホ......」
青年はまるで獲物に飛びかかる猫のようなスピードで私のスマホを奪い、青白い顔面と画面を異常なまでに近づけた。私はパスワードをすぐに忘れてしまうためにロックをかけていなかった。青年は容赦なく他人のスマホの画面を叩く。
車内には罵声が響き渡っている。OLは肉がほとんど残っていない顔に錠剤と水を流し込み、俳優は自身に注射を打ち、先程のイケメンさが嘘のような顔で背もたれに寄りかかっている。
窓の外では歪んだ色が渦を巻いている。
私はいつもの場所にある酒瓶に手を伸ばした。
はらりと落ちた切符に終点は記されていない。
電車酔い 農場の夫 @nojonootto
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