第6話 恋する河童・祢々子(ねねこ)
「張師父を襲った人たちの中に、高校生がいるみたいなんだ」
「ちょっと待てよ、ドウジ」
チハヤは思わず話を止めた。するとその手で反射的に取り皿を受け取っていた。二つの白むすび。その脇に焼き海苔とたくわんが添えられているのが嬉しい。
いや、そうじゃなくて……っ。
「えーとさ。確か電車の中で高校生から犯人らしい男二人の画像を見せられた気がする。どっちもリーマンだったよな」
「うん。撮影された彼らは追跡役だと思う。でも、師父を狙ったのは高校生の〝妖怪〟だ」
「妖怪って言い方でいいのか? それじゃあ、あの傷は、ただの矢傷じゃなかったのか?」
「ううん。その矢で間違いないよ。実はあの場で、師父がとっさに真実を隠したんだ。あの矢は妖怪だけが飛ばせる〝神錆び〟の矢だった」
「カミサビ? なんかよく分からねーけど。あの矢は周りの乗客には見えてなくて、荒川を越えた当たりで消えたよな」
「うん、そうだね」認めた。
「なんでだ?」
ドウジはまじまじとチハヤを見つめると、ちょっと考えてから目を沙門に向けた。
「ドウジ。学校でする食事の話題としては不適切だな」
「あ、うん。そだね……」
「はっ? この話、これで終わり? そりゃあねえだろ」チハヤは鼻眼鏡を見る。
「それより、雨宮が二人の連絡先を交換して欲しいそうだ。ちなみに、俺は受け取っている」
「ふぎゃっ!? おまっ、今このタイミングでそれ言うのかよっ!? 薮から棒過ぎんだろうがっ」
チハヤは顔を熱くして、となりに肩パンする。
「おまけに、このカッパ。ドウジの〝妖怪曼荼羅〟に載りたいのだそうだ」
「あらあら、野心的ですこと」
神楽木の目がきらりと光った。その瞳は灰緑色をしていた。
「うそうそっ。それはうそだって。あたしはただ、神楽木と沙門が、朱住からなんて呼ばれてるのか、ちょっと気になっただけなんだって」
ドウジは目をキョロキョロと動かして、
「えっとね。アリッサは〝ゆきめ〟で、慶は〝すら──」
「ドウジ。俺のことはいい……っ」
沙門が慌てて遮った。
「ふふっ。沙門はあの妖怪をお気に召していませんでしたわね」
神楽木が口許に手をやってお上品に笑う。
「ゆきめって可愛い女の子の名前だな」
チハヤが素直に感想を言うと、ユキメ生徒会長代行はどこか誇らしげに微笑んだ。
「でしょう? 漢字だと〝雪女〟で、味気ないのですけれど」
雪女。氷漬け事件。ということは、あの事件はこいつが……。いや、あれにはもう触れない方がいい。終わった話だし、関係ないから。
「慶。言っていいよね?」
「ふんっ。……わかった。覚悟ができた」名前くらいで、何の覚悟だよ。
「慶はね。──〝すらりひょん〟」
ドウジは得意そうに言った。
「えーと。〝ぬらりひょん〟じゃなくて?」
チハヤはおにぎりを口に押し込んで、聞き返した。口の中でふわふわと飯粒がほどけ、塩の塩梅が絶妙。おにぎりが一つの料理だとわかる。
「見てよ。慶のどこに、ぬらっとした感じがある?」
「そりゃあ、まあ……けど、なんでこんな一般論上のイケメンが、ぬらりひょん?」
「サイコロを五つ振ってね。サイコロがタテに積み重なったの。その天辺が2だったから」
サイコロで決めたんか。積み重なるってことは壺ふりだよな。
「なあ、沙門。そんなレア情況なら、もう観念したほうが──」
「ぬらりひょんはな。当初、架空の妖怪だったんだ」
自己弁護するつもりなのか、沙門が語り出した。
「最初にぬらりひょんを描いた産みの親とされているのは、室町中期の絵師・
その後、江戸時代中期の絵師・
さらに佐脇の死から4年後に、鳥山
ちなみにだが、石燕がぬらりひょんに駕籠を構図に入れたのは、当時駕籠から出る擬態語が『ぬらり』だったことから、佐脇リスペクトでダジャレたといわれている。
現代においては、水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』における鬼太郎の敵役として登場し、定着している。むしろ、ぬらりひょんの知名度が爆発的に広まったのは20世紀に入ってからだ」
「そうそう。妖怪の総大将だよねえ」
ドウジが楽しそうに補足するが、沙門の眉間が苦み走っただけだった。
「沙門……すげー調べてるんだな」
あだ名一つ撤回させるのに必死すぎる。
「当たり前だ。それと、このぬらりひょんには異説もある。寿老人というのを知っているか」
「じゅろうじん……確か正月に聞いたことがあるな」
「そうだ。七福神の一人で、道教の福禄寿と同一視されている」
「ああ、あの頭のでかい……。めでたいじゃん」
「ところがだ。ぬらりひょんと容姿が似ていることから、両者が光陰分離した姿であるとする俗説が生まれた」
「こういんぶんり?」
「ざっくり言ってしまうと、神様側が寿老人で、悪魔側がぬらりひょんってことらしいわ」
神楽木が外国人みたいに肩をすくめていった。
「そうだ。しかも福禄寿は、道教において子宝における幸福。財産における封禄。健康における長寿から文字られた人造神だ」
「人造? そうなのか?」チハヤは思わず朱住に訊いた。
「うん。福禄寿が大陸で作られたのは、慶が言った通りだけど。道教の元もとの思想原理は神仙(仙人)であって神様ではない。だから日本では七福神の中から一時期、外されることもあったみたい。でもそれが妖怪化したとしても、ぬらりひょんと繋がることはないと思うよ」
ドウジがやんわり異説を否定したことで、沙門は悔しそうに押し黙った。みんな物知りだな。
チハヤはおにぎりの二つ目を頬はると、首を傾げた。
「なあ,沙門。それって結局、お前の考えすぎじゃね? だってさ。妖怪の河童だって散々悪く言われてんだぜ? 昔、坊さんから聞いたけど、大昔は荷馬車が脱輪して荷物が川に落ちて財産を失った。それを川周辺に住んでた連中に拾われて、被害者がそいつらを河童と呼ぶようになったんだと。河童が市民権を得はじめたのだって、最近らしいぞ?」
「か、河童と一緒にするなっ。いや、言いたいことはわかる。しかし俺はとにかく、ぬらりひょんは妖怪ではなく、一人の絵師の空想。ひいては都市伝説だと言いたいのだ。
鳥山石燕の絵を見ればわかるが、口八丁手八丁でまわりを騙して駕籠で屋敷に乗りつけ、うまい酒食を楽しんだ後、いつの間にかいなくなっているという無銭飲食する詐欺師からきている妖怪だ」
もぉ~、ああ言えばこう言う。面倒くせぇヤツ。
チハヤは背中を丸めてため息まじりにおにぎりへ手を伸ばし、また箸でぶったたかれた。
「お行儀」
「今のは、条件反射なのぉっ!」
取り皿を朱住に渡す。おにぎりの他に唐揚げと大根サラダも頼む。それを待ってる間に、チハヤは言った。
「沙門さ。ぬらりひょんがどんな妖怪だったとしても。フタを開けてみりゃ、結構人間のほうがよっぽどズル賢くて、悪党で、怖い。って事もあるんじゃねーの?」
「うっ、うぐっ」沙門はお酢でも飲んだ顔をした。
「「賛成ー」」
ユキメとドウジが笑顔でユニゾンした。
「それにさ。お前は〝ぬらり〟じゃなくて、〝すらり〟なんだろ? そこを読み替えた朱住の気持ち、お前ならとっくにわかってるよな。ここまでのを聞いてても、お前が本当に気に入らねーのは名前や素性じゃねーよな。一体何が気に入らねーんだよ」
沙門はうつむくと、自分の取り皿に載っている唐揚げを見つめて、
「……第2位なんだ」
「は?」
「序列──みたいなものはないらしいが、ぬらりひょんが第2位と宣言された。つまり、ドウジの直下位についている」
「なら、雪女は?」
「第7位よ」
「へぇ~。ほら、誰も気にしてないし、別にいいじゃん。総大将っぽいじゃん」
「第3位が、〝
「はくたく? 神獣? それがなんだってんだよ」
「チハヤ。白澤──張師父のことなの」
ユキメが小声で教えてくれた。
問題はそれか。チハヤは朝のことを思い出し、二の句が継げなくなった。アイザック・チャンは人としても指導者としても一流だとチハヤも思い始めたところだ。
その間も、沙門は都立の受験に失敗した受験生みたいな昏い顔してため息をついた。
「だから、その……重いんだ。プレッシャーが」
180センチのガタイを有するキサマ男が、意外に神経細やかでウケる。
「立派すぎる大人相手に背伸びしたって、あたしら悪ガキが勝負になるかよ。あの手の大人と比べるだけ無駄無駄無駄だって。んじゃあさ、その曼荼羅って一番偉いのって誰なん?」
「それは、もちろん朱天童子だ」
「なら今、その朱天童子の傍にいるのは?」
「今だと?」
「張策霖じゃなくて、沙門慶一郎じゃないのか」
鼻眼鏡野郎は、頬を張られたように目を見開いた。
そのとなりで朱天童子が取り箸を持ったままほんわか微笑んでいる。
「ほらな。第2位も第3位も序列じゃねーじゃん。んなもん、背番号と一緒だ。重要なのは人間の器と可能性だろ。
こうやってメシ食わせて、面倒を見てやれるかどうかだろ。ぬらりひょんにはそういう度量と知恵がある。頭も態度もデカいのはダテじゃねーから妖怪の総大将なんだろ?」
「そうよねえ。みんなに愛されてるから、現代までぬらりひょんは語り継がれてきたわけだし」
「
「あら、どうもありがとう」
ユキメが箸で器用にヘタを摘まんで、プチトマトをくれた。
§ § §
昼休み。4組の教室に戻るなり、チハヤは自分の席に突っ伏した。
「ちょっと。雨宮さん、大丈夫っ!?」
女子の釘村と崎田が声をかけてくれた。
「う、うーん、割と。帰りのホームルームまでには復帰するから」
「今日、あと六限目まであるんだけど」
「雨宮ぁ。そんなに家庭料理同好会の昼メシってうまかったのか?」
男子勢を代表して親子丼経験者の黒田が、窓ぎわから興味を遠距離砲撃してくる。
「うまかったあ。あれに甘えたら、この先きっと人としてダメになる」
「人をダメにする昼メシ……なんっだそれっ!」
「いや、単に給食とってないからだろ」
黒田のとなりで、伏見が容赦なくツッコミを入れた。
「そもそもメシ食ってきたのに、なんでそんなにフラフラなんだよ」
「ふっ、ふふっ。それはな。お若いの。わしがおのれの煩悩と戦ってきたからじゃよ」
「なんで老人風? だいだいメシ食いに行っただけで煩悩と戦ってんだよ」
「ハイカロリーな食いもんでもあったのか?」
伏見と黒田はそろって首を傾げていた。
§ § §
生徒会室。
「ここで、雨宮さんの曼荼羅の妖怪。決めちゃおうか」
食後の片づけを終えて、食後のコーヒーまでご相伴していたら。朱住が言い出した。
「今からか?」
沙門が意外そうな声を出した。
「
「雨宮。いいのか?」
沙門がこちらを見る。チハヤはこの時、なぜか考えなかった。序列、妖怪。お遊びだろ。と。
「結局、あたしの覚悟の問題だと思う。転校したばっかで、まだ生活環境すらよく飲み込めてねーから定まらないだけ。それに、あたしは流れ者だしね。どこまで付き合えるかは、あたしにもわかんねーしさ」
「なるほど。
「あぁん?」
「大丈夫だよ。雨宮さん。これが定まったら、ぼく達はどこにいても一緒だから」
「あの、さ……ドウジ」
チハヤは少し自分を励まして、勇気を出して、彼をそう呼んだ。
「その、少しずつ好きになっていって、いいか?」
彼は、ぱあっと音がしそうなほど顔を輝かせて頷いた。
「うん、もちろん。嬉しいよ。この気持ちに賽が応えてくれるといいな」
「あらあら。聞いてるこっちまで潤っちゃいそうですわね」
ドウジは席を立ち、道具を持ってくるとテーブルに置いた。
ドウジの表情がふと
「天の七曜、九曜、二十七宿の星神に対し、敬って
これなる女、雨宮千速を我が宿縁の
カロカロカロ……ッ!
(コップを伏せても、中でサイコロが回り続けてる……?)チハヤは急に怖くなった。
やがてサイコロの跳ねる音が止み、四人がカップに顔を近づける。
三人が見つめるこの局面で、小細工は無理。なんかほっとして良いのか悪いのか。
チハヤ達が注目する中、ドウジは伏せたカップを見つめて、ゆっくりと引き上げた。
表れた数は──、
「ほぅ。ピンゾロの〝半〟だな」沙門が言った。
サイコロが五つとも赤い〝一〟が並んだ。
「まったく、沙門の時といい。どんな確率ですの。あ、計算しなくて結構よ。沙門」
「サイコロ1個で一を出す確率が6分の1。その5乗だから、7776分の1だ。この程度のことは計算するまでもないだろ」
息を吸うように解説されて、ユキメが気詰まりした様子で目線を虚空へ投げた。
「しかし、ドウジ。第5位はどんな妖怪だ?」
「……」
「ドウジ?」
「……〝
とたん生徒会室に笑いが起きた。チハヤは額に手を置いた。また、カッパかよ。
「雨宮さんは、よくよく河童にご縁があるのね」
ユキメが笑いを噛み殺しながらも肩を揺する。
けれどドウジは真面目な顔で、チハヤを見る。
「第5位は、祢々子河童は、女の河童なんだ」
「えっ? そんな話……聞いたことがありませんけど」
神楽木は目をぱちくりさせ、博識の男子を見る。沙門も顔を左右に振った。
「いるんだ。妖怪の世界で、河童は妖精と同じくらい目撃情報が少ない。その中で女のカッパが名前を持って知られてるのは唯一と言ってもいいよ。関八州(関東圏)利根川流域の全河童を統括していた河童の女親分。それが祢々子なんだ」
「つまり?」チハヤは先を促す。
「きみがぼく達にとって頼もしい仲間であることは間違いないよ。今度、ぼくが作った妖怪曼荼羅を見せてあげるね」
「あ、うん……それだけ?」
「そうだね。今のところは。あと……これは、ぼく個人として、なんだけど」
ドウジは急に照れたように笑って、
「今度から雨宮さんのこと、〝ネネ〟って呼んでいい?」
恋って、いたる所に即死トラップが敷かれているらしい。今の不意打ちはズルすぎるっ。
「ま、まあ。い、いいよ。別に何でも……。う、うん。よいですとも……っ」
こうなったら何でも来いやっ。顔面発火と酸欠でチハヤは目が
その後、たわいもない話をして生徒会室を出たはずだが、自分の教室に戻るまで自分がどこを歩いていたのかわからないほど、足もとがふわふわした。
女河童の恋は、始まったばかりだ。
※参考資料※
『日本ミステリアス 妖怪・怪奇・妖人事典』志村有弘著 勉誠出版 2011年
『妖怪事典』村上健司編著 毎日新聞社 2000年
『利根川図志』赤松宗旦・柳田國男校訂 岩波書店〈岩波文庫〉1994年
妖界曼荼羅アソシエーション 玄行正治 @urusimiyasingo
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