第3話 私の場合
私は東京都内で生まれた。ごく普通で少し裕福な家庭で育ったと思う。
当時としては珍しく大学も出た。
一流企業に就職。
家族のためにがむしゃらに働いた。
妻と二人の子供。子供は本当に可愛くて、休みの日には何処にだって連れて行った。
家の扉を開けると、子供達が私を待ち構えていて、私に飛びつく。すると、疲れなんて何処かに行ってしまう。
妻はまさしく良妻賢母。美しく、料理上手。
愛妻弁当は少し恥ずかしかったが、自慢でもあった。
妻の料理のセンスはとても良いらしく、若い女子社員からも、よくお褒めの言葉をもらった。
そのことを妻に伝えると、たいそう喜んで、そんな姿も可愛かった。
仕事も順調で部長にまで昇進。
そして、定年。満足のいく人生だ。これからも、充実した人生を送っていくのだろう。なんたって人生100年時代。
65歳なんて、まだまだ若い。
企業年金だって入る。
そんな私に妻から告げられた、いくつもの、暴力のような言葉。
「離婚してくれ」
「ずっと我慢してきた」
「一日中、顔を突合すのもゴメンだ」
「子供達も賛成している。威圧的な態度が耐えられない」
ふざけるな。誰のおかげで、今まで食ってきたと思っているんだ。
私に、落ち度など一つもない。財産分与なんてしてやるものかと。
「弁護士を雇う。夫婦で作った財産だから、財産分与を受ける権利がある」
さんざん、いい暮らしをさせてやったのに。
腹わたが煮えくり返る思いだ。
妻と一緒に家いるのも苦痛だから働きに出ることにする。
一流企業に勤めていたのに、何もない。
仕方がないので、警備の仕事についた。この私が。
頭の悪い連中しかいない。
くだらない話しかしない。
仕事はろくに教えない。
しかし、辞めようとは思わない。こんな仕事が務まらないというのも癪だからだ。
何より「65歳 無職 男性」そんな身分には耐えられない。
家でも職場でもストレスがたまる。
なんとなくむしゃくしゃして、サバイバルナイフを購入してみる。
少しだけ、気持ちが楽になった気がした。
気だるい平日の昼下り。コンビニにタバコを買いに行く。少し前までは妻が切らさないようにしてくれていたが、そんなことは、もう期待できない。
コンビニに入ると流行りの歌が流れている。耳障りだ。
レジには若い店員がいる。タバコの番号を伝えると、気だるそうに答える。
バカにされている気がした。
コンビニ店員のくせに。
そんな思いはひた隠し、正義を振りかざすように、その店員を罵る。
どんどん気持ちが高揚してくる。私の心は義憤でいっぱいだ。
私は憂さ晴らしをしているのではない。この若者を正してやっているのだ。言うべきことを、言ってやっているのだ。
こんなことは、現役時代にはしたことがなかった。
「ありがとう」と言って、商品を受け取り、軽く言葉を交わすような仲の店員さえいた。
勤めていた会社のビルに入っていたコンビニの店員は、私がこんな態度をとるなんて、想像もつかないだろう。
「優しい私」
しかし、今はこの店員を罵ることが、心地がいい。
所詮、恵まれている人間が人に優しくできるだけなのではないだろうか。
パンが二つあれば一つを分けることは容易いが、パンを一つしかもってない人間にとって、一つを相手に渡すことはできない。
自分のパンがなくなってしまう。
ただ、それだけのことなのに、やれいい人だ、悪い人だと、いっているのではないか。
パンが一つでも分けられる? そういう人もいる?
本当に、あなたは私にそっくりだ。
私が気持ちよく店員を罵り続けていると、店員が私に、のしかかってくる。
べらぼうに殴ってくる。
殴りたいだけ、殴ればいい。
さあ、もっと、もっと殴って欲しい。
私のポケットにはナイフがある。これだけ殴られれば正当防衛が成立するだろう。
こんな機会滅多にない。
何故ナイフを持っていたのか? と聞かれたらどうしよう? そんなことは、どうでもいい。もう私は止められない。
怒りに任せ殴る青年を見上げる。
この若者も、また私と同じで怒りに身を燃やされているのだろう。
まだ若く、利発そうでもある。未来は明るいのだろう。可愛い彼女でもいるんじゃないか?
いや、どの道私のような人生か。
ありがとう、若者。
私が殴られているのを誰も止めないように。君が刺されても、誰も止めないだろう。
ありがとう、若者。
私のむしゃくしゃを晴らしてくれ。
私は、頭のおかしい人間だろうか。キレやすい老人だろうか。
あなたと私に遜色があっただろうか。
何も違わないんじゃないだろうか。
あなたが私とあんまりにも、線を引きたがるなら、あなたはきっと私だ。
そうに違いない。
私が猟奇的になるまで おしゃもじ @oshamoji
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