第4話

「…これ、って…」

「僕の住んでるところへ行けるよ」

進行方向を見ると、線路ははるか夜空高く昇り、その先は闇に溶けていた。

「りお君は…」

「向こうなら、みんな一人で生きられるんだ」

「…」

「壁があるから、誰とも会わない。食べ物はたくさんあるし、一人で難しいことは、ロボットが助けてくれるよ。」

彼の瞳の中に、無限の星空が広がっていた。

「お姉ちゃんのこと、たくさん探して、やっと見つけたんだ。苦しんでて、助けなきゃって、思った。お姉ちゃんは、僕らのほうにいるはずだったんだ」

小さな手が、私のコートをつかむ。

「行こう。行って、一人ぼっちで暮らそう」

列車はまた、シューという音を出す。

私はもう一度、線路の先を見上げた。

「きっと、いいところなんだね。私もそうやって生きたい」

「うん、だから…」

「でも、ここに残るよ。」

「…なんで…」

彼の手が、コートから離される。

「ここが好きなの?…それとも、誰か一緒にいたい人がいるの?」

「ううん、こんな世界、嫌いだよ。誰かと生きるなんて、考えられないよ。」

「…」

「私は、ずっと一人だから。」

りお君は一瞬、驚いたような表情をしてから

悲しそうに微笑んだ。


ドアが閉まり、乗客のいない列車はゆっくりと動き出した。

二人でそれを見送る。

「ごめんなさい」

りお君が小さな声で言った。

「なんで、りお君は悪くないよ。」

「…お姉ちゃんが…僕のお姉ちゃんがね、居なくなったんだ。一人は嫌だって、手紙があった。みんなで、壁のある星に行くことになったから。」

列車が起こす風で、木の葉がざわざわと鳴る。

「お母さん、すごく泣いてた。引っ越しを楽しみにしてたのに。それで僕に言ったんだ。幸せは、自分の中にしか無いんだって。」

「うん…」

「他の誰かに、幸せを求めちゃだめ、って。」

目の前に敷かれていた線路も消えて、そこはもう、もとの広場だった。

しばらくの間、冷たい風が吹き続けていた。


東の空がオレンジ色に染まる。

山頂に続く道を、二人で歩いた。

「誰も、いないね」

りお君がそう呟く。

「ん?」

「神社のほうは、まだいっぱい人がいるのに」

「まぁ、わざわざここまで来る人いないからね。」

明るくなってくると、お互いの吐く息の白さが、良くわかる。

足元には、朽ちた木の階段が続いていた。

「もうちょっと?」

「うん、向こうにフェンスがあるでしょ。そこを曲がって、ちょっとだけ登れば頂上だから。」

前を歩く彼のポーチが、段差に足をかけるたび、ぴょこぴょこと跳ねた。

中のカモ吉、目を回さないかな…

「ねぇ、りお君。最初に会った日に、ここにいて幸せなのかって、私に聞いたでしょ」

「うん」

「幸せだよ。」

「…うん」

「だって私、この世界での生き方しか知らないから。沢山傷ついて、それでも幸せがどこかにあるんじゃないかって、思い込まずにいられないから。そんな人間になったら、もう戻れないんだよ。」

「…」

「だから、ここで幸せになってみせる。誰にも頼らずに。」

階段を登りきると、視界が開けた。

眼下に広がる町は朝靄にかすみ、まるで墨絵のよう。でも、いくつかの家屋には明かりが灯り、闇から目覚め始めているのがわかった。

まわりをきょろきょろと見て、りお君はポーチからカモ吉を取り出す。

それから、眺めのいいところまで歩いていく。

「ほら、カモ吉、見える?」

そのまま、彼はしばらく景色を眺めていた。

やがて、くるりとこちらを向き、私の前まで歩いてくる。

「あの、カモ吉が…」

そう言って、カモ吉の丸い頭をこちらに差し出す。

「ん?」

「撫でて欲しい…って」

「え、いいの」

「うん」

手袋を外して、カモ吉を撫でる。

「うわ、すんごい柔らかい…」

ふわふわ

「気持ちいい…」

こねこね

「お、お姉ちゃん、こねちゃだめ。もうちょっと優しく」

「あはは、ごめんごめん…お餅みたいだから、つい」

カモ吉から手を離す。

そして、その手をりお君の頭にのせた。

「え、えっ…?」

少し驚いた顔で、彼は私を見上げる。

「いい?」

「…うん」

顔を真っ赤にして、彼は頷く。

さらさらな髪を優しく撫でる。その奥に、確かに彼の体温を感じた。


水平線から射す、眩しい程の輝き。

日の出だ。

手から心地よい感触が離れていく。りお君は数歩だけ、私から後ずさった。

「お姉ちゃん、」

輝く地平線を背にして、りお君が言った。

「僕、ここにいた方が、いいのかな」

私は手のひらをじっと見つめる。さっきまで、温もりを感じていたところを。

「いてくれたら…きっと、楽しいよ。りお君は…特別だから。」

それから、彼を見て、言った。

「でも、君がいなくても、私は同じぐらい幸せになれるよ。」

彼がふわりと笑った。

強い風が吹き、私は目を腕で覆う。

あの列車の音が響いた。




久しぶりに残業が長引いてしまった。

改札を走り抜けて、ホームへ続く階段を駆け降りる。

『4番線、白鳥方面最終列車ー、まもなく発車時刻です』

数か月ぶりに聞く終電のアナウンス。

あの時と違うのは、冷たいけど、耳がかじかむ程ではなくなった空気。春の気配に、町を行き交う人々の表情も心なしか明るい。

ドアが閉まる数秒前に、なんとか乗りこめた。

乗客は私だけ。がらんとした車内の、適当なボックス席に腰を下ろす。

呼吸を整えながら、窓の外に目をやる。列車が駅を離れると、みるみるうちに明かりは減っていった。

闇に溶けた山野と、その上に広がる星空。そんな静かな空間を、列車はひたすらに駆けていく。

暗い水の底に沈むように、私はまどろんでいた。

「…ちゃん」

誰かの声が聞こえた。

半ズボンで、マフラーをしていた、あの子のことを思い出す。

あの時も、こんな感じで、声をかけられたんだ。

「お姉ちゃん」

「えっ」

はっと目を開けると、知らない男の子が通路に立って私を見ていた。

「これ、落ちてたよ。お姉ちゃんの?」

差し出されたのは、私の携帯電話。

「あ…あぁ、ごめんね、落としちゃってた」

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

男の子はくるりと向きを変え、元気に走っていく、

その先には女性がいて、二人は談笑しながら、すぐに隣の車両へ行ってしまった。

再び、窓の外の闇を眺める。

…大人しい、ぬいぐるみが大好きな、男の子。

一緒にいて、楽しかった。

私のために、ここまで来てくれた。

嬉しかった。

「もう、二度と」

列車はトンネルに入り、轟音が世界を飲み込んだ。


「誰も救いに来ないのに」



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ひとり @aki0125

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