第3話

それから1か月がたった。早いもので、今年も今日で終わりらしい。

夜、防寒着を着込んで、私は山の神社に出かけた。

いつもは閑散としているその場所も、大晦日には屋台が並び、近隣の町からも人が来て、少しだけ賑やかになる。

とはいえ、予算も人手もないから地味で、無名の神社だから観光客もいない。そのこじんまりとした感じが気に入り、屋台で買い物をして、初日の出を見て帰るのが、数年前からの恒例行事だった。

山腹にある境内までは石階段を登る。頭上には赤い提灯が連なり、なかなかの雰囲気だった。

りお君のことは、結局わからなかった。

あの日、私は仕事を休んで、警察や役場をまわった。でも、捜索願とか、そういうものは出ていなかったし、あれから駅や列車で見かけることもなかった。

元気に、してるかな

階段を登りきる頃には、少しだけ息が上がっていた。

甘酒、おでん、おもちゃ屋…毎年代わり映えしない屋台が並んでいる。

食べ物の匂いが空腹感を…

「…ちゃん」

知っている声。

「お姉ちゃん」

振り向くと、りお君がそこにいた。

「え…」

「こんばんは」

そう言って彼はニコッと笑う。

「どうしたの」

慌てて彼に駆け寄る。

1か月前よりさらに厚手のコートを着て、暖かそうな毛糸の手袋とマフラー。

半ズボンは長ズボンになっていて、季節がちょっと進んだことを実感する。

丸く膨らんだポーチの中身は…きっとあの子だ。

「お祭り、見てみたかったから」

「そう…っていうか、」

あの時、どうしていなくなったの。

そう聞こうとしたのに、彼は出店の方を見ていた。

その目が、カラフルな電飾を映している。

「…ちょっと見てまわる?」


「わぁ」

並べられた色とりどりのお面を見て、彼が歓声をあげる。

「キツネ、ウサギ…変な顔」

そんなに珍しいかな…どこの祭りでも売ってると思うけど。

戦隊ものとか、アニメのキャラクターとか、絶対無許可なやつ…

つぶらな瞳が可愛い、クマのキャラクターのお面を手にとる。

「ねぇりお君、こっち向いて」

そのまま彼の顔と重ねてみた。

「これは…」

違和感がない。小学生の頭身のおかげか。

「お姉ちゃん、これ何のお面?」

「動かないで。そのまま、そのまま」

お面を裏返そうとする彼の手を制して、紐を頭の後ろまで回した。

素早くスマホを起動し、ナイトモードでキレイに撮影。

「すいません、これ下さい。」

私を不思議そうに見つめる彼を尻目に、屋台の人にお金を払う。

「ということは、着ぐるみパジャマもアリか…」

「…?」

隣の屋台を見ようと思った時、あることを思い出した。

「そうだ、りお君、豚汁食べない?」

「とんじる?」

「毎年町内会がタダで振舞ってくれるの。あの門の横らへんで…あぁ、やってるやってる」

湯気が立ち上るバケツのような鍋を先頭に、数人の列ができている。

最後尾に並ぶと、前は若いカップルだった。

楽しそうな会話が聞こえてくる。

「さっきおでん食べたばっかじゃん」

「しょうがないよ、寒いんだから」

「食べたらおみくじ引いてくっか」

「うん、初日の出見たら…」

くい、くいっと、ダウンジャケットの背中が引っ張られる。

振り返ると、りお君が私を見上げていた。

「ねぇ、お姉ちゃん」

「うん」

「えっと…お姉ちゃんには、いるの?」

何か言いにくいようだ。

「ん?」

「あの、その…」

前のカップルをちらりと見る。

「え、あぁ、恋人っていうこと?」

こくりと頷いた。

「ざんねーん、いないよ。大学で付き合ってみた人はいるけど、続かなかった」

「…そう」

なんだか、その声は安心しているように聞こえた。


湯気のあがる容器を手に、二人で歩く。

本殿の裏には細い階段がある。それを登ると小さな広場があって、山肌を背に倉庫と祠がいくつか並んでいた。

「いいでしょ、ここ。程よく明かりはついてるけど、誰も来ないんだ」

「毎年、来てるの」

「そうだよ」

倉庫の階段の一番上に腰を下ろす。

「ここに座って豚汁食べて、山の頂上まで行って、初日の出を見てから帰るの」

手招きをすると、彼も横にぺたんと座った。

お互い、しばらく無言で豚汁をすする。

彼は熱いのが苦手なのか、何度も息を吹きかけては、少しずつ飲んでいた。

「…この前、大丈夫だった?」

何が?という感じで私を見る。

「ま、大丈夫だったんならいいけど」

下から笛や太鼓の音が聞こえ始める。境内で演舞が始まったんだろう。

「てか、もしかして今夜も、誰にも言わずに来たとか」

「あ、あのね…」

「ん?」

彼は豚汁の容器を脇に置いて、立ち上がる。

目の前に来て、一呼吸おいてから、こう言った。

「僕の住んでるところに、来て…みませんか」

「…へ」

「お姉ちゃんには…そのほうがいいと、思うんです」

急に言われて、すぐには言葉を返せなかった。

「りお君の、住んでる町、ってこと?」

「ここだと、嫌な人たちと、一緒なんでしょ」

少し考えて、この前、話したことを思い出す。

…あぁ、職場や友達の話をしたんだっけ

「僕のとこに来れば、誰もいないよ」

誰もいない…知り合いに会わないぐらい遠い、ってことだろうか

「うーんでも、そこに行っても、また帰らなきゃ」

彼は首を振った。

「ずっと、一人で暮らせるよ」

これは…私がネガティブな話をしたから、心配させちゃったかな。

彼なりに、力になろうとしているのだろう。

ちゃんと話をしなければ…

「えっとね…確かに大変なこともあるよ。でも、それはどこにいても同じ。人間って一人じゃ生きられないんだよ。生きている限り、誰かのために、何かをしてる。誰かのおかげで、生きていられる。」

演舞の音に混じり、時折観客の歓声が聞こえた。

「例えば、私は、鉄道会社が列車走らせてくれるから、遠くの町まで行けるし、病気になればお医者さんに助けてもらう。りお君だってそうだよ。誰かに勉強を教えてもらったり、ご飯を作ってもらったり、ね。私のこと、心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから。そういう…そう、ルール。この世界のルールだから。」

安心してもらえるよう、笑顔で彼の頭に手を伸ばす。

でも、彼は笑わない。

「そのルール、お姉ちゃんは、守りたいの?」

真剣な目で私を見つめていた。

私は伸ばしかけた手を下ろす。

「…この前、私が愚痴ったから、不安にさせちゃったね…ごめん。でも、嫌なことばかりじゃなくて、いいこともたくさんあるんだよ。誰かと心が通じ合う感じがすると嬉しいし、たとえ友達がいなくても、両親は私を見守ってくれる。だから…」

そう言いかけて、それ以上の言葉を飲み込んだ。

彼の目に涙が溜まっていたから。

肩を震わせながら、消えそうな声で、彼は言った。

「お姉ちゃんは、そんな風に苦しんだら、ダメだよ」


無意識に、身体が動く。

小さな体を、やさしく抱き寄せた。

「りお君の言ってること、わかる気がするよ。」

温かな体温を感じる。

「たぶん…その通りだよね」


そう、私たちは、仕方がないと諦めるけど、

憎むのは他人がいるから

羨むのは他人がいるから

私の価値観を否定するのも他人

いくら距離を取ろうとも、どんなに強がっても、

必ず誰かが、私を踏みにじる

私のしたいこと、どれだけできてる?

私の感じたいこと、どれだけ感じられた?

あきらめて、悟ったふりをして、

それでも私の弱い部分が、繋がりを求めるから、

夢をみて

すがって

裏切られる

そんなことを繰り返して、今の私がいる

けど、それはほんとに私なのかな

こんなこと、私、願ってたっけ?

そもそも私の願いって、何だった?

わかっていたのに。

この世界は…


キィー…ガタン

大きな音がして、光が私たちを照らした。

顔を上げると、ここには存在しないはずのものが目に入る

それは、列車。

暗い藍色のボディに、金色の細いラインが入っている。

車両そのものが輝いているように、眩しい。

今まさに停車したところで、シューという音とともにドアが開いた。

りお君は顔を上げて、私に言った。

「乗ろう、お姉ちゃん」

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