第2話
街灯もない、田んぼに囲まれた道を、車で走る。
車内が暖まると、男の子は帽子を脱いで、ポーチにしまった。それから、代わりにポーチから何かを出して、膝の上に抱きかかえた。
ちらりと助手席を見る。男の子の手の中にあったのは、ぬいぐるみ。暗くて色がわからないが、柔らかそうで、羽のようなものが見える。
「それは?」
「…カモ吉」
「へぇー、カモ吉くん。」
なるほど、ボールのように丸い、保温効果抜群そうな鴨だ。
このぐらいの年齢でぬいぐるみというのも珍しいな、と思ったが、すぐに思い直す。
私の実家にも沢山ぬいぐるみがいる。全部名前がついていて、里帰りをすると、今でも一緒に寝ている。
「カモ吉くんは何が好きなの」
適当に話題を振ってみた。
「ネギ」
「ネギ…」
男の子はカモ吉の羽をパタパタさせて、遊んでいる。
「そういえば、今何年生?」
「6年生」
「え、6年生?」
「うん」
思わず聞き返してしまった。体格や喋り方から、もっと幼いと思っていたのに。
私が6年生の時って、どんなだっただろう。今から十…何年前だ?
あれ、私、知らない子を家に連れて行って…
これって…いわゆる…誘拐。
「いやいや、保護。そう、一時的に」
口に出ていたのか、男の子が不思議そうにこちらを見る。
私は気まずくなって適当に辺りを見渡した。
「あーあれあれ、見える?」
男の子はダッシュボードで見えづらいのか、背伸びをする。
「私のアパート。もうすぐだよ。」
「あちゃー、そっか、昨日散らかしたままだった」
玄関から続く廊下には、整理中の服や雑誌などが散乱していた。
「いや、いつもこんなじゃ無いんだよ、今朝時間なくてね」
私は何言い訳してるんだ。足でよけて、獣道のような空間を作る。
「さ、どうぞ。ちょっと散らかってるけど。」
「おじゃま、します」
男の子はその獣道に迷い込んだ小動物のように、恐る恐る足を進めていく。
「あー寒っ、今暖房付けるから」
部屋に入って、私はエアコンとカーペットの電源を入れる。
男の子はというと、部屋の入口で、立ったまま何かを迷っているようだった。
「こたつ入りなよ、暖まるまで、時間かかるよ」
「…うん」
緊張しているのか、こじんまりと正座をして、マフラーやコートを脱いでいく。
耳も頬っぺたも、桃みたいで、柔らかそう…
…いや、和んでいる場合じゃない。無事に家まで返すのが、私の役割なんだから。
部屋が暖まった頃、みかんと暖かいお茶をお盆に乗せ、コタツに持っていく。
男の子の膝には、カモ吉が鎮座していた。
「あの、今更だけど、名前。聞いてなかったよね。」
私がそう言うと、彼は一瞬だけ、寂しそうな表情を見せた。
「私は静音。君は?」
「…りお」
「りお君、ね。よろしく。」
みかんを一つ手に取り、皮を剥こうと指を当てる。
「…って、呼んじゃだめ?」
「え?」
「お姉ちゃん、って」
そう言った彼の耳と頬は、リンゴのように赤くなっていた。
「私は構わないよ。」
正直、悪い気はしない。
兄弟はいないし、年下の子と遊ぶことなんてなかったから、慣れてないけど。
「で、りお君はどうしたの」
「…」
「今日は何で、ここまで来たの」
「…」
また俯いてしまった。
大人しいけど、分かりやすい子だ。ある意味、反応が素直というか…。
でも、説得には、時間がかかりそう。
ふいに、彼はカモ吉を膝から持ち上げ、コタツの上に載せた。
そして小さめのみかんを手に取り、それをカモ吉の頭頂部に… ふわりと置いた。
これはまるで、鏡餅…
気を取られていると、彼が口を開いた。
「ねぇ、僕から聞いても、いい」
「うん、いいよ。なんでも聞いて。」
「お姉ちゃんは、なんでここにいるの」
「えっ…」
「ここが好き?」
「ここって…この町のこと?」
「…」
「うーん、何にもない田舎だからね。退屈って思う人も多いかも。でも私はインドア派で、休みの日はゲームしたりだから、どこにいてもあんま変わんないかな。」
彼はポーチから紙と鉛筆を取り出し、メモを取り始めた。何かのインタビューのつもりだろうか。
「人が、沢山いるんだよね」
「人…って、この町は過疎ってるから…あ、職場とかかな。電車で途中通った大きな街があったでしょ。そこの会社で働いてるんだ。小さな会社で、数人しかいないけど。」
「その人たちと一緒にいて、幸せ?」
「幸せ…」
「うん」
「ただ同僚っていうだけだから…。確かに褒められたり、感謝されたりすると、嬉しい、かな。」
「嫌なことは、ないの」
「まぁ、あるよね。上司は、基本いい人なんだけど、時々ストレスでまわりの人に当たったりとか。あと、同僚にも、妙に見下してくる人がいたり…」
「じゃあ、なんで一緒にいるの」
「それは…」
「嫌なこと、あるのに」
透き通った瞳で、彼は私を見ていた。批判でも、憤りでもなく、ただ純粋な好奇心で。
「大人になるとね、自分で仕事をして、お金を稼がなきゃいけない。嫌な人とも付き合わないといけない。そういうもんなのよ」
なんだか達観したようなことを言ってしまった。小学生相手に何を偉そうに語っているのか、とよくわからない理由で恥ずかしくなる。
「ていうか、りお君。これは…社会科の宿題か何かでしょうか」
「ううん」
「お父さんとお母さん、きっと心配してるよ」
「…だいじょうぶ。二人とも、知らないから。」
「知らない?えぇ…」
二人で旅行に行っているとか…?まさか育児放棄?ということは、両親の連絡先を聞き出したとしても、あまり意味がないことになる。
もうこれは一晩泊まってもらって、明日役場にどうしたらいいか問い合わせるしか…
「じゃあ、お金がいらなかったら、その人たちに会わなくていいってこと」
あ、インタビューまだ続いてたのか。
「もしも、億万長者だったり、そもそもお金のいらない世界だったら、わざわざ会いたい人達じゃ、ないかもね。」
彼は頷きながら、一生懸命にメモを取っている。
「ねぇ、これ聞いて、どうするの」
「…考える」
「そう…」
「あのね」
顔を上げて私を見る。
「お姉ちゃんのこと、知れてうれしい。」
そう言ってふわりと笑った。
不思議な子だけど、このまま彼の好奇心に付き合うのもいいかな、と思ってしまう。
まだ出会ってから数時間だけど、最初より口数が多くなったのは確か。
どんな事情があるにせよ、彼の気持ちが少しでも晴れるなら。私だって、力になりたい。
「じゃあ、りお君は?学校、楽しいですか。」
「学校…」
考えるような素振りをする。
「…は、行ってないけど、勉強は好き」
「…そうなんだ。」
学校に行っていないことより、その口調にハッとした。
まるで、彼にとっては、それが自然なことであるかのような。
「そういえば…」
私自身のことを思い出す。
「私ね、中学のとき、1年ぐらい、あんまり学校に行かなかった時があった」
「お姉ちゃんが?」
「うん、なんか今まで仲良かった子達に、急に仲間外れにされちゃって。ショックだったんだ」
彼はまたメモを取っていく。
「でも、一人だけ、それでも友達でいてくれて、家にも会いに来てくれた子がいて。その子のおかげで結局は学校に戻れたんだ。瑠美ちゃんっていうんだけど、別の大学に進んだ後も、しばらく電話したりしてたな~」
久しぶりに思い出話をするのは、なんだか楽しい。
「お姉ちゃんは、友達たくさんいるの」
「んー実をいうと、大学までは、仲いい子が数人いたんだけど、就職したらみんな疎遠になっちゃって。ほら、お互い忙しいのよ」
「さっきの人は、えっと」
「瑠美ちゃん?あー、彼女は国際的な仕事をしたいとかで商社に入って、世界中飛び回ってて。私みたいな田舎の事務員とじゃ、話合わなくなっちゃった。ま、そりゃそうだよね。」
「じゃあ、もう、要らなくなった?」
「…え、何が?」
「友達」
「…」
相変わらず彼は、責めているわけでもなく、急かしているわけでもなく、「今日は朝ごはん、食べないの」と尋ねるような口調で言うのだった。
「どう、なんだろう…」
学生時代は友達を作るということが自然だったのに、いつのまにか、積極的に友達を増やしたいと思わなくっていた。友達が増えるとその分、人間関係が増えるから。
そして、それまであった人間関係の維持も、いつしかやめていた。
「そう…なのかもね。楽しいけど…面倒なことも多いからね」
「もしかして、最初から、要らなかった?」
「そんなことは…」
「だって、仲間外れにされちゃう、かもしれないんでしょ」
「本当の友達なら、そんなことしないよ」
「本当の友達なら、ずっと友達のまま?」
「それは…どうなのかな…」
「てか…」
テレビの上に載った時計を見ると、あと数分で11時を指そうとしてた。
「りお君、眠くないの」
「ううん。電車乗る前に、たくさん寝たから」
「そっか」
私の方はというと、電車の中で感じた眠気に再び襲われている。
「お姉ちゃん、眠いの」
「うん、そろそろ…」
言い終わらないうちに、大きなあくびをしてしまった。
「お風呂入れるから、りお君、先入りなよ」
「えっ、お風呂…」
急に顔を赤らめて視線を逸らしてしまう。
まぁ、そういう年頃だもんな。
「後の方がいい?」
「い、いや…えっと」
別に追い打ちをかけるつもりは無かったのだが、更に挙動不審が増して、なんだか申し訳ない気分になる。
正直、かわいい…
「一緒に入る?」と冗談を言う勇気もなく、お風呂が入るまで、変な雰囲気のまま、数分過ごすことになった。給湯器のチャイムが鳴ると、彼は
「し、失礼、します」
と律儀に挨拶をしてから、ぎこちなく脱衣所へと歩いていった。
浴室から水音が聞こえる。一人暮らしを始めてから、誰かに使わせるなんて初めてだ。
さっき話していたことを思い出す。
確かに、私は最低限の人間関係で生きるようになった。職場の人間とは仕事の話しかしないし、飲み会等の誘いはすべて断っている。さっきは彼の前だから言い方を変えたが、学生時代の友達も、付き合いが面倒で自分から切ったようなものだ。
ポジティブな言い方をすれば、年齢を重ねて人との適切な距離を学んだ、と言えるし、逆に言えば保守的に、臆病になった、ということなんだろう。
彼は…りお君は、どうなんだろう。友達とか、学校での集団生活とか、価値を見出してない感じがする。おそらく保護者との関係も…。
本当なら大人である私が上手にアドバイスするべきなんだろうが、正直、「そのままでいいよ」と思ってしまう自分がいる。
そもそも、私自身、どうやって生きるのが正解なんだろう。
「ここが好き か…」
今晩3個目のみかんを剥きながら、私は呟いた。
「電気消すよ、いい?」
「うん」
彼を布団で寝かせ、私はこたつ布団とカーペットでこしらえた布団(仮)で寝ることにした。
カモ吉を抱きしめた彼は、幸せそうな顔で毛布に包まっている。
電気を消すと、月明かりだけが弱々しく部屋を照らした。
…どんな事情があるのか分からないけど、明日はちゃんと、家に帰さなきゃ。
「お姉ちゃん」
小さな声が聞こえた。
「ん」
「泊めてくれて、ありがとう」
「うん。おやすみ」
「おやすみなさい」
彼の寝息が聞こえる前に、私は眠りに落ちた。
『お姉ちゃんは、ここじゃなくても、いいんだよ』
声が聞こえた…のだと思う。
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいた。
部屋の空気は冷え切っていて、息が白くなるんじゃないかっていうぐらい。
…やっぱり本物の布団じゃないと寒いな
そう思いながら、彼が寝ている方に身体を向ける。
…いない
掛け布団はめくれていて、敷布団には誰かが寝ていた跡があるのに、りお君はいなかった。
ぼーっとしたまま、上半身を起こして部屋を見渡す。
トイレ…かな
エアコンのスイッチをいれてから、廊下に探しに出た。
でも、廊下にも、洗面所にも、玄関の外にも、彼はいなかった。
私は、一人ぼっちだった。
エアコンは効くまで時間がかかるから、こたつ布団を被ってお茶を飲む。
カモ吉、一度抱かせてもらえば良かったな。
昨日食べたみかんの皮は、こたつの上に置きっぱなし。
彼が寝ていた布団に手のひらをあてる。
「暖かい」
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