もう初恋の夢は見ない

あやむろ詩織

もう初恋の夢は見ない

 

 彼に初めて会ったのは、私が8歳の時。


 隣り合わせの領地のよしみで、昔から仲良くしているヴァン伯爵家の領主が、父に会いに来た際に、末息子を連れてきたのだ。


 キラキラ輝く金糸の髪に、青い瞳。

 まるで絵本の中の王子様みたいな彼は、名をクリフといった。


 私は一目で、クリフのことが気に入った。

 多分、淡い初恋だったのだろう。


 だけど、今思うと、仲良くなりたくて積極的に話しかける私に比べて、クリフは私と親しくするのに気乗りしない様子だった。


 いつも控えめに静かにほほ笑んで、私とは一線を引く彼。


 当時の私は夢中だったから気が付かなかったのだ。


 クリフは、出会った頃から、私などに関心はなかったのに……。


 初恋に夢中になる私に、父親同士はこれはちょうどよいと、私とクリフの婚約を決めてしまった。


 私は嬉しかった。

 これで、いつまでもクリフの隣にいられる。

 とても嬉しかったのに――


 昼休みを告げる鐘が、学内に響き渡る。

 私は、ひざ元に用意しておいた弁当を持つと、授業終了の挨拶と共に、一早く教室を飛び出した。


 新入生の教室は東棟にあるので、一学年上のクリフの教室がある西棟までは、どんなに急いでも五分くらいかかる。


 今日こそ、クリフと一緒にゆっくりお話出来るはずよ。

 私の手作り弁当を、喜んでくれるかしら。


 私が王都の学園に入学してから一週間経つが、先輩のクリフにはほとんど会えていない。

 入学式の時に挨拶したくらいで、クリフの教室に行っても、いつもすれ違って、なかなか会えないのだ。


 思えば、クリフが王都の学園に入学してからは、全く会っていないので、久々に積もった話をしたい。どうやら忙しいみたいで、手紙を送っても返事が返ってこなかったから……。


 クリフが可愛がっていた仔馬のコニーがお母さんになった話とか、一緒に植えた球根の花が満開に咲いた話とか。


 本当は、ただクリフに会いたいだけなんだけど。


 どうせだったら、領地に居た時に、クリフが美味しいって言ってくれた私の料理をたべさせてあげたいと思って、寮母さんと賄いさんに頼んでキッチンを借りて、早朝にお弁当を作って持ってきたのだ。


 私は、笑顔のクリフを想像して、軽い足取りで西棟に向かった。


 私が西棟にあるクリフの教室に着くと、いつも応対してくれる先輩が気付いてくれた。

 彼女はなんだか気まずそうにしていたが、意を決すると、話し始めてくれた。


「こういうことは、部外者の私が言いたくはないんだけど……」


 先輩の話は、まさに寝耳に水だった。


 クリフには同学年の平民の恋人がいるというのだ。


 私は挨拶もせずに走り出して、クリフの姿を探した。


 いた!

 裏庭のひと気のない花壇の後ろで、愛らしい女生徒と親しく体を寄せ合っているクリフが‼


 なんてことなの⁉


 それから意識して学園内を探してみると、二人の姿をよく見かけるのだ。


 私、一体何を見ていたのかしら。


 先輩は、有名な話だって、言ってたわ。

 学園内に恋人がいるから、クリフは私に会いに来てくれなかったんだわ。

 手紙の返事をしてくれなかったのも、そう、私に興味がないから……。


 私はおかしくなってしまったようだった。

 幼い頃から好きだったクリフを、ぽっと出の平民の女性に奪われてしまったのだ。

 あまつさえ、婚約者の私に配慮することもなく二人は逢引し、学内の噂の的になっている。

 噂の余波は私にも及んだ。

 

 誰もが私を憐れんで、後ろ指を指しているようで、恥ずかしくて、ただただ辛かった。


 私はクリフの気を引きたくて、二人の間に割って入って泣き叫んだり、わざと怪我をしたりした。


 だけど、意味はなかった。

 むしろ逆効果だった。


 私は今一人、倉庫と化している第三図書室の隅で、小さくうずくまっている。

 寮に帰りたくなかった。

 誰にも会いたくなかったから。


 どれだけ時間が過ぎたろう。

 窓に夕陽が差し込む頃、図書室の外から騒がしい声が聞こえてきた。


「黙れ! お前に指図される云われはない! 私の心は私だけのものだ!」

「エドワルド様。どうか冷静になってください。たとえどんなに想い合っていたとしても、王族が平民の娘を正妃にすることは叶わないのです」


 バシッと、何かが叩かれる音がした。


 私はなんだかとても気になって、図書室の窓から顔を覗かす。


 そこには、二学年上の先輩で、学園一の才色兼備と名高い、公爵令嬢であるカレナ様がいた。

 地面に体を投げ出して、赤い頬を押さえるしどけない様子のカレナ様が――。


 私はすぐに窓から身を乗り出して、カレナ様に駆け寄った。


「大丈夫ですか? モスリーン様! お怪我はございませんか⁉」


「あなたは……」


 弱々しく私を見上げるカレナ様の儚げな様子に、庇護心が沸く。


「お初にお目にかかります。私、アガト侯爵家が娘ソフィアと申します。それよりも早く医務室へ!」


 医務室へと促す私に、カレナ様はその美貌に憂いを載せて、静かに顔を横に振る。


「その必要はありませんわ。私に怪我などございませんから」


「ですが……!」


 カレナ様のお体は、地面に投げ出された衝撃で、あちこちに擦り傷や汚れがついている。

 頬も真っ赤に腫れていて、お肌が白いだけにとても痛々しい。


「先程の……」


 私は何と言っていいのか分からなかった。

 おそらくカレナ様に怪我を負わせたのは、十中八九、第二王子殿下だ。

 先程の話から察するに、どうやら第二王子殿下にも平民の女生徒の恋人が出来て、婚約者であるカレナ様と揉められている様子だった。


「少し、二人きりでお話をしましょうか」


 それから、どこからともなく現われた従者によって御身を支えられたカレナ様は、王族特別寮のカレナ様専用ルームに、私を招いた。


 私は一人、応接室で待っている。

 備え付けの大理石のテーブルには、紅茶とお菓子が用意されていた。

 紅茶は、特別な伝手がないと手に入らない隣国の高級茶葉だった。

 どことなくスパイシーな香りがして、芳醇でとても美味しい。


 私が一息ついていると、手当てを終えたカレナ様が応接室に入ってきた。


「お待たせしてしまって、ごめんなさい」


 カレナ様のお話は、他人事ながらとても辛い内容だった。


 生まれた時から婚約者だった第二王子殿下の手酷い裏切り。

 途中編入してきた平民の女生徒と殿下は親しくしているうちに、互いに恋に陥り、カレナ様と婚約破棄をして、その女生徒を正妃にしたいと仰ったとか。


 もちろん、カレナ様と殿下の婚約は国の契約。

 カレナ様は再三に渡り、殿下を説得するも甲斐なく、逆に逆上されて頬を打たれてしまったということだった。


 可憐なカレナ様に対して、男である殿下が暴力を振るわれるだなんて、考えられない。

 それなのに、カレナ様は今でも殿下をお慕いしているのだ。


 自分のことだけならただ惨めで悲しいだけだった。


 だけど、カレナ様のことを考えると、どんどんと腹が立ってくる。


「こんなにもお美しくて、優秀で、貞淑なカレナ様の一体どこに文句があるっていうんですか⁉」


 つい、感情のまま叫んでしまった私に、カレナ様は優しく微笑む。


「それを言うなら、あなたも同じよ」


「え?」


「実は、私も、あなたと同じ境遇の身として、お噂は存じ上げておりましたの。いずれあなたの話を聞いてみたいとは思っていたのですが。なかなか機会を得られなくて。あなたとお話してみて、確信しましたわ。あなたはとても心根の優しい、可愛らしい方なのね」


「と、とんでもないです!」


 憧れのような存在から手放しで褒められて、私は気恥ずかしさで、縮こまる。


「ねえ、私たちお友達になれるのではないかしら? 私のことはカレナと呼んで。ねえ、ソフィア」


 それから私たちは、暇さえあれば一緒に過ごして、色んな話をした。

 カレナ様は、徐々に殿下への想いを清算され始めているようだった。


「本当は、お父様や、国王陛下であられる叔父様からも説得されているのよ。殿下のことはもう諦めた方がいいって。だけど諦めがつかなかったの。優しい思い出が多すぎて……」


「よく分かります! 私も、初恋の想い出が鮮明すぎて、もう無理だって分かっているのに、踏ん切りがつかなかったんです。……でも、私もう諦めます」


 カレナ様が嫋やかなしぐさで私の両手を握る。


「私もよ。実は、殿下との婚約を解消して、隣国の皇太子の求婚に応えることを決心しましたの。……ソフィア、どうか一緒についてきてくださらないかしら?」


「もちろんついていきます!」


 クリフに対する初恋の想いは既にどこかへと消え去り。

 対して、カレナ様に対する友情が熱く燃え盛る一方の私は、隣国行きを快諾した。


 まだ、私は学園の一年生だったため、隣国の学園へと留学することになった。

 卒業すれば、隣国の皇太子の皇妃になられるカレナ様の、専属侍女として王宮に上がる予定だ。

 既に、私が隣国に向かうための諸々の準備が整っていたのには驚いたが、カレナ様の友情故かと思うと嬉しかった。

 あとは、問題はクリフとの婚約だけだ。

 

 私は屋敷に帰宅して、父にクリフとの婚約の解消を申し出た。

 父は既にクリフの噂を知っていたのか、即座に解消に動いてくれた。

 

 最後くらいはクリフとしっかり話をして終わらせたくて、学園内で何度もクリフに話しかけたが、彼は私を見ると急いで去ってしまう。仕方なく、手紙を書いても全て未開封のまま戻ってきてしまった。


 ヴァン伯爵家に赴き、事の次第をクリフのお父上に話す。

 クリフのお父上は、私との婚約が解消されることを殊の外嘆き悲しんでくれた。

 そして、『どうぞ、お幸せに』とだけ書かれた手紙をクリフに渡してもらえるよう頼む。


 クリフのことは、私にはもうどうでもいいことだったから。

 

 そうして、隣国の学園に留学した私は、自国に居た時よりも、伸び伸びとした生活を送っている。

 どうも隣国の開放的な国民性が私に合っていたようで、友人も増えて、とても楽しい日々だ。

 もちろん、カレナ様とは毎日会っている。

 なぜならば、カレナ様の専属侍女候補として、王宮内のカレナ様のお部屋の側近くに、私の部屋を用意してもらったから。


 そして、今、学園内で、私にアプローチしてくる同級生がいる。

 騎士学科のとても格好良い男子だ。

 だけど、すぐには靡かないわ。

 きちんと、誠実な人か、相性が合うか、見極めなくちゃね。


 初恋の夢を見なくなった私の未来は明るい。


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