episode2不幸くん 1

白木幸多しらき こうた


別に、特別古くさい訳でもないし、奇抜な訳でもない俺の名前。むしろ、縁起が良さそうだと他人からは言われる。それでも俺は、自分に与えられたこの名前が、あまり好きではなかった。


理由は単純。

昔の俺は、自分が幸せだなんて思ったことがなかったから。


小学生の時。

クラスで虐められていた友人を庇ったことがある。

愚かなことに、俺は大人数のいじめっ子軍団相手に一人で反撃した。結果は散々。

それでも懲りずに、その友人が虐められる度に毎度首を突っ込んだ俺は相当馬鹿だった。

それでもって、虐めている側も、友人を虐めるごとに俺みたいな面倒なのが絡んでくるっていうのに、よくもまぁ、めげずに嫌がらせを続けたものだと思う。その粘り強さを別の所で発揮すれば良かったのに、つまるところ、俺も相手も阿保だったのだ。


俺は友人と共にイジメの事実を担任に告発したが、頭の固い担任は聞く耳持たず。

そして、あろうことか、クラスに馴染めない友人の方に非があるかのような言い方で吐き捨てる始末だった。それを聞いた友人が泣き出した上、俺がキレて怒鳴り散らしたため、最終的に俺と友人の親が召喚される事態にまで発展したのだ。

正直俺は、あのゴミみたいな担任を殴らなかっただけ、誉めて欲しいくらいだった。終始ムスッとした表情で座っていたら、後で両親にこっぴどく叱られた。傍から見れば、機嫌が悪くて不貞腐れただけの、ただのガキだったのである。駆り出されたうちの両親はただひたすら、先生に謝り倒していた。


うちは両親ともに優秀で、父は大学教授、母は大手企業で働くキャリアウーマン。出産後もすぐに復帰し、バリバリ仕事をこなしていたという。

そんな二人の息子として育った筈の俺は、立派な「問題児」だった。

クラスメートとの殴り合いや、教師への反抗等で問題を起こす度に呼び出しをくらう両親の身になればわかるが、彼らは自分達とは全く違う、攻撃的で喧嘩っ早いうえに頭の悪い俺を、明らかに扱いあぐねていた。


俺は勉強よりも運動の方が好きな質で、「好きな教科は?」と尋ねられれば、まず間違いなく「体育!」と答えた。

かといって、勉強を全くしなかった訳じゃない。

特に母親は教育熱心で、少しでも勉強を怠ったのがバレるとひどく叱られたし、学校や塾でやったテストの結果は逐一報告させられたから、割と必死で机に向かっていた。

しかし、俺の頭は余程お粗末なつくりだったらしい。結局、学業の成績はほとんど上がらなかった。例え努力したのだとしても、所詮は結果がすべて。彼らは早々に、この出来が悪い息子を見放した。


その後、地元の中学に入学した俺は、親に構われなくなったのを良いことに、堰を切ったように暴れまくった。おまけに、その時つるんでいた友人らは、所謂「悪い子」達ばかり。当然、生活は荒れる一方だった。

深夜に街中を彷徨うろついて補導されかけることもしばしば。

両親が俺に向ける目が、どんどん冷たくなっていくのを感じていた。


馬鹿だ、阿保だと言われ続けた、そんな人生。親や先生、それからクラスメート。皆から嫌われ、避けられる。正直なところ、あの頃は自分が何をしたいのかさえも、わからなかった。


ところがどっこい。

これで話は終わらない。

そんな俺に手をさしのべた変わり者がいた。

それが俺の兄、栄大えいたである。 これがまぁ、ちょっと吃驚するほどの超いい奴。

俺と違って、学校の成績は物凄く優秀。

中学生時代から校内の定期テスト学年一位は当たり前。模試の判定も大変素晴らしく、毎度当然のように成績上位者の表に名を連ねていた。

それに加えて柔和な顔立ち、穏やかな印象で、見た目に違わず、性格は優しいと来たもんだから、同級生だけでなく、先生からの評判もすこぶる良かった。

運動は少しだけ苦手だったみたいだけれど、それをカバーできるほどの才気溢れる様子に、きっとみんな憧れていたのだろうと思う。

だから、出来損ないの俺なんかに構っている暇が、元々うちの両親には無かったのだ。

「劣等生」の俺に、「優等生」の兄はいつも言っていた。


「幸多は俺と違って凄く強い子だよ。お父さんもお母さんも勉強とか仕事は出来るけど、幸多みたいなパワーは無いから。きっと少し羨ましいんだよ。」


「ただ、幸多は今、ちょっといろんな事に疲れちゃってるのかな。いっぱいいっぱいになって、こんがらがっちゃって、暴れたくなっちゃうんだよね。辛かったら素直に言って良いんだよ。俺は幸多が大事だから、本当は毎日怪我して帰ってくるのも、結構心配なんだ。」


俺はそんな言葉を掛けてくれる兄を、素直に尊敬していたし、なんなら家族の中では断トツ、頭でっかちでいつもカリカリしていた厳しい両親よりも、ずっと好きだったのだ。


「あーあ、俺、兄ちゃんみたいになりてぇなぁ。」


俺が中学三年、兄が高校二年の頃の話。

その時の俺は相変わらず成績が悪く、先生達から、このままだと底辺校すら受け入れてもらえないぞと、かなり脅されていた。

そのため、既に名の知れた難関校に通っていた兄に、よく勉強を見てもらっていたのだ。

2人で共用していた自室でお互い机に向かいつつ、俺がぼやいたのが先程の一言である。


「頭いいし、優しいし。そりゃ、みんな兄ちゃんに期待するわ。」


俺の発したその言葉を、栄大は笑って受け止めてくれる。そう信じて疑わなかった。

だから、傍らの兄の様子を伺った時、俺はぎょっとしたのだ。


振り向いた栄大は、ひどく寂しそうな顔で、困ったように眉尻を下げていて。それは、喜びとは遥かにかけ離れた表情だった。

あまりに意外過ぎる兄の反応に、俺が困惑していると、栄大は少しだけ微笑んで言った。


「……期待なんか、されてないって。それに、幸多は幸多なんだからさ。無理して俺に合わせようとすることないんだよ。」


それを聞いて、俺は硬直した。


「……なんで。」


何でそんなこと言うんだ。


すぐさまそう思った。


「無理して合わせる」?


俺が、自分の意思で、栄大みたいになりたいって、そう言ってるのに。


それに。


「期待されてないって……本気で思ってるわけ?」


つい、本音が口をついて出た。


「逆に、どうしてそんなこと考えるのか、知りたいんだけど。」


「え、どうしてって……」


床に目を落として、兄が呟く。


「期待されてると『思ってない』っていうか……『思いたくない』っていうか……」


「は?」


その声がよく聞こえなかったので、俺が顔をしかめて聞き返すと、兄は余計に口ごもった。


「え、何?何て言った?」


大きく見開かれた眼。栄大の瞳が揺れた。


「……なん、で。」


俺が今まで聞いたどんな声よりも、低く虚ろな響きを持つ声が、兄の半開きになった口から漏れ出た。

俺は心配になって、その顔を覗きこむ。


「兄ちゃん?」


「……」


いくら呼び掛けても、返事は無かった。

結局、兄はそれ以降、夕食が出来たと母親に呼ばれるまで、ずっと黙ったままだった。

その時は、何か気に障ることでも言ったかな、と少し反省し、兄の隣で縮こまりつつ食卓についたのだが、夕食時の彼は案外平然としていて。


「幸多?早くとらないと唐揚げ無くなるよ?」


あまりの切り替えの早さに追い付けずにいた俺を、兄がきょとんとした表情で不思議そうに眺めるものだから。

ついつい、安心してしまったのだ。

まぁ、俺の方も基本、単細胞の鳥頭なもんで、入浴やら歯磨きやら、諸々の支度を済ませてベッドに入る頃には、兄に対する気まずい気持ちなど、きれいさっぱり忘れてしまっていたのだけれど。


そうこうしているうちに月日は流れ、俺は、なんとか地元の公立校に合格。

特段、偏差値の高い学校ではなかったけれど、決して底辺校でもないその学校に入れた事は、俺にとって快挙に等しかった。

先生や友達に報告すると、かなり誉められたし、驚かれたりしたものの、やはり両親の反応は素っ気なかった。

別に期待していた訳ではないが、もう少し、リアクションがあってもよくない?くらいの、若干の不満は抱いた記憶がある。


「凄いよ、幸多!頑張ったね!」


しかし何より、兄にそう言われた時が、俺は一番嬉かった。


「ありがとう!兄ちゃんのおかげ!」


お礼を言うと、栄大は恩着せがましい様子もなく、「大袈裟だなぁ。」と、軽く笑いを返してきた。


「次は兄ちゃんの番か。俺は全然手伝えないけど、応援する!」


兄はその年、受験から解放された俺と入れ替りで、大学受験を控える身となっていたのだ。

両親は、俺の時とは比べ物にならないくらい俄然張り切っていて、兄をバックアップする気満々の姿勢だった。


俺は、本当に何も出来ないので、ただ「応援する」としか言えない自分が、少し情けなかった。


「うん。兄ちゃんも頑張る!」


それでも、ぐっと拳をつくって見せる兄に、俺は力強く頷いたのだった。


合格発表からしばらく経って、俺の卒業式が終わった後。

兄弟揃ってデパートに行き、そこでケーキやお寿司、サラダやチキンなんかを買った。

兄の激励会も兼ねて、仕事で忙しい両親に構わず、2人だけでお祝いした。それらをテーブルに並べると、なかなか豪勢な眺めで、俺はかなり興奮したものだ。


「それじゃあ、これから始まる俺の楽しい高校生活と、兄ちゃんの受験合格を祈って!乾杯!」


「乾杯!」


2人分のグラスに入った透明なサイダーが、シュワリと揺れた。



思えば、あの時。



兄は、一体どんな気持ちでいたのだろう。


俺はすっかり浮かれていて、そちらの細かい様子など、気にも止めなかったけれど。


兄が終始、にこにこと微笑んでいたことだけは、よく覚えている。


辛い時。


苦しい時。


泣きたい時。


傍にいて欲しい時には必ず寄り添ってくれ、一人にして欲しい時はそっとしておいてくれた、気遣いの出来る優しい栄大。


俺の憧れ。


尊敬する、大好きな兄。


見慣れた笑顔の裏側で。


本当は何か、別の感情が渦巻いていたのかもしれないと、今更思う。


そんなこと、全く考えていなかった。


俺は馬鹿だった。


ただ、ひたすらに馬鹿だったのだ。


俺は後に、それを酷く後悔することとなってしまった。


それから、およそ一年後の初春。

外の空気が、まだ冷たかったあの日。

兄の第一志望校の、合格発表があった。

合格発表には一人で行きたいという兄の希望を聞き入れて、両親は自宅で待機、俺はまた、「受験終わりのお疲れ様会」としてご馳走でも用意しようと考え、一人デパートへ向かった。


デパートへ来たのは久々で、入った瞬間、高校に合格した中3の頃の記憶がふと蘇り、懐かしくなった。


俺の携帯電話が震えたのは、そんなふわふわとした心地よさに浸りつつ買い物を終え、丁度デパートのエントランスを出た時の事だった。


「幸多!今何処にいるの!」


電話に出るとすぐ、ひどく興奮した母の声が耳をつんざいた。


「いや、何処って……まだデパートの前だけど。」


出て早々、理不尽に喚きたてられたせいで、不機嫌になって聞き返す。


「何でだよ。」


「今すぐ帰ってきなさい!」


しかし、そう言った母の口調は、とても尋常でない緊迫感のあるもので。


「え、なんかあったの…?」


流石に俺も動揺して、語尾が弱まる。


「……栄大が……」


「あ?栄大が何?第一志望駄目だった?」


「…………」


母からの返事は無い。

そんな絶望するなよ、大袈裟な、と俺は思った。しかしそこで、ある1つの可能性が頭をよぎる。


「……え、 まさか全落ち?」


俺は兄の併願校の合否を知らされていなかったし、母の反応から察するに、その可能性は十分濃厚だった。

俺は少し困惑する。

あまり気負わせないように、フォローするべきだろうか。

俺は弱い頭をフル回転させた。

真面目な兄の事だ。

「大学なんか、行かなくたって生きていけるじゃん!」なんて、軽い励ましは効果がなさそうである。


こんな時、一体どうすればいいのだろう。


……そっか、兄ちゃん、これからどうしたいのか、ちゃんと父さんや母さんと考えなくちゃいけないのか。大変だな……。


そんな風にぐるぐると思考を巡らせていると、電話越しに母のか細い声が漏れ聞こえてきた。


「……降りたって……」


「ん?」


よく聞こえない、と、もう一度聞き返す。

すると母は、悲痛な声でこう叫んだ。


「栄大が駅のホームから線路に飛び降りたって……!」


……一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。


エイタガ、エキノホームカラ、センロニ、トビオリタッテ


「…………え?」


それは、兄が自殺を図ったという最初の一報で。

……気づけば、デパートのロゴがプリントされたビニールの手さげ袋を、手から取り落としていた。ケーキの入った箱が、そこから飛び出す。


ごとっ、と。


中身の崩れる音がした。


デパートから出てきた、幸せそうな顔の家族が、俺の横を通りすぎていく。


まるで、スローモーションのように鈍いその動きを、俺はただ、呆然と立ち尽くしたまま見送っていた。

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冥土の恋人~Happy memories~ 花染 メイ @6i0to38re

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