冥土の恋人~Happy memories~

花染 メイ

episode1思い出探し・大掃除

「あはは、ヤバイ!この映画、超面白ーい!」


ある日曜日の朝。

珍しく休日に早起きして居間へ向かうと、テンションのやたらと高い母が、テレビで映画のDVDを再生していた。


「……おはよう……」


そう声を掛けると、気づいた母がコーヒーカップを片手にこちらを振り向く。


「あ!優寧おはよ~。見てみてこれ、凄いでしょー。」


満面の笑みを浮かべ、画面を指す母。

私は眉をひそめる。


ちなみに、先程から私の耳に流れてこんできていたのは「グシャッ」とか「バキッ」とかいう不穏な音のオンパレード。

嫌な予感を覚えつつ、私はテレビ画面に目をやった。

明らか致死量の血が、飛沫となって空中を舞ったかと思うと、次の瞬間には異形の怪物に襲われた人間が一人、また一人とぶっ倒れていく。その絶叫とともに画面が深紅に染まるという、子供の教育上大変よろしくないシーンが絶賛上映中だった。


つまり、母が見ていたのはホラー映画。さらに付け加えるなら、残酷な描写がかなり多い、悪趣味極まりない類いのやつである。確かに凄い……いろんな意味で。


「……お母さん、またそんなヤバイもの見て……」


次々と上がる悲鳴と銃声。

そして人間ではない何かの咆哮。

どう考えても、朝っぱらから平凡な一般家庭で耳にするような音ではない。


「んー?ヤバイものほど面白いし、ね?」


「ね?じゃない。」


こんな人が、なんで私の母親なのだろう。

その時の私は、本気でそう思っていた。


「ほらほら、優寧ちゃんもおいで~、楽しいよぉ~。」


ニヤニヤしながら迫ってくる母。


「やだよ。」


私は思わず後ずさる。


「いいから、いいから~。あ、ほら、今ちょうど一人殺られる。」


「げっ!」


その予告通り、化け物に頭を潰された男性の脳みそが飛び出るのを見た瞬間、私の記憶は途切れている。


これは私の母、白木ひかりが急な心臓発作を起こして倒れ、急逝する少し前の出来事。

彼女がまだ生きていた頃の話である。


……とまぁ、何故突然こんな話をしたかと言うと。

世間一般において大晦日にあたる今日、私と父は、大掃除をするため家中を駆けずり回っている最中だったのだが。虫の苦手な父の代わりに、いかにもそういう輩が数匹ほど潜伏していそうな押し入れを、私が掃除していた際、そのDVDを発掘したのがそもそものきっかけである。


「あー、これ……」


私がそれを眺めていると、居間を掃除していた父が、いつの間にかこちらへやって来ていて、後ろからそれを覗き込んでいた。

そして、不意に声を上げる。


「あ!それってあれじゃん!ひかりさんのお葬式の後に優寧が見てて大騒ぎになったやつ!」


私は首をかしげた。


「え……なに?」


覚えてないの!?と吃驚した様子の父。

申し訳ないが、全く記憶にない。

私が眉間に皺を寄せ、古い記憶を手繰り寄せていたところ、それを見た父は苦笑いした。


「まぁ、あの時の優寧は何て言うか、相当やられちゃってたし………無意識のうちに記憶から抹消した、とか……?」


不意に背中を冷や汗が伝う。自分の脳が「思い出すな!」と必死に警鐘を鳴らすのを、その時、私は確かに聞いた。


『アハハハハハ!』


途端、脳内で響き渡る私自身の笑い声。

その瞬間、すべてを思い出した。



あれは中学二年生の冬。

母の葬式が終わってすぐの話。

親族が集まっているセレモニーホールを抜け、私は一人で帰宅した。


母が居なくなったということが、まだいまいちピンと来ていなかったせいで、玄関を開けてすぐ、家の中が静かすぎることに疑問を覚える。父はまだ葬式会場にいて、母が既に故人となっている事実を思い出したのは、それから数秒後のこと。


「ただいま。」と呼び掛けた声は、誰もいない家の中で虚しく消えていった。


「…………」


幸か不幸か、当時、私はもうそれなりに分別のある年齢だったし、母が死んだという事実を聞いても、その意味がわからず途方にくれていた訳ではない。ちゃんと受け止められたはずだった。

しかし、精神的な辛さが全くなかったと言えば嘘になる。

そこそこ傷ついているわりに、淡々と動ける自分も不思議で仕方なかったが、それ以上に食欲があることに驚いた。


冬の空気に満たされた冷たい家の中に入り、食料の入った戸棚を探る。

カップラーメンを発見した。

しかし、なんとなく食べる気にならなかった。

もっと奥を探る。

銀行の封筒を見つけた。

中身を見ると、どうやら父か母のへそくりらしい。何故この棚に入れたんだ。


「しかも、意外と貯まってるし……」


見なかったことにしてまた探る。

今度はなんと、蓋に「マル秘」と赤い文字ででかでかと書かれた謎の箱を発掘した。

……これも何でまた食料棚に?

そもそも、これの中身って食べ物なのか?


「…………」


どうしようかと一瞬考える。

物凄く気になるが、今は「安心かつ安全に」空腹を満たすことを優先してそれもスルー。

結局、先程探っていたのとは別の段に食パンを見つけ、それを焼いた。


焼きたてのパンにバターを乗せて食べる。

口の中に広がる「じゅわっ」とした熱い感触に、少しばかりの安心感を覚えた私は、そのまま黙々と咀嚼を続けた。

別に観たい番組があったわけではないが、テーブルの上に置いてあったリモコンでテレビをつけて、なんとなく観始める。

いくつかの有名なバラエティー番組で司会進行をしている、見慣れたお笑い芸人のおどけた声と、空々しいサクラの爆笑が片方の耳からもう片方の耳へ流れていく。


「…………」


どうしようもなく、虚しかった。


パンも食べ終わって、お腹はいっぱい。


なのに、足りない。


満たされない。


気づくと私は、母の遺品となった例のDVDを手に取り、プレーヤーに入れて再生していた。

我ながら常軌を逸した行動である。

スプラッターなんて全然好きじゃないのに。

寧ろそれが大好物の母を見て、今まで心底呆れていたのに。


開始20分足らずで、もう既に名も無き脇役の登場人物が5人ほど死んでいた。

あっちで潰され、こっちで斬られ。

まさに出血大サービス。

そんな彼らはもう出番終了……かと思いきや、なんとゾンビになって即復活。

流石はゾンビ映画である。

それが果たしていいのか、悪いのかは個人の意見によると思うけれど。


「……ふふっ。」


そのうち、不意に私の口角がピクリと動いた。

なにやら沸き立ってくる気持ちと高揚感に浮かされるがまま、私は立ち上がる。


「ふふ、あはは。あははははは!」


居間に響き渡る私の笑い声。

笑い続けているうち、興奮しすぎて涙が止まらなくなった。


可笑しい。


おかしい。


全部が全部、馬鹿馬鹿しい!


このまま全て笑い飛ばしてやろう!


父が帰ってきた時ですら、私はまだその変な興奮状態の真っ只中だった。

初めは娘の狂乱っぷりに呆気にとられていた父も、私の気迫に負けてか、一緒に映画鑑賞を始めてしまって。


「凄い、凄い、血が、血がブシャーって!」


「うぁぁぁぁぁ!」


私がお腹を抱えて床を転げ回っている間、父はソファーでクッションを抱き締めて絶叫し。


「アハハハハハ!首飛んだー!!」


「ぎやぁぁぁぁぁ!」


二人とも別の意味で涙が止まらなかった。


「ヒー!ヒー!」


「もうやだぁ!!」


母の葬儀や手続き諸々で、憔悴してげっそりしていた筈の父は、気づけば隣で顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにして泣きわめき、反対に私は笑いまくっていて。

もう、めちゃくちゃだった。

何もかも忘れて騒ぎまくっていた。


だから、私達は気づかなかったのだ。

……すぐ後ろに、両家の祖父母がやって来ていたことに。

父はどうやら、玄関の鍵を閉め忘れていたようだった。

母方の祖父母は苦笑していて、父方の祖父母はあまりの光景に目を剥いていた。

無理もない。

何しろ義理の娘がいきなり死んで、その葬式帰りに息子宅に立ち寄ると、今度は息子と孫がホラー映画を見てトチ狂ったように笑い、または泣き喚き散らしているという大変奇怪な状況に遭遇したのだから。

まさしくカオスである。

このえげつないほど残酷かつ悪趣味なホラー映画が息子の嫁の遺品だなんて、父方の祖父母は全く知らなかった。

可哀想に、グロテスクなものが大の苦手である祖母は顔を青くして震え、悲鳴に近い声で息子である父に向かって叫んだ。


幸多こうた!優寧ちゃんになんてもの見せてるのよ!」


よりによってこんな時に、と。

鋭く発せられたその一言からも、彼女が大きな勘違いをしていることは明らかだった。

しかし、興奮冷めやらぬ私はそれでも笑い続ける。

父方の祖父はその間、放心したように画面の中で暴れまくる血みどろゾンビを眺めていた。

冷静になった父と事情を察した母方の祖父母が慌てて彼らに弁明、謝罪をしはじめ、その盛大な誤解が解けると同時に私のハイテンションブームも終息を迎えたのだが、父方の祖母は色々とショックが大きかったようだ。フラフラと部屋を出ていったきり、居間へは戻ってこなかった。

一方、父方の祖父は、なんとか平静を取り戻そうとしていたようだったが、やはりしばらくすると気分が優れないから、と言って居間から退室していったのであった。


……という、今の今まで忘却の彼方に葬り去っていた筈の、最悪の記憶を怒濤のように思い出した後。私は深い溜め息を吐いた。


「そう言われてみると……そんなこともあったね……。」


あの後、ちゃんと気を取り直した父方の祖父母と、改めて話をすることが出来たのだが、やはり少し顔色が悪かったのを思い出す。

祖父母には悪いことをした。

心から反省する。


「それにしても、お母さんが生きてた頃よりか新しい記憶なのに、なんでそっちは忘れてたんだろ。」


「さぁねぇ。」


ケラケラと笑う父。


「けどまぁ、多分だけど、そっちの記憶はわざと忘れてたんじゃない?」


困惑して首を捻っていた私に、父が言った。


「あの日、突然ひかりさんの訃報を知らされても優寧はあんまり取り乱さなかったし、その態度も落ち着いていて冷静だった。正直、対応は俺よりも大人だったからさ。ちょっと心配ではあったんだよね~。まだ生きてた時にひかりさんも言ってた。『優寧は器用すぎるからちょっと心配』って。」


「……器用すぎる?」


私は思わず眉を寄せる。

何の事だろう。


「なんかね、優寧は小さい頃から、かなり聞き分けが良いんだよ。勉強や習い事も、基本的に説明さえすれば大抵のことはそつなくこなせるし、ああしなさい、こうしなさいって言えば素直に従う。適応能力が高いっていうのかな?要するに典型的な『良い子』ってこと。」


……それとこれとで、何か関係があるのだろうか。疑問に思いつつも、適当に相づちを返しておく。


「それでもって、ひかりさんが言うにはね、表情とか感情をコントロールするのが凄く上手なんだって。確かに俺も、素直に自分の感情を表に出す優寧をあんまり見たことがなかったなぁって、ひかりさんに言われて初めて気づいた。だいたい周囲の雰囲気次第で、適度に合わせている印象が強い感じ?」


……そうだっけ?

過去の記憶を辿っていくと、思い当たる節がいくつかあった。

成る程、自分で言うのも変だが、確かに私は所謂「良い子」かもしれない。


「だから、あの時、俺はちょっと安心したよ?優寧がちゃんと自分なりにストレス発散できて。良かったなって思った。……まぁ、優寧にとっては黒歴史か。バッチリ記憶から消し去っちゃってたんだもんね。」


「…………」


思い出さなきゃよかった、と、心底思った。

それと同時に、何故母とホラー映画を観ていた記憶の方が鮮明に覚えているのかも、何となく判った。


人は忘れる生き物だ。嫌なものから順番に、溜まった記憶を抹消する。

だから、あの発狂沙汰は、私の黒歴史として頭の中から追い払われた。

でもきっと、母とホラー映画を観ていた記憶は(楽しかったかどうかは別として)私にとって、それほど嫌な記憶ではなかったのだ。

多分、理由はそれだけ。


「なんだ。」


そんなことだったのか。

下らなさすぎて、軽い笑みすら零れる。

そこでふと、ある事を思い出した私は、父に尋ねた。


「ところでお父さん、棚の中に『マル秘』って書いてある箱があるよね。あれは何?」


それを聞いた父の動きが止まる。


「……え?何それ、知らない。」


怪訝な顔をする父を見て、私は戸惑った。


「あれ、お父さんのじゃないの?本当に?」


「本当だよー。嘘ついて何の得があるってのさ。」


私は嫌な予感を覚えた。


「え、じゃあ……お母さんの?」


「…………」


きっと録なものじゃないな。

多分その時、お互いの顔にそう書いてあったと思う。

私と父は、恐る恐る棚の前へ移動した。


「何処にある?」


「確かこの辺りに……ほら、あった。」


私が記憶を頼りに棚を探ると、そこにはあの日見た箱が、そっくりそのままの状態で仕舞われていた。


「本当だ、『マル秘』って書いてある。」


父が怪しさ満点のその箱を、まじまじと見つめた。


「こんなの書いてあったら余計見たくなるよ……なんか、上手く煽られてる気がするね……」


同感だ。

母のニヤついた笑みが目に浮かぶ。

蓋に書かれた「マル秘」の文字以外は、これといって特徴の無い、一見何の変哲もない段ボール箱だが、この中に一体何が入っているのだろう。


「……開けるか。」


「うん。」


唾を飲み込み、そっと蓋を持ち上げる。

箱を開いた瞬間、目に飛び込んできたのは、沢山の白い封筒だった。


「封筒?しかも、中身が何も入ってないのばっかりじゃん。」


ひとつひとつ取り出して開けてみるも、中身が入っているものはほとんど無く、封筒に僅かながらではあるものの、厚みがあったのは2つだけだった。


1つには「もし私が死んだらこれを読め!」と書いてある。

思わず、父と顔を見合わせた。

中身を開けると、そこには折り畳まれた便箋が一枚。

開いてみると、そこには母の筆跡で「頑張れ。」と、たったこれだけ書かれていた。


予想を遥かに超えた簡潔さ。

しかし、その下に何度も書き直したらしい跡がある。


「……なんか、めちゃくちゃ書いて消したっぽい跡があるね。しかも、結構な長文で。」


父が指で凸凹の筆跡をなぞりながら言った。


「逆に、何書こうとしてたのかが気になるよね。」


「……そうだね。」


鉛筆で軽く擦れば浮き上がるかもしれないが、なんとなく母に祟られそうな気がして、実行に移す気になれない。

心なしか、寒気に襲われた。


「頑張れ、だって。」


「もう充分頑張ってる気もするけどね。」


私が笑うと、父も笑った。

父は便箋を封筒に仕舞う。


「……頑張れ、か。」


そう呟いた父の声は、先程までよりも少しだけ柔らかく、優しいものに聞こえた。

それからもう1つ。

これは父が開けたのだが、それを見た瞬間、父の顔が青ざめた。


「……何でこれが……ちゃんと捨てた筈なのに……!」


何故か酷く動揺していたため、手元からそれを覗き込もうとした刹那、それは父によって隠された。


「なーに?それ。」


「なんでもない!」


見たい見たい、と私がせがむんでも、父は頑としてそれを許さなかった。


「兎に角、これは処分するから!」


「えー?」


私はぶつくさと文句を垂れるが、父はそれを無視して、いそいそと自室へ入っていってしまった。仕方なしに立ち上がり、掃除機を手に取ると、スイッチを入れる。


……ところで。

私の目が、一瞬だけ捉えたあの封筒の中身は、どうやら写真のようだった。

何だか、顔を涙と鼻水でびしょびしょにした、ひどく情けない顔の少年が写っていたのが、少し見えたような気がしたのだが一体何だったのか。

私は首を傾げる。


「……まぁ、いっか!」


掃除が終わる頃にはきっと、あの写真の事など、綺麗さっぱり忘れている。


「さて、本腰入れて掃除しますか~。」


来る新年に向けて、そして、来年の受験に向けて。自室からなかなか出てこない父を他所に、私は掃除機を床に滑らせはじめたのだった。



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