僕たちの呪術廻戦

竹尾 錬二

僕たちの呪術廻戦

 私は、じっとテレビの画面を見つめている。

 スクリーンの向こう側では、高校生達が人の心から産まれた呪いの怪物と火花を散らして戦っている。

 美しいアニメーション。原作は売れ筋の漫画で、題名ぐらいは知っていたが、手に取って具に読んだことはない。

 このアニメを見始めたのは、単にtwitterの相互フォロワーの一人が熱心に宣伝をしていたからだ。

 作品は実に面白い、と衒い無しに思う。だが、私は原作既読者から見れば、数多の俄ファンの一人に過ぎないのだろう。

 友情・努力・勝利。

 アニメのキャラクター達は、恐ろしい呪いの怪物たちに立ち向かい、勝利する。

 彼らは、通常の人間達には見えない、不可視の呪いを目にすることが出来る人間達だ。

 ――これは、別段突飛な設定ではない。少年漫画ではごくありふれた類型であるとも言えよう。

 幽霊とか、死神とか、妖怪とか。あり得ざるものが見える少年少女は、少年漫画の定番だ。

 そして、スクリーン越しに彼らを見つめる私は、少年を名乗るには余りにも遅すぎる齢の人間である。

 どちらかと言えば、少年漫画ならば序盤で主人公達を教え導き、命を落とす師匠キャラぐらいの年齢に差し掛かってはいるが、私の中には他人に説ける程のものなど、殆どありはしない。

 しかし、馬齢を重ねた私にも、見えるようになったものが少しだけある。

 この世界で廻り続ける、形を成した呪いである。


 私が子供の頃、家には親戚のお姉さんが同居していた。年は離れていたが、私は彼女の事を実の姉のように慕っていた。

 彼女がアパートも借りず私の家に同居していた事情の一つは、弟が作った借金が原因だったのを知ったのは随分と後のこと。

 幼い頃から母方の親戚宅に預けられる事が多かったが、父方の祖父は女癖が悪く、祖母が離縁して父が実家を嫌っていたと知ったのも、成人してからだった。

 母方の親戚は円満な家庭が多いが、父方の親戚は離縁や金の縺れでの争いが多い……

 『こういう事は、連なるんよ』親戚の誰かが、そう言っていた。

 家庭の歪みを、別の誰かに押し付けることで解消しようとする。

 一見、歪みが正されたように見えるが、押し付けられた誰かが、歪みを抱える。

 あるいは、幼い頃に自分が受けていた仕打ちを、その通りに他の誰かに施す。

 そんな、呪いの数々を私は目にしてきた。

 

 教室で、部活で、夫婦で、兄弟で、地縁で、血縁で、団地で。

 ありとあらゆる場所から、呪いは発生する。


 昔、ある上司にこんな話を聞いたことがある。

 まだ、20世紀も終わらぬ昭和の時代。

 上司の友人の一人に、ヤクザの幹部がいた。別段、慄く程の事ではない。あの時代、現在では反社会的勢力と呼ばれ日常から隔絶されたヤクザ達は、今よりずっと身近な距離で、可視化された形で社会に偏在していた。

 余談となるが、私たちの街に存在するヤクザ――暴力団の組は、A会とI組がメインである。

 上司と懇意にしていたのは、I組に所属する一人だった。

 ある時、そのヤクザが上司の元を訪れた。街を離れる事になったから、俺が戻るまでこれを預かっておいて欲しい、と大きな袋を携えて。

 上司は中に入っていたものを判じかねたが、いずれ厄物である事には間違いない。

 『あいつは飛んだ。もう戻ってこないよ』そんな話を耳にし、そのヤクザが戻ってこない確信を得て、上司は袋を開封した。

 中には、8mmで撮影された、ビデオテープが幾本も入っていた。

 再生すると、録画されていたのは非合法の無修正ポルノ――否、そんな言葉では生易しい。

 女性の、凌辱される様子を撮影した映像が納められていたそうだ。

 

 上司は、そのビデオテープを、アダルトビデオと偽って、縁薄い知人に全て配ってしまったという。

 この行動には、批判されて然るべきものだろう。

 犯罪の証拠として警察に提出すれば、被害女性の無念を晴らすことが出来たかもしれない。

 勿論、意図せぬ女性の裸体を他人の目に晒したという道徳的批判もできるだろう。


 しかし、私は上司のその行動を咎める気にはならなかった。 

 きっとそのビデオテープは、上司にとって呪いだったのだろう。穢れだったのだろう。

 手元に置いておくことも、己の手で処分することも出来ず、誰かに廻してしまいたかったのだろう。


 リベンジポルノや自撮り流出の危険性が騒がれる今日だが、まだインターネットも開始されていない時代だ。

 ダビングされることすらなく、ビデオは闇から闇に消え去った――そう、信じたい。


 私たちは弱い人間だ。人生を歪めるような、本物の呪いに直面した時、それを祓うような勇気ある行動はとれない。

 大抵の人間達は、呪いを別の人間に押し付ける――廻すことで解消しようとする。

 いや、廻すことが出来る人間さえ、ある意味では強い部類の人間なのだ。

 繊細で、脆く、弱い人間は、そのまま呪いに圧し潰されてしまう事さえ度々ある。

 私たちの住んでいる町で、ある家庭の妻と、その姑が亡くなったという話を聞いた。道に通りがかる人間を度々怒鳴り散らし、周囲の人間さえ辟易していたという夫が病没した後、相次いで首を吊ったのである。

 その家の呪いが一体どこから来て、どこに行ったのか、私は知らない。

 世の中は、そんな話で満ちている――廻された呪いを祓うことが出来るのは、強く、環境と運に恵まれた一握りの人間の特権なのだ。


 ――あるいは、このエッセイも、呪いを廻してしまいたいという私の心の弱さの発露かもしれない。

 私は、投稿小説サイトに、幾本かの作品を投稿してきた。

 それらの中には、私が直接触れ合い、穢れとして私の中で蟠っている体験を原型アーキタイプとするものが幾つもある。

 新興宗教を信仰する家に生まれ、家庭と社会の間の軋轢に悩まされる少女。

 障害を持つ兄弟を火種として荒んだ家庭。

 目の当たりにしながら手を差し伸べる事も出来ず、私の中に巣食った呪いを誰かに廻してしまいたくて、筆を取る。

 それは、創作意欲ではなく排出欲に近い。


 私は、羨望を籠めた視線でスクリーンの向こう側を見つめる。

 主人公達が強大な呪いの敵を倒す。更に強大な、新たなる呪いが現れる。

 エンディングテーマと共に、登場人物たちが軽快なダンスを踊り出す。

 ――また、来週。



 了


 

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僕たちの呪術廻戦 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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