時計
白野 音
私は幸せ者です
冷えた風が吹き込み目を覚ます。窓はうっすらと開いていた。
「おはよう」彼は朝から色の変わったコーヒーをすすりながら天気予報を見ている。
「おはよう、優くん」
なんだかデジャヴを感じた。こんなこと前にもあったような気がする。彼は朝から天気予報なんて見ないから、きっと変な感じがしただけかもしれない。
「ねえ、夕ご飯なにがいい?」
「ハンバーグがいいかな」彼はそう答えたが、私は机の上に置いてある冷めたハンバーグを見て、「昨日もハンバーグじゃなかったっけ?」と、訊く。
「そうだっけ、ごめんごめん」と、彼は少し笑いながら言った。
まったく、本当にハンバーグが好きだなんだから。結局その笑顔には逆らえず今日もハンバーグにしようと決めてしまう。私はきっとこの笑顔を見るために生きている、と言っても過言ではないだろう。
「お肉ないから今日は少し遅くなるかも」
「それくらい俺が買ってくるよ」
「いいのいいの。優くんの会社の方はお肉とか色々高いからさ」
「そう、なの? じゃあお願いするね」
「もっちろん!」
東京のスーパーは高いところは結構高いけど、正直買ってきてほしいって思いもある。しかし高過ぎるものを買われても困るし、やっぱりお金には変えられないと思い直す。
昨日作ったであろうラップがけしてあるハンバーグやレタス、えのき茸とご飯などをお弁当に詰め、なんでもない会話をした。行きたくないなと駄々をこね、結局行ってきますと家を出る。なんだかんだで幸せだ。
会社に着いたとき、今日はいつもより雲が厚いような気がした。
仕事の合間もラインを送ったりする。サラダなに食べたいとか、仕事がどうだとか。送りすぎって言われれば止めるけど、そういうことを言ってこないからついつい送ってしまう。彼は色々と優しすぎる。
ただ、やはり彼との会話はデジャヴだらけだった。昨日もこんな話をしたような気がしてならなかった。もしかしたら今日は覚えていないだけで正夢を見たのかもしれない。正夢って覚えてないことがあるのかな。
退勤する時間になり、少し離れたスーパーに寄る。お肉にレタスとえのき茸。彼が食べたいと言ったものをかごに入れたが、お昼と同じ食材で思わず苦笑してしまう。なにか違うものも作ろうかな、と考えていたら電車の時間がもうすぐらしく、急いで買って電車に乗り込んだ。
時間はもう18時を過ぎていた。家に着いてすぐ準備しなきゃ食べる時間が遅くなってしまう。電車の窓をのぞくと、雨が降りそうだというのに川で高校生くらいが水切りをやっていた。小さい波が大きく広がっていくのが見える。
いつもより遅く家に着いたが、彼はまだ帰っていないようだった。彼にラインを送ってみたがすぐに返信されなかったため、とりあえずハンバーグの準備をする。
タネを作り終えたとき、彼からもうすぐで家に着くとラインがきた。それなら焼き終えたときには帰ってくるだろうと思い、焼くことにした。
ハンバーグを皿に盛り付け、机に置いたときにピンポーンとチャイムが鳴る。勝手に彼だと思いこみ急いで出たが、そこに立っているのは彼ではなかった。
黄と白、そして紫色の花束を持った私の親友だった。
「タオルだすね、急にどうしたの?」
「どうしたってあんた、大丈夫?」
深刻そうな顔で大丈夫と聞かれても、私にはなんのことだかさっぱり分からない。なにも悲しくなる要素が一切ないのだから。
「別に、ん、なにが?」
「強がり、だよね?」
「強がるようなことなんてないよ?」
「直接的で悪いけど、五日前のことも?」
「五日前?なにもなかったよ?今の生活だって幸せしかないし、仕事だって」
「冗談だよね?」
「え?冗談じゃないよ」
「それ本気で言ってるの。じゃあ大事でもなんでもなかったん」そう言って彼女は持っていた花束を投げ捨てる。
訳が分からない。なんでこんな急に怒られなくちゃいけないのか、なんでこんなに彼女が怒っているのか。大事って別に大事ななにかを粗末に扱った覚えもない。
そのときスマホがヴーヴーと規則的な音を出した。彼の親からだったが、こんな状況では気にしてられなかった。
「なんで怒ってるの?」
「なんでもなにも言わなくちゃ分かんない!?私はなんで
そんなに、の後が聞き取れなかった。彼が五日前になくなった?それは嘘。だって今日も話したのだから。
「本当にびっくりするからドッキリとかやめてよ? 今日だって朝一緒に話して、仕事の合間もラインだって」したんだから、と彼女に彼とのラインの画面を見せようとした。だけどそこに映っていた優くんの文字は消えていた。既読マークもなにもかも。
「嘘、手の込んだドッキリだよね……」履歴を見てみると昨日も同じラインを送っている。今日と全く同じ内容で。遡ると五日前の彼の返事は今日、私に返してくれた言葉と同じだった。
今日感じたデジャヴ。規則的な音。電車でみた波形。鍵が全て開き、思い出したくなかったものが全て鮮明に甦る。全て忘れていたのに。
ピッピッピッピと規則的な音を鳴らし、波の形を表している機械。その前にすやすやと寝ている彼。
五日前、彼は電車内で事故にあった。意識不明になり総合病院に送られましたと、いう連絡を受け、私は急いで病院向かった。彼を見たときには声が出なくなり、私はただ見守ることしか出来なかった。
その後と高く長く音が鳴り、そして止んだ。
次の日には彼の親族と葬式や通夜の準備を計画。そのまた次の日には彼の通夜、葬式が行われた。眠った彼に向けられた「お疲れさまでした」の言葉は私の心臓を締め付け、嗚咽させた。
私はなにが起きたのかを悟るのに時間がかかった。
そうだ、彼は亡くなったのだ。彼はもう、戻らないのだ。それを理解した時ですら葬式の後だった。
葬式が終わり家に着いたとき力が抜け、立ち上がることすらままならなかった。
波が溢れる。彼のいない世界なんていらないのに。私は一人でどう生きていけばいいの。
私は私の海に沈んだ。
彼のいない世界なんて無くなればいいんだ。そう、消してしまえばいいんだ。五日前の嫌な記憶には南京錠をかける。こうすればずっと一緒なのだから。
そして私は意識を手放した。
日差しが眩しく目を覚ます。カーテンはうっすらと開いていた。
「おはよう」彼は朝から色の変わったコーヒーをすすりながら天気予報を見ている。
「おはよう、優くん」
なんだかデジャヴを感じた。しかし棚の上に置かれたアイビーとキキョウの花瓶を見て、きっとそれは気のせいだろうと思い直す。
「ねえ、夕ご飯なにがいい?」
「ハンバーグがいいかな」彼はそう答えたが、私は机の上に置いてある冷めたハンバーグを見て、「昨日もハンバーグじゃなかったっけ?」と、訊く。
「そうだっけ、ごめんごめん」彼は少し笑いながら言った。
そうだ。私はきっと、この笑顔を見るために生きているのだ。
時計 白野 音 @Hiai237
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