第3話



 なのに、だ。

 なのにどうして、こんなことになる。


「ご令嬢、どうぞこの扉を開けてください」


「お願いだ、マイ・レディ。部屋から出て、私に愛らしい姿を見せておくれ」


 もう随分長く続いている攻防に、僕は頭はズキズキと痛んだ。せっかく王子が我が家に来ているというのに、なんとシンディのやつ、屋根裏に閉じこもってしまったのだ!


 誓って言おう。今日は僕も家族も、誰もあの子を閉じ込めちゃいない。なのに、王子来訪とその理由を説明した途端、あの子は屋根裏に飛び込んで中から鍵をかけたのである。


 屋根裏へと続く階段の下で交互に呼びかける王子と従者の声に僕が頭を抱えていると、先に諦めた従者がやれやれと首を振りながら戻ってきた。


「いやはや、参りました。ご令嬢はよほど頑固な方のようです」


「申し訳ありません。王子殿下に対し、身内がご無礼を……」


「いいんですよ。こんだけ拒絶されたんじゃ、脈がないのは一目瞭然。王子もちゃっちゃと諦めて、次にいけばいいんです」


 小さくなって平謝りするしかない僕に、意外にも従者はあっけらかんと手を振ってくれる。きっと、ものすごくいい人なのだろう。けれどその人は、困ったように王子殿下のいるほうを見て肩を竦めた。


「しかし、失恋するにしても、理由がはっきりしないと殿下も浮かばれません。せめて、外に出て理由を教えてくれたらいいんですけどね」


 その一言を聞いて、僕ははっとした。シンディが閉じこもっている理由まではわからないが、殿下とシンディが出会うようにお膳立てしたのはこの僕だ。自分で始めたことは、きっちり最後まで責任を取らなければならないのだ。


 そうしたわけで、僕はひとり、ガラスの靴を手に屋根裏部屋の扉の前に立った。殿下や従者には、一旦外してもらった。その方が、あの子と腹を割って話せると思ったからだ。


「シンディ。僕だよ。聞こえてるんだろ?」


 扉の内側で、息を詰めてこちらを伺う気配がする。静かに呼びかけると、ややあってから「聞こえています、兄さま」と返事があった。


 返事をしてくれた。とりあえずそのことにホッとしつつ、僕は辛抱強く続けた。


「出ておいで、シンディ。こんなところに閉じこもってたって、お前にとっていいことなんか何ひとつ無いだろ?」


「嫌です。兄さまの言葉でも、今日ばかりは素直に従うわけにはいかないのです」


「なんで。どうしてだよ」


 片腕の中に大事にガラスの靴を抱えたまま、僕は薄い木の戸に肘をついて寄りかかった。大して重くないはずの靴なのに、なんだかとても重く感じた。


「お前は扉を開けて、この靴を履くだけでいい。それだけで、綺麗なお城で、綺麗なドレスを着て、愛する人に愛してもらえる。お前は、世界中の誰よりも幸せな女の子になれるんだ」


「……兄さまが、それを言うんですか」


 なんだか、シンディらしくない不穏な声がした。んん?と疑問に思ったときはすでに遅く、かちゃりとカギが開く音と同時に、中から扉が勢いよく開かれた。


 当然、扉に寄りかかっていた僕は悲惨なもの。悲鳴をあげる暇もなくガラスの靴を庇ったまま、僕は思い切り尻餅をついた。幸いに靴は無事だったけど、僕はあんぐりと、目の前に仁王立ちするシンディを見上げた。


 シンディは怒っていた。

 柔らかそうな頬を真っ赤にして、ものすごく怒っていた。


「お城に住むのが幸せなんですか。綺麗なドレスを着るのが幸せなんですか。それで、私が幸せになるっていうんですか⁈」


「そうじゃない。僕は、お前が!」


 王子様と。そう言った途端、シンディの目がきっと鋭くなって、僕が抱えるガラスの靴を見た。そして、あろうことか、素早くそれを奪い通ると頭の上に掲げた。


「こんなの、こんなの!」


「わ、わ、わぁーーー! シンディー!」


 ガッシャーンと。


 シンディがガラスの靴を床に叩きつける前に、僕は夢中で飛び起きて彼女を捕まえた。動けないようにぎゅっと抱きしめれば、なんとか無事だったガラスの靴が僕の胸に当たった。


「ば、ば、ばかなのか、お前は!」ぜーはーと息をつきながら、僕はどぎまぎと叫んだ。「これはガラスだぞ⁈ そんな物割って、お前が怪我でもしたらどうするんだ⁉︎」


 僕としては、すごく尤もな主張だと思った。

 なのに。それなのに。それを聞いたシンディはなぜだかふるふると震え始め、気がつけば彼女の大きくて綺麗な目には大粒の涙が浮かんでいた。


「に、兄さまのばかぁぁあ……」


 さっきとは違う意味でぎょっとした僕の前で、彼女はわんわんと泣きはじめた。


「どうして城に行けなんて言うんですか。私が好きなのは、兄さまなのに‼」


「はぁ⁉︎」


「あんなに優しくしたくせに。いっぱいっぱい好きにさせたくせに。なのに王子様と結婚しろなんて、今更そんなの、そんなのぉぉお!」


「なるほど。そういうわけだったんだね」


 飛び上がって振り返れば、すぐそこに殿下がいた。僕は慌てた。なんていったって僕はシンディを抱きしめたままだし、離れようにも胸にすがって大泣きする彼女を突き放すことなんて出来なかった。


 けれど殿下は、慌てる僕を片手で制した。


「ここまで見せつけられても身を引かないのでは格好悪い。私は大人しく、城に帰らせてもらうよ。だから君も、ちゃんと答えを伝えてあげるのだよ」


 そういって殿下が投げてよこしたウィンクは、やっぱりものすごく決まっていた。返す言葉もなく、熱くなった顔のままこくりと頷いて殿下を見送ってから、僕はやれやれと肩を落とした。


「バカだなあ、シンディ。王子様と一緒になったほうが、ずっといいに決まっているのに」


「バカなのは、兄さまです」小さく鼻をすすって、シンディは涙声で答えた「私が幸せなのは、兄さまと一緒にいるときです。ずっとずっと、兄さまと一緒にいたいんです」


 兄さまは違うんですかと。不安そうに見上げたシンディに、僕は盛大に溜息をついた。


 まったく、僕が今までどれだけお前のためにお膳立てしてきたと思っているんだ。大切な――可愛くて愛しい君が幸せになりますように、それだけを祈ってきたというのに。


「僕だって」言いながら、僕はシンディをぎゅっと抱きしめた。「僕だって、お前とずっと一緒にいたい。そのほうが幸せに決まっている」


 お前が好きだよ。


 シンディの髪に顔をうずめて、やっとの思いで僕はそれだけ告げると。

 泣き虫な彼女はちょっぴり笑ってから、やっぱりわんわんと泣いたのだった。





*  *   *



 拝啓。天国のお父さま。


 お父さまは、そちらでお元気にお過ごしでしょうか。私は、いろんなことがありましたが、今は愛する旦那さまと一緒に幸せに暮らしています。


 旦那さまは――ライアン兄さまは、すごく優しくて、素敵な方です。


 お父さまが亡くなってから、つらいこともありました。けれど、そんな私を救ってくださったのがライアンさまでした。


 ライアンさまは、「お前は不器用すぎて見ていられない」とか「仕事が遅い、いつまでかかるんだ」なんて、口ではたくさん文句を仰っていました。けれど、それが全部うそっぱちであることなんて、すぐわかってしまったんです。だって、そういうことを仰ったあと、ライアンさまは必ず私を助けてくださったんですもの。


 疲れていたら、心配してくださって。

 落ち込んでいたら、慰めてくださって。


 はっきりと言葉には出さなかったけれど、ライアンさまはいつも私に寄り添ってくださいました。だから私も、だんだんとお父さまを失った悲しみ、寂しさを乗り越え得ることができたんです。


 今、私のお腹には、ライアンさまとの子が宿っています。


 この子が生まれたら、私は伝えてあげるつもりです。

 夢を信じぬく強い心があれば、それはきっと叶えられると。


 どうしようもなく優しくて、ほんのちょっと鈍くて、すごく格好いい自慢のお兄さま。そんなライアンさまに愛してもらうという夢を、私が叶えることができたみたいに。


 それではお父さま。どうか、天国から私たちのことを見守っていてくださいね。


 

 あなたの娘より。愛をこめて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シンデレラの兄に転生しました。 枢 呂紅 @kaname_roku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ