第2話



 そうこうするうちに時は流れ、ついに王宮から舞踏会の知らせが届いた。




 以前より意地悪が減ったので心配したが、問題なかった。僕の知っている物語の通り、母は、お前は舞踏会に出てはならないよとシンディに告げた。


 僕もそれに賛成した。なにせ、ここで彼女に同行を許可しようものなら、妖精とやらが彼女を助けに現れてくれなくなってしまう。シンディは可愛いから何を着ても似合うけれども、今家にあるドレスを着せるよりかは、妖精が魔法で用意するドレスのほうがずっと彼女にふさわしいはずだ。


 シンディはというと、母に言われたときは平然としていたくせに、僕が来てはいけないと告げたらちょっぴり不満そうに頬を膨らませた。そんな顔をしたって彼女の愛らしさが目立つだけなのだが、僕だけにその反応はちょっぴり傷ついた。


 何はともあれ、シンディひとりを館に残し、僕は母や妹たちと一緒に王宮へと向かった。招待状には若い娘をご招待とあったが、付き添いであれば家族も同席可であるらしい。


 そうして初めての宮廷舞踏会に参加して早半刻、僕はすぐに音を上げた。


 なんというか、甘く見ていた。

 具体的には、女たちの本気度が違った。


 僕も立場上、社交の場にはいくつか顔を出してきた。内実は散財家の母と妹に食いつぶされているとはいえ、僕もそこそこの生まれ。おまけに母に顔が似たこともあって興味を持ってくれる子もいたりもしたのだけれど、今日はレベルが違う。


 彼女たちにとって、今宵の獲物はたった一人。

 比喩でも冗談でもない、唯一無二の王子様。


 ホールの中央にいる王子殿下に向けて、あちこちから熱烈な求愛ビームが乱れ飛ぶ。それらを物ともせず、春風のような爽やかさで王子様が首を巡らせば、その視界に飛び込もうと令嬢たちがダッシュをかます。


 だめだ。見ているだけで疲れた。


 他と同じに目の色を変えて王子争奪戦を繰り広げる妹たち(と、それをえんやえんやと盛り上げる母)を置いて、僕はこっそりとバルコニーへと逃げ出した。


 夜風に吹かれて、僕はほっと息を吐き出した。そうやって柵にもたれて外を眺めていると、無性にシンディに会いたくなった。


 あの子はちょっとばかり変わっていて、無理難題を突き付けたり意地悪をいったりしても、けろっとした顔で首を傾げる。今日だって、僕が言ったときは少しばかり不満そうにしたけれど、舞踏会に行けないこと自体を嘆いたりしている様子はなかった。


 もしもシンディも一緒に来ていたなら、あの子も令嬢たちの熱意にびっくりして、バルコニーでぽけっと休憩したりしているのだろうか。


 それとも、普段は母や妹たちに睨まれて手をつけられないご馳走に目を輝かせて、ここぞとばかりにあれこれ口に詰め込むのだろうか。


 そんな想像をするのはとても愉快だったけれど、最後に僕は首を振った。


 だって、あの子はシンデレラ。舞踏会に現れたが最後、王子様の目に留まり、その手をとられて軽やかに踊りだす。これはそういう、シンデレラストーリーなのだから。


 そのとき、視界の先、外へと伸びる長い階段の先に、一台の丸っこい馬車が止まった。ころんとした形のそれの扉が開き、氷を閉じ込めたような澄んだ水色があふれ出した。


 姿を現したのは、やっぱりシンディだった。


 艶のある金髪は優雅にまとめられ、もともと愛らしい顔はうっすらと施された化粧でさらに魅力的となり、見たこともない気品に満ちたドレスを身にまとう。


 控えめにいって、彼女はものすごく綺麗だった。


 ああ、そうかと。

 どうしてか僕は、ツンと鼻の奥が痛くなった。


 彼女は本当に、おとぎ話のお姫さまだった。


 兄妹という縁で結ばれたって、同じ窓から世界を眺めていたって。やっぱり僕は、君の隣にはいられない。


 だって僕は、王子様にはなれないから。


 すると、ふいにシンディが顔をあげてこちらを見た。だが、ありえない。外は暗いし、あの子からみたらこっちは逆光だ。だから僕を見つけて――あろうことかぱっと笑顔の華を咲かせるなど、ありえない。


 だというのに、シンディはドレスを揺らしてすたたたたと走り出した。そして、あれよあれよという間に城の中に消えたかと思えば、ぎょっとして欄干から身を乗り出した僕の背後に瞬く間に駆け付けた。


「兄さま! 見つけました!」


「し、シンディ!?」


 慌てて振り返れば、きらきらと目を輝かせ、やたらと嬉しそうなシンディの姿。何が何だかわけがわからない僕の前に身を躍らせると、しっかと僕の手を握りしめた。


「逃がしません、兄さま。さあ、私と踊ってください!」


「ちょっと、待て。なんでそうなる!?」


 我に返った僕は、シンディの手を振りほどいて一歩後ろに下がった。すると彼女は、僕が別の理由で戸惑っていると勘違いしたらしい。


「言いつけを守らなくてごめんなさい。けれど、とても親切な妖精さ……女の人が、どうしてもお城に行きなさいとドレスを貸してくださったの。それで私、」


「違う、僕が聞いているのはそういうことじゃない!」


 一生懸命に身振り手振りで説明するシンディを遮って、僕は叫ぶ。いや、シンディの話も興味深い、特に妖精の件などは本当にそんなものが現れたのかとか色々聞きたいのだが、いま問題とすべきはそこじゃない。


「こんなところで何を油を売ってるんだ! お前は今夜、王子殿下とめぐり合うためにここに来たんだろう!?」


 僕としては、当たり前のこと。だというのに、シンディはきょとんと首を傾げるだけで、「むしろお前が何を言っているんだ」とでも言いたげな目をしてくる。まったく手ごたえを感じない彼女とのやり取りに焦っていると、シンディはふん、と鼻を鳴らした。


「王子様なんて知りません。私は兄さまがほかの方に奪われてしまわないよう、兄さまを捕まえにきたのです」


「は、はあ!?」


「踊ってください、兄さま。――お願いです。今宵の魔法が、とけてしまう前に」


 魔法が、とける。

 その言葉に、ぎゅっと胸が苦しくなった。


 僕だって、馬車を降りてくるシンディを見たときに――あるいはこの子と初めた出会ったときに、自分では解くことの出来ない魔法にかかっていたんだ。


 今夜が、僕に許された最後。

 今夜を過ぎたら、この魔法から目を覚まさなきゃいけない。


 一瞬だけ頭の中を駆け巡った想いに、胸がズキズキと痛んだ。だから僕は、ついシンディの手を取ってしまった。何度となく繰り返したダンスレッスンと同じに足を前に踏み出せば、シンディは嬉しそうに僕の腕に手を絡めた。


「一曲だけだぞ……。それが済んだら、お前は、お前の行くべきところへ行くんだ」


「わかりました、兄さま。だから、だからお願いですから、私をちゃんと見てください」


 だが、シンディは王子のところに行かなかった。

 というか、行けなかった。


 ホールの隅で控えめに、柔らかな調べに乗って夢のような時間をすごすこときっちり一曲。にも関わらず、曲が終わった瞬間、お約束の鐘の音が響いたのである。


 いやいや、待てよ。

 いくらなんでも、時間的余裕がなさすぎだ!


 そんな僕の叫びは、無情にもリンゴンと鳴り響く鐘の音により掻き消される。当のシンディはというと、しまった!という顔をした直後、「お先に失礼します!」との一言を残して、来たときと同じくすたこらさっさと駆けていった。


 ところがどっこい。世界的プリンセスを侮るなかれ。


 未練のかけらも見せずに王宮から逃げ出していくシンディに僕が呆然としていると、どこからともなく現れた王子殿下が彼女の後を追って外に飛び出していく。


 さすがはシンデレラ。僕とシンディのダンスに目を留めた王子殿下が、ちゃんと彼女に一目惚れをしていたのである!


 とはいえ、案の定という王子がかシンディを捕まえることは出来ず、残ったのは片方のガラスの靴だけ。愛しいプリンセスの落し物を大事に抱えたまま、王子殿下は僕の襟首をつかんでぶんぶんと詰め寄った。あの娘はだれだ、どこに行けば彼女に会えるのだと。


 もちろん僕は、親切に教えてやった。当然だ。シンディがきちんとシンデレラとなり、王子と結ばれるように、僕は今まであの子を特訓してきたのだから。


 彼女の身元がすぐにわかったことで、王子殿下は小躍りして喜び、翌日にはすぐさま僕らの家に乗り込んできた。もちろん、ガラスの靴を持って、だ。


 舞台は整った。あとはシンディがガラスの靴に足を通し、彼女こそあの夜のプリンセスであると証明すればいい。今まで僕が胸の痛みやら胃痛やらを抱えながら続けてきた地道な努力も、これでようやく報われるのだ。


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