白煙草花(ニコチアナ)

青木 潤太朗

第1話



 ――イザラ様。イザラ様おかえりなさい!――。

 ――イザラ御嬢様。おかえりなさいませイザラ様――。

 ――おかえりなさい、おかえりなさいイザラ御嬢様――。

 ――おかえりなさい、イザラ御嬢様――。



 ニコチアナ(※純白の煙草ノ花)に彩られた夏のチャンドラー邸。

 城主の魔女イザラ・チャンドラーは出迎える使用人たちに、花さながらの笑顔で答えながら、窮屈そうだったスーツの胸ボタンを、上から一つ、二つと外した。


 ああ、と我が家の空気を吸い込んで。伝統ある『煙使い』の魔道士として外で振舞ってきた顔が、柔らかく安らいでいく。

 家臣の一人がイザラの前に進み出た。この城のなかでイザラという城主以外に、ただ一人の魔法使い。


 『反響使い』の魔眼を持つ魔道士であり、家臣の長を務める魔女、ユナ橘。

 ユナが恭しく差し出した細い葉巻を、イザラが受け取り、口にする。そこにユナが火を灯す。何千回の繰り返しが紡いだ、優雅とも言える乙女二人の仕草だった。主従の関係でありながら、そこには少しもなにか、棘のようなものはなかった。それこそまさに、白い花が並ぶように見えた。


 ふ、と。イザラが紫煙を吹き、その左目――『煙使い』の魔眼を瞬かせると――まるで意思を持ったように紫煙が蠢き。イザラを魔女のローブみたいに包み形作る。

 これが『煙使い』の魔眼。魔女、イザラチャンドラーの邸主としての装い。


「お帰りなさいませ。イザラ御嬢様」 

(((イザラ。おつかれさま)))


 ユナもまた、その『反響使い』の魔眼を閃かせ、音の声と同時に、心の声をイザラに伝えた。主への声は言葉で。親友への声は魔法で。


「ああ、今、帰った」

(((ただいま。ユナ)))


 二人の魔眼を持つ女――魔女が厳かに視線を交わす。――ややあって、どちらも少女のように、微笑みあった。


 # # # 


 大量生産の紙巻きのしか知らずに嫌煙を謳っているような者は、真に高品質なる葉巻の匂いを初めて嗅ぐと、多くがその芳しさに愕然とするだろう。イザラがふわふわ燻らせているのは、そういう細巻きだ。


「はぁ、美味しい……。飛行機は嫌いじゃないけれど、ずっと葉巻を吸えないのが辛い……」

「空港で召し上がってくればよろしかったのに」

「この国では、女の身で葉巻を吸おうというの、目立ちすぎるのよ」


 家の者たちへのお土産として買ってきた羊羹を添えての一服だ。日本茶や和菓子とも、驚くほどにその細巻きの煙は調和していた。


「ところでイザラ」

「ん?」

「お見合いは、いかがでしたか?」


 紫煙と共にある『煙使い』ともあろうイザラが、煙草でむせた。


「ゆ、ユナ」

「いつまでたっても話してくれないからです。少なくとも周りはそう言うつもりでイザラとグリフォール卿を会わせたのですよ」


 いまだ前時代的な風習の色濃く残る魔道士にあっては、結婚相手は家々での縁談が多い。今回のイザラの外出は、建前の上では『魔道士間での交流』だが、

『砂糖菓子使い』

のグリフォ―ル家新当主との引き合わせ――それの意味するところは、もはや明白だった。


「いかがでしたか? どのような方でしたか」

「……ん」


 ユナの後ろでは、同じくお昼の休憩を楽しむ家臣たちが興味津津に覗きこむ。先陣きって主に問うのは、家臣の長であるユナの大事な仕事だったのだ。


「……す――」

「す?」

「――素敵な……方だった……」


 頬を染めて。

 かすかに瞳を潤ませて。

 そう呟いた城主に、皆がざわめいた。


「イザラ……イザラはつまり――『12歳の少年』を相手に、一人の女声として、結婚相手にしてよいほどの男性としての魅力を感じた、と……ッ!? おっしゃる……!?」

「おかしな言い方をしないで!!!」


 そう。

 グリフォール家新当主、グリフォニカ・グリフォールは、12歳。

 イザラとの年齢差はつまり10を優に超えることになる。

 それでもこの縁談が成立ているのは、イザラという魔女のひとえに評判につきる。高潔で、思慮深く聡明――なにより、美しい。

 ただそれは『魔女』としての評価でなく、女性としての、もっと言えば単なる人間としての評価なわけで、ある意味では魔道士の界隈として異質でもある。



「いいえ、だってそんな、イザラ、少女漫画を読んでいる時と同じような顔をして……いるじゃあないですか……、そういえばイザラは初恋も12歳でしたが……恋愛観が止まっている……?」

「あの時は私だって13歳だったのだから、当たり前でしょう!」

「――ああ……イザラ、でもこれは、素晴らしいことです。とうとうこの家に、恋の兆しが。それも、良い恋です、これは!」


 御嬢様これはこれは。

 めでたいことですわ。

 おめでとうございます。

 イザラ様はお綺麗なのに硬すぎるのが玉に瑕でした。

 やりますね、グリフォールのお坊ちゃま。


「わ、わ、私はっ、……ッ、そ、そもそも――グリフォールとチャンドラーでは、遥かに向こうが格上だ、し。だから――それに私は彼に比べてあまりに……と、歳がいっている――っ。――だから、あまりその……みんな、あまり期待をするな……彼にだって選ぶ権利があるのだから……」

「いいえイザラ。心配しなくっても、きっと大丈夫です。イザラはとっても美人です。そんなに立派なおっぱいだってある」

「ゆ、ユナ……」

「彼は12歳でしょう。微妙なお年頃ではありますが、でもそれでしたら、そうですね、ええ、あとほんの1.2年ですよ。もう。そうしたなら、きっとイザラの素晴らしさに、おっぱいに夢中になりますとも」

「言葉を選びなさい……そ、それは、彼を侮辱している、でしょ……」


 口籠るようにしてそうつぶやくと、イザラが啜るようにお茶を飲む。そのあまりといえばあまりの反応に、家臣の男女達は思わず顔を見あわせた。


 ――これはホンモノだ。本当にホの字だ――


「……あ。でもイザラ、一つだけ」

「なに」

「ひょっと、グリフォニカ様が、もし”煙草を吸う女性は苦手だ”――ということでしたら」

「――え……」

「その時は、サパッとお諦めになったほうが。お互いのためにもよろしいか、と――……――」


 言葉に詰まったのはユナのほうである。なにせ気丈で誇らしきはずの、我が女城主であり親友が、たったこれだけで――


「い、イザラ、なにも泣かなくても……」


 顔をあげたイザラの瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれていた。そしてそれに本人はすぐきづけなかったようで激しく狼狽した。


「ち、違うユナ。煙が目に染みただけだ」

「仮にも『煙使い』としてはあまりに無理があります」

 

 # # #


 イザラ・チャンドラー。

 誇り高き『煙使い』の魔眼を持つこの美しい魔女が、凄惨にも陵辱されつくして命を落とすのは、これからわずか三ヶ月後。

 かの忌まわしきインスタント・マギ(機械仕掛けの魔眼)が引き起こした魔法使い同士の争いとその混乱の最中。


 ――イザラ様お許しを。

   お美しいイザラ様。

   イザラ様どうかお許しを。

   イザラ様、ああ、イザラ様、あと、ほんの、すこしの辛抱です。

   次は俺が。いや次は俺だ。もっとだ、もっと、ああ、お美しいイザラ様を――


 遺体の全身にこびりついていた体液は家臣達のものだった。









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白煙草花(ニコチアナ) 青木 潤太朗 @Aokijuntarou

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