5.第三波の到来と、終わりの時。

〇第二波の経験から得た事


第二波をやり過ごした経験は割と現場の肥やしになっていたように思うが、多くの課題も残した。


まず得られた知見であるが、ポジコロ肺炎の場合、ステロイドの投与が効く人と効かない人がいるという事。効く人は比較的早期に投与を開始しており、効かない人は大抵が入院が遅れた患者であるという点。


ステロイドは肺の炎症を抑える目的で投与されるが、早期なら肺の機能が失われる前に叩けるという事が判ってきた。しかし、発症から時間が経過して入院してきた患者のケース・・・例えば、しばらくホテル療養している内に徐々に状態が悪化してきた人などは、いくらステロイドの量を増やして吸入酸素量を増やしても、なかなかSpO2の改善が見られないというケースがあった。この事から判るのは、一度肺が破壊されると、その後はいくら酸素を増やしてステロイドで炎症を鎮めても、その機能がなかなか戻らないという事である。そういった患者は、ある程度の場面で重症者病院へと送られる事になった。中には搬送先でECMOまで行った人もいるらしい。

この事から、ポジコロ肺炎の炎症は早い内に叩けというのは、基本鉄則だという事が判る。


一方で看護師たちの様子を見るに、課題としては多くの持病を抱える高齢者に対するケアが困難だという事も痛感した。関節リウマチや統合失調症、パーキンソン病まで、感染者には多くの持病を抱えた患者がやって来る事から、それら病気に対応するノウハウがないと、現場は非常に混乱する。


院長も自分の専門科に対しては鋭い知見を持っているが、専門外の病気となるととても雑な対応をし始めるので、この点は薬剤師として非常に眉をひそめる部分が多々見られた。何故なら、持病で常用していた重要薬もバカスカ切ってしまうし、口渇を誘発する様な薬もお構いなしに重ねてしまうからだ。まぁこの辺は医者の判断なので、薬剤師ごときがゴチャゴチャ文句を言える立場ではないのだが、呼吸を浅くするBZPを切るのはまぁ解るとして、統合失調症の症状を抑える抗精神病薬を眠剤だと思い込んで切ってしまったり、頻尿を抑える薬をカットしてしまったりすると、患者は夜も眠れなくなり、トイレも近くなるわで、当然そのしわ寄せは現場看護師に行ってしまう事になる訳である。まぁ絶対に切ったらマズイ薬は強く指摘しましたけどね。


私は薬の削除や追加状況から、予め看護師に「この患者さんは薬をこう変えてしまったので、今後はこういった事が起きて来るかも。」とアドバイスする事しかできなかった。まぁ仕方ないよね。それくらいしかやれる事ないんだもの。


〇相変わらずよく判らんアビガンの効能


私が不在時にはザルのように使われていたアビガンであったが、職場復帰後は同意書と説明文書を用意して、必ず医師が説明するように、という釘を刺して払い出しが行われるようになった。本当は薬剤師が説明しても良いのだが、感染症病棟には基本的には入れないので、そこは初回診察をする医師(院長)が行うという決まりにした。というか、使うのはあんたなんだからそれくらいやれ。実際に医師が一人一人説明していたのかどうかは定かではないが、多分、実際は説明文書と同意書渡して終わりって形なんだと思う。それでも、今までに比べたら大分マシな環境にはなかった。アビガンは治験薬なので、1件位は症例報告した方が良いと院長には提言したが、「そこは上手くやっとくから気にしなくていい。」と言われたため、その後は特に何も言う事は無かった。けど、多分1件も症例報告してないぞ、あの人。


アビガンは通常10日~最大で14日間で処方されるが、当院では必ず最大14日間出すのがルーティンとなっていた。年齢も性別も症状も時期も問わず、拒否されない限りは必ず最大量122錠を飲ませるというルーティンを作ったのは院長で、ぶっちゃけ思考停止の理論で仕事をしていたように思う。約束処方の件もそうだが、第三波が来た辺りには、もう院長は最初期の取り決めを無視して、正確な患者情報を受け取る前から処方を書いていた。(規格やmg数も不明なうちから、勝手に錠数を決めて書いてしまう。)


患者情報を診る前から薬が決まってるってさぁ・・・。

しかしそこは薬局側で色々と手を入れる事になる。消化管出血が疑われる患者にも血栓防止用のアスピリンを出そうとしたケースがあったため、これに関しては薬局側で止めた。しかし釘を刺したにも関わらず、抗生物質にアレルギー歴の情報がある患者に平気で同系統の抗生物質を処方を強行した事があった。これはぶっちゃけアカンと思った。この頃から感じていたのは、初期に会議で決めた取り決めが徐々に院長の中で崩れていっている事だった。彼はもう、昔のルーティンで仕事をしている。


どんだけ嚥下能力が低い人にも粒のバカでかいアビガンを満量で処方する為、時折飲めなくなって中止となり、病棟から降ろされてくる事もあった。こういった治験薬は1錠単位で錠数を確認して管理するため、本当に余計な仕事を増やしているなと思った。


しかも、このアビガンは相変わらず効いてるんだか効いてないんだかよく判らない薬だった。どちらかというとステロイドの方が著効を示していたように思う。承認するにあたって、なかなか効くんだか効かないんだかの判定は出ないのは、こんな風に使った後に症例経過報告をする医者がいないからだと思う。国はどうにかしろ。


〇第三波の到来と、崩れていった取り決め


病院を再開するにあたり、院長には各部署から「極力負荷を軽くするように仕事をしてくれ。」という要望が入っていた。例えば、薬局からは調剤に時間と手間のかかる散剤の処方は減らすようにお願いしていたし、看護部からは検査日を特定の曜日に集中させないよう要望するなど、スタッフの負担を重くしない取り決めは予め会議で了承されていた。


しかし、第三波が来る頃には、院長の頭からはその事はもうすっかりと抜け落ちてしまっていた。思考が古くなった人間は、新しい事を始めるのは困難だが、元のやり方に戻るのは非常に速い。いつしか入院時の約束処方には今まで外来で頻繁に処方されていた散剤の処方が組み込まれる事になっており、院長は主任も師長も不在の土日に現場に現れては、当たり前のように指示出しをしたり、不在の薬局から薬を持ち出すという事例が相次いで起きるようになっていた。こうなると、月曜日に出勤してきた現場ではその辻褄合わせに奔走しなくてはならなくなる。


こうした変化を裏付けるように、新たに主任看護師の一人が退職を決めた。

現場の感染対策に尽力してきたその看護師は、仕事の仕方が元に戻っていく院長に苛立ちを覚え、最終的に喧嘩別れのような形で退職を決めたのだという。元の仕事っぷりに戻るという事は、クラスターが起きたあの時の姿に戻るという事を意味していた。

「もうダメ。戻るのだけはホンマに速かった。」

悔しそうにそう語る姿に、私もそろそろ潮時を感じた。


同じ時期、あらゆる取り決めが崩れ始めたのは他の部分でも見受けられ、看護師が足りないから薬剤師も感染症病棟に入って仕事をしろ!という話すら出始めたのである。


えぇ・・・インパール作戦かな?


〇そして退職へ


先の看護師が辞めた時、医局では結構なバトルが繰り広げられたらしい。

以前から院長は辞めていくスタッフに酷い暴言を吐くという話は聞いていたが、まさか自分の耳で聞く事になるとはね。


再開を目指していた時の院長は、

「僕はもうどんな事でもやります。トイレ掃除もなんでも、仕事は選り好みせずなんだってやる!この期に及んで仕事を選り好みする様なスタッフはこの病院には要らない!辞めていただいて結構!」

等と当時から「は?」と言いたくなるテンションで息巻いていたのだが、実際に看護業務の一部をお願いしたらメチャクチャ文句言いながら嫌々したという証言も得られている。

また、防犯上の観点から事務当直は男性スタッフに限られているのだが、事務方の男性も一人退職してしまったので、もうこの病院に残った男性はほぼいない状況になっていた。事務以外の各所から男性スタッフが集められて当直に入る中、院長は18時を過ぎると早々に自宅に帰り、しかも隔日でしか出勤しないという状況になっていたのである。何でもやる言うたんやから事務当直くらいやれよ。


さて、かくいう私はというと、ポジコロで退院してからの所得がずっと低い状態が続いていました。入院中はもちろん給料は出ないし、自宅待機期間中も途中から給付が開始になった雇用調整助成金で賄われ、復帰後最初の給料は月収7万だった。


その後も給料は満額に至る事なく推移し続け、出勤調整で週休3日とか4日みたいな生活が長らく続いていたわけである。そんな中GOTOトラベルも始まったもんだから、休みが多くなると旅行の出費なども多くなってくるのである。自宅でじっとしていても生活習慣がガタガタになる一方で、たかだか週3日の出勤は非常にきつかった。特に朝がね。近場のホテルに泊まってみたり、GOTOトラベルは無理矢理生活習慣を昼型に戻すという目的で活用していた。


そうこうしているうちに、労災の問題がいよいよ解決した。

こうなると、いよいよ動くべき時が来たかな?と思う訳である。

空調の件にしてもそうだし、来年以降に棚上げになった問題は、いつか現場のしわ寄せとして降ってくる。ぶっちゃけ、この現場はもう無理矢理延命しながらポジコロと戦っているようにしか見えなかった。既に手持ちの看護師では回せず、外部の病院に応援を要請している状況で、院長がこの有様である。看護師が先に居なくなる可能性も充分あった。


葛藤が無いわけではなかったが、働いても貯金がマイナスになるとか、働く意味ないやんけ・・・。


虎の子の貯金に手を付けるようになった時、退職を決意した。


〇最後に


退職届を提出した時、私は院長から

「またかよ!!こんな時期に辞めるなんて信じられない!君は今後医療職なんか辞めたらいい!」

「こんな事ならもっと早くに辞めてくれた方が良かったんだ!」

「みんなそうやって自分に都合の良い事を並べて辞めていくんだ!」

という数々の暴言を受けて辞める事になりましたが、まぁこの事はハロワにもしっかり報告しておいたよね。労基の方が良かったか?


他の辞めたスタッフとも連絡を取ったが、皆辞め際は一様に同じような事を言われたのだという。


正直なところ、院長に対しては怒りというよりも哀しみと憐れみを覚えた。

彼はいつでも自分が被害者で、辞めていく人は全て裏切り者だと思っているのだ。

自分だって、看護師程は戦力に放ってなかったかもしれないけど、半年以上コツコツと会議に参加して、再開に向けてのルール作りや、体制作りに尽力してきた。

そんな言い方って、あるか?やっぱ経営者の器じゃないよ。可哀相に。


第三波の波が収まる事なく、看護師が枯渇したこの状況・・・。もしも以前辞めた看護師達に暴言を吐いていなかったら、今まさにこの時期に助けをお願いできたかもしれないんだよ?アルバイト扱いでもいい、夜勤だけでも入ってほしい、そういったお願いも、院長が辞め際に暴言を吐いた事で全てが台無しになってしまっている。


辞める理由は人それぞれじゃないですか。

家族の為に辞めた人もいるし、危険を避けるために辞めた人もいる。

自分の場合、再感染は別に怖くないが、実際に起こった所得の低下と、将来性の危うさに決断を下したまでの事。


これは全部事実なのでありのまま書いておりますが、この文章はあくまでエッセイですからね。勝手に怒りを共有して、勝手に私の勤務先を特定して突などしないようにお願いします。


私には苦労して手にした国家資格も実務経験もありますので、辞めても次の仕事は簡単に見つかるのです。退職そのものは全然痛くないので、そこは勘違いしないように。


最後に世間に対して言いたいのは、

「医療従事者にエールを!」

とかマジで止めろ!


現場の看護師が欲しいのはそういうんじゃなくて、必要充分な所得と休日や!倫理観だけで搾取すんなよ。プロを使うからには相応しい金を出せ。

あと政府も社会も、これから医療従事者を目指している若者達を一番大事にせなあかんのちゃうか?


まーそんなわけで、皆さんもポジコロには充分気を付けてください。

色々現場で見知った事を書きましたが、やっぱただの風邪とは違いますよ、ポジコロ野郎♂。


一応最後に、念の為の復習です。

・ポジコロはサイレントキリング。呼吸苦が全くないまま肺機能が失われる。

・多くで血栓が発生する。水分をガッツリ取る事が大事。

・発症2日前、陽性確定後10日間は感染注意期間。

・時間が経過した肺炎はステロイド使っても直ぐに治らない。

・SpO2は95%以下になったらもう注意した方が良い。

・後遺症が残る。

・感染対策は動線分けが重要。レッドゾーン・イエローゾーン・グリーンゾーンを明確に分け、職種問わず職員一同が分かりやすいルールを策定する。

・リモートワークの出来る環境を作らないとポジコロ患者を診る事は出来ない。

・換気機能必須。

・マニュアルも大事だが、マニュアルよりも実務で確実に動ける仕組みが必要。

・出来ない事を無理してやろうとしない。


※後遺症についてですが、これには個人差があります。後遺症による味覚障害や呼吸機能の低下は、必ずしも戻らないわけではありません。何故なら、人間は気胸で肺に穴が開いても塞がって治るからです。私はいずれも時間をかけた事で元に戻りました。栄養のある物は何でも食べよう。

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ポジコロ入院記アフター ポージィ @sticknumber31

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