「コロッケと出来る嫁さん」

サカシタテツオ

□コロッケと出来る嫁さん

 「コロッケが食べたい」

 朝、起き抜けに嫁さんにそう伝えた。

 けれど返ってきた答えは冷たいモノ。


 「自分で買って来い」

 まあ、当然だ。妥当な判断。

 俺だってそう言い返すだろう。

 もしくは「自分で作れ」と。


 今日は祝日。

 季節は冬。

 休みの朝、誰に急かされる訳でもない貴重な時間に「コロッケが食べたい」なんて言われたら、やっぱりなんだかムッとしちゃうはず。


 ーーしょうがない。

 ーー自分で手配するしかないか。


 緩い決意の後、なんとかポカポカなお布団から抜け出す事に成功。

 気合いを入れるために、敢えて冷たい水で顔を洗い、冷たい水でうがいも済ませる。



 「寒ッ!!」

 温度計は室内なのに16度。

 暖房を入れて暖まるべきか、このままの勢いで着替えて出かけるか。

 もちろん後者だ。

 気持ちだけは。


 エアコンのリモコンを操作し、さらに石油ファンヒーターのスイッチも入れる。

 部屋に立ち込める灯油の匂いを嗅ぎながら、お湯を沸かしてコーヒーの準備。

 平日の朝なら、ここでトーストの準備もする場面だけれど、今朝はソレをしてはいけない。

 空腹を満たしてしまうとコロッケ入手計画が頓挫してしまう可能性があるからだ。


 お湯が沸く迄の間に、俺は着替えを済ませる。

 この後、この寒い中を自転車に乗って商店街までブッ飛ばすのだ。

 久しぶりに運動させられた身体はきっと熱を持つだろうから、あまり厚着をしない。

 今は寒くてたまらないけれど、走り出したら汗をかくほど熱を持つはず。

 そんなどうでも良い事を必死になって考えながら着替えを済ませキッチンに戻る。



 キッチンでは寝ていたはずの嫁さんがコーヒーの準備をすすめてくれていた。


 「ありがとう。助かる」

 そう伝えると


 「トーストはどうする?たまごは焼く?」

 俺は良い人を嫁さんにしたのだと心から思う。



 だが待て暫し。

 俺は何のために暖かいお布団から抜け出したのか。

 どんな思いを込めて冷たい水で顔を洗い、口をすすいだのか。


 そうだ。

 すべてはコロッケのためだ。

 今ここで嫁さんのまごころと言う名のトラップにかかってしまう訳にはいかない。

 腹が満たされてしまえば、今のこの熱い気持ちはきっとアッサリ鎮火してしまうだろう。

 俺は自分の心にムチを打つ。


 「いや、コーヒーだけで」

 「そお?」

 嫁さんは思いのほかに素直に引き下がってくれた。

 いつもなら「今食べておかないと知らないよ。後からお腹すいたとか言われても困るからね」と真正面からど正論を投げつけてくるのがパターンなのに。


 ーーどうかしたのだろうか?


 まぁいい。深く考えても答えなんて出ないのだ。

 俺はありがたくコーヒーを受け取り、椅子に腰掛けもせず立ったままテレビの画面を見つめる。


 「天気予報、天気予報・・・」

 祝日なので普段見ることのできない朝のワイドショーばかりが映し出される。

 そんな中、天気予報と気象情報のコーナーを放映中の番組と出会えた。


 ーーラッキー。



 テレビに映る女性の気象予報士は若くて可愛い。


 ーーこんな子供っぽい見た目の子が予報士とかの仕事をしているのか。


 的外れな事を考えているけれど、これは表情に出さない。色々と面倒だから。

 テレビが伝える現在の気温は5度。

 天気も決して良くない。降水確率もやや高めで場所によっては大雪になるとか。


 ーーヤバイ。のんびりとしていられない。



 俺はキッチンに移動してコーヒーに牛乳を多めに加える。

 熱すぎて一気に飲み干せないと判断したから。

 牛乳でいい感じの温度になったコーヒーを飲み干し、シンクにカップを置いて慌ててクローゼットに戻る。


 熱くなるからと、やや薄着な感じだったので完全防備の冬仕様に着替える。

 気象予報士の言葉を信じるなら外は想像しているよりずっと寒い。

 おまけに雪なんて降ってきたら、耳や指先がちぎれそうなくらい痛くなるはず。

 

 皮の手袋を出し、滅多に使わないマフラーも用意する。

 ズボンの下に寒さ対策用のインナーを履き直す。新しいマスクも用意して準備は万端。

 

 ーーあ。耳あて持ってないわ。

 

 俺はキッチンで洗い物を始めた嫁さんに声をかける。

 「耳あて持ってるなら貸して欲しい」

 

 水の音が止み、スリッパの音が近づいて来る。

 「私の耳あてでいいの?」


 そう言って手渡される。

 最近はイヤーマフラーとか呼ばれるらしい暖かそうなソイツはフワフワなボアで全体を包まれていた。

 ピンク色で。


 「えっと・・・他の色ってないかな?」

 「ないわね」

 即答だった。

 できる嫁さんは返事も早い。


 改めて嫁さんの格好を見ると、エプロンまで装着していて、ただの洗い物をしている感じじゃなかった。


 「あれ?洗い物してたんじゃなかったの?」

 と少し間の抜けたトーンで質問を投げる。


 「ええ。でも今はお昼ご飯の支度を始めたところよ」

 できる嫁さんは家事モードのスイッチが入っていた。


 「ちなみにお昼ご飯のご予定は?」

 嫁さん相手に少し丁寧な対応になってしまう。


 「チキンカツカレー」



 俺は今、リビングで二杯目のコーヒーを飲んでいる。

 キッチンは嫁さんが戦っているので使えない。

 トースターもキッチンにある。


 ーー俺も食べておけば良かった。


 普段見ることのないお昼のワイドショー。

 始まったばかりのその番組は最初から気象情報の特集だ。


 大雪警報の発令。


 キッチンから油の匂いが漂ってくる。

 胃袋が音を立てる。


 我が家の出来る嫁さんのおかげで、俺は大雪の街の中で遭難せずに済んだのだ。

 心から感謝している。



 ただひとつ。

 コロッケだけが心残りだった。


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「コロッケと出来る嫁さん」 サカシタテツオ @tetsuoSS

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