第3話
僕には幼馴染の少女がいる。
容姿が整い過ぎている程に整っている彼女にかかれば、無表情は神秘的となり、姦しいは朗らかとなり、渋面は哀愁と化す。
一笑千金、仙姿玉質、羞花閉月、国色天香、雲中白鶴。時代を華やかに彩ってきた美しい女性達を賛美する言葉をどれだけ尽くしてもなお、彼女を表現するには役不足だ。
そんな彼女ーー青木雅に僕は恋をしてしまった。
人の理性を司り、全ての行動の起点となる心の司令塔、脳幹。
人の本能を司り、資本となる身体を駆動させる身体の指揮官、心臓。
僕の中枢は、どちらも彼女に陥落している。
だから、次は僕が陥落させるのだ。
今日、僕は君に告白をする。
▼▼▼
昨晩、無事に遊園地デートへと誘うことに成功した僕は待ち合わせ場所である受付の前で所在なさげに佇んでいた。
周囲の楽し気な喧騒とは裏腹に、僕の心臓はバクバクだ。昔、父親のグラスと間違えて度数の強いお酒を間違えて飲んでしまった時以上に動悸が激しい。隣で立っている人の耳にまでこの鼓動が届いているのではないかと錯覚するほどに、僕の心臓は高鳴っていた。
緊張に苛まれる僕の視界に、亜麻色のワンピースを着た雅の姿が映った。
雅も何か思うところがあったのか、普段は何もせずに下ろしている濡れ羽色の長髪を後ろで編み込んでいる。あまり詳しくはないけれど、確かハーフアップだとかいう髪形だ。初めて見る髪型だけど、雅の一本筋の通った美しい背筋とおとなしめな可愛らしい相貌によく似合っていた。
口をぼんやりと開けて呆けている僕に気づいたようで、雅はくすりと笑って少し足を速めてくれた。
そうして彼女が歩く間に、道行く人々が振り返る。
隣に彼女らしき人がいる男性も、その彼女も、壮年の男性も、年端もいかない少女も。みんなが、僕と同じように惚けた顔で雅を見る。
周囲の視線を受けて、改めて自覚する。
僕はこれから、とんでもなく素敵な少女に告白するのだと。
きっと、分不相応だと嗤われるんだろう。きっと、身の程を知れと笑い者にされるのだろう。
でも、その程度の障害で諦められるほど、僕は潔い人間じゃない。
欲を言うなら、僕以外の人と語ってほしくない。僕以外の視線に絡めとられてほしくない。未来永劫、僕とだけ親しくしてほしい。
けれどそれは不可能だし、雅はそんな抑圧された環境だと曇ってしまうのだろう。
だから、せめて。君の隣には、僕がいたい。
依然固さの残る頬を無理やり吊り上げて、さぞや不格好に見えるのであろう笑みを形作った。
君の隣にいられるための、今日は第一歩だ。
僕は、思い切って一歩目を雅に向けて踏み出した。
▽▽▽
遊園地は怒涛の連続だった。人混みの多さ、絶叫マシンにお化け屋敷。どれもこれも笑いながら僕らは楽しんでいった。
けれど楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去るもので。地平線の向こうへと落ちていく太陽を雅と眺めながら僕らは歩いていた。
彼女は名残惜しそうに夕陽を見つめている。この時間が終わってしまうことを悔いる程度には雅を楽しませることが出来たのだろうか。
雅は、表情を華やげて口を開いた。
「今日は凄く楽しかった。インドア派の透が急に遊園地行こうなんて話すから、驚いちゃったけどね」
「楽しんでもらえたのなら良かったよ。正直に言うと、慣れてないから不安だったんだよね」
「あんなに、『絶対に楽しませる』だなんて豪語しといて?」
「虚勢は取り敢えず張っておいて損は無いよ。そうしておけば後から偉そうな面出来るし」
「もしも失敗したらどうするの?」
「脳味噌を必死に回して屁理屈をこねる」
「往生際が悪い!」
「社会に上手く適応できそうと言って欲しいかな」
「本当に昔と違って言葉巧みになったね。私の言う事にいちいち過敏に反応してた初々しい透が懐かしいよ」
「いつの話してるのさ」
「んー、十年前くらいかな?」
雅は昔を懐かしむように口許に人差し指を添えて、「あの頃の透は…」と、今すぐにでもベッドで悶えたくなるような僕の黒歴史を諳んじ始めた。
これはよろしくない流れだ。僕の精神衛生の為にも、告白のプランの為にも一刻も早く懐古を途切れさせなければならない。意を決して話し掛ける。
「……雅」
「ん、なに?」
「帰る前に観覧車に寄っていこうよ。夜景が絶景らしい」
「……うん、行こっか!」
雅はこちらを振り向くことなく、前を向いたまま観覧車の方向へ歩き始めた。
僕は祈るように空を見上げた。茜色に染まった天蓋は既に見る影もなく、すっかり雲に覆われた真っ暗な夜空に変わってしまっている。ここで流れ星でも降ってくれば格好が付くのに、生憎、空は静寂を保っている。
勇気をくれない空を恨めし気に睨みつつも、僕は雅の後ろを追い掛けた。
▽▽▽
「そういえば、観覧車に乗るのなんて随分久しぶりかも。透は最後に乗ったのいつだったか覚えてる?」
「確か八年前。あの日はおじさんが絶叫でグロッキーになってたから、雅と2人で乗った覚えがある」
「ふふ、懐かしいなぁ。確か、お父さんが『パパは強いんだぞ』だなんて強がって色んなの回ってたよね」
「そうそう、っと僕らの番みたいだ。乗ろう、雅」
遂に、僕らの順番がやってきた。
雅を先に乗せて、僕はその隣に腰掛ける。
「綺麗な夜景…星空だったら文句なしだったのに、惜しいなぁ」
「……そうだね」
むう、と唸る雅を見た。
けれど、僕に残念さを共有するだけの余裕は残っていなかった。全身の血流は酷い有り様で、先程までなめらかに動いていた口は縫い付けられたかのように回ってくれない。
……やばい。
何て話すんだっけ?
君との出会いは鮮烈だった?
何よりも綺麗だ?
それともシンプルに好きです?
やばい。
1ヶ月以上掛けて考えた言葉が完全に飛んで行った。
ああ、どうしよう。
順調だった。いっそできすぎな位に、今日のデートは上手くいった。
それが、こんな。
最後の最後に、やらかすなんてーー
「ちょっと、見て!透」
ハッと、狭窄していた視野が広がる。自分の身体の境界さえ曖昧だった浮遊感が、雅が触れた肩から現実味を帯びていく。
何事かと目を上げるとーー
「雲間から、凄く綺麗な月が見える!」
たしかに、興奮気味な雅が指し示す先には、それはもう見事な満月が座していた。先程まで星屑ひとつ見えない曇天だったというのに、僕らが頂上に来たタイミングで月の部分だけが姿を見せた。
雅はそこに興奮しているのだろう。
でも、僕は、そんな月よりも。
「ーー綺麗だ」
「ね!」
満面の笑みを咲かせる君に、見蕩れていた。背景は満月で、主役は雅。
雅は、容姿が整い過ぎている程に整っている。彼女にかかれば無表情は神秘的となり、姦しいは朗らかとなり、渋面は哀愁と化す。
新雪を思わせる真白な肌は、興奮によって僅かに朱が滲んでいる。心底楽しげにゆるりと弧を描く、優しげな瞳。神聖さすら覚えてしまうほどの純新無垢さに、こんがらがっていた思考がはらりと解けるのを感じる。
どこぞの誰かが、雅は容姿の暴力だと嘯いていたけれど、僕も心の底から賛同したい。
……これは、いけないものだ。
「ねえ、雅」
「なに、とお」
気づけば僕は、雅を抱き締めていた。
両腕を介して伝わってくる女性特有の柔らかさに、滑らかな香りが鼻腔をついたけれど、そんな些細なことが気にならなくなるくらい、僕の心は愛おしさで一杯になっていた。
「と、ととととおる? まっ待って、どうかした? え、ちょ、あの、も、もう観覧車終わるから……」
ガコンと、着陸した音がした。
僕の腕の中でぐるぐると目を回している雅の手を強引に取って、観覧車から降りる。
係員から預けていた荷物を受け取って、戸惑う雅を連れ、人気がないところまで歩いた。
▼▼▼
「……この辺りでいいかな」
「ちょっと、透。いいかなって、何が?」
僕の独り言を耳にして、先程まで混乱中だった雅が問いてきた。
頬と耳に若干の赤みは残っているけれど、概ね普段通りそうだ。でも、なにやら不服そうでもある。
その顔を見て、思わずクスリと笑みが零れた。雅は怪訝そうな顔をするけれど、仕方ないじゃないか。
だって、これは君が望んだことなんだから。
「『デートは遊園地がいいな』」
「……透?唐突にどうしたの?」
「『正門前で待ち合わせして、まずはソワソワしながら待っている相手を写真に収めるの』」
「ねえ」
「『色んな乗り物で遊んで、一日中遊び尽くしたいな。好きな人と好きな場所で遊べるって、とても素敵なことだと思わない、ねぇ、透?』」
「……!!」
ここまで話せば記憶の片隅に引っかかることがあったのか、雅は顔を驚愕一色に染めて、口元を覆った。
疼く嗜虐心を抑え、言葉を続ける。
「『日が落ちたら観覧車に乗って、お互いの肩を抱きながら夜景を眺めて、二人きりの世界を堪能してさ』」
「ーー降りたら人気のない所に連れていかれて、999本の薔薇を渡してもらうのが、私の理想のプロポーズ……透。こんなこと、よく覚えてたね、それも一言一句間違えることなく」
「あんな輝いた瞳で言われたら、忘れたくても忘れられないよ」
思い返すのは八年前。
二人で観覧車に乗った時、雅がおもむろに理想の告白とやらを語り始めたのだ。当時は特段その意味を理解していなかったけれど、今になって思えば、つまり、そういうことだったのだろう。
先程係員に預けておいた大きめの袋から999本の赤薔薇のドライフラワーを取り出し、膝をついて雅に差し出した。
そして、あの言葉の後に続いた問答を思い返す。
『プロポーズ? それはおかしいよ。雅ちゃんが話してるのって高校生の時のことでしょ?それなら、告白があってるんじゃない?』
『ふふ、わかってないなぁ、透は。私は、生半可な気持ちじゃOKしないよ。それこそ、一生を共に生き抜く位の甲斐性は見せてもらわないとね』
過去の雅はそう言って艶然に微笑んだ。
勿論。君が望むのであれば、いくらでも甲斐性を見せよう。
「僕と結婚を前提に付き合ってください。自覚したのはつい最近だけど、初めて声をかけてくれたあの日から、僕は君に夢中だったよ」
残念ながら即時に返答は聞けなかったけれど、まるで差し出した赤薔薇のように、首筋から耳までを赤く染めた雅がみれたから良しとしよう。
君と僕の冷却期間 しんじょー @tubaame
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