逆鱗

「起きて」少女の声に起こされて男は、持ち込んだ寝袋で目覚めた。聖職者のような白い布を纏った少女は、昨日の幼さを全く感じさせないほどに大人びて見えた。

「いいのか?」テントの奥でまだ寝ている様子の母親に黙って出て行こうとする少女の背中に向かって男は声を掛けた。少女は黙って首を振って俯いた。

「そうか。こっちも仕事だ。全力は尽くすが、お前が無事でいられるか保証できない。死んでも恨むなよ」少女は黙ったまま大手を振って歩き出したので、男は小走りで着いて行った。夜のとばりが開けて、紫色の空の下を赤い陽の光が熱するように揺らめいていた。太陽が彼らの頭上高く上がる頃、少女の歩く先に小さく石造りの神殿が見えた。男は革袋を砂の上に下ろし、中から携帯用の望遠鏡を取り出した。神殿の前に何本かの朽ちた石柱があり、砂の上に折れた先が突き出したり砂に頭を埋もれた石柱が逆立ちしている。本殿は割かし綺麗に残っているが、建てられて随分と時が経過しているのを感じさせる趣だ。

「あの中に竜がいるのか」男の独り言を置き去りにして、少女はぐんぐんと砂漠の上を歩いている。男は望遠鏡を手に持ったまま駆け足で追った。神殿は想像以上に巨大だった。朽ちた石柱の間を歩く少女が小さな点に見えるくらいに距離を取り、男は石柱の影で革袋を下ろして、中から金色に輝く奇怪な金属片を取り出して組み立て始めた。みるみるそれはどのようなルーツを持ったものなのか判明できない不思議な文字のような線状の象形が無数に彫りこまれた、巨大な矛のような、比翼を持った飛行船のような何とも形容しがたい物体になった。強い風が吹いて砂が舞った。男が石柱から半分顔をのぞかせると、少女が神殿の階段に差し掛かっていた。あの咆哮が神殿から響いた。男は傍にある石柱が揺れるのを感じた。金色の巨大な物体から突き出たアーチ状の輪に手を掛けて思いっきり物体を上空に投げ飛ばす。刻印された象形が翡翠色に輝き、それは宙に浮いた。神殿の中から青漆せいしつ色の硬質そうな皮膚と鱗に覆われた巨大な竜の口先が飛び出し、赤紫色の粘質な内膜から何層にも渡って無数に生える牙を剥き出しにした。少女の肩がせり上がり、縮こまっている背中から彼女の恐怖心を見て取った瞬間に、竜に向かって飛行する物体の下を男は石柱から飛び出して駆け出した。少女の頭をすっぽりと飲み込めそうな鼻先の鼻孔を膨らませて竜は少女の匂いを嗅ぎながら、神殿の入り口の石柱を崩しながら巨大な双翼を広げてその巨躯を露わにした。再び大口を開いて咆哮を上げると、その風圧で少女は尻餅をついてへたり込んだ。竜の口に勢いよく金色の飛行体が飛び込んで、竜は長く太い首を後ろに引いて怯んだ隙に男が階段を駆け上がり、少女の肩を抱いてそのまま神殿の横に立つ大きな石柱の影に少女を運んだ。

「ここから動くな」男はまだ濡れている少女の瞳をまっすぐに見て頷き、影から飛び出した。竜は飛行体を砂漠の上に吐き出して咆哮を上げた。飛行体は再び宙に浮いて竜に向かって駆け寄る男の頭上を飛んだ。男の詠唱に合わせて飛行体は四つに分かれ、竜に向かって四方から飛び掛かった。竜は長い尻尾で飛行体を薙ぎ払った。四散する物体を見て、男は首元に巻いたストールを解き取り、顎元に付いた金色の鱗に触れた。みるみる男の身体が膨張し、男は黄金の竜となった。


 砂漠の集落から再び生贄が差し出されることは無くなった。それから竜狩りを見た者はいない。ただその後、各地で空飛ぶ黄金の竜を見たと言う者が後を絶たない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

逆鱗 松尾模糊 @mokomatsuo1702

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ