第一人生

トーヤ

第1話

「康夫さん、あなたの余命は一年ほどです」

 二一世紀の様式にしつらえられた清潔な病院の診察室で、三六歳になる康夫はその宣告を聞いた。この時代、余命宣告はそれほど深刻なものではない。それを証明するかのように余命を告げる若い医師の顔は穏やかだ。『大人たち』はみんなそうだ。とても穏やかな顔をしている。

「肝臓ガンが主因になりますね」

 ここで医師は微笑みを浮かべた。

「おめでとう、進級の時ですよ」

 けれど余命を告げられた康夫からすればたまったものではない。三六歳で寿命なんて早すぎる。

「八十までは生きられるんじゃなかったんですか? 私はまだ三六ですよ」

「八十歳まで生きられると言うのはただの平均寿命の話ですよ。人の人生は千差万別それぞれ異なるものです」

「それにしても、早すぎませんか?」

「それが貴方の人生だったと言うことです」

「わかっていたんですか? こうなることは。酷いじゃないですか、やっと昇進できて、結婚だって考え始めていたのに!」

 『大人たち』が秘匿している技術なら一人の人間の健康状態は簡単に把握できただろう。

 彼らと二一世紀様式に生きる康夫達の間の技術格差は大きい。それこそ、小学生と大人くらいに。だからこそ康夫の問いは無意味だった。康夫がどんな人生を送るかと言うことなど、大人たちにわかっていないはずがない。

「康夫さんは第一人生でしたね。初めての時はみんな戸惑うものです。何もおかしいことでは無い。むしろそうでなければ生きて死ぬ意味がないというものです」

 目の前にいる医師も二十代の外見をしているのに、仏像のような雰囲気を醸し出している。

 わざわざ地球で不便な生活をしながら働いている『大人たち』はみんな『子どもたち』のために仕事をしているから、特に優しい人が多いのだそうだ。

「何も恐れることはありませんよ。あなたの魂は次の人生に向かうのですから」

 若い医師の優しげな態度など、死を眼前に突きつけられた康夫の心には全く響かない。


   ※


 康夫は医院を出てすぐ近くにある公園のベンチに腰掛けていた。右手には終末を過ごすための心構えが書かれた薄いパンフレットの入った袋が力なくぶら下がっている。

 いつの日か自分も死ぬとはわかっていたが、いざ来てみると胸に去来するのは落胆ばかりだった。

「死にたくない……だいたい不老不死が実現しているのに、お前は普通に死ね、だなんて酷いじゃないか……」

 力なく康夫はぶつぶつ呟く。医院にとって返して、あの若い医師を怒鳴り散らして暴れてやろうか。そんな思いが頭を掠める。

 康夫はため息をついた。そんなことをしても無意味だ。

 康夫のような『子ども』の言うことなど『大人』が相手をしてくれるわけもない。それこそ地面を転げ回って駄々をこねる幼児と同じ扱いをされるだけだ。あやしてもらえるが、言うことは聞いてもらえない。

 康夫が暴力を振るおうとしても同じことである。康夫が子どもの中の子ども、小学生だった頃にイタズラで『大人』である学校の先生に向かって輪ゴムを撃ったことがある。

 黒板に板書していた先生は、康夫に背中を向けていたから飛んでくる輪ゴムに気がつくことはできないはずだった。

 けれど輪ゴムは先生の近くで停止して、そのまま空中に浮いていた。板書を終えて悠々と振り向いた先生は康夫に言ったものだ。

「こらこら、そんなことをしてはいけませんよ」

 そして宙に浮いた輪ゴムを手に取り、康夫に返してくれた。

 『大人たち』の持っている超技術はそれこそ魔法のようなものだ。『子ども』には何が起こったのかすら理解できない。


「おじさん、どうしたの?」

 康夫が顔を上げると小学生が立っていた。

 康夫を気遣うその表情はどこか大人びて、先ほどの若い医師の静かな表情に似ていた。

 康夫のスマートフォンに小学生の簡単な公開情報が流れてくる。ちらりと見てみると、なんと『第七人生』。人生が七回目の大先輩だった。

「……初めての転生が近いんです……」

 小学生は得心が言った風にうなずいた。

「私も初めての時はそうだったよ」

「あー、ぼくもそうだったー」「わたしもー」

 小学生と一緒に遊んでいた子たちも近づいてきて、口々に康夫を励まそうとしてくれる。どうやらみんな康夫の『先輩』らしい。

 自分より年下で、その年齢らしさも備えている年少者が自分の人生の先達であることも珍しくないのがこの世の常識だ。

 それに対して、どうにも違和感が拭えないというのが康夫の偽らざる気持ちだったのだが、今日に至ってはグロテスクに感じられてやりきれなかった。

 なぜ自分ははるか年下の子らに人生の終末を慰められているのか。

 康夫は嫌気がさして空を見る。二百世紀の初夏の昼下がり、二一世紀様式の空に真昼の月が浮かんでいた。


   ※


 康夫が一人暮らしの家に帰り、病院で渡された薄いパンフレットを開くと、自動で動画が再生され始めた。

 シンプルなイラストと性別を感じさせない合成音声が滑らかに話し出す。

 内容自体は康夫が小さい頃に両親から聞かされた『せかいのおはなし』と大差ない。

 この転生世界が実現したのはきっかけは社会の複雑化と人間の限界だった。

 社会は個人個人を大切にし、全ての属性を尊重する方向に進んでいったが、人一人、一つの生まれで持ちうる程度の経験で全ての人々を理解し、尊重することなどできなかったのだ。

 科学と社会が発展すればするほど、個人の個人の差は浮き彫りとなり、それがもはや一人の人間の視点では全ての人々を理解することも共感することも不可能であることが判明する。

 当時興隆した脳科学と進化人類学は人の限界を示唆する一方で、その解決方法を指し示してはくれなかった。

 世の理想は高く、最早個人は能力的にそこにたどり着けない。

 行き詰まりの時代に生まれた思想はとてもシンプルだった。

 一度の人生で人を理解できないならば何度でも生まれてくれば良い。

 人として生まれ、一生を全うし、そして記憶を次の肉体に引き継ぎ、そして次の肉体は前回の肉体とは全く違う属性を与える。

 個人として全ての人種を性自認を性的指向を知力体力の高低を、感性の鋭鈍を、身体と精神の健全不健全を、長命と短命を全て体験する。

 その果てに真に他者を尊重し、調和し、分かり合える成熟した『大人』となることができる。

 その思想は閉塞感と不和に包まれていた人類の最後の希望となり、ついには実現を果たした。

 

 二一世紀風に地球がしつらえられているのも理由がある。情報技術は存在しているが、シンギュラリティが起こっておらず、まだ労働力として生身の人間に価値があるという時代は初等教育にちょうど良いからだ。

 不死を手に入れ、宇宙にその生活圏を広げた人類は地球を転生を繰り返し人類を学ぶための子供たちの寄宿舎としたのだった。

 パンフレットの語る事はつまらない。学校の授業などでも折々聞かされていたことがまた再生されているだけのことだ。

「……なので貴方が生まれ変わることも一つの経験、十世紀近くに渡る長い道行の一つ、何も怖がることは……」

「周りくどいことするくらいなら、今すぐ『大人』にしてくれりゃいいじゃないか」

 康夫はパンフレットを破り捨てた。


   ※


 死を前にして、康夫は母を訪ねることにした。康夫の母親はもうすでに亡くなっているので、正しくは母の次の人生を訪ねることになる。

 市役所に尋ねれば教えてもらえることである。ちなみに父はマカオで働いており、すぐに会いにいく事はできない。

 死んだ母の方が簡単に会えるという事実にやはり奇妙さを覚えつつも、康夫は待ち合わせの最寄りの駅前のファミリーレストランを訪ねた。

 康夫の母親がまだ存命だったころ、よく連れてきてもらった店である。

 店内では小さい子供が夢中で母親に話しかける声が聞こえてくる。どうやら映画を見た後らしい。

(昔、映画に連れて行ってもらったっけ)

 康夫の幼い頃の思い出が浮かんでくる。子供向けの映画を観に行って、それからここで子ども向けのセットを食べたりしたっけ。もう何を見たのかも思い出せないが、あの頃は何の不安もなかった事は確かだ。

 康夫のテーブルの向かいに男が座った。肩にかかるくらいの髪を金色に染めて、よく日焼けした男だった。

「よっす、康夫チャン元気してた? ってもうすぐ初死はつしだもんね、元気なわけないか」

 親しげに声をかけてきた男を見て、康夫は目をこすりたくなった。

「まさか……母さん?」

 こんな軽そうな男が? という言葉を康夫は飲み込んだ。

「そぉーだよー。今生では女にモテることしか考えられないタイプの男でさ。この人生を生きてみて初めて女と見れば声かけずにはいられない男の頭の中が知れたわ、ほんと何も考えてねぇ。マジで百聞は一見に如かずだね」

 ぺらぺらと男はよく喋った。

「そんで、今日はなんの用?」

「母さんが死んだ時の気持ちってどうだったのか伺いたかったんですが……」

「んー、思い出せないな。あははっ」

「ええ……?」

 そのあまりにも軽い調子に康夫は怪訝な顔になった。

「気持ちはわかるけどさぁ、自分が死ぬ時なんて考えてたってしかたないじゃん。もっと今を生きなきゃさ」

 男は康夫に親指と人差し指と小指を立ててひらひら振った。今の若者の流行なのだろうか。

「もう、結構」

 結局母は二十年も前に死んだのだ。同じ人間であろうと、目の前の男は康夫の母だったことがある人間であり、康夫の母ではない。

 一万円札を机に置き、康雄は席を立った。立ち去る康夫の背中に男は声をかけた。

「気ぃ悪くしちゃった? ごめんねー」

 康夫は無視する。男は笑い声を含んだような声で続けた。

「でもな康夫チャン、みんな同じ人間なんだよ。どんなカッコしててもさ」

 康夫は振り返る気にもならなかった。

 

   ※


「気持ちはわかりますとも。『大人たち』は持っている技術を出し惜しみしているんです」

 物腰柔らかにバーテンダーは言った。

 元母と会ったファミリーレストランから少しずれたところにある夜の店が多いエリア、その中でも胡散臭い場所にある古いビルのバーが、康夫の訪ねた場所だった。ここには昔からある噂があったのだが、どうやら当たりだったようだ。

 『大人たち』はあまり治安維持に興味がない。むしろ悪行とそれにまつわる悪因悪果は『子ども』のうちに経験させておくものと考えている節すらある。

 『大人』は医者や教師に一定数いるが、警察機構や政治体制にはほぼいないのだ。学級会は子どもが運営すべきと考えているらしい。

 バーテンダーは一つのカプセルを康夫の前に置く。

「ただの薬に見えますが、中に入っているのはナノマシンですよ。『大人たち』の現役の技術を盗むことなんてできませんが、ナノマシンは二十世紀には理論が生まれていた技術なので、ナノテク系の学問に関係する人生を送った事のある人なら、自力でここまで辿り着くことも不可能ではないんですよ。……なんと言っても時間がありますからね」

 バーテンダーは洒落たジョークを言った時のように笑った。

「でも禁止技術なんだろう……犯罪だよな?」

「やめておきますか?」

「……」

 康夫のためらいを見てとったバーテンダーは話を続けた。

「死にたくないというのはごく自然な感情でしょう。 今の死を強制する社会の方がおかしいのだと私は思いますけどね」

 バーテンダーはニヤリと笑って、康夫に顔を近づけた。

「私もね、このナノマシンを入れているんですが、今、八十歳です」

「なんだって? あんたは二十代にしか見えないが……」

 バーテンダーはカプセルを指差す。

「これはですね、体内に常駐して人体を健康に保ち続けるものなんですよ。当然ながら健康のためのアンチエイジング効果もあるので、不老非死の存在になれるというわけです」

「不老不死……」

「非死ですよ、あくまで」

 バーテンダーの注釈を康夫は聞いていなかった。魅入られたようにカプセルを手に乗せる。その脳裏を様変わりしていた母の事がよぎった——あんな風になりたくない。

 康夫は勢いをつけてカプセルを口に放り込んだ。

 水と一緒にカプセルを飲んだ後も康夫の様子は特に変わらなかった。もともと自覚症状はなかったのだ。

「簡単なんだな」

「おめでとうございます、ガンくらい何も感じないうちに治りますよ」

 人心地ついた康夫はウイスキーを注文し、それからスマートフォンを見た。目の前のバーテンダーの公開情報は『第二十人生』、卒業もあり得る年度だった。

「驚きましたか?」

 するりとバーテンダーが話しかけてくる。この察しの良さは人生経験の差なのかもしれない。

「ああ、もっと若いのかと思った」

「私のようなものは留年組とでもいうのかも知れませんね」

 と、終始余裕の態度を崩すことのなかったバーテンダーの表情が少し歪んだ。

「ただ、そんなふうに生まれたこと自体が卒業試験なのかも知れませんが」

「……いかにも『大人たち』のやりそうなことだよな」

 バーテンダーは喉の奥で笑った。


   ※


 死の恐怖から解放され、浮き沈みの激しい一日を送った康夫は酔いも手伝って地に足のつかない気分で帰宅の途についていた。

 つまるところ康夫は周囲への注意力が落ちていたのだ。


 その日康夫をはねた車の運転手は第三人生、今生は生来自信過剰気味の人生に生まれついていて、この日も平均以下の己の運転技術に慢心し、自分なら大丈夫と言う自信から歓楽街で多量に飲酒していたため、横断歩道を渡る康夫に気がつかなかった。この後、この運転手は転落と悔悟に満ちた人生を経験することになる。

 横断歩道を渡っていた時に康夫は一切減速しない自動車に撥ね飛ばされ、宙を舞い、アスファルトに叩きつけられた。

 人体常駐ナノマシンはナノサイズレベルでウイルスや細菌と戦い、細胞の老化を押しとどめ、人体の健康を保つ。そしてエネルギーはささやかに人体から栄養を入手して稼働し続ける物だ。つまるところ、そのパワーは康夫が蒙ったような人体の重度の損傷については非力が過ぎる。

 非死の世界は決して不死ではなく、二二世紀から始まった非死社会では反社会的な問題解決手法として人体損壊と殺人が用いられがちになり、暴力犯罪のレベルが前世紀より悪化したことなど、もちろん『子どもたち』が知る由もない人類史の一ページである。

 アスファルトに叩きつけられた康夫が起き上がる事はない。最後の一息で康夫は呟いた。

「い、嫌だ……死にたくない……」

 死にたくない、ということだけが目標だった男の言葉は誰に聞き取られることもなく消えていった。


   ※


 そして死んだ後、康夫には意識だけがあった。痛みはない。不快感もない。ただ眠気が色濃くあり、かわりに周囲の現実感が薄れていた。肉体を失ったからか、あれほど死にたくなかったのにそれを嘆く気すら湧いてこなかった。

 一体どれほどの時間が経過したのかもわからない時間、まるで自分が球形になったかのように康夫はただ浮いていた。

 そしてふと気がついた時には、康夫の前にあの若い医師が簡素な木製の丸椅子に腰かけている。それ以外にはなにもない、白く広い果ての見えない部屋だった。

「やぁ、君」

 若い医師が右手を上げる。

「……これが死後の世界ですか」

「そうだよ。そのままじゃ過ごしにくいだろうけれど、次の生が始まるまで少し我慢してね」

 簡単に発声できたが、声を出したという体の実感はない。

 試しに右手を持ち上げてスマートフォンを見ようとするがそこにはなにもない。右手もない。康夫の体は既にどこにもないのだろう。

「これは罰なんですか?」

「なぜそう思うんだい?」

「ナノマシンに手を出したから、死刑にされたのかなって」

「ははは、そんなことはしないよ。君がナノマシンに手を出したのは知っていたけれど、それならそれで考えが変わるまでゆっくり待つつもりだったし。バーテンダーのあの子みたいにね。まぁ一世紀以内には警察に捕まってナノマシンを除去されていたと思うけど」

「その程度のことですか……」

 康夫は罰を免れてほっとする一方、どこかがっかりした。結局『大人たち』は『子ども』が何をしようと小揺るぎもしない。

「ふむ、この姿では君が萎縮していけないね。こちらのほうが親しみが持てるかな?」

 目の前で若い医師が少し光ったかと思うと、その姿形が変わる。もう少し歳をとった、おっとりした雰囲気の人物。かつて小学生だった康夫が輪ゴムを当てようとした『大人』の先生だ。

「どうだい? こちらのほうが気安いかな」

「『大人たち』じゃなかったのか……」

「正解です。この地球を担当しているのは私だけだから君が会った事のある『大人』は私だけだよ」

「地球上にいる『大人』って一千万人超えてませんでしたっけ?」

「そうそう。それが全部私。あと五十くらいの地球は私一人で運用しているよ。本当はもっとできるんだけど、何事も独占はよくないからね。同僚たちと一緒に教育に当たっているよ」

「五十個の地球?」

「最初の地球だけで人類の『子どもたち』を二一世紀様式で運用するのは無理だからね。あちこちの銀河に最初の太陽系に似た環境を作ってるんだ」

「クラウドなんてもんじゃない……どんな技術を使っていたらそんなことができるんです?」

「ああ、銀河だよ」

「銀河?」

「そうそう。機械との一体化を通り過ぎて、我々は自然現象と一体化していてね。この宇宙に存在しているものなら何からでも情報と力を引き出せる。まぁ私から見ればそれは同じものなんだけれど」

「輪ゴムが宙に浮かぶわけだ……」

 そもそも相手は康夫が存在している空間全てだったのだ。そりゃ、何もかも把握しているに決まっている。

「ちなみに『大人たち』で一兆の銀河を利用しているよ」

「とても同じ人間と思えませんよ、先生」

「そこは君も大人になったらわかるから、なにも急ぐ事はないよ。実際、この地球を卒業した人間がすぐ大人になるわけじゃないんだし」

「そうでしょうね。地球にへばりついて生きたってこんなものが理解できるわけがない。卒業の後はどこに行くんです?」 

「進学先は宇宙なんだ」

 『大人』は笑った。

「たくさんの銀河に向かって大船団が旅立って行った三十世紀様式。ここでは機械と一体化して広がった知覚を学べる。それと宇宙の危険さも」

 その面白いジョークを言うような調子に釣られて、康夫も、はは、とぎこちなく笑った。

「ちなみにそこも卒業すると人間以外の生き物になってもらう授業も始まるからお楽しみに」

「ひょっとして宇宙人になるんですか?」

「大正解。交換留学だよ」

 『大人』は嬉しそうに拍手したが、康夫にとっては憂鬱な話だった。

「いつまで経っても終わらないじゃないですか」 

 康夫にまだ体があったら、首を振っていただろう。

「大丈夫、私たちにも追いつけるようになっているよ。そのために進級するごとに世紀を飛ばしているんだから」

「進級スピードを落としてでも、死なずにずっと生き続けるというのはダメなんですか? 時間がかかってもいつか貴方たちに追いつけるかもしれない」

「そうだね、別の地球ではそれを目指している『子どもたち』の一団もあるよ。三十世紀の壁を越えられなくて自壊し始めているけれど」

 あっさりと『大人』は認めた。

「少し歴史の話をしようか。『最初の大人』は二一世紀の生まれだったんだ。二二世紀非死の時代を迎えて、二五世紀に転生を提唱したんだけれど、初めの頃の転生派はただのカルト扱いでね。大多数の非死派から、自分を生きることができない弱虫の理屈だと言われていたよ。

 けれど非死人は自己維持へのこだわりが強すぎて、その後十世紀近い停滞の時代を招いてしまってね。そのうちにだんだん数が減っていって、今ではアーミッシュと同じような扱いだよ。誰も死のリスクを取りたがらないせいで、異常気象くらいの異常にも対応できないから、私たちの支えがないと存続できないくらい衰えてしまっているのが、最初の地球の非死人たちの現状だね。

 結局は人の不和を乗り越えていくために生み出された転生派の考えが社会を一番発展させたんだ。結局産まれ育ち、生きて死ぬ事が一番しなやかに、状況に変わっていく状況に対応できたというわけだ。しかも立場の違いから来る争いとは無縁だし」

「非死人の顛末はわかりましたよ。でもあなた方は非死を超えて不老不死どころか、不滅なのでは?」

「いやいや。この宇宙が死ねば我々も逃れ得ないよ。そこが現在の我々がぶつかっている壁だね」

 『大人』は自分の死の可能性を平然と語る。

「今はみんなで宇宙の外に出る方法を研究中なんだ。そうすれば私たちは宇宙の死を体験して、さらにその先に進んで行けるからね」

「果てがなさすぎる……」

「まだまだ私たちも旅の途中というわけだね」

 『大人』はロマンあふれる事を言ったつもりだろうが、康夫は額の汗を拭いたい気分だった。まるで人生設計のように宇宙の死とその次を語る『大人』のスケールに頭がおかしくなりそうだ。

 それでももう死にたくない康夫は『大人』に食い下がる。

「生まれた時から『大人』と同じ存在にしておいて教育はゆっくりやるというのはどうです?」

「私たちが能力の拡張を強制する事はないよ」

「死ぬよりはマシですよ。それにそれは進級していけば同じことでしょう」

「そうだね……身につかない力を与える事、それが一番ダメだったんだ」

 『大人』は目を伏せた。

「例えばどうなったんです?」

「惑星を花火にして遊ぶ子が増えた。さらに意見の合わない相手を自分と同じ考えに塗り潰してしまう子もたくさん出たよ」

「悪さしようとする意識を制限するとか」

 『大人』は首を振る。

「生まれてきた『子ども』をロボットにしたいとは思わないねぇ……」

「変なところで常識人ぶるんですね」

「ごく平凡な人間だよ、私は」

「ぎゃっはっはっは!」

 康夫はヤケクソで笑ったが、『大人』は意外そうな顔をしている。子どもの笑い所が理解できないという表情だ。『大人』は咳払いをした。

「まぁ、そんなわけで。人々の不和と停滞を乗り越えるための転生だったんだけれど、一人の人間が惑星を好きにできるくらいの力を手に入れてから、転生にはもう一つの意義が加わったんだ。それが君たちの転生生活が長い理由さ。納得してくれたかな?」

 苦し紛れに康夫は言う。

「そこまで悪さをする奴が多いとは思えませんけどね」

「既に惑星と言うものは卵くらいの気軽さで扱えるものなんだから、一人いれば大問題だよ。惑星を一息で壊せる力を持ちながら、その惑星の生命に気を配れること。それが現代の『大人』の条件だね」

「正直、納得は行きませんよ」

「そうだろうね。たった一度の人生で理解できるわけがない。だから学ぶんだよ」

 あっさりと『大人』は頷く。

「私はね、いつか君が『大人』になって、私たちと共に並び立ってくれることを心待ちにしているよ。けれど、君が私たちを否定したいのならそれでもいいんだ。焦る事はないから『大人』になってから決めなさい」

 どうやら講義の時間が過ぎ去ったことを康夫は悟った。

「次に会う時は、あなたを言い負かして、すぐ『大人』になってみせますよ」

「楽しみに待っているよ」

 『大人』は椅子から立ち上がった。

「私はね。この仕事についてみて、長い人生で大切なのは結果じゃなくてそこに至るまでの旅路なんだという言葉は真実だと思ったね」

 『大人』はしみじみと呟く。康夫はそんな小学校の標語みたいな、と言いたくなったが、やめた。『大人』にとってここは小学校なのだ。

「さて、そろそろ進級の時間だ」

 白い部屋が、『大人』の姿が薄れていく。

「ここで話した事は来世には持っていけないんだ。ここでの話を思い出すのはもう一度君が戻ってきた時になる」

「来世はどうなるんですか?」

 最後に康夫は尋ねた。

「エチオピア高地に生息するゲラタヒヒの保護を生業とする黒人レンジャー一家の娘。あまり自然に興味のなかった康夫くんとは真逆の人生になるだろうね」

 康夫の視界から部屋と『大人』の姿が薄れていく。最後に声が響いた。

「我が教え子よ。いってらっしゃい。幸運を祈るよ」


 そして康夫は生まれ変わる。


   ※


 水はいつも器の形に従う。新しい体の中で、かつて康夫であった感覚は夏の日の水溜りのようにあっという間に失われていった。

 生まれて初めての外気に触れ、産婦人科の清潔な布に包まれた。それが頭では何であるか理解できていることなど、原始の衝動の前では何の意味も持たない。かつて康夫だった生まれたての赤ちゃんは、本能のまま、命ほどばしらせ大きな声を上げた。

 そしてそんな身体に振り回される自分という者の儚さを、ふと、彼女は感じた。これが大人への第一歩なのだろうか。

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第一人生 トーヤ @hocori

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