冬の泥棒 ~ウィンターズシーフ~

サトウ・レン

冬の泥棒 ~ウィンターズシーフ~

 きょうもふたりが物語を盗まれた、と街中放送の無機質な声が伝えていた。


 次は誰だろう、と被害に遭っていない者たちは不安な表情を浮かべながら、その状況をどこか楽しんでいるようにも見えた。当事者にならない限り、自分事としては考えにくいものだ。隠す気の感じられないひそひそ話に品は感じられないが、共感を覚えない、と言えばそれも嘘になる。創作の街にとって、物語泥棒はこれ以上ないほど、魅惑的な物語だ。


 物語泥棒はいつ僕のもとに現れるだろうか。不安と彼らとはすこし違う意味での期待を僕も頭に浮かべて、余白が大部分を占める原稿を見つめながら、ペン先にインクを染み込ませていると、たんたん、と戸を叩く音が聞こえた。


「郵便でーす」


 聞き馴染みのある声が耳に届いて、僕は玄関の戸を開けて見下ろすと、ルゥが封筒をくちばしに咥えて、首をいっぱいに伸ばして僕にそれを差し出す。


「今日、最後の郵便物だ。降り出す前に間に合って良かったよ」


「ありがとう」


 と謝意を伝えると、目じりを下げたルゥがひとつ頷き、羽をはばたかせて飛び去っていく。


 灰色に濃く染まった雲は、もう時期、雨を落としそうな気配だった。


 部屋に戻ると、暖炉にくべられた薪がばちばちと音を立てていた。例年よりも早く冬が産声を上げて、その寒さに耐えられず、僕はカルデアに許可も取らずに暖炉を使い始めた。帰ってきたら、文句を言われるかもしれないが、季節性の流行り病に罹ってしまったら、それこそことだ。


 暖炉の前に置いた椅子に座り、僕は先ほど受け取ったばかりの封筒の裏側を確認した。差出人を書く欄には、崩れた字でシドと書かれている。初めてその文字を見る者にとっては、判読不明の汚い字だったが、幼い頃に見慣れた僕には見間違えようもないものだった。久し振りに見る父の字はかすかに震えていた。


 封筒から出した羊皮紙は三つに折られ、僕はそれをすぐに広げることができず、柔らかく弧を描いた背もたれに身体を預ける。


 なんでこんな時にカルデアはいないんだろう……。きっとカルデアがいれば、ためらう僕の背中を押すために叱咤する言葉を掛けてくれたはずだ。他力本願なのは分かっているが、それくらい僕にとっては向き合うのが難しい問題だった。


 カルデアは実家に帰るために、三日ほど、家を空けていた。彼女は十ほど僕より年齢が上の、この家の主だ。僕は彼女の恋人か夫婦とよく勘違いされるが、そのどちらでもなく、これから夫婦になる予定もいまのところはない。僕はこの家の居候に過ぎない。


 あれも冬の時期だった。住む処がなくて凍え死にそうだった僕を、同じくリーアル大陸出身だったカルデアが拾ってくれたのだ。


 創作の街ウェーブには空虚だった僕の人生を変えてくれる何かがある。そう信じて、何の計画も準備もなく、海を隔てたフェール大陸を目指した僕は、街に着いたはいいものの、ひとつもよすがとするものがなく、野垂れ死にそうになった。カルデアに拾ってもらわなければ、あぁこんなことなら故郷から離れなければ良かったという後悔だけを残して、その人生は終わっていただろう。


 カルデアは一言で表すなら命の恩人だ。


 羊皮紙を広げるために、端をつまんだ指先が震える。


 農夫の倅が大それた夢なんか持つんじゃねえ。普段は寡黙な父の、意外なほど荒い語気にまず驚いてしまったが、信頼する父の言葉だとしても、それは素直に受け入れられるものではなく、反撥心とともに家出同然に両親の前から姿を消した僕にとって、この手紙は平常心で向き合えるものではなかった。僕の居場所を知っているのはレンおじさんくらいだ。おじさん、裏切ったな。


 覚悟を決めた。もし耐えられない内容なら、紙は薪と一緒に燃えて灰になるだろう。


 怒りか、それとも。


 だけど内容を見た僕の内からわき上がってきたのは、困惑だった。


〈書いているか? なら、お前の想像力で、手紙内容は勝手に埋めてくれ〉


 好きにしろ、ということか。父らしくない、まるでこの街の唯一絶対の決まりのようだ。


【この街では創作こそがすべてであり、創作とは想像力であり、想像力とはどこまでも自由であるものだ】


 この街では物語を創ることがすべてだ。命を除けば、それ以上の価値を持つものなど何も存在しないし、場合によっては命よりもその価値は重い。そんな中で物語を盗むという大罪を犯す物語泥棒は捕らえれば即座に死刑が言い渡されるだろう。ただ、盗むという表現が正しいのか、というと、それもよく分からない。実際に盗まれた者の話を聞く限り、物語など最初から何もなかったかのごとく、消えてしまうようだ。


 物語泥棒による原稿の消失によって、街を出ることになった人間はすくなくない。


 だが、一方でその唯一の価値が重荷になっている者にとっては、救世主にさえ思えているかもしれない。いっそのこと、と、そう思っているのは僕だけではないだろう。


 雨が降り出す音に気付いて、僕は窓越しの景色に眼を凝らした。


 誰かが横切る。


 街灯に照らされて、ひとの姿と判断することはできたが、外套を着ていること以外の特徴は分からなかった。あまりウェーブでは見ない外套という印象を受けた。もしかしたらあれが物語泥棒だろうか。だとしたら僕のところに来て欲しい、と思いつつ、僕の前になど現れるわけがない、と僕自身が一番よく分かっている。




     ※




 僕が物語を知ったのは、レンおじさんがきっかけだった。レンおじさんは、もちろん僕の叔父でも伯父でもなく、ただの独り者で、余所者だった。レンおじさんの出自を知っている者はほとんどいない。レンおじさん自身が真実を語ってくれないからだ。おじさんは、いつも嘘ばかり吐くひとだった。嘘つきレン、なんて呼ばれて、村の嫌われ者だった。


 だけど僕はそんなレンおじさんの嘘で創られた物語が大好きだった。嘘だとお互いが了承している安心感の中で語られる話は、僕をわくわくとさせた。


 北の大地の城砦跡に巣食う凍てつく竜を退治しに行った話や伝説の盗賊が遺したという秘宝が隠された場所を見つけた話、死を目前に控えた王女を救うため万病に効く薬草を必死に探した話……、嘘だと分かっていても、いや嘘だと分かっているからこそ、それらの物語は僕の心を奪い続けた。


 僕の故郷の村では十五で成人の儀が行われるが、その頃には僕は村を出ようと決めていた。カルデアはかつて自身の故郷を何もない田舎と語っていたが、僕の村の比ではないだろう。ここにいても僕の欲しいものは何も得られない。好奇心をかき立て続けるレンおじさんの話を楽しみひとつ見つけようともせず、邪険にするだけの村人たちの振る舞いを見るたびに、その想いは強まっていった。


 紙とインクで作り上げた物語を小説と、それを生業とする者たちを小説家と呼ぶ。それを僕に教えてくれたのは、レンおじさんだった。すべての小説家と呼ばれる人間たちは、例外なくウェーブという名の創作者のための街を目指す。最初に聞いた時、それもレンおじさんの作り話だと思っていた。


 だが、それだけは真実だった。その話にはいつもの嘘の話の切れ味がなく、質問攻めにしているうちに、レンおじさんは今までまったく話さなかった自分自身の過去を語り始めた。


 かつてレンおじさんはウェーブに住む、小説家のひとりだった、と。


 その話を聞いた時、僕は遠かった憧れが一気に近付いてきたような感覚を抱き、ウェーブへ行きたいと願った。


 おじさんは薦めないよ、と険しい表情を浮かべたレンおじさんの顔はいまもしっかりと脳裏に焼き付いている。


 僕に才能がないから……?


 その頃には僕自身も、僕なりの物語をレンおじさんに語ってみたりしていた。そう聞く僕に、レンおじさんは首を横に振った。


 お前には才能があるよ。すくなくともあの街に住んでいた頃のおじさんなんかよりも、ずっと。お前は物語を創ることが、とても好きだ。書くことでしか存在価値を示せない世界において確かにそれは強みになる。だけど必ず成功できるほどの才能かどうかなんて俺には保証できないし、それにあそこは運や努力によって大きく左右される世界だ。ちょっとした才能なんて塵芥のように扱われる。唯一のもの以外、評価軸を持たない場所で、評価を得られなくなった人間の末路は悲惨だ。いまの俺のように、な。行きたいなら止めはしないが、よく考えたほうがいい。


 あれから五年近く経って、そして実際にウェーブでの生活をはじめて、当時のレンおじさんが僕に伝えたかったこと、その意味が実感として分かるようになってしまった。最初は良かった。だが徐々に想像力は失われていく。まともな物語の体裁さえも整えられない紙屑だけが増えていく一方だった。同じ時期にこの街に来て、いまも枯渇することなく物語を創り続けている人間は山ほどいる。才能、努力、運。どれを取っても僕より上がそこら中にいた。


 この街では優れた創作を続けていくことが、この街での階級にも似た地位を決める、と明言こそしていないが暗黙の了解的にあった。表向きは創作の価値と人間の価値は別物と謳っているが、それを無邪気に信じている者など、ウェーブにはいない。書かない人間、書けない人間は蔑まれ、まともな人間としては扱ってもらえない。


 書いた物語を行商に渡し、彼らが持って帰ってきたものは売れ残りであり、売れたか売れていないか、この時がウェーブの創作者の評価をもっとも左右する瞬間と言ってしまっても、過言ではないだろう。


 怖い話だ。


 だが、ここで売れ残った者がウェーブでの地位が最低の者か、というと、それは違う。何よりも評価されない人間は書かない人間だ。


 物語を生産することを何よりも尊ぶ街において、その価値あるものを生産しようとしない者は存在していないも同じなのだ。いやその言い方も大人しめなくらいだ。害悪であり、敵であり、邪魔者であり、闖入者なのだ。


 先ほどまでの原稿は、書きかけ、という言葉を使うことさえ失礼になるようなものだった。完成されることはおそらくないだろう。完成させる気のない未完の物語ばかりが積み上がっていく。


 次に行商に物語を渡せなければ、さすがにこの街にはもういられないだろう。行商人に物語を提出する期限は二日後だ。もうどれだけあがいても、現実的に不可能だ。


 父の手紙への返信は、どうしようか。


 夢を諦めて、帰る、と告げるべきだろう。


 だけど……、


 本当に諦めてしまっていいのか。他者に嗤われることなど、もうとっくに慣れているが、最後の際の際まで闘わずに、その後悔を自嘲し続ける人生に、僕はこれから耐えられるだろうか。粘れるだけ粘ってみるべきではないのか。そうでなければ僕は物語そのものまで嫌いになってしまいそうな気がする。


 うん。


 まず手紙の返事だ。書いて、勢いをつけよう。本当のことは一切、記さない。成功した自分、ウェーブでのこれからの自分を想像しよう。それだって物語だ。


 だって、


【この街では創作こそがすべてであり、創作とは想像力であり、想像力とはどこまでも自由であるものだ】


 ウェーブは、そんな創作の街なのだから。


 それが終わったら、未完の物語を完成させよう。大丈夫だ。まだ想像力は失われていないはずだ。


 たった二日しかじゃない。二日もあるんだ。


 僕だけは、僕の物語を信じよう。




     ※




 翌朝、いつもより音量の大きい街中放送に起こされた僕の耳に飛び込んできたのは、街中にあるすべての物語が盗まれた、という無機質な声だった。


 ウェーブで完成されている物語はすべて失われ、その放送の途中くらいから、怒号や悲鳴が聞こえてきた。室内にいても聞こえるくらいだから、近くの噴水公園あたりで、暴動でも起こっているのかもしれない。もしいま物語泥棒が見つかろうものなら、死刑になる前に、私刑に遭って殺されてしまうだろう。


 しんしんと降るのは今冬最初の雪だった。地面を白が覆っているけれど、まだまだ高く積もっていきそうだ。だけどみんな事の大きさで、そんなことも気にならなくなっているのか、外で大騒ぎしている。ただ、出来事の重大さは理解しているが、どうも僕は外に出る気にはなれない。


 とはいえ僕も、他人事ではない。


 机に置いてあった原稿を確認する。それは変わらず、机に置いてあるままだった。文章にも何ひとつ変化はない。昨晩よりも余白はすくなくなっているが、それは僕が数刻前まで必死になって書いていたからだ。ほっとする。まだ生命線は繋がっている。


 ただ机の上に変化がなかったわけではない。


 その書きかけの原稿の横に置いていたはずの、父への手紙が消えていた。


 それもそうか。


 あれも物語であり、創作なのだから。


 そんなことを考えていると、また街中放送が鳴り響く。


 物語泥棒が捕まったのだろうか、なんて考えていると、それは思いもしていなかった内容だった。だが、冷静になって考えてみると、この状況なら当然の措置だった。


 行商への提出日が延期になったらしい。


 当人にその気はなかっただろう。だが、僕はどうやら物語泥棒に、物書きとしての命を救ってもらったのかもしれない。


 僕はペンを手に取る。周囲の声は忘れよう。いま僕がするべきことは、物語を創ることだ。


 ここは物語を愛する人々が集う、創作の街なのだから。

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