見慣れた天井

百舌巌

第1話 見慣れた天井

朝。


「…… ん? ……」


 目を覚ましたら見慣れた天井だった。自分の部屋だ。

 俺の部屋の天井には、お気に入りアニメの二次元嫁タペストリーが貼られているのだ。

 そんな彼女が俺を見下ろして微笑んでいる。


(失敗したのか……)


 タペストリーがあると言うことは、自分の部屋なのは間違いない。どうやら、まだ異世界には行けてないらしい。

 枕もとにある目覚ましを見てみると、前の晩に設定した時間の五秒前だ。


(鳴る直前に目が覚めるとは運が良い……のか?)


 自分の運の使い方が微妙過ぎて嫌になってしまう。


「ふぅ~~~」


 電子音を鳴らし始めた目覚まし時計を止めながら、俺は深いため息をしてしまった。

 そして、枕の下から手製の魔方陣を取り出して、クシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てた。


 俺は所詮はどこにでも居る人間だ。

 例え、今日死んでも明日には忘れ去られている。


 クラス内の位置は安定のモブキャラだ。

 きっと死神が俺を見たら、おでこに【並】と書いて有るのが見えるに違いない。

 そして、今日もクッソ詰まらない一日が始まるのかと思うと、俺は憂鬱な気分になってしまった。


 異世界に転移出来るという噂は、インターネットに書いて有って興味を持った。

 運命を司る魔方陣を作成し、枕の下に入れて眠ると異世界に行けると言う。


 眉唾どころの怪しさではないが、退屈な世界に飽きていた俺は実行してみたのだ。

 やってみて上手く行けばめっけもの、駄目でも暇つぶし程度にはなると考えていた。

 異世界にでも行ってチートな能力を手に入れたい。そして、皆にSUGEEEEと言わせたい。

 そう思っていたのだが、この世の中はそんなに甘くは無いらしい。


「はぁぁぁぁ」


 いつも通りの日常の世界で目覚めたのだ。

 また、通常営業の退屈な一日が始まる。俺はため息をついた。


『てれゆき! 早く起きなさいっ!』


 階下から母親が呼んでいる。

 トーストに紅茶にサラダ。それを母親にガミガミ叱られながら食べ終え学校へと向かう。

 もう、何年もやっている日課だ。

 母親と言うものは、よくも飽きずに息子を叱れる物だ。口を開けば父親の愚痴か俺の成績の悪さだ。


(自分の息子なんだから諦めろよ……)


 いつものように家を出て、いつものように角を曲がって駅に向う。

 これがいつも見ているアニメなら、街角でトーストを咥えた女子高生とぶつかる。

 そして、一目ぼれみたいなシチュエーションを思い描くが、そんな事は一度も無かった。

 これからも、きっと無いだろう。


 そう思って角を曲がるとズリッと足が滑った。

 人間は意識を集中すると時間がゆっくりと過ぎると感じるらしい。

 俺もそんな感じになってしまった。

 倒れる瞬間は走馬灯のようにゆっくりと時間が過ぎて行ったのだ。


 その中で見た自分の足元にはバナナの皮があった。


(そ、そんな……バナナ?!)


 余りにもベタな展開に、俺は一人でニヤリと笑ってしまった。


「ん?」


 しかし、気が付くと角を曲がる直前に戻っていた。


(俺……今…………転んだよな?)


 デジャブウだろうか、さっき経験したような気がする。

 俺は腕時計を見てみた。時間はいつもの通りだ。


(……気のせいか……)


 俺はそう思って角を曲がるとズリッと足が滑った。

 今度も倒れる瞬間がスローモーションのように見える。

 そして、俺の足元にはバナナの皮があった。


(ウホッ……そんなバナナ!)


 俺は再びニヤリと笑ってしまった。


「ん?」


 気が付くと角を曲がる直前に戻っていた。

 今度は慎重に角から顔を出して地面を見た。


(バナナの皮がある……ひょっとしたら俺は時間を戻せるのか?)


 俺は今起こっている現象に驚いたが、確かめて見る事にした。

 ふと見ると公園の滑り台が目に入った。


(あれで試してみようか……)


 俺は滑り台の上に立って滑り始めた。そして滑り終わる前に『タイムジャンプ!』と念じて見た。

 次の瞬間には滑り台の上に居た。


(よしっ!)


 俺は握り拳を作る。朝、起きた時の陰鬱な気分は、もうどこかに吹き飛んでいた。


 再び挑戦してみた。そして滑り終わる前に『飛べ!』念じる時の掛け声が違うとどうなるか試す為だ。

 やはり、滑り台の上に出た。


(間違いない……)


 俺は確信した。どうやら数秒前に時間を戻せるらしい。


 時間を戻せる事を確信した俺は時間を測ってみた。腕時計を見ながら滑り台を降りる。

 そして、時間を戻す。おおよそ五秒だった。


「俺様はありとあらゆる物理法則を無視出来るのだ……」


 俺は髪の毛を掻き揚げながら滑り台の上で仁王立ちしていた。朝の風に吹かれて心地よい。


「ふっふっふっ…… 俺SUGEEEE伝説の始まりだぜっ……」


 気が付くと空に向かって拳を振り上げていた。事情を知らない人が見ると中二病を患った痛い奴だ。

 保育園に向かっているであろう自転車から、子供が自分を指差して何かを言っていたのが気になるがまあいい。


(たった5秒だけど……)


 ここでちょっとションボリ、相変わらず俺は微妙なままだ。


 少し浮き浮き気分になった俺は駅に向かった。

 自分が手にした特殊能力で、どんなことが出来るのか考えながらだ。


(よしっ! おらぁ、ワクワクしてきたど!)


 もはやニヤニヤが止まらない。道路を歩きながらも顔が緩むのが分かるくらいだ。

 見慣れた街の風景でさえ輝いて見える。


(もう、昨日までの俺じゃないのさっ!)


 浮ついた足取りで歩く中、俺はこの特殊能力に名前を与える事にした。


(タイムジャンプの使い手!)


 びっくりするぐらい平凡だ。中二病ゆんゆんの技名を与えたかったが思いつかなかったのだ。


 駅に向かう途中にちょっと大きめな橋がある。

 幹線道路にあたるので大型車や乗用車の交通量が凄い、それとともに駅に向かう人の流れが途絶えないほどの橋だ。


 俺はいつもこの橋をトボトボ歩いて駅に向かい。

 そして、学校に向かう電車に乗り込む。


 その橋の真ん中付近に来た時にそれは起こった。

 いきなり橋が崩落しはじめたのだ。最初は道が持ち上がったかと思うと、斜めに傾いで橋は川の中に落ちて行った。


「ふっ、今の俺に怖い物は無いのさ」


 俺は橋が崩落する様子を覚めた目で見ていた。そして、橋の崩壊する直前までタイムジャンプする事にした。

 五秒前にタイムジャンプ。まだ、崩落の最中だった。更に五秒前にタイムジャンプ……


 そんな事を繰り返して橋を渡る直前まで戻って来た。


ズッキン!


「んっ! ぐぁっ…… 頭が痛えぇぇぇぇっ!!」


 だが、そこで猛烈な頭痛に襲われた。どうやら能力を使いすぎると脳にダメージが来るらしい。

 元々、大した出来の良くない脳みそだ。オーバーフローしたのであろう。


ズキンズキンッ……


 心臓の鼓動に合わせるかのように頭痛が襲ってくる。

 身体にもダメージが来ているのか、息も苦しく旨く空気が吸えないような状態だ。

 腕と足の関節も有り得ないぐらいに痛い。


(やべぇ、このままじゃ死ぬかも知れん……今日は能力を使うのを止めて置こうか……)


 そう、考えた時に目の端を誰かが走り抜けたのが見えた。


(えっ?)


 髪はショートカットで前髪をヘアピンで留めている。笑顔が飛び切り可愛いあの娘。


 そう、俺が密かに憧れている女の子だ。

 彼女が橋を渡ろうと走って行くのが見えた。


(い、いけないっ! 彼女が橋の崩落に巻き込まれるっ!)


 声を掛けて注意しようにも、頭痛が酷過ぎて声がかすれてしまう。


「な、何とかしないと…… そうだ! 彼女が渡り始める前の時間にタイムジャンプすれば良いんだっ!!」


 早速、俺はタイムジャンプしようと試みた。


ズッキンッ!!


 しかし、さっきとは比べ物にならない頭痛が俺を襲う。


「ん! ぐぁあっ!」


 もう一度ジャンプしようと試みるも、頭痛が更に激しくなる。頬を滝の様に汗が流れ落ちていく。


「んをををををっ」


 傍から見ると汗をダラダラ流しながら、橋の上で謎の悶絶する怪しげな男子生徒だ。

 しかし、今はそんな事を気にしている場合では無い。


(あと、一回で良いんだよっ!)


 全神経を集中した。さっさとタイムジャンプしないと五秒前では間に合わなくなってしまう。

 冷汗が滝のように顔を流れていく。


 頭だけでなく俺の身体が悲鳴を上げているようだ。

 しかし、諦める訳にはいかない。


「ぐぎぎぎぎっ!!」


 両手の拳を握りしめ、全身の力を込めた。

 顔がドンドン赤くなっていく自分でも分かる。全身の血液が頭に集まって来ている感じがしてきた。



ブッツン



 そんな音が聞こえたかもしれない。俺の目の前から景色がすぅっと消えて空間が白くなって行った。


(タ……タイムジャンプの成功か? ………… 間に合ってくれ!)


 俺は薄れて行く意識の中でタイムジャンプの成功を祈った。




「…… ん? ……」


 目を覚ましたら見慣れた天井だった。



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