おまけ

ノアの一族について





 それは、彼女がとある少女と出会う前の話。





 私は、朽ちた廃墟の中にいた。


 人が使用しなくなって何年も、ひょっとしたら何十年も経ったかもしれない建物の中。


 広いホールの壇上に立っていた。


 首を傾げ、「どこだろう」と周囲を見回すが、その問いに答える者は誰もいない。


 視線を向けた先にあるのは、埃を積らせた壇上と、そしていくつもの観客席が存在するのみ。


 わけが分からなかった。

 理解が及ばない。


 なぜ、誰もいないこの朽ちたホールに一人きりでいるのか。


 考えるが、答えは出なかった。


 記憶がない。

 ここに来るまでに何をしていたのか。

 自分が、誰で、どんな人間だったのかさえ。


「……」


 しばらくその場でぼうっと立って考えを巡らせていたが、答えになりそうなものは何も浮かんでこなかった。


 何かを得る為には行動するしかない。


 私はその場から移動する事にした。


 先程は混乱で気が付かなかったが、建物内には非常灯のようなものが付いている。


 通常の光源とは違って、鈍く淡く室内を照らすそれは、心もとない輝きだったが、記憶がないまま暗闇の中に放り出されるよりはマシだった。


 観客席の間を移動していって、その先にある分厚い扉に触れ、私は手で押して開いた。


 その瞬間、目を刺激するのは眩しい光だった。


 いきなりの事に驚いて、目を手で覆い、しばらくしばたかせる。

 十数秒ほどかけて慣れて、その明るさになれた私は、目を覆っていた手をどけてホールの外の光景を見た。


 埃の積っていない、綺麗な廊下があった。


 ピカピカ、とまでは言えないものの、清掃の手の行き届いた清潔な場所だ。


 その事実から分かるのは、ホールは今まで使用されておらず、この場所は頻繁に使用されていたという事だ。

 手入れをするという事は、その場所を使用する者がいるからだろう。


 この先には、誰かがいるかもしれない。


 私はそう思って先へと進んで行く。


 長い廊下を歩いていくと、壁に他の場所へと通じるだろう部屋の扉がいくつも並ぶようになった。


 私は、一旦足を止めて手短かな場所にある扉を見つめる。

 中からは人の気配。


 何かしらの身動きを取っているようだ。


 私は、少しだけ考えた後、その扉をノックした。


 この部屋の中にいるのは、私に友好的な人間とは限らない。

 そう考えてもう少し様子を見るのが普通だろうに、なぜだが警戒するという意思は湧かなかった。


「おや?」


 扉の向こうからは、疑問の声が聞こえてきた。


 そして、足音がして誰かが扉へと近づき、ノブを回して開いた。


 顔を覗かせたのは、黒い髪に金色の目をした少年だった。


「もう人間なんて生き残ってないと思ってたけど。いたんだねぇ。でも、生き残ったわけじゃなくて、正確には過去から飛んできた……って言えばいいのかな?」


 不思議な雰囲気を身に纏った少年だ。

 友好的な態度を見せる彼は、十代半ばくらいの歳で、悪戯好きそうな性格を思わせる笑みを口元に刻んでいた。


 過去、とそう言われた時に何かを思い出しそうになったが、思いだしそうになったというだけで何も思い出せなかった。


「私は誰ですか、私の事を知ってるんですか?」

「おやおや、ずいぶんと大人しくなられた様だねぇ。前はあんなに元気だったのに。記憶がかけているせいかな? 毛並みを整えられすぎたようだ」


 目の前にいる人は、私がこんな風になっている事情を何か知っている様だった。

 今すぐに問いただしたかった。


 私がどこの誰で、どんな人間なのかを。

 自分が何者であるかが分からない事が、怖かった。


 世界の中で、誰とも繋がっていないように思えて、ひどく孤独だった。


 そんな私の表情の変化に気が付いたのだろう。

 

 少年はこちらの頭を撫でた。


「何も不安がる事は無い。ちゃんと君が生きるべき世界に戻してあげるからね。君がいなくなった後、もしやと思ってここで待っていて良かったよ」


 私には彼が何を言っているのかまるで分からなかった。

 分かるのは、記憶を失う前の私が彼と知り合いだったと言う事ぐらいだろう。


「僕の目を見て」


 言われて、金色の瞳を見つめる。

 きらきらと輝いて、とても綺麗な瞳だ。


 じっと見つめていると、すいこまれそうな感覚がしてきた。


「目をそらさないで、君を帰してあげるから。帰ったら仲間達によろしく言っておいてくれないかな。そっちの時代の僕にもね」


 意識がぼんやりしてきて、次第に彼の声が聞きとれなくなってくる。

 抗えば良いのか、それとも身を任せれば良いのか分からなかったが、私は自らの勘に従った。


「そう、いい子だね。そのままお眠り。次に目を覚ました時は、きっと……」


 私の意識はそこで完全に途切れた。









 星は生まれ、また死んで消える。

 もう何度も同じ事が繰り返されていた。


 何もない場所から、始まって、育ち、そしてまた壊れ、消えていく。

 延々と、その繰り返し。


 始まりは同じで、終わりも同じ。


 育つ過程も壊れる過程も全てが予定調和で、あらかじめ決められていたものだった。


 けれど、ある時変化が生まれる。


 ほんの一つ、小さな歪みが生まれて、予定調和を壊していった。


 運命はその小さな歪みを起点として、変わり。

 誰も見た事がない歴史が紡がれ始めていた。


 けれど、輪廻の輪の中にいる者達はそれがどんなに珍しい事なのか分からない。


 奇跡をもたらしたその存在は、何も知らない者達に異端とされて、ある日唐突に命を奪われてしまった。


 彼ら、彼女らはノアの名を持つ者達、人々をそっと見守り、導くために作られた、使命をもつ者達だった。




――それは、はるか古の時代に残したノア一族の使命。




 ノアの名前を継いだものは、星が終わる前、箱舟に乗せるものを選ばなければならない。


 来るべき審判の前に。


 審判者はいつでも一族を見張っている。


 その時代に生きている彼もしくは彼女は、救うにあたいする存在か?


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ノア・プラネット 仲仁へび(旧:離久) @howaito3032

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