触ると心が見えるらしい美少女と趣味が同じだったから友達になった話

@yu__ss

触ると心が見えるらしい美少女と趣味が同じだったから友達になった話

 もしも他人の心の中が手に取るようにわかったとしたら、なんて、そんなことを考えたことがない人はいないと思う。

 私もそんな能力があったら良いのにと思ってるけれど、私の場合はその力を自分で持ちたいんじゃない。

 もし、そんな能力があるなら、その能力を自分で持つよりも、好きになった人に持っていて欲しいなと思う。

 だってそれなら、私が好きになったことを言葉に出して伝えなくても気付いてくれる。言い出せないまま終わってしまう不幸な恋もなくなるはずだ。

 自分と相手が同じ気持ちだったとしても、それは伝わらなければ意味がない。

 伝わらないまま、始まらないまま終わってしまった気持ちがあることも私は知っている。後悔した人を知っている。

 だから何も言わなくても気持ちが伝わるなら、それに越したことはない。

 そう思ってたけど、まあ、もしかしたら、そんなことはないのかもしれない。






「接触性思情吸受症って知ってる?」


 そう聞かれたのは、二年の前期が終わろうとしていた七月の一週目のこと。蒸し蒸しした暑い日で、楓と一緒にクーラーの効いた大学の図書館でプレゼミのレポートを書いていた。


「なんそれ」

「まあ普通の人は知らんよねー」


 とか勿体ぶってるから、若干イラッとしながら「で、なに」と先を促した。


「エスパーだよ」

「は?」

「エスパー」

「……おう」


 その時点でアホらしくなって、集めた民俗学の資料に目を戻した。このプレゼミだけは単位を落とすわけにはいかないから、真面目にレポートに取り組まねばならない。


「バカにした?」

「してない」


 アホらしくなっただけだ、とは言わない。言ってもいい。


「うちの学部にもいるらしいよ」

「すげぇ」


 資料に目を落としながら適当な返事をすると、楓は声のトーンを一段落とす。


「いやこれマジな話だから」


 顔を上げると楓が聞いて欲しそうにしているから、私も少しくらい真面目に聴いてみるかと読んでいた資料にペンを挟んだ。


「手袋してる人見たことない?」

「いや、あるが」


 バカにしてんのか? どこにでもいるだろ。


「そーじゃなくて、学内で」

「学内」

「そ、夏でも手袋してる人」


 んー、そんな人いたかなぁ……。

 うちの大学にはデザイン系の学部があるから、校内を歩くときはよく変な人とすれ違う。髪がピンクの人とか、ティーシャツをペンキだらけにしてる人とか、唇にピアスをしている人とか。そういう人たちに比べると、夏場でも手袋をしている人なんか全然珍しくない。

 見たことあるような、ないような。


「絶対ある、結構目立つもん」


 楓が断言するなら、きっとそうなのだろう。視界には入っているが、認識できていないということなのかな。


「髪長い、なんていうのかな、清楚系? みたいな人」

「で?」

「だからその人が『接触性思情吸受症』なんよ」


 聞き慣れない単語が楓から聞こえてきた。スマートフォンを取り出してブラウザを立ち上げる。


「接触性……」

「思情吸受症」


 楓に補足されて「しじょう」まで入れたところでやっとサジェストが効いた。


「接触性思情吸受症とは他人との接触により共感機能が極端に鋭敏となる症状で、およそ百万人に一人の割合で発症すると言われる症状である」とはウィキペディアの記事。よくわからんが。

「つまりさ、触ると考えてることがわかるの」

「エスパーじゃん」

「そう言ったが」


 触るとわかる? そんなことあんのか?


「一説には皮膚に付着する汗や脂、体温や脈拍などから相手の感情を推察し、コンテクストなどを踏まえて相手の心情を察することが可能になるのではないかと言われている」と、そういうことらしい。良くわかんないけど、つまり触れると心が読めるってことか。

「だからさ、その娘はいっつも手袋とスカーフをしてるの」

「触れないように?」


 そーゆーことだよね、と楓は一人で頷いてる。なるほどねぇ。


「そのエスパーがうちの学部にいるん?」

「そ、結構学校来てるから絶対見たことあるよ」


 ほー、それは面白そうだ。ぜひお会いしてみたいものだけど。


「でも怖いよね」

「怖……くはないが」


 触らないとわからないんでしょ?


「えー、だってさ、考えてることわかっちゃうんだよ」


 楓は苦々し気な表情を浮かべる。こいつそんなにやばいこと考えてんの?


「だってさ、今財布の中にいくら入ってるかとかわかっちゃうよ」

「二千円」

「中学生じゃん」

「そうだが? 心はいつも十四歳だが?」

「うっさ」


 楓のうっさは、ウザイし私が話すから少し黙れ、の意味。


「だってさ、誰が嫌いとか昨日ナニしてたとか全部わかるんだよ」

「そこまでわかんの?」

「たぶん」

「ふーん」


 それはすごいけど、ほんとにそこまでわかるもんなのか?


「やばいよね、そんなんテロし放題じゃん」

「テロ」

「あいつお前のこと嫌いだよとか言い放題じゃん」


 それをテロと呼ぶのは大袈裟すぎんか?


「絶対触られたくないわ」

「そんな言えないこと考えてんの?」

「うん」

「こわすぎ」


 くつくつと楓は笑う。


思衣しえは? 昨日の夜」

「推しの配信見てたわ」

「あー宮見みや?」

「見た? 昨日のライブ配信ちょー良かったよね」

「いや見てないわ」

「人生の八割損してるよ」

「逆に残りの二割なんだよ」

「牡蠣」

「じゃあ今度オイスターバー行こ」

「配信無い日な」

「やば」


 とまあ、ここでひと段落。楓とのよくわからないやりとりは大体いつもこんな感じで始まりこんな感じで終わる。特に意味も何にもないのがありがたい。

 向こうも資料に目を落としたから、私も先ほど挟んだペンを取ってレポートに戻った。


 あの子だよ、と楓が小声で耳打ちをしたのは、休憩の為に学食に向かおうとした時のことだ。

 図書館を出るときに少し先の方からこちらに向かって歩いてきた女性。

 背が高いモデル体型で、背中まであるストレートの黒髪が綺麗だった。噂の通り真っ黒な手袋と真っ白なスカーフを身に付けていて、肌の露出は確かに少ない。

 色味は全体的にモノトーンで統一されているからか、少し不思議な世界観を作り出している。顔のパーツも整っていて、清楚でミステリアスなお嬢様か、八尺様かといった印象だろうか。

 あまりジロジロ見ても失礼だろうから、目を合わせないようにしてすれ違う。けど。

 何でだろうか。すれ違う瞬間、彼女はこちらを見ていたような気がした。

 と言うよりも、私のリュックを見ているような、そんな気がした。






 出席だけで単位をくれるような甘い授業は、七月に入ると出席率が下がる。

 出席数が足りている学生は授業には出ないし、出席数が足りていない学生は単位を諦めて授業に出ないからだ。

 これは非常に良くない。

 なぜなら私たちは学徒であり、学びを得ることそ私たちの本分なのだ。単位の奴隷になるようなことはするべきではない。

 この授業に出ているものは、出席数の当落ギリギリにいる諦めの悪い者か、最後まで授業に出ようという志の高い者だけだろう。もちろん私は前者である。

 というわけで、スカスカな広い教室の後方、板書する教授を後頭部を眺めながらあくびをしている。

 窓からは夏の強めの日差しが差し込んできて眩しい。夏の色をした緑の木々からは蝉の鳴き声が教授の声より大きく聞こえてくるから困る。まあどうせ聞いてないけど。

 ちなみに楓は単位を諦めし者であるからダメだ。

 ……さて、じゃあ、彼女はどっちなのだろう?

 横を見る。三人がけの長机の、一つ空けた隣の席。

 他にもいくつか空いている席はあるのだけど、彼女はそこに座っていた。

 彼女は今日もモノトーン。

 黒い長手袋と白いスカーフは、それだけで確かに雰囲気があるのに、かなりのレベルの美少女だからよく見なくても目立つ。今まで気付かなかったのは何だったのだろうというくらいだ。

 彼女の名前は、まだ知らない。

 彼女が真面目な学生なのか、諦めの悪い人なのかも知らない。

 彼女が接触性なんとかなのかというのも、本当のところは知らない。

 けど一つ知っていることがある。

 彼女の推しは宮見みやであるということだ。

 なぜなら『蝉は美味しい』キーホルダーを鞄に付けているから。かくいう私も『尖った草はお腹をこわす』キーホルダーを付けているのだ。

『宮見みや』とは、野草と虫を食べながら生活している猫耳のライブファン所属ブイチューバーである。

 抜群のトークとリスナーとのプロレス芸が魅力で、特技は誰もやらないような全く流行っていない奇ゲー。

 つまり変な人であり、私の推しでもある。

 ライブファンの中ではトップクラスで人気がないんだけど、贔屓目なしに見ても私が知っている中では一番面白いし可愛い。

 隙あらば推し語りをしてやろうという心構えでいるのだけど、なかなか誰も隙を見せない。

 SNSなんかでは気持ち悪がられない程度に推しを語るんだけど、気持ちは全く満たされないのだ。本当はもっと語りたい。ちなみに楓は宮見みやどころかブイチューバー全体に興味を示さなかったからダメだ。

 推しを語れる人が欲しい。

 だから私はみゃーめいと(宮見みやのファン名称)の知り合いを一人でも増やそうと活動している。

 リュックに付けている『尖った草はお腹をこわす』と書かれたキーホルダーは、興味を持ってくれた人にさり気なく宮見みやをオススメするという目論見で付けているものだ。

『尖った草はお腹をこわす』というのは宮見みや語録の一つ。そして、彼女がつけている『蝉は美味しい』もまた、宮見語録から来ている。両方とも宮見みやの公式グッズである。

 これらのキーホルダーは完全受注生産限定。持っている人はほぼ間違いなくみゃーめいと……のハズ。

 つまりこれは、話しかけるしかないか……?

 いや、しかし、変な人に思われないだろうか……?

 もし万が一キーホルダーは何かの福袋とかに入っていたもので、宮見みやに一切の興味がないとしたら目も当てられない。

 いやでもさ、さっきからこっちをちらちら見ている……ような。そんな気もするんだよな。

 ていうか、実際どうなんだろ。この子は相手の気持ちがわかる子なのかな……?

 それこそこんな時に、相手の気持ちがわかればいいのにとは思う。

 けれどまあ、私はその接触性何とかではないからどうしようもない。

 どうしよう……とりあえずリュックについているキーホルダーをこれ見よがしに彼女の方に向けてるけど、こっちを見てないような気もする……。

 やめておこうかな……。

 んー、でも。

 話しかけないと、始まらないし終わらないよな……。

 結局、覚悟を決めて授業の終わったタイミングで話しかけることにした。

「……ゃーめいと、なの?」なんて、馬鹿みたいに掠れた声しか出なかったけど。

 けど彼女は、歯を見せて悪戯っぽく笑った。


「……話しかけてくれるの、待ってた」


 その瞬間は、清楚でミステリアスなお嬢様は、楽しいこと好きの同級生に変わったみたいな感覚だった。






 その日以来、私と狭霧さぎりちゃんは、少しだけ仲良くなった。



 ***



「すごかった」

「なんかすごかった」

「いや、すごかった」

「ね……すごかった」


 狭霧ちゃんは今日もモノトーンの装いで、相変わらずの清楚な美少女だけど、今は流石に魂が抜けてるような感じ。

 小さなテーブルを挟んで、狭霧ちゃんと二人きりの喫茶店。

 広い店内にはほとんどお客さんはおらず、ゆったりとした雰囲気が流れていて、さっきまでいたカフェとは全然違ってギャップで混乱しそうになる。 

 場所は池袋。

 サンシャイン通りには期間限定でライブファンコラボカフェが出店していた。

 平日といえど大変盛況で、かなり早めに着いたつもりが整理券の時間は開店から三時間後。

 仕方なく二人でカラオケなど嗜んでから入った店内は、ところ狭しと並んだテーブルと、クラクラするほどの人熱。

 カラフルな内装に大音量でオリジナルソングがかかり、所々にあるモニターにはライブファンに所属するタレントたちの自己紹介動画が流れている。タレントのコスプレした店員さんたちも含めかなりの人で溢れており、話し声が各所で飛び交っていてとてもうるさい。

 入店前に頼んでおいたコラボドリンクはトレーディングアイテムが付いていて、私も狭霧ちゃんも宮見みやのアイテムではなかったけど、宮見はトップクラスの不人気のおかげで(?)簡単に店内でトレードができた。

 それから食事メニューの方は『宮見みやの普段の食事』というタイトルが付けられていて、虫や雑草が来るのかと戦々恐々としていたけれど、意外と普通の具の一切入っていないカレーが届いたから一安心。

 滞在時間の三十分はあっという間に過ぎていき、まるで嵐のようだったのだ。

 ……ということで、二人で落ち着こうとサンシャイン通りを抜けたところの喫茶店に流れ着いたのだ。


「うーん……すごかった」

「何だろう……すごい」

「すごいよね……」

「すごいっていうか……すごい」


 疲労と情報過多で混乱した脳で語彙力ゼロの会話を繰り広げつつ注文したオレンジジュースを啜る。とにかく濃い時間だった……。

 手に入れた推しのグッズはコースターとアクリルスタンド。宮見みやの公式グッズはただでさえ貴重だからありがたい。


「いやー、行ってよかった」

「うん、誘ってくれてありがと」


 狭霧ちゃんもアイスティーを啜る。

 ずっと行きたいとは思っていたんだけど、ぼっちではな……と躊躇ってところだったから、知り合ったばかりの狭霧ちゃんを誘ってみた。狭霧ちゃんも楽しめたようで何よりだ。


「こっちも、一緒に行ってくれてよかった」

「そ?」

「一人だったらトレードとか出来なかったかも」


 人の熱と圧がすごくて、店内でのトレードはちょっと緊張した。けど狭霧ちゃんと一緒だったから、私としても結構心強かったり。


「じゃあお互いに良かったということで」

「うむ」


 大仰に頷いてみると、狭霧ちゃんも歯を見せて笑ってくれた。こういう笑顔はやっぱりかわいいと思う。

「さて」と改めて手に入れたグッズを眺めると、狭霧ちゃんも同じように手に取っている。


「なんか、これもすごいよね」

「わかる、違和感すごい」


 アクリルスタンドでいつもの立ち絵の笑顔のやつ。よく見るやつなんだけど、違和感がとにかくすごい。


「こんな爽やかな宮見、見た事ない」

「宮見って邪悪だもん」


 狭霧ちゃんの言葉に笑ってしまう。確かに宮見みやはどちらかと言わなくても邪悪寄りだ。

 アクリルスタンドの立ち絵はよく見るやつだけど、配信中の表情とは全然違う。


「この宮見絶対悪いこと考えてる」

「お金を落としてくれてありがとう、とか思ってそう」

「この笑顔で初見を騙してるよね」

「宮見って顔だけは良いから」

「すぐ本性出すから逃げられるんだよなぁ」

「昆虫食とかもう営業扱いされてるし」

「雑草はこの間の配信で食べてたね」

「あの回は狂気だった」

「めっちゃ切り抜かれてたよね」

「その割に宮見の登録者増えないよね……」

「どん引きされてるからなぁ……」


 もう一つのグッズであるコースターは、宮見みやの言葉である「虫を食べれる奴は食糧危機に強い」と印刷されていて、真ん中にはドヤ顔のちびキャラが印刷されている。


「これ結構初期だよね」

「うん、たしかお絵描きしたときに言ってた」

「この頃から正体現したよなぁ」

「こんな頃からもうリスナー敵に回してたよね」

「このぐらいからリスナー煽りだしたからね」

「リプライ欄が酷くなってきた頃」

「すぐイキるからな」

「音ゲーとかクソ下手なのにね」

「謎ゲーだけ上手いっていう」

「宮見ってやっぱ変だよね」

「ね、変だよな」


 ふぅー、と二人でため息をつく。


「まあでも、可愛いんだよなぁ」

「わかる」

「もっと推してくれる人増えんかなぁ」

「それ」

「ね」


 そんなことを言いながら、二人で笑いあう。

 狭霧ちゃんは本当に楽しそうだし、私も楽しい。誘ってよかったなぁ……。

 やっぱり同好の士というのは良いものだ……。

 有名どころは何人か知ってる、みたいな人はいても、宮見みやを推してる人は、知り合いでは狭霧ちゃんしか知らない。こんな風に宮見談義ができる人は貴重なのだけど、そんな人が近くにいてくれてよかった。


「思衣ちゃんありがとね」

「ん?」


 改めてお礼を言おうとしたら、逆に狭霧ちゃんからお礼を言われてしまう。


「誘ってくれてほんと嬉しかった」


 柔らかく微笑む狭霧ちゃんは、少しだけ顔が紅潮している。

 自分の気持ちを言葉にするのが恥ずかしいのかもしれない。


「私も今お礼しようと思ってた」

「そーなの?」

「うん、こんな近くに宮見みやが好きな人がいてくれるの嬉しかったから」


 私が笑うと、狭霧ちゃんも笑う。


「狭霧ちゃん、ありがとね」


 私の言葉に、狭霧ちゃんも照れ臭そうに目を逸らした。


「狭霧ちゃんと知り合えてよかった」

「うん……私も……」


 小さな声で照れたように、狭霧ちゃんは目を細めていた。







 喫茶店に滞在し始めて、三十分ほど経った。私が注文したオレンジジュースも狭霧ちゃんの注文したアイスティーも空っぽ。

 推し語りも十分したし、狭霧ちゃんとも仲良くなれた。


「そろそろ行く?」

「うん」


 お互いに頷いて伝票に手を伸ばす。と狭霧ちゃんも同じことを考えていたようで手が触れそうになった。

 その時に、狭霧ちゃんが少し大袈裟に感じるくらいの勢いで手を引いた。


「あ、ごめん」


 その勢いに、思わず謝ってしまう。


「いや、こっちこそごめん」


 お互いに謝ってから思い出す。彼女がこんな日でも長手袋をしている理由。

 あれはまだ私の中ではただの噂だと思ってたけど、聞いてもいいんだろうか?


「んー」


 と何か訊きたそうなそぶりを見せると、狭霧ちゃんは歯を見せて笑った。


「これ?」

「あ、うん」

「なんか聞いた?」

「うん……噂だけ」

「そっか、まあそうなんだよね」


 肝心の接触性なんとかって単語は出ないけど、狭霧ちゃんは肯定する。

 なるほど。どうやら噂を本当だったらしい。


「手袋越しは大丈夫なんだけどね」

「そうなんだ」

「うん……まあ少し過剰になっちゃうところもあって」


 まあ、そうだよな。

 私にはどんな苦労があるかわからないけど、それなりに大変なこともあるはずよな……。


「気になった?」

「うん、少し」


 素直に肯定すると、狭霧ちゃんはまた笑う。その笑顔は、どこか少しよそ行きな感じがした。

 さっきまですごく近いところにいたのに、少し離れてしまったような、そんな感じ。

 少し沈黙。

 空になったオレンジジュースのストローを啜ると、溶けた氷に少しオレンジジュースの風味がついている。美味しくはない。

 行こっか、と声をかけようとした時のこと。彼女はぽつりと口を開いた。


「高校生の頃に、友達に触っちゃって、それでね」


 そこまでで、狭霧ちゃんは口をつぐむ。

 それでね、のあとは狭霧ちゃんは話さなかった。

 私も、それ以上は聞かなかった。






 夜の二十二時、一人暮らしの下宿先のアパートでパソコンの前に一人で座っている。

 一人暮らしを始めたばかりの頃の夜は、意味もなく寂しくなることもあったけど今では随分となれたものだ。

 それに今日は独りじゃないし。


『宮見みやの雑食レディオー!』


 宮見の高くて特徴的な声が、イヤホンを通して聞こえてくる。

 ノートパソコンのモニター上には猫耳をつけた宮見のライブツーディーが笑顔で首を左右に振っている。

 今日の宮見みやのライブ配信は、何度かやったことがあるラジオ配信だ。

 でも、推しと一緒だから独りではない、ということではなくて。


『このラジオは、わたくし宮見みやがリスナーさんからのお悩み相談からリクエスト、クソみたいなお手紙まで雑多に食べて処理していくというラジオでーす』


「いえーい」と適当な掛け声に、それに乗っかって『いえーい』という狭霧ちゃんの声もイヤホンから届いてくる。 

 狭霧ちゃんとコラボカフェに行ってから、一週間くらいが過ぎた。

 二人の仲(?)は順調で、ここ一週間ほどは楓よりも狭霧ちゃんとやりとりしてる時間の方が多いかも。

 宮見みやのこととか、大学の授業やレポートのこととか、何かあればちょくちょく連絡を取るような仲になれた。

 今日も「配信の同時視聴しない?」と誘われて、音声通話ができるソフトをインストールしたのが三十分ほど前。

 ノートパソコンにはマイクも付いてたみたいで、特に何の設定もせずに狭霧ちゃんとの通話ができるようになった。


『よーし始めるよ、じゃあ最初のお手紙、えっと「もっと雑草食え」……これからお前らの雑草よりひどいゴミみたいなお手紙を食べてくから安心してねー』


 なんてリスナーを煽る宮見みや。画面横のコメント欄も「おい」とか「ふざけんな」とか「ゴミはお前だぞ」みたいな罵詈雑言に溢れる。


『「しゃべんなゴミ」「猫耳のついたゴミがよ」「お前は粗大ゴミだぞ」っておい、自治体に依頼するような処分しづらいゴミにするんじゃない……なんか今日もコメント欄ひどいな、「このゴミ可愛いな」っていうコメントが褒め言葉に見えるもんな……』


 と、今日もコメント欄のリスナーたちとのプロレスは調子良さそうだ。ふふっという可愛らしい狭霧ちゃんの笑い声も、宮見の声に混じって耳元で響く。


『今日も可愛い』

「それ」

『ね』


 狭霧ちゃんも今日はお家で視聴しているらしい。もうお互いに緊張するような仲ではないと思うけど、いつもよりもさらにリラックスしたような声に聞こえる。


『次のお便りは、えっと「まじくっそ忙しいにゃん」……なにこれ? お前らのSNSじゃないよ? お手紙コーナーだからね? 理解できてる?』


「んっ」と笑い声を我慢しようとすると『ふふっ』と吹き出すような狭霧ちゃんの声が聞こえてきた。

 一緒に笑える人がいるのは、やっぱりいいな。






『次のお便り「友達だと思っていた人に告白されてしまいました。相手のことは嫌いではないけど、付き合えるかというとわからないです……どうすれば良いですか?」これ! こーゆーのを待ってた! お前らお手紙っていうのはこーゆーものだからね? まあお前らはどうせ告白とかされたことないと思うけどな!』


「あるけどな」「お前もないだろ」「はい炎上」などなど、コメントが飛び交う。相変わらずのプロレス芸に笑ってしまう。


『真面目なお便りだ』

「ねー難しいなぁ」

『思衣ちゃんはどう?』

「うーん……一回友達になっちゃうとね、難しいかなぁ」

『そうなんだ』

「なんていうか、モードみたいなのがあるよね」

『へぇ……』

『友達モードとか、恋人モードとか』

「んー……」

「狭霧ちゃんは?」

『私は……大丈夫だな、友達から恋人って全然なれるかも』

「あーそうなんだ」

『一緒に居ても苦痛じゃないなってなったら、恋人になれるかな』

「そうなの?」

『私はそういう恋の仕方の方が多いかも』


 そうなんだ。まあ私は恋愛経験なんてほとんどないからよくわからんけどねぇ。


『まあ告白された経験なんてないけどね』

「それ」


 あははとまたお互いに笑いあって、認識を合わせる。

 実際に告白されないと、どうすれば良いかなんてわからないし、しばらくはそんな経験もすることはないと思う。


『そーだなぁ……難しいけど、答えはたぶん自分の中にあるんじゃないかな……告白してくれた相手のことを思いながら、自分の中にある答えを真剣に悩みながら出すのがいいんじゃない? 付き合うにしても付き合わないにしてもさ』


 と、宮見にしては珍しく真面目な回答を出す。さすがのコメント欄も「いいじゃん」「宮見にしては良い回答」「ギャップずるい……好きになる……」なんて、宮見を褒める空気になる。


『あ、ごめん……告白されたことないお前らには関係なかったよな』


「おいふざけんな」「コメント撤回しとくわ」「炎上してしまえ」とまあ、規定された流れに私は笑ったのだけれど、狭霧ちゃんはの笑い声は聞こえなかった。


「狭霧ちゃん?」

『ん?』

「どうかした?」

『え、どうもしないけど』


 んー、どうしたんだろ。

 もしかしたら通信が良くなくて、狭霧ちゃんの笑い声が聞こえなかっただけかな?


『そっか……』

「んー?」

『え?』

「あれ?」


 と、狭霧ちゃんとの通信の悪いまま『じゃあ次のお手紙ね』と宮見の配信は続いていくけれど、数秒後には狭霧ちゃんの笑い声はすぐにまた聞こえるようになった。







 狭霧ちゃんと話すときにそんな感じのことが何度か続いた。

 相変わらずたくさん話してはいるのだけれど、楽しく話しているときにふと押し黙ったり、考えるような表情をしたり、そんな感じ。

 楽しく笑いあえるだけの狭霧ちゃんだったけれど、たまにミステリアスな美少女の一面を覗かせる。

 そんなミステリアス美少女の狭霧ちゃんは、今日も目の前にいる。

 夕方の人の少ない図書館。

 狭霧ちゃんは窓際の席で長い足を組んで、古いボクシングの漫画を読んでいた。西日が眩しいのか少し目を細めながら、目を滑らせては順繰りにページをめくっている。

 キューティクルでツヤツヤなストレートの黒髪、くるんとしたまつ毛、綺麗に整った眉。メイクも上手。


「なに?」


 黒い長手袋を着けた手で髪をかき上げようとした狭霧ちゃんが、顔を上げて私の視線に気付いた。


「美少女だなって思った」

「そーなんだよね」


 彼女は歯を見せて悪戯っぽく笑った。

 綺麗系の美少女が油断したように楽しそうに笑うというギャップが本当にずるいほど可愛い。


「もう終わった?」

「んー、もう少し」

「はーい」と返事をすると、狭霧ちゃんは漫画に視線を落とした。


 基本神話学のレポート期限が明日で、集中したくて図書館まで来た。んだけど、全然進まないから飽きて漫画を読んでいたところ、狭霧ちゃんに見つかった。

 今まで気付かなかったけど狭霧ちゃんも同じ授業を取っていて、とっくに提出していた彼女は私のレポートを手伝ってくれた。ちなみに楓はレポート提出の授業は一つも取っていないからあいつはダメだ。

『好きな神様を一つ挙げて好きな理由を二千字程度で書け』という課題は、やっとこさ千八百字程度まで進んだ。狭霧ちゃんのおかげで単位を取りこぼさなくて済みそうだ。

 狭霧ちゃんは資料集めやアイディア出しを手伝ってくれて、私がレポートを書き始めると近くの席に座って終わるまで待っていてくれた。優しいなぁ。

 そんな優しくて可愛くてレポートも真面目に提出する完璧な狭霧ちゃんのお顔を、私がレポート行き詰まるたびに覗き見ながら美少女だなぁということばかり考えている。

 そろそろレポートを書いている時間よりも彼女の顔を眺めている時間の方が長くなりそう。


「付き合ってくれてありがと」

「いいよ」

「終わったらすぐ帰る?」

「ご飯いく?」

「行きたい」

「じゃ早く終わらせて」


 また狭霧ちゃんは笑っている。


「思衣ちゃんはもう二十歳なった?」

「なった」

「お酒飲も」

「おお……良き」


 先月二十歳になったけど、飲酒経験はまだ二回しかない。

 同い年の女の子と差しで飲むのも初めてだから、少しどきどきする。


「ワイン好き?」

「飲んだことない」

「そうなんだ、美味しいよ」


 お酒好きなのかな……。ノリで呑むものだと思ってるから、私にはまだ美味しさはわからんけども。


「駅にあるイタリアンでいい?」

「いいよ、どこか知らんけど」

「私も入ったことはないけど」


 柔らかに微笑む狭霧ちゃんは、少しだけ年上に見えた。






 駅ビル四階、やや暗めのイタリアンバル。

 スローなジャズがかかっていて、高級なバーみたいな雰囲気だ。いや行ったことないけどさ。

 安いボトルワインを二人で一本開けて、お酒に合うちょっと濃いめ辛めの味付けのパスタやピザをテーブルに並べている。飲み慣れないワインは、少し廻りが早い気がする。


「今日はほんとありがと」

「いいよ全然」


 狭霧ちゃんがレポートを手伝ってくれたことについて改めてお礼を言った。狭霧ちゃんはとくに気にした様子はなく楽しそうに笑っている。人間ができてるなぁ。


「なんかお礼する」

「そう?」

「うん、狭霧ちゃんはまだ残ってるレポートとかない?」

「んー、ないね」


 まじか。つよい。


「思衣ちゃんはまだある?」

「明日また図書館こもらなきゃ」


 私が嘆くと、狭霧ちゃんは優しげに微笑んだ。


「明日も手伝う?」

「え」

「午前試験で、午後は暇なんだよね」

「いいの?」


 私も明日は午前中に試験で、午後にレポートをやろうと思っていたからちょうどいいけど。

 ほんとにいいのかな。

 私としては手伝ってくれるとめちゃくちゃ助かるし、何だったらレポート書いてる時に側にいてくれるだけでも嬉しいけど。


「全然いいよ、一緒にいたいし」


 狭霧ちゃんは意外な言葉を口にした。

 一緒にいたい、なんて言われたことがなかったから少し戸惑ってしまう。

 いや、んん、狭霧ちゃん、どうしたんだろ……?


「思衣ちゃんは大切な人だからね」

「たい、せつ」


 お酒が入り少し紅潮した頬の彼女の言葉に、アホみたいにおうむ返しすることしか出来なかった。

 大切……大切か……。


「うん、思衣ちゃんはさ、大切な人なんだ」


 確かにまあ、私にとっても狭霧ちゃんは大切な人だけど。


「なに、酔ってる?」

「酔ってるよ?」


 不敵な笑顔をする。さっきまで同級生だったのに、今は少し、年上のミステリアスなお姉さんだった。


「思衣ちゃんに出会えてよかったな」

「ん……まあ、それは私もだけど」


 一緒に宮見みやを語るときの気の抜けた意味のないじゃれあいのやりとりと違って、真剣味を含んだ雰囲気だった。

 狭霧ちゃんはこちらの眼を見て、誤魔化すような笑いも混ぜない真面目で大人な感じを出す。

 私はまだちょっと準備ができてなく、どきどきしてしまう。アルコールが入っている所為かもしれないけど。


「そう? よかった」


 狭霧ちゃんは微笑んでワイングラスに口をつける。彼女の口に、赤い液体が流れていくのが、変に印象的に映る。


「思衣ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいな」

「えっと……そう?」

「そうだよ、思衣ちゃんは私にとって、すごく大切な人だから」


 彼女は笑う。

 いつもの油断したようなとぼけた感じでなくて、柔らかで余裕のある微笑み。

 美少女の狭霧ちゃんによく似合っていて、やっぱり大人っぽく見える。


「え、なに、私のこと好きなの?」


 誤魔化そうと茶化した雰囲気を作ろうとしたけど。


「勿論、大好き」


 狭霧ちゃんは大真面目にそう返した。

 ……まじか。


「……あのさ」

「うん」

「そういう意味で?」

「うん、そういう意味で」


 ……そっか、そうだよね。

 ここまできて、そういう意味じゃないことなんかないよな……。


「思衣ちゃんに、恋人になって欲しいの」


 狭霧ちゃんの瞳は真剣で、誤魔化すこともできず私はどうしようもなく。


「……考えさせて」

「うん、返事待ってるね」


 狭霧ちゃんは少し残念そうに苦笑した。

 結局私には、答えを先延ばしにすることしか出来なかった。



 ***



 狭霧ちゃんのことは、間違いなく好きだ。

 私だって狭霧ちゃんのことは大切に思ってる。

 じゃあ付き合うかって言われたら、そうはならんやろ……。

 私だってカキフライとか好きだけどカキフライとは付き合わんし。宮見みやも好きだけど、告白されてもまあ付き合わないと思う。まあそんなことは起こらないけど。

 じゃあ、狭霧ちゃんのことはどうかと言えば、好きだし、告白された。

 けど、やっぱり付き合わないのかな。

 付き合っても良いけど、でもキスしたいかって言われたら、んん……。まだわからない。

 好きだし、告白されてドキドキしたし、嬉しかった。

 でも、んー……この気持ちは、どっちだろ。

 わからないな……。

『難しいけど、答えはたぶん自分の中にあるんじゃないかな……告白してくれた相手のことを思いながら、自分の中にある答えを真剣に悩みながら出すのがいいんじゃない?』って宮見は言ってた。

 宮見さぁ……、もう少し具体的なアドバイスをくれよな。

 狭霧ちゃんと付き合った方がいいって言われたら付き合うし、友達のままの方がいいよって言われたら、ん……まあ、そうするかな。

 もう誰かに決めてほしいな。

 答えは本当に、私の中にあるのかな。






 あの後は普通に一人でおうちに帰り、ちゃんとシャワーを浴びてから布団に入った。寝たりななかったりしてから数時間後、布団から出て大学に向かった。楓と一緒に試験を終えてから、学食で安いラーメンを啜り終えて、今ここ。楓と二人学食のテーブルでスマホをたぷたぷしてる。

 まだ今日は狭霧ちゃんには会っていないし、連絡も来ていない。まだ答えは出せていないから、それは少しだけありがたかった。

 この大体十四時間くらいの間、ずっと狭霧ちゃんのことが頭にあるけれど、狭霧ちゃんから告白に対する答えは未だに出せない。難しい問題で、答えがでない。

 何というか、自分の中にある回答を、上手く言語化できないような、そんな感じだろうか。好意を持っているのは間違いないけれど……うーん……。


「最近、仲良いの?」


 と、学食のテーブルの反対側、アホみたいな顔で楓が訊いてくる。


「ん?」

「あの手袋の子」

「狭霧ちゃん?」

「名前は知らんけど」

「仲は……まあ良いよ、遊びに行ったりしてるし」


 まあ、告白されたとは言えんよな。


「ふーん」


 楓は大して興味もなさそうに頷いた。自分から聞いてきたくせに。


「え、狭霧ちゃんに嫉妬してんの?」

「は?」


 と楓にマジトーンで睨まれた。こわ。何だこいつ。


「思衣さー、なんかだめ?」


 ふっ、と楓は小さくため息をつく。珍しい。


「だめとは」

「なんか悩んでる?」


 は、こわ。なんでわかんの? たまに妙なところで鋭いんだよな。

 うーん、相談してみるか……?


「悩んでる」

「話しても良いぞ」


 なんだその口調。

 うーん、どこまで言って良いのかなぁ……。狭霧ちゃんに告白されたことは言わん方が良いよな。


「例えばなんだけど」

「うん」

「遊びに誘われたとき、行きたいけどもしかしたら別の用事が入るかもってときあるじゃん」

「あるね」

「そういうときさ、行けたらいくって言うじゃん」

「うん」

「でも、行けたらいくって答えるとさ『絶対それ来ないやつじゃん』ってなるじゃん」

「なるね」

「それ困るんだよ、行きたいし行ける確率のが高いのに行けたらいくって言葉が使えないんだよ」

「で?」

「どーすれば良いかなぁ」


 適当に話してたら全然意味わかんない相談になってしまった。何だこれ。


「えー、もうそのまま伝えればいいじゃん、長くなっても」

「いや、なんていうか、自分でもわからない部分てあるじゃん」

「んー?」

「自分でもどうしたらいいかわかんなくて、自分でも答えが出せないっていうか、自分でも何考えてるかわかんないとき」


 楓は何言ってんだこいつ……みたいな顔してる。いや、そーなんだけどさ。相談して良いぞって言ったじゃん? 汲んで? 私の思いを。


「んーよくわかんないんだけど」

「だよね」


 知ってた。


「つまり、自分でも答えが出せないことがあると」

「そうそう」


 たぶん。


「自分の中にあるはずの答えを探しているけど、見つからないと」

「まあ、そんな感じ?」


 狭霧ちゃんのことは好きだ。それは間違いないけど。

 出会って間もないし、そういう好きとは違う気もするし、よくわからんのよな……。


「なるほどねぇ……」


 そーだなぁと、珍しく真面目な感じで悩みだす楓。こういうところは普通に良いやつなんだよな。まあダメだけど。


「じゃあ触って貰えば?」

「ん?」

「答えがあると思うなら、狭霧ちゃんに触って貰えば、自分の気持ちの深い部分がわかったりするんじゃない?」


 ……ほう?


「ん……そーなのかなぁ……」


 実際どうなんだろ。

 私のわからない、答えの出せない部分まで、触って貰えばわかったりするんだろうか?

 ていうか、本人に触って貰うってどうなんだろ。

 もしかしたらそれで、全部解決したりするんだろうか。

 私の中にある答えを、狭霧ちゃんが触るだけで汲み取って、それで全部終わったりするのかな。

 結果はどうあれ狭霧ちゃんに触ってもらったら、私の悩みは全て解決するのかな?

 ……それは何となく嫌だな。

 腕を組んで悩んでいると、楓も首を傾げた。


「違う?」

「違うっていうか……うーん」


 そんなこと言われても、私だって自分がよくわからない。


「思衣って、意外と真面目じゃん?」

「ん?」


 意外って何だよ。ずっと真面目でやらせてもらってるよこっちは。


「ズルしたくないんでしょ」

「ズルってなにさ」

「狭霧ちゃん? に触ってもらうこと」

「……ん?」


 楓は訳知り顔でにやにやと笑う。何だこいつ。お前は何もわかってないからな。


「それってさ、黙ってても良いもんね」

「全然わかんない」

「まあ良いけどね、私はどっちでも」


 楓は楽しそうに笑った。何なんだよ……。


「私は、思衣の幸せを祈るだけだよ」

「あ?」

「随分助けてもらったからねぇ」


 なんて、どこか遠くを見るような目をする。


「何だ、それ」

「んーん」


 と首を横に振って、どこか達観したように微笑んでいた。その顔やめて。






 図書館に入ると、狭霧ちゃんはカウンター前の本棚を見ていた。ちなみに楓は『寝るわ』と言って帰った。

 狭霧ちゃんはいつものようにモノトーンの装い。黒の長手袋と白のスカーフですぐにわかった。

 声をかけようと近寄ると、狭霧ちゃんの方もこちらに気付いて手をあげた。


「思衣ちゃんお疲れー」

「うん」


 狭霧ちゃんはいつも通りで安心した。昨日告白されて、返事を待たせてる相手とは思えない。


「二日酔いとかない?」

「うん、ヘーキ」

「そういえばなんのレポートだっけ?」

「古代の神々かな、とってた?」

「うん、とったやつ、レポートも書いたし」


 お、この授業被ってたのか。すでにレポートも書いたってことは頼りになる。


「そうなんだ、気付かなかったな」

「私は気付いてたけどね」


 え。


「宮見のキーホルダーつけてる人いるなぁって思ってた」


 そうなんだ……。


「声かけてくれればいいのに」

「ね、こんなに好きになるなら早く声かければよかった」


 ……急にそういうこと言うじゃん。


「……」

「ごめん、嫌だった?」


 私が黙ったせいか、彼女は申し訳なさそうに謝った。


「嫌ではない……驚いたけど」

「ん……ごめん」


 狭霧ちゃんがもう一度謝って、私もなんて言えばよくわからなくなり沈黙が流れてしまった。


「まあ今日は、普通にレポートしよ」

「……うん」


 何となく消化不良のまま、狭霧ちゃんとの午後の時間は始まった。






 昨日と同じ場所にノートパソコンを置いて、本棚で資料を漁った。神話学の棚は昨日すでに目を通してるけど、どの資料が使えそうとかはもう一度見ておくことにした。

 本棚から気になるタイトルの本を取り出しては、パラパラとめくり戻したり小脇に挟んだり。隣には狭霧ちゃんがいて、時折「これどう?」と資料を渡してくれる。

 そんなことを繰り返して、図書館の奥に行けば行くほど静かになっていく。

 気付かなくても、静かな場所で二人きり。

 周りは本棚で、周囲は見通しが悪い。

 私たち以外の人の気配は一切しない。

 私のことが好きな人が隣にいる。

 資料を探るふりをして、脳内ではとても口に出せないようなことばかり考えていた。

 だってまあ、仕方なくないか……? 背の高い美形に本棚に押し付けられてしまうようなシチュエーションなんて、漫画とかで何度も見たし。

 もし今、狭霧ちゃんにそんなことをされたなら、そのまま勢いに飲まれてどこまでもしてしまいそうな感じはある。

 でも流石に図書館ではまずいよな……。

 そんなの漫画の中だけにしておくべきだけど……図書館ではダメだからこそイイ、みたいな……?

 まあ、狭霧ちゃんは真面目だからそんなことは絶対にしないと思うけど。

 でも真面目な狭霧ちゃんだからこそ、そんな風に気持ちを伝えられたら……困る。

 いや、うーん……。

 ていうか、レポートをしようって言ったのにこんなことばかり考えてたら、真面目な狭霧ちゃんは怒るんじゃないかな。


「重くない?」

「ひっ」


 びびった……。


「あ、ごめん、重いかなって思って」


 言われてから気付いた。全然意識してなかったけど、集めた資料は小脇に抱えられるほどではなくなって、両手を使ってお腹の前で抱えていた。


「うん、平気」

「持つよ」


 と狭霧ちゃんが両手を差し出した。

 彼女の好意に甘えようとして、私が一歩踏み出す。資料を渡そうとしてから気付いたけど、これってかなり近いな。

 狭霧ちゃんは背が高くて、少しだけしゃがんでくれる。資料を渡そうとすると、彼女のさらさらの生地の手袋に手が触れた。


「あ」


 と、声が出てしまう。

 手袋は大丈夫だと聞いている。伝わってはいないと思う。けれど思わず身体を離してしまった。

 二人の間にあった資料の山は崩れて落下した。


「大丈夫? 拾うね」


 と笑顔を見せた。

 その前の、一瞬だけ絶望したような狭霧ちゃんの表情が焼きついた。



 ***



 高校の時の友達に触れられてしまって、その友達の思いが伝わってしまったとき。

 その時その友達はどんなことを考えていて、その思いに狭霧ちゃんはどんな気持ちになったのだろうか。それはまあ、私には想像することしかできないけれど。

 あの時の表情から考えれば、狭霧ちゃんは傷ついたんだと思う。

 狭霧ちゃん、違うの。

 私は触れられるのが嫌だったんじゃない。

 狭霧ちゃんに気持ちが伝わるのが嫌だったんじゃない。

 ズルしたくなかった……て、全部楓の言う通りか。腹が立つなぁ……。






 しゃがんで本を拾う狭霧ちゃんの目の前。私も同じようにしゃがんだ。


「違うの」


 それだけは伝えたかった。


「え、なに」


 なんて、とぼける狭霧ちゃんにはちゃんと伝えてあげないといけないと思う。


「私は、狭霧ちゃんを傷つけたいんじゃなかったの」


 私の言葉に彼女は私から目を逸らす。


「いや、変な顔してごめん」


 狭霧ちゃんは謝罪の言葉を口にする。そうじゃなくて!


「違くて!」


 彼女の傷ついた表情が、私のどこかがきゅっと苦しくなった。

 そんな表情をさせたいわけじゃない。


「私の今の気持ちを、ちゃんと伝えたいって思ったの」


 触れれば伝わるのかもしれない。けどそうじゃない。

 そんな風に伝えたくない。


「ちゃんと、言葉で伝えたい」


 私は狭霧ちゃんの目を見る。

 驚いたような困惑しているような表情の彼女に、私はちゃんと伝えられるだろうか?


「触ってもらったら、伝わっちゃうでしょ」


 そうじゃない。

 狭霧ちゃんの伝えてくれた想いに、そんな形で答えたくない。


「狭霧ちゃん、私も好き……たぶん、これからもっと好きになると思う」


 それがたぶん、私の答えだ。

 誰かに決められたわけじゃない、ちゃんと自分の心の中を掬って出てきたものだ。

 それを、ちゃんと言葉にしたい。


「告白されて、びっくりした」


 嘘はつかないように、勢いだけで言葉を口にしないように気をつける。


「恋愛の好きじゃないと思ってたから、どうしようか迷ってた」


 言葉に出すのは、すごく覚悟がいる。

 触れば伝わるなら、そのほうが簡単かもしれないけど、でも違う。

 触れば伝わるなんて、そんなのじゃなくて。


「でも嬉しかった……きっともっと好きになる」


 言葉で伝えたい。


「狭霧ちゃんが好き、一緒にいるとどきどきするし安心するし、守りたいし、守られたいし」


 私は声に出して貴女に好きと伝えたい。それはきっと、価値があることだ。

 だって貴女は、勇気を出して伝えてくれたでしょう?

 私への想いを、ちゃんと口にしてくれたでしょう?

 だから私も、この声で伝えたい。


「それと、あと、一緒にいると、変なこと考えちゃうから、触りたくなかったの」


 呆然とする狭霧ちゃんの、その下唇に吸い付いた。

 その時に気付いたけど、これ、キスでも気持ちが伝わっちゃうのか。






 数秒の後に、狭霧ちゃんは泣き出しそうな顔をしている。


「そんなこと考えてたの……⁉︎」

「ごめん……」


 でも、その、嘘はついてないよ……?


「レポートしようって言ったのに」

「ごめんて……」

「思衣ちゃんて、そーゆー子なんだ」

「うん……」


 ほんと、申し訳ないです……。

 自分のこと真面目だとか思っててすみません……。


「あの……騙したわけじゃなくて」

「わかってる」


 はあ、と狭霧ちゃんはため息をついた。


「……レポート終わったら、うち来て」


 そっと、狭霧ちゃんは耳元に口を寄せる。

 小さく、私だけに聞こえる声で言った。

 誰かの心がわかる能力があれば、相手の考えていることも全てわかる。自分の考えていることも全て伝わる。

 それは凄く便利で楽かもしれないけど、でも、なくても伝わるよ。

 そのために、愛を伝える言葉もあるんだと、思ったのでした。

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触ると心が見えるらしい美少女と趣味が同じだったから友達になった話 @yu__ss

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