第四幕
次の日の夜七時。
私は智也にLINEで指定された場所へ向かう。
冴も来ると言うので、懸命に断ったのだが「友達なんだから力になりたい」と言ってくれた。麻友さんに確認を取ると、冴がいても除霊に支障はないようなので、冴も一緒に来てくれることになった。
私は隣にいる冴の手を握る。
「怖いの?」
冴は前を向いたまま私に尋ねて来た。もちろん怖い。私に憑りついている霊はかなりの悪霊なのだという。
これは麻友さんが教えてくれた情報なのだが、この悪霊……『何か』は名前が付けられていない程、古くから恐れられている霊らしい。人の悪しき心を餌とする。まさに悪霊。何より特異な点は一度に複数の生き物に憑りつくことが出来て、妖怪もまたその対象であるという事だ。今回の場合は、私の悪しき心という物に寄せられて私に憑りつき、私を精神的にも攻撃するためにかいなでにも憑りつき、操り、このようなかいなでの暴走を招いたのではないか、と麻友は言っていた。かいなでもいい迷惑なのだ。
そんな事より、私の悪しき心……もう自分でも気づいているはずなのに、認められない。自分でそれを掴めていない。わかっているのにわからないのだ。もう一人の自分が必死に自分を騙して隠し通そうとしている『何か』。
怖かった。
「怖いよ」
私は冴にそう返す。しかし冴もかなり怖がっているはずなのだ。握り返す手がすごく震えている。
「大丈夫だよ。怖いのが普通だよ」
こちらを向く無理をした笑顔が街灯で照らされる。今はその無理やりの友情に心底感謝した。
次第に目的地が見えて来た。
『町田衛生陶器工場』
今は使われていない廃墟となったトイレ工場だ。今はこの街のかいなでたちの溜まり場になっているとか。入口が見え、そこに智也が立っていることも確認できる。しかし、麻友の姿はない。
「智也、麻友さんは?」
「お前と会うと、『何か』が麻友に反応してしまうから、先に中に入って待ってるよ」
智也が私の両肩を力を入れて掴む。痛いけど痛いなんて言ってられる状況ではなかった。
「いいか。これからはお前と麻友の命がかかってる。下手したら俺や冴の命も危ない。だから、必ず麻友の指示に従え。そして質問にも正直に答えるんだ。いいな?」
「うん、わかった」
智也の「じゃあ、行くぞ」という言葉に生唾をごくりと飲む。ついに始まるのか。
工場敷地内は随分と荒らされており、ゴミは至る所に転がっているし、雑草も生え放題だった。建物内部はもっとひどい。ゴミ、雑草はもちろん、割れたガラスの破片、蜘蛛の巣、赤い落書き。心霊スポットとしても名を馳せているらしいが納得だ。
ひゅー、という風の抜ける音。三人の間に会話はない。
内部を瓦礫を避けながら進むと、広間に出た。そしてその中央には麻友の姿があった。
「来たね……」
既に楽そうな顔ではなく、随分と険しい顔つきだった。私は「よろしくお願いします」という意味を込めて会釈する。
「『何か』がいつ私に攻撃を始めるかわからない。手短に除霊の方法を説明するよ」
麻友は持っていた懐中電灯で周囲を照らした。
「ここはかつて歴代のトイレのサンプルが展示されていた広間だ。その多くがまだ形を残している。華乃たち三人にはこれらのトイレに座ってかいなでたちを呼び寄せて欲しい」
その説明に冴は不満そうな声を漏らし、麻友はそれを聞き逃さない。懐中電灯を冴の方に向け目だけで尋ねる。
「い、いや、トイレ、壁もないのに恥ずかしいかなって……。女子だけならともかくその智也君もいるし……」
「今はそんな事言ってられない。それでも恥ずかしいなら帰って。除霊に支障はないっていうのはちゃんと手伝ってくれたらって上での話」
麻友の当たりは少々きつかった。本来一週間後だったはずの除霊が今日に繰り上げられ、準備も完璧にできておらず焦っているのかもしれない。しかし、私達は彼女を信じるしかないのだ。
「冴、麻友の言うことはちゃんと聞いてくれって頼んだじゃないか。俺もできるだけ見ないように努めるから、今は我慢してくれ」
本命の智也のお願いに冴は「わかった」と渋々了承する。
「そう、智也は私ので充分」
麻友のそのセリフに皆が静まり返った刹那、傷口が開いたのか麻友の腕を昨日のように血が滴る。
「ほんと……こんな冗談を言ってないと気が狂いそう……。みんな! 位置について! 『何か』はかいなでたちと同時に除霊しないと引きはがせない! みんなの協力が必要……。華乃に憑りついている『何か』本体は私が引き出すから、お願い!」
麻友が数珠を取り出したのを見て、私達三人はそれぞれ目についた便座に座る。本当に恥ずかしいなどと言っている暇はない。
数珠を私に向ける麻友の額には水の粒が多く浮かび、流れる血の量も増えていた。そして数珠が弾け、麻友もその反動で倒れる。
「麻友さん!」
「まずいよ! 結界が破られた! これじゃあ露骨に攻撃を食らってしまう!」
突然、気分が悪くなった。吐く前のようなあの感じ。さらに尋常じゃない痛みが私の体を襲った。
「ああああ! ああ!」
「華乃!」
立ち上がった麻友が駆けて来て私を抱きしめる。
「痛いけど……ちょっと我慢して!」
麻友の血が体い付く。生温かった。それを感じることで生きていることを実感する。しかし、この状況は生き地獄でしかなかった。
口に強い力が与えられる。私の両頬を麻友が右手で押さえたのだ。
「そんな所でチキってないで出て来い!」
その声と同時に私の口から、昨日の夜見た黒いモヤモヤが飛び出す。そのモヤに弾かれた麻友が砂利の上に転がる。砂利のせいで体の至るところに傷が出来ていた。
「麻友!」
智也も溜まらずに叫ぶ。
「私は大丈夫だから!」
麻友はすぐさま立ち上がり、新たな数珠と一枚のお札を取り出した。
「もう一度結界!」
そして、私達にも新たな敵が来た。臀部に未だ馴れない感触。
かいなでだ。
「いやああ!」
冴が悲鳴を上げる。確かに初めての人にとってこれはかなりきつい経験だ。それにしても、さすがはかいなでの溜まり場。数が尋常じゃない。何度も触られるし、一度に複数触られる感触もある。皆、『何か』に憑りつかれているのだろうか、それは私にはわからない。
麻友も私たちの様子でかいなでが来たことに気づいたようで、次の指示を出してきた。
「華乃! こいつを除霊する方法はただ一つ! あなたの悪しき心を自分で認め、正そうとすることのみ! 心当たり! 考えて来た?」
「そんな!」
そんな酷い。麻友はわかっていて除霊方法を私に伝えなかったのだ。
これは、私自信の問題だというのか。いや、そうだ。これは私の問題だ。他人を巻き込んでしまった私の問題だ。
周りの瓦礫やゴミが『何か』の起こすポルターガイストで宙を舞う。辛うじて当たらないのは麻友の結界のおかげだ。
突然、了とは色んな所に行ったのを思い出いした。これが走馬燈と言うものなのだろうか。二人で写真を撮って、インスタでたくさんいいねをもらえて……幸せだった。私は、こうやってちゃんと了が好きだったのに。
好きとか言いながら本当は気づいているのに。私が答えを受け付けない。
「華乃! 早く!」
私は……私は……私は……!
「……ないです。ちゃんと了が好きでした」
バチンと言う大きな音を立て再び麻友の数珠が弾ける。お札も引き裂かれ、麻友は手から大量の血を流しながらその場に倒れ込んだ。
「麻友!」
智也が便座から立ち上がり、倒れた麻友に駆け寄り抱き上げた。
「麻友! しっかりしろ!」
「私は大丈夫……まだやれる。それより除霊を……」
麻友の結界を破った『何か』の黒いモヤモヤの中に昨日のような顔がまた出現し、ゆっくり、ゆっくりと私に迫ってくる。やがてその顔が了に見えてきた。口元は笑っているのに、目がない了。見たことのない了の顔が私に接近してくる。
【……ちゃんとって何】
「嫌ああああああ!」
目の前にまで顔が来た瞬間、顔は大きく口を開けた。
私は死を覚悟して目を瞑る。
体に衝撃を感じ、「うっ」という声が漏れてしまう。私はなぜか、まだ生きていた。どうやら私は『何か』との間に入り込んで来た冴に抱きかかえられながら地面で体を強打したようだったのだ。
「冴?」
目の前にはもう了の顔はなく、冴の顔がある。砂利で擦り傷が出来た冴の顔があった。
「良かった……華乃、大丈夫?」
私たちは二人で支え合いながら、互いに状態を起こし、私は冴に正面から抱き着いた。
「……ありがとう。冴!」
心からのありがとうだった。死に直面した私を冴は救ってくれた。「友達だから」というたったそれだけの理由で一緒に除霊に来てくれた冴。いつもはお茶らけてるけど、相談の時はいつも真剣に聞いてくれた冴。
こんないい友達はこれからの人生でも恐らくできないだろう。
私は冴の背中に手を回したまま泣いた。冴の服を私の涙で濡らしてしまって悪いなと思いながら泣いた。
「大丈夫、大丈夫……」
と冴は私の背中を擦ってくれる。
何でこんなに優しいんだろう。私が巻き込んだことだというのに。
本当に本当に本当に冴はいい友達だ。親友だ。
「……やつの力が弱まってる?」
唐突に麻友が呟く。
「今の華乃の善の心のおかげだ……。ほんと、ちゃんと優しいくせに何で認められないのかね……」
フラつきながらも立ち上がった麻友は、智也に手を出す。
「私の鞄からもう一つの数珠とお札を出して」
「わかった!」
麻友はそれらを受け取ると、「ハアッ!」と気合を込めながら『何か』の顔に向ける。
「もう一回! 結界!」
麻友のその言葉と同時に『何か』の顔が揺れる。効果があるようだ。
「華乃! 最後のチャンス! もう一度、もう一度だけ心当たりないか考えて!」
麻友のその言葉に対し、冴が私を見つめる。
「ちゃんと話して」
私は親友に尋ねられることで、ようやく気付いていた何かを言葉にすることが出来てた。
「了を……心の底から愛せてなかった……。冴の存在みたいに大切に思えていなかった……。ただの私のステータスだとしか思えていなかった」
「そうだったんだね。話してくれてありがとう」
とだけ冴は言って、私をもう一度抱きしめた。強く強く抱きしめた。
「ほんと、よく言えたね」
麻友も小さな声で呟く。
「これで行ける! ハアアアッ!」
麻友の数珠から閃光が放たれた。
× × ×
智也と麻友が隣県に戻った後、もう一度了に会って謝った。そして話し合って、彼はもう一度チャンスを私にくれた。
そうして今日はデートの日である。
了にかいなでや『何か』の事は話していない。あの出来事は夢だったんじゃないかと持ってさえいた。でもあの恐怖は胸に残っている。少しずつ、恐怖を解消していきたかった。この幸せで。
「私、ちょっとお手洗い」
「うん、ここで待ってるね」
そんな私の気持ちは『彼ら』は知らない。
私は一番奥の個室に入り、便座に腰をかける。
そして、臀部に懐かしい感触。
冗談じゃない。
「いやああああ!」
かいなで 雨瀬くらげ @SnowrainWorld
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