第参幕
翌日の昼過ぎ。昼食後の方がいいだろうと思い、この時間に件のメモの場所に来てみたが、ごく普通のアパートだった。いや普通より若干安そう。ちなみに「安そう」というのは私ではなく冴が言った。
「何であんたまで来てんの……」
「そりゃあ、智也君からのお呼ばれならね」
「別に冴は呼ばれてないでしょ……。話さなければよかったわ」
私は上下カジュアルなものを選んできたが、冴はユニクロのちょっと高く見える服+化粧をしていた。
智也にはこの時間帯に行くと事前にLINEをしているので、中にいるはずだ。私は『小鳥遊』という表札の下のインターフォンに触れる。
ピンポーン。
部屋に響く電子音が外にまで聞こえてくる。やがてギギギと軋みながら扉が少し開き、隙間から顔を覗かせたのは金髪の女性だった。頭が切れそうな整った顔立ちで、童顔。ところで、この女は智也とどういう関係なのだろう。まさか彼女じゃあるまいな。
「えーと、どちら様?」
「あ、智也にここに来いって言われて来た……ですけど」
おそらく年上なので、慌てて丁寧語にする。すると、彼女は何か納得したように部屋の奥に顔をやる。
「智也、お客さん」
私と冴も釣られて部屋を覗き込むと奥の机に座り何かを飲んでいる智也の姿が見えた。智也も私たちに気づき、こちらに向かって手を振る。
いや、それよりこの二人は同じ部屋に住んでるのか。まじでどういう関係なんだ。
「麻友、そいつら昨日話した例の人だよ」
智也は彼女を『麻友』と呼んだ。すると、彼女は間違いなく、
「あの、あなたが小鳥遊麻友さんですか」
彼女は再び私たちの方へ向き直る。
「え、うん、そう。私が小鳥遊麻友。一応、霊媒師」
この人が霊媒師。本物の霊媒師は初めて見た。それにしても随分と若い。智也は何で霊媒師なんかと知り合いなんだ。さっきタメ口で話してたし、ますます二人の関係が気になる。
麻友は私たちの正体がわかったところで、扉を全開にし、部屋の中へ誘う。
「どうぞ」
「お邪魔します」
言われるままに、玄関に上がる。第一印象は「汚い」であった。とはいえ、衛生的に汚いようではなく、物がめちゃくちゃ散らかっていた。靴も乱雑で、廊下にも当たり前のように畳まれてない服が列を成している。所々、下着もあった。冴は思いっきり「うわあ」と嫌悪感を示していた。
「あ、ごめんね。汚いよね。ちょっと無視してくれたら嬉しい」
私たちを見て恥ずかしそうに頭を掻く。そんな様子を見て智也は、
「一昨日俺が片付けたんだけどな」
と苦笑した。麻友は「私片付け下手なんだよ」と言いながら、私達をリビングまで案内してくれた。リビングの汚部屋っぷりはもっと凄まじかった。至る所に紙や本があり、もうインテリアかというレベルで服がある。なぜ一昨日片付けてこんなに服が散らかるのだろう。冴も同じことを思ったようで、本人に訊いていた。
「いやあ、除霊って体力使うからめっちゃ汗かくの。だからよく着替えるんだよ」
ちょっと話の次元が私たちの住む世界と違う気がする。
「全然違わないよ。どんなオカルトもこの世界で生まれたものだよ。同じ世界にいるんだ。あなたたちが気づいていないだけ。あいつらは色んな所にいる。もしかしたらあなたの隣にもいるかもしれない」
冴が「ひっ」と情けない声を上げながら飛び跳ねる。
体に衝撃が走る。今、私は『ちょっと話の次元が私たちの住む世界と違う気がする』と思った。それは心の中で思ったことで、口には出していない。しかし、麻友は私の思いを読み取ったかのように返事をしてきた。
思わず、麻友の顔を見つめる。少しばかりの恐怖を彼女に抱いたのだ。
「霊感が人よりあると、たまに人の心がわかってしまう事があるんだよ。安心して、自分の使いたい時に使える便利なものじゃない。たまにだよ。だから智也君が私を見て変なことを考えてるのもわかってる」
「おいおい冗談はよしてくれ」
「私のこの力が常時自由に使えるものじゃなくて良かったね」
「ねえ、ほんとやめてくれ」
智也の額に汗の粒が浮かぶ。本当の事なのか……。幻滅した。そして麻友の力もどうやら本物らしい。目の前でその力を見せられては疑う理由はない。
「で、あなたが例の赤坂華乃ね」
と、麻友は私の肩に手を置く。
「智也から聞いた。かいなでの被害にあってるんだね。私が助けてあげる」
「え、あの……」
まったく話に追いついて行けてなかった。霊媒師、かいなで。智也、麻友。そしてある記憶に繋がった。
「智也の友達の手伝いって、まさか」
「そう。麻友の除霊の手伝い」
私の混乱に気づいたのか、麻友も解説をしてくれた。
「この街でかいなでの被害が何件か出てたから調査しに来たんだよ。智也君と一緒に」
「あの、智也君とどういう関係で……」
これは冴が焦ったように智也に向かって尋ねた。
「麻友は俺の命の恩人だよ」
続けて智也が語った内容は次のようなものだった。
大学のキャンパス内の木の下で友人と談笑していたところ、突然、気分が悪くなりその場に蹲った。あまりの苦しさに言葉も出ず、その友人はもちろん、周囲の人々も慌てふためく中、ちょうどそこを通りかかった同学年の民俗学部の女性——麻友が血相を変えて智也に駆け寄ったという。
「私と彼で二人だけになれるところに連れて行って」
と、麻友は智也の友人に言った。しかし友人は麻友の言葉の意味を理解できず、「緊急事態に何言ってるんだよ!」と怒鳴った。麻友もそれに対し怒鳴り返す。
「いいから早く! じゃないと、この人死ぬ!」
『死ぬ』というリアルな言葉に友人も怖気づいたのか、二人を図書館の資料室に案内した。
「ここは人がほとんど来ねえ。変なことするんじゃねえぞ」
「そんな冗談は言ってられない」
麻友は資料室の扉を勢いよく閉めた。友人や図書館を利用していた人々が、資料室から騒音に気づき駆けつけると、汗を滝のように流す麻友の姿と何事もなかったかのように元気になっている智也の姿があったらしい。
そして麻友はこう言った。
「目についた人に無差別に憑りついて生気を吸う質の悪い悪霊だった」
私はその話について疑問に思う。
「なぜ、命の恩人だからって麻友さんの除霊活動まで手伝う必要があるの」
そんな私の問いに対し、智也が麻友の肩に手をやる。
「俺と麻友はそれをきっかけに友達になったんだよな。飯も一緒に食べたり遊びにも行ったり、仲良しだ。手伝って当然」
どうも怪しかったが、それ以上は訊かないことにした。興味もないし。
私が理解した(してない)事を理解したように麻友は頷き、本題を話し始めた。
「で、問題のかいなで。華乃、かいなでに関して不思議に思うことはない?」
不思議に思うこと? 私にとっては『かいなで』という存在が不思議でたまらないのだが一応振り返ってみる。一度目の被害、夜の川原の時。第二の被害、学校のトイレ。しかし思い当たるものは見つからなかった。
「何で『私が』って思わなかった?」
思っ……た。言われてみると思った。一度目はともかく、二度目は学校だ。私以外にもたくさんの生徒がトイレを利用する。それなのに私が触られた。ましてや二連続だ。
「時期的にもこの時期はかいなでの活動が活発になる時期だけど、同じ人が二連続だなんていうのは普通おかしい。他にも何件か被害が出ているって言ったけど、みんな被害は一度だけ」
麻友の左肩から二の腕にかけて一筋の赤い液体が垂れ流れる。
「え、ちょ」
冴は声を上げ、私は自分の手で口を押える。智也もその血に動揺を見せたが麻友は動じないでいた。
「このくらい大丈夫。今は聞いて」
麻友はテーブルの上のティッシュを二枚取り、損傷部に当てる。
「かいなでは別に凶暴な妖怪じゃない。ただいたずら好きな妖怪。だから普通だったらかいなでの調査なんて受けないんだけど、今回はこの話からとんでもない気を感じた。そして今同じような気をあなたから感じている。その気自身もきっと私を警戒してる。現にこうして私の体に攻撃を仕掛けてる」
麻友が損傷部に当てている手が真っ赤に染まる。その姿に智也もさすがに我慢できなくなったようだった。
「麻友、傷が広がってる!」
「そいつ……ただものじゃないよ。その気……『何か』がかいなでと華乃に……憑りついているんだ……」
麻友の呼吸が苦しそうだった。智也も「それ以上しゃべるな」と制するが、本人は聞かない。いよいよ床に膝をついてしまった。
「そいつ……人の悪い心を餌にする奴……。華乃……何か心当たりは……?」
一瞬、了の顔が頭をよぎる。しかし、頭を振ってそれを掻き消した。違う。了は違う。そんなのじゃない。私はちゃんと了が好きだった。
「……ちゃんとって何」
麻友がそう言った気がしたが、麻友の声ではなく別の『何か』の声のようにも聞こえた。それに、他の人には聞こえていないようで、智也も冴も麻友へ心配そうな顔を向けている。
「ぐんうっ……」
麻友の口から血が流れる。そして、とうとう四つん這いになった。
「おい、華乃、冴! 一旦、部屋から出るんだ! これ以上は麻友が危険だ!」
智也が見たことのないくらいの怒り顔で私たちに怒鳴る。麻友が危険な状態にあるのは火を見るよりも明らかであったので、私達はすぐにその場を立ち去ろうとする。
「待って」
しかし麻友の右腕が私の脚首を掴んだので、私は麻友のきつそうな顔を見下ろす。
「今は何もできない……。準備をして、一週間後……除霊する」
もう顔すら上がっておらず、完全にうつ伏せ上体だった。それでも麻友は話を続ける。
「それまで……辛抱して。ほんと……うに心……当たりがないか……だけ……もう一回考えておいて……」
「もうお前ら出ろ!」
智也が私たちを玄関の外に突き出し、扉を思いっきり閉めた。鍵をかける音まで聞こえた。
私たちは柵で頭を打ったが、それからは麻友の身を案じながらそれぞれの家へ帰るしかなかった。
帰る間、私達が言葉を交わすことはなかった。
その夜。両親は仕事で帰るのが遅く、ひとり私は自分の部屋のベッドの上でスマホのアルバムを見返していた。
ほとんどの写真に笑っている了が映っている。もう見ることの無いだろう無数の了の笑顔。
『華乃……何か心当たりは……?』
ちゃんと好きだったはずだ!
私は、了の事を……。
既にスリープ状態に入って暗くなっていたスマホの画面が電子音と共に再び明るくなる。画面には受話器のマークと『宮永冴』の名前があった。
私はその受話器のマークをタップする。
「……もしもし?」
『……もしもし? 今日の事だけど……』
いつも明るいはずの冴がいつになく大人しかった。まあ、今日のあの光景を見れば無理もない。
『私、邪魔だったよね……。ごめんね。全然関係ないのに、智也君に会いたいからって……』
「そんなことないよ。私ひとりじゃ怖かったから、冴がいてくれて……よかったよ」
本心だった。最初は何で冴が来るんだとも思ったが、冴がいなければ一人で帰れていない。冴がいてくれて本当に良かった。それと同時に、
「私こそ、冴を巻き込んでしまってごめん。ほんと、関係ないのに」
『いいんだよ。友達じゃん。それに私があの川原でちゃんと見張り出来てなかったのも悪いし……。ちゃんとできてたらかいなでが華乃のお尻触る隙も作らせなかったのに』
話初めに比べて、少しばかり冴の声の調子がいつもの調子に近づいた気がした。
『除霊、成功するといいね……一週間後、だっけ』
「そう。一週間後」
『本当に心当たりないの』
私は黙ってしまった。ないと思っているのに。ないはずなのに。心のどこかで気づいている『何か』を無意識に押し込めようとしているのが自分でもわかって辛い。でも、本当に了のことは好きだったはずなのだ。
「了のあの笑顔を見ると、今は胸が苦しくなる」
『華乃、何か、了の事を好きであろうとしてるみたいだよ……。好きであろうとしてるみたい』
実際に自分以外の人から言われまた胸が苦しくなる。
違う。私はちゃんと了が好きだった。
本当に好きだった。
■■■……だなんて微塵も思ってないんだ。
彼氏がいることが私の……。
「ちゃんと了が好きだった」
どうやら私は自分に嘘を吐いたらしかった。
ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。
床が揺れる。
壁が揺れる。
天井が揺れる。
机の椅子がベッドに向かって飛んでくる。
「いやああああ!」
慌てて枕で直接の衝突を防ぐ。続けて証明が消え、箪笥の上に置いておいた写真立てが床に落ちた。
『ちょっと? 華乃! どうしたの!』
机の上の教科書も私めがけて飛んでくる。私の部屋にあるもの全てが凶器だった。しかし、バレーで鍛えた動態視力だけは私の味方についていた。暗闇の中、飛んでくるものを枕で跳ね返す。
【……ちゃんとって何】
『何か』の声が聞こえる。幻聴だろうか。いや、違う。私の耳に確かに聞こえていた。
【……ちゃんとって何】
【……ちゃんとって何】
「いや! やめて! やめて!」
『ねえ華乃! 大丈夫なの? 返事してよ!』
スマホから冴の叫び声も聞こえる。しかし返事をする余裕はなかった。頭の上に枕を置き、さらに布団を被る。
「助けて!」
【華乃】
!
この声は『何か』の声ではない。冴の声でもない。
【華乃! 届いてる?】
この声は……。
「麻友さん!」
【良かった! 届いてた! テレパシーが使える時間は短いから、手短に言う!】
テレパシー……霊媒師はそんなことまでできるのか。麻友の声を聞き少し冷静になった。
【今すぐトイレに行って!】
「そんな、家具が飛び交ってるんです!」
【そこにいてもいずれやられるよ! 早く! 頑張って部屋を出て! それからトイレに駆け込んで!】
うぅ……。
私は意を決し、ベッドを飛び出し、部屋の扉を開ける。そして階段を駆け下りて、目の前のトイレに逃げ込み鍵を閉める。
「トイレに入りました!」
【じゃあ、そこで座って待ってて! 私も智也と今、華乃の家に向かってるけど間に合わないかもしれない! でもトイレにいれば上手くいけば助かる!】
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ。
ドアノブが揺れ出し、鍵もその衝撃で空いてしまいそうだった。
「麻友さん! か、鍵が開けられそう!」
【とりあえず便座に座って!】
「座る余裕なんてない!」
【早く座れえ!】
初めて聞く麻友の大声に驚き、私は慌てて便座に腰を掛ける。
【きっとかいなでが来るけど大丈夫!】
「え、何で、かいなでが来るんですか!」
【かいなで自体は悪い妖怪じゃないって説明したでしょ! 大丈夫! かいなでに憑りついている霊と華乃に憑りついている霊は体を分離した同一の霊なの!】
難解だった。オカルトなのに物理の話を聞かされている気分だ。そのうえ、この状況で複雑な話をすぐに理解できるわけがない。
【つまりね! かいなでに尻を触られたら、その瞬間、同時に流して! いい?】
「は、はい!」
鍵はまだガチャガチャガチャガチャと音を立てている。かいなではこんな時に限ってまだ来ない。なぜだ。
早く来い!
早く!
冷たい感触を臀部に感じ、ツーと上へ撫でられる感触があった。
【「今!」】
流すレバーに手を掛けた瞬間、鍵が破壊され扉が開いた。
黒いモクモクとした雲のようなものが部屋に充満し、人間のような顔が浮かんでいた。 二つの真っ黒の目が私を捕らえていた。
その顔が私目掛けて飛んでくる。
「いやあああああああああああああああああああああああああ!」
レバーを引いた。
流れる水の音と共に、臀部に感じていた感触と顔はなくなった。
そして私しかいない赤坂家に静寂が訪れる。
私はその場に倒れ込み、廊下にうつ伏せになる。
「はあ……はあ……」
私の息遣いと心臓の鼓動だけが聞こえる。もう物音はしない。その刹那、玄関扉が開き、麻友と智也が入って来た。
「華乃!」
靴を脱ぎ棄てた麻友が私を抱きかかえてくれる。私の顔は麻友の胸に埋もれた。麻友の胸はとても温かった。
「華乃……一人でよく頑張ったね……」
「麻友さん……」
気が抜けたのか、目から涙が溢れ出てきて止まらなくなってしまった。
「……っうえ、……えん」
麻友は私の背中に腕を回し、優しく「頑張ったね頑張ったね」と撫でてくれる。
「智也、やっぱり除霊、明日にしよう。この子の身が持たないよ」
「麻友はいいのか」
「いいも何も、やるしかないじゃん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます