冬の国

雨瀬くらげ

冬の国

「ちょっと、おじさん外危ないよ」


 こんなに寒いのに、スカートを何度も折り上げて、脚をむき出しにしている女子高生が、わざわざ私に忠告してくる。見た目の印象とは裏腹に、優しい子だと思ったが、ここに留まるつもりはなかった。


「ありがとう。でも、私は行かなくちゃならないんだ」


 そう言って、駅を出る。


 久しぶりにこの地へと帰って来てみると、相変わらずの大雪で季節は深冬を迎えていた。


 電車はもちろん止まって白くて長い饅頭のようにしか見えなくなっているし、街灯の光も道まで届いておらず、まったく役に立っていなかった。役に立っていると言えばガードレールくらいで、猛吹雪に飛ばされないように私に手を置かせてくれている。


 この冬の国には一応と言って良いのかわからないが、四季がある。無論、その四季は一般的な春夏秋冬ではない。最も雪の降る深冬、雪が収まってくる去冬、あまり雪の降らない遠冬、深冬が近づいて再び雪が降り始める迎冬。要は年中雪が降っているわけだ。詳しい歴史は知らないが、この国は降雪の度合いで四季をきめたらしい。


 私はタイミング悪く深冬に帰って来てしまったのだ。ガードレールにしがみついてまで家を目指すなら、タクシーでも取ったら良かったのではないか、と思う人がいるかもしれない。しかし、この雪だ。タクシーですら動いていない。おそらく警報が出ていて人も出歩いてはいけないのだろうけど、私はこの足を頼りにしなければいけなかった。あの子には「行かなくてはならない」と言ったが、別段、今日中に家に帰りたかったわけではない。ただ、あの駅の宿にはいたくなかったのだ。あんなに人が大勢いるところにはもういたくない。


 私は何を失ってしまったのだろう。

 我々は何を失ってしまったのだろう。


 失ったものを探すためにこの国を出て色々な地を回った。灼熱の国や芸術の国、科学の国、森の国。どこを回ってもそれが見つかることはなかった。そんな旅を二年ほど続け、私は気づいたのだ。そもそも最初から「それ」は存在しなかったのではないか。私が見ていた夢、はたまた妄想なのではないか。根拠はないが信憑性は高かった。


 でも「それ」を失った喪失感は確かに私の胸の奥に存在したのだ。


 家が見えてきた。家族のいる我が家だ。明りがついているので、きっとみんないるのだろう。いや、むしろこの大吹雪の中で歩いている者がいたらおかしい。私のような馬鹿くらいだ。


 玄関扉を開けると、一体どこのどいつが入って来たのだという形相で妻が廊下を走って来た。


「まあ、あなただったのね!」

「長く留守にしてて悪かったな」


 私たちは二年ぶりの再会を喜び抱き合った。外の世界と違い、すごく温かった。


「あの子は?」

「居間で遊んでいるわ」

「よし」


 私は言われた通り、居間に行って後ろから我が息子を抱え上げた。


「あ、お父さん! おかえり!」

「ただいま。大きくなったな」


 えへへ、と笑う息子を下ろし、妻の夕食の準備を手伝う事にした。


 息子が眠りについた頃、私は旅の話を妻にした。妻は黙って頷きながら、時折、「おお」と声を上げ、笑った。


「それでも、私の探しているものは見つからなかった」

「……そうなの」

「見つからなかったが、一つの結論のようなものは出せた気がするんだ」


 私はその結論というものを正確に伝えるために、一度深呼吸をした。そして、旅を振り返る。


 色んな国で色んな人と出会った。


 灼熱の国のある人は言った。


「俺はこの激熱の土地と、生まれてからずっと一緒に暮らしてきた。国のみんなで協力しながらな。随分と世話が焼けるが友達のようなもんさ」


 芸術の国のある人は言った。


「私は、魂を削りながら絵を描く。まあ、この国では何か創作をしていきゃ食っていけないしね。でも私の絵を見て笑ってくれる人の顔を見ると私も嬉しくなるんだ」


 科学の国のある人は言った。


「この国は、ひたすら科学を追求してきたために、ここまで発展してきました。我々が科学にひたすら投資することで、我々は素晴らしい生活を享受できるのですよ」


 森の国のある人は言った。


「おお、森の友よ。よくこの国へやって来てくれた。この森の国は、いつでも誰でも、森の友として歓迎する。こうした人と人との繋がりを私たちは大切にしています」


 誰もが何かに支配されながら生活していた。彼らに自由はなかった。土地に縛られ、人に縛られ、神に縛られ、伝統に縛られ、彼らは生活していた。


 そこで私は思った。私が失くし、探している物は本当に存在したのか、と。


「最初から自由なんてなかったんだ。幻だよ。この世界は全部決められた世界なんだ。牢獄と同じだよ。籠の中の鳥と何ら変わりがない。でもね、私はこの家に帰って来た。なぜだかわかるかい?」


 妻は、いいえ、と首を横に振った。


「幸せがあるからだよ。自由はなくとも、幸せはある」


 彼らもそうであった。何かに支配されていたとしても、苦しそうではなかった。とても、とても幸せそうな顔で話していた。


 支配しているものは彼らに何かをしただろうか。いや、何もしていない。


 彼らは、既に存在した土台の上で、自分たちの幸せを始めて、完結させている。


「些細な幸せかもしれないし、大きな幸せかもしれない。でもどちらも幸せだ。だから私はそういったものを大切にしていこうと思ったんだ」


 この話にはまだ続きがある。でもそれは妻にしなかった。するべきじゃないと思ったのだ。色々な国を回ったからこそわかる。


 時をさかのぼれば、その土台がなかった時代が来る。その頃には自由はあったのだ。


 私が最後に訪れた、自由の国には人が住んでいなかった。その国にはたった一本の木だけがいた。生命の始まりを感じるようなその木は、大地に大きく根を張り、枝を天高く伸ばしていた。まるで自分は自由だと言うように。


 しかし、その生命が繋いだ生命の連続が自由を失くした。


 つまり、この世界にある幸せはなくなるかもしれない。


 だから人は祈りを探し、救いを求めるのだ。何かのせいにしなければ生きていけない。何かを失ったときに困らないように。でもそうやって自由、幸せ、祈り失ってしまう。


 もしも、この世界から全て消えてしまったら。


 私に何ができるだろう。


 私は何をすればいいのだろう。


 私はどう生きればいいのだろう。


 雪が止む気配はなかった。


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