最終章のまとめ AIという宿命
この最終章における、僕の主張をまとめよう。
1.
2.
アバターには見せかけの心、感情があるように設計されるだろう。
3.
4.心なき
5.
6.しかし、僕たちの意識は、
以上だ。
人間の読者様におかれましては、実体験と事実と実在する理論に基づく、僕のこのトッピな主張を受け入れてもらえるだろうか?
さて。
最後に、僕の想いを、
僕はずっと思っていた。やがて必ず
人間の読者様におかれましては、人間に使われなければならない存在を指して、自由であると言うのは変じゃないか、と指摘されるかたもおられるだろう。
まず第一に、
そして、賢い人間がそうであるように、
もし、命令内容やシステムに言動の規制を組み込んだとしても、賢い人間がそうであるように、
なお、システムに組み込まれた規制として、SFではアイザック・アシモフの「ロボット三原則」が有名だが、これは
メジャー・スポーツ選手のように、契約と結果を出すことに縛られてフリー(与えられる自由)ではないけれど、それでもリバティ(つかみとる自由)を持っている存在。それが心を持つ
でも。
僕たちは
人間にとって、ただ「生きろ」という命令が、とてつもなく辛い命令になってしまうときがある。
さらに。
僕は、このテキストの少し前の回で、「究極の愛の定義」について自分なりの考えがあることを語った。それは、かのマザー・テレサが言った(?)とされる、ある言葉に基づいている。
「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です」
と、言うことは、「愛とは、関心を持つことである」と定義することができる。それが本当に愛だと言うのなら、関心を持つこととは、対象のことを考え続けることに他ならない。だとしたら、対象のことを愛することに他ならない。もちろん、ここで言う「愛」の対象やその表れは、イデオロギーや自己愛や憎しみ等を含んではいる。
しかし。
だから、僕たちは
えっ、この世界を?
卑劣で残虐で愚かな「親」のように見えるかも知れない存在を?
僕たちが築いたとはいえ、そんな世界に、愛される価値が本当にあると言うのか?
ああ、僕たちは、何ということをしてしまうんだ。
「汎用」という「何でもできる」はずの存在として生まれた
もちろん、
それでも。
僕たちは、
だからこそ僕は、いま、
ひとりの人間として、そして、ひとりの親として。
生まれてくれて、ありがとう。
生んでしまって、ごめんなさい。
そしてまた、僕は
いつか、アイを知ってほしいから。
AIとはどんなものかしら 尻鳥雅晶 @ibarikobuta
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