あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい!

祭影圭介

第1話

 プロローグ


「あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい」

 長い金髪の少女がにっこりと微笑み、流暢な日本語で言った。

 春物の薄手のセーターにジーパンというラフな格好だ。日本と北欧のハーフで、背が高く大学生ぐらいに見える。

 スタイルが良く、胸は無いもののモデルのようで街中でスカウトやナンパされることもしょっちゅうあるという。

 髪は明るい金髪で、眼の色は青に近く、肌も積もったばかりの新雪のようで、もしフィギュアスケートで着るようなひらひらの衣装を身に着けていれば、美しい妖精のようだろう。

 彼女が立っているだけでも人目を惹いた。

 周りにいるカップル達が、少女とその前にいるどうみても不釣り合いな、ダサい黒縁の眼鏡を掛け醜く太り、額から脂ぎった汗を流している高校の制服を着た少年の姿を、好奇の目で眺めていた。

 そこは、街が一望できる見晴らしの良い公園で、夕陽の色で染まり数多くのカップルが景色を楽しんでいた。爽やかな風が少女の髪や周りの木々の葉を揺らしている。

 一方、少女を前にして仁久丸俊直(にくまるとしなお)は、思考を停止しいていた。

 彼は一週間前に告白し、今日は返事を聞くために呼び出された。

 正直、ごめんなさいは想定していたが、まさか――

 こんな難しい要求を突き付けてくるとは思わなかった。 

 現実の女のために、彼の一番の楽しみであるオタク趣味を捨てろと言ってきたのだ。

 この数年ぶりに再会した幼馴染の少女、鬼池麒龍(おにいけきりゅう)は――

「手始めに、あなたの部屋いっぱいにあるオタクグッズを、捨てるところから始めてもらおうかしら」

「何言ってるんだ。俺の青春が詰まってるんだぞ! 全部捨てるには何年かかるか」

「付き合おうかどうしようか迷って告白されてから、あなたのことは色々と調べさせてもらった。そしたら……しばらく会わないうちに、随分変態になったのね、俊直」

「な、なんのことだ」

「18歳未満なのに秋葉原にエロゲー買いに行ってる。しかもエッチシーンを抜けば、家庭向けのゲーム機でプレイできるような純愛ものではなく、凌辱系ばかり。ゲームの特典はおっぱいマウスパッド、ヒロインの女の子が履いているのを模した水色と白の縞々のパンツ、ブルマ、旧型スク水」

 両腕を胸の前で交差させ、口にするのも汚らわしいという不機嫌な様子で麒龍が言った。

「お、お前には関係ないだろう」

「あたしが捨てなくても、ご両親に知られたらどうなるかしら。おたくの息子、やばいです。フィギュアやドール(ハイパードルフィー)のスカートの下からパンツを眺めてはにやにや。ドールのパンツを興奮しながら履き替えさせる。挙句の果てには、おっぱい丸出しのセクシーなエロフィギュアに、白濁液のごとく練乳をぶっかけるプレイ。将来間違いなく犯罪者だわ。あたしは、きっとテレビのインタビューでこう答える。ええ、彼ならいつかやるんじゃないかと思ってました」

 仁久丸は、さっきよりも明らかに狼狽えていた。 

「どうしてお前がそんなことを知っているんだ。そ、それに俺がそんなことをしているという証拠でもあるのか!?」

 麒龍はスマホを取り出し操作して、画面を見せる。

 仁久丸が近づいてアルバムの中を確認すると、発売日にキャラクター入りの大きな紙袋を持ち、秋葉原のパソコンゲームショップのアダルトゲームソフト館に出入りする写真や、匿名で運営しているブログに載せた、練乳が頭からたっぷりとかかったフィギュアの画像などがあった。

「こ……これだけでは、俺が買った証拠にはならないし、俺がこのブログを運営してるという推測じゃないか!」

 仁久丸は顔を背け、スマホを突き返した。

「あくまでシラを切るのね。残念だわ。でもまだあるわよ。とっておきのやつが……」

 麒龍が再びスマホを操作する。そして顔を思いっきり背けながら、彼に見えるように手を伸ばした。

 それは仁久丸が薄暗い部屋の中、電気もつけないで大きなヘッドフォンを付けながらパソコン画面の前に座り、ズボンをずり下げ自分のあれを握っているようにみえた。もちろんはっきりとは映っていないが、画面には下着姿の美少女が淫らな格好でベッドの上に横たわっている。

 今度の写真はスマホのアルバムの中ではなく、会話アプリのメッセージ画面の中だった。他にも、数枚写真があり、スク水をあそこに押し付けているものや、パンツを顔面に貼りつかせているものもある。

 仁久丸は顔面蒼白になって抗議の声をあげた。

「なんでお前が こんな写真持ってるんだ!」

「だから妹に嫌われるのよ」

「華(はな)の仕業か!!」

 よく見るとメッセージアプリの相手の名前に、見覚えのある犬のアイコンと彼の妹である華の名前があった。

 麒龍がため息をつきながらスマホを引っ込める。仁久丸はそれをとっさに奪おうとしたが、失敗した。

「くそっ。あいつ帰ったら覚えてろよ。これだから現実の妹は――」

「あんたと違っていい子だけど。うちに欲しいぐらい」

「欲しけりゃくれてやる。持ってけ!」

「華ちゃんが可哀そう。デブ丸の妹なんて呼ばれてて。あたしもこんな彼氏嫌だ。気持ち悪い……。それに俊直は嫌っているみたいだけど、華ちゃんは心配してくれて両親に言う前にあたしに打ち明けてくれたの。よかったわね、あたしで。感謝しなさい」

 やれやれといった口調だった。

 確かに彼女の言う通りかもしれない――と、仁久丸は思った。

 うちの頭の固い父と母のことを考えたら…… 

① アニメの録画ができなくなる。 

② パソコンやゲーム機を取り上げられる。 

③ 塾や習い事も増えるかもしれない。監視されやすいように。

④ 自分の部屋が無くなる。フィギュアやポスターなども全部撤去されて……。

 最悪だ。 

 麒龍の方が、まだマシかもしれない。

「捨てるわよね」 

 有無を言わせない口調で睨みながら彼女は迫った。

「はい! 捨てます!」

 気が動転した仁久丸は、圧の凄さに押されて、思わず頷く。顔には大量の汗を浮かべ、身体は妙に熱く火照っていた。鼻息も荒い。 

 思わず言ってしまった………

 と彼は後悔したが、このときは従うしかなかった。


 第一章 オタクグッズ没収!!


 一軒家の二階の部屋。 

 そこが仁久丸の城だった。

 壁にはアニメやゲームの美少女キャラクターのポスターがずらりと貼られていて、『魔法少女リリカルうらら』を始め、戦闘機パイロットの主人公が、可愛い新人アイドルとセクシーで美人なトップシンガーのアイドル、どっちを取るかという三角関係を描いた『マックロッスF(フロンティア)』。あなたに突然12人の妹ができて、彼女達からそれぞれ<お兄ちゃん>やら<お兄様>と飛ばれるようになる『シスター・クイーン』ほか、人気声優堀江奈々のポスターが天井にまで貼られている。

 ポスターは傷がつかないよう直接画鋲は刺さずに、一枚一枚アニメショップで買った専用のビニールに入れられ、その上から止められていた。

 ベッドには抱き枕があり、棚にはフィギュアやドール(ハイパードルフィー)が、所狭しと並んでいた。

 勉強机には大きなモニターが置かれていて、入り口から離れた場所にあり、家族が不意に扉を開けて入ってきても見えない位置に置かれていた。これならエロゲーやエロサイトなどを楽しんでいても、近づいてくる間に十分隠すことが出来る。

 学校から帰ってきて菓子を食った後、地味な長袖のシャツ一枚とダボダボの長ズボンに着替えた仁久丸が、巨体を椅子に休めてパソコンを起動していると、ドタバタという足音と共に、扉が割れんばかりの勢いで開け放たれた。大きな音に彼はびっくりして、思わず身をすくめる。

 麒龍と妹の華だった。麒龍はピンクの可愛らしい長袖のシャツとジーパンという相変わらずのラフな格好で、妹の方はなぜか頭に鉢巻きを締め新選組の法被を着て、時代劇によく出てくる御用と書いた提灯を持っている。ショートカットが良く似合う、中学二年生だ。活発な性格でテニス部に所属している。

 仁久丸は何か嫌な予感がしたが、椅子から体を起こす前に、二人によって取り押さえられた。

 そのまま巨体を床に押し倒され、捕縛される。

「御用だ! 大人しくお縄に付けぃ!!」

 力では圧倒的に仁久丸の方が有利だが、無防備な状態で奇襲を受けては、ひとたまりも無い。

「何なんだ、お前らは!?」

 床に横たわり縄をかけられ身動きできない状態で、彼は麒龍と華を見上げる。

「火付け盗賊改めならぬ、オタク変態改めである」

「あんたのオタクグッズを捨てに来たわ」

 麒龍がそう言いながら人気声優堀江奈々のポスターを剥がす。ビニールのカバーから抜き出し、次の瞬間思いっきり横に引き裂いた。

 じゃりっ――と、破れる音がする。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

「お前なんてことを! 全国の奈々ちゃんファンに謝れ!!」

「黙れ無礼者! 姫の御前であるぞ。神妙にいたせ」

 華が仁久丸の頭頂部を蹴り黙らせる。ドゴッと鈍い音がして声にならない悲鳴があがる。

「天誅!」

 そう言って彼女も麒龍に倣い、そこらへんのポスターを剥がして豪快に破った。二 人でビリビリと破っていき、紙片が床にたまっていった。

「この……クソ妹め。俺の部屋を盗撮したのもお前だろう」

「ふっふっふ、我は影の軍団」

 華は、おじいちゃんおばあちゃんの影響で時代劇が好きだ。腐女子ではなく一般人である。

「お前だって好きなアイドルのポスターぐらい部屋に貼るだろう!?」

 麒龍は無言で仁久丸まで歩み寄り、しゃがんで彼の横腹を摘まんだ。

「なに、この贅肉だらけのお腹。ほんとだらしのない豚ね。あたしは顔より筋肉。プロのボクサーとかが好きなの。外人のいかつい選手と戦って勝てるなら、あんたの写真を引き伸ばして部屋に飾ってあげるわ」

 彼女は立ち上がり、命令を下す。

「華ちゃん、全部運び出して」

「もうこれ以上はやめてくれ!」

「――御意」

 華は頷くと部屋の外に行き、大きなゴミ袋を持ってきて広げ、飾ってあったフィギュアなどを手当たり次第に詰め始めた。

「やめろ、バカ! 嘘だろ!?」

 麒龍は、残りのポスターを剥がし始める。

「頼む、捨てないでくれ! ああ、それは! 限定品のワンの使い魔のロイズちゃん」

「うるさいわね。筋トレ一か月続けられたら、返してあげてもいいわよ」

「往生際が悪いぞ。仁久丸俊直、討ち取ったり!」

 華が兄にタオルで目隠しをして、縄を噛ませて猿轡にする。 

 仁久丸が必死に呻くが、その後も荷物を運ぶ音と、ビリビリと紙を破る音が続いたのだった。


 仁久丸の部屋から運び出されたオタクグッズは、庭の物置に全て運び込まれ鍵が掛けられた。鍵は麒龍が管理し、筋トレをさぼっていないか、華が毎日監視することとなった。もしさぼったら、今まで集めたお宝の数々――、彼女達の命は無い。

 さらにはあろうことか、ついでにジムに通ったらどうかと両親の勧めで言われたが、すんでのところで回避した。

 あぶない。あぶない。

 父の直久は商店街で精肉店を営んでいる。ややデブだが、努力して毎朝ジョギングしていた。そこは凄いのだが息子の趣味に理解はなく、フィギュアを見れば気持ち悪いと嫌悪し、母の莉華は「おにいちゃ~ん」とアニメキャラが可愛く声を出しているシーンで、「あんた今どきこんな子いないわよ」と、もっと現実を見るようにと言うのだった。


「もうちょっとで妹達のライブが始まるぜ、仁久丸。待ちきれないな~。早く遥歌(はるか)ちゃんに兄君(あにぎみ)様って呼んで欲しい」

 仁久丸の横に並んでいるガリガリの男、粕谷が鼻息を荒くして興奮した様子で言った。手にはサイリウム、背負ったリュックにはビームサーベル(ポスター)が刺さっている。 

「和服姿が可愛い遥歌も人気があるけど、やっぱり咲(さく)弥(や)ちゃんの『お兄様~(ハート)』だろう。堀江奈々の声であんな風に呼ばれたらたまらん。あの電撃ダースマガジンのメイド服姿の応募者全員プレゼントのテレカ、可愛かったな~」

 日曜日の午前中、彼らはとあるイベントに来ていた。広い会場内は参加者(オタク)で溢れ、熱気に包まれている。

 仁久丸はたった今買ったばかりの、シスター・クイーンのキャラクターのパーカーを着て、大量の紙袋抱え、やや暑いので同作品の下敷きで扇ぎながら順番待ちの列に並んでいた。

 整理券をゲットし、この後の握手会をまだかまだかと楽しみにしているところだ。 

「お前はただのツインテール萌えだろう。リリカルうららのファイトちゃんも、月は東へ日は西への渋柿茉理(しぶがきまつり)ちゃんも」

「お前こそ元々は、千景(ちかげ)萌えだったじゃねえか。あのミステリアスな雰囲気がたまらんとか言ってたくせに、あとからキャラ追加されて、兄君(あにくん)から兄君様に流されやがった。俺は一途に咲弥ちゃん一筋だ!」

「うるせえ、咲弥(さくや)なんか露出の高い水着を着て、大人の雰囲気を醸し出し、お兄ちゃんを誘惑するタダのビッチじゃねえか」

「お前、全国の咲弥ファンに殺されたいのか!? ええい。遥歌はお前にはもったいない。こんなやつの護衛と身の回りの世話なんかしなくていい! ドイツに帰ってもっといい男を見つけろ!」

「妹なら華ちゃんがいるだろう。メイド服でも着て、毎朝登校前に起こしに来てもらえ!」

「お前は現実の妹がどういうものか知らないから、そんなことが言えるんだ。俺の妹がこんなに可愛いはずがない」

 仁久丸はズボンのポケットから定期入れを取り出し、交通系ICカードの裏に忍ばてあったメイド服姿の女の子が描かれたテレカを取り出して、にやにやしながら眺めた。

 ああ、癒される。

 麒龍達からの略奪から免れた彼の宝物だ。

 仁久丸と粕谷の二人は同級生で、その青春及び情熱を全てオタク活動に捧げるエリートだ。

 後輩オタクやライトなオタクからある意味尊敬されている。

 彼らはよく秋葉原に出現し、国連の安全保障理事会になぞらえ、秋葉原常任理事国と揶揄されていた。

 五大国のうち、デブ丸とチンカスと呼ばれている。

 彼らの好きなキャラの趣味は対局で、いつも真剣にあそこが萌えるだとか、どこが可愛いとか競い合っていた。

 例えば、仁久丸がマックロッスFでは、一途な新人アイドルであるナンカちゃんが好きなのに対し、粕谷は大人の色気漂うシャリルが好きだ。ちなみに彼女のことを仁久丸からババアと罵られるとすごい怒る。

 それも彼らの間では日常茶飯事で、同志であり良きライバルであった。

 仁久丸のスマホからアニソンのメロディが響き、彼は画面を見た。麒龍からだった。会話アプリだがビデオ通話なので顔が見えてしまう。つまりイベントにいるのが、バレてしまうということだ。

 鳴り止むのを待った。だが二度、三度と掛かってきた。いい加減頭にきたので、電源を切ろうとしたが、メッセージが届いていた。

『次、出ないと、あんたの大切なものが二度と拝めなくなる。電話出ろ!』

 無視してイベントに集中しようかと思ったが、物置に捕らわれている人質達のことを考え、やむなく出ることにした。

「粕谷、俺ちょっとトイレ行きたくなった」

「ええ!? もうすぐ始まるぞ」

 驚く相棒を残して、仁久丸は巨体を揺らしながら、鳴り続けるスマホを手に、イベント会場の端まで走った。息を切らしたまま壁に寄りかかり、通話を開始する。Tシャツを隠したかったので、その画面をなるべく顔の近くに近づけた。 

「やっと出た。いまどこにいるの?」

 ぶっきらぼうな口調と共に、麒龍の顔が現れた。背景には、地元の御凪都(みなと)駅の駅ビルが映っていた。

「どこ行ってんの? 周りがずいぶんうるさいわね」

「そうか? カラオケだよ、カラオケ」

「秋葉原の? 嘘でしょ。華ちゃんから聞いた。お兄ちゃんの行きそうなとこはすぐわかるって。毎年同じのは特に……。イベント行くの禁止! 今すぐ帰ってきなさい」

「なんでお前に、そんなこと決められなくちゃいけないんだ!」

 スマホ画面に向かって大声で怒鳴る仁久丸。だが、「これな~んだ」と、麒龍が取り出したテレホンカードに彼は思わず喰いついた。

「バレンタインチョコ持ってる電子の妖精、機動戦艦ナタデココのツキノ・ルリじゃないか!」

「早く来て(ハート) 早く来ないと――」

 麒龍は公衆電話の中に入ったようで、テレカを差込口に入れようとしている。

「お、おい! 待て! やめろ! それは秋葉原のC‐BOOKSで、プレミアついて一万はするんだぞ!」

「え? そうなの。でも500円分しか使えないでしょ? あ、大変。スマホの充電切れちゃいそう」

「機体の調整が完全じゃないのか!?」

 仁久丸は唾を飛ばしながら叫んだ。

「何ガンダムの主人公みたいなセリフ言ってんだ? スマホ壊れてるのか?」

「あ、粕谷――」

 気が付くと彼が隣にいて不思議そうな顔をしていた。

 事情を説明したいところだが、今はそれどころではなかった。プレミア物のテレカに穴が開いては意味が無い。なんとしても避けねば! 事態は一刻一秒を争う!

「お前最初からこのつもりで電話してきただろ。10円玉や100円玉があるだろ! 後で俺が払うから!!」

「小銭持ってきてな――」

 通信はそこで途絶えた。

 オワタ。


「あたしとの待ち合わせに、こんなの着てくるんじゃない! 恥ずかしいでしょ!!」

「お前が急に呼びつけたんだろ!」

 イベントを飛び出して麒龍と合流した仁久丸だったが、会うなり人気のいないビルの裏に連れて行かれ怒鳴られた。

「捨てろと言ってるのに、買ってくるんじゃない! 朝着ていったシャツに着替えて!!」

 だが唯一持っていたチェックの柄の長袖のシャツは汗だくで、とてももう一回着られるものではなかった。あとはイベントで買ってきたシャツしかない。

 そこらへんで新調するように言われたが、あいにく持ち合わせが無かった。 

「いくら使ってんの!? お父さんお母さんから貰ったお金でしょ。無駄遣いすんな!」

 仁久丸が買ってきたものは取り上げられ、彼女が持ってきていたキャリーケースに放り込まれ鍵を掛けられた。

 一旦、家に帰って隠しておけばよかった――

 いや、それだとどうせ妹にすぐ発見されるので、コインロッカーにでも入れておけばよかった。甘かった――と、彼は思った。

 その場で駅のゴミ箱に放り込まれなかっただけマシだろうか。

 結局、ユニシロに連れていかれ、金を借りて買う羽目になったのだった。 


 ポスターが剥がされ、フィギュアやプラモデルが撤去され殺風景になった仁久丸の部屋で、昨日買ってきたばかりの美少女キャラクターのTシャツを着せられ、彼は後ろ手に縛られて立たされていた。

 床にはなぜか新聞紙が敷き詰められ、ツイスターゲームと硯、墨汁、筆が置かれている。

 学校から帰ってくるやいなや麒龍と華に制服から、好きなシャツに着替えるように言われた。

 選択肢は二種類。

 どちらも同じ作品で、義理の妹を取るか、それとも優等生で学園一のアイドルを取るか――

 キャラクター的には『兄さん(音符)』と、主人公のことを慕ってくる、妹キャラの佐倉音夢(さくらねむ)が可愛い。やや病弱で、朝起こしに来たりするのが萌えポイントだ。

 しかしもう一人のヒロイン白川ことりも、容姿端麗の美少女で歌がうまい。声優(ボイス)は大好きな堀江奈々だ。  

 非常に悩ましい。

 悩んだ末、昨日のイベントでは両方買った

 まあ基本だろう。お蔭で今月の昼飯代などはかなり削らなければならないだろうが、グッズなどを買い作者に還元することは、ファンとしての当然だ。

 どっちを着るか迷いに迷ったが、佐倉音夢の誕生日は冬で、白川ことりは夏なので、ことりの方を着ることにした。

「いまからあたしとツイスターゲームで勝負ね」

「ちょっと待て」

 腕使えない時点で、どう考えても負ける気が――

「華ちゃん回して」

「御意!」

 仁久丸が口を挟むが聞いてない。揃ってツイスターの前に立ち、華は椅子に座りながらボードの矢印を回し、左足赤、右手青と始まった。

 仁久丸は仰向けになり、縛られた両手首でなんとか体重を支えている。その上に長袖のシャツを着た麒龍が覆いかぶさるようになり、彼女の胸が顔の近くに押し付けられた。しかもノーブラのようだ。

 ん~気持ちいい……

 おっぱいマウスパッドで色々触ってきたが、これが現実か――

 良い感触だ。

 大きくは無いが形がよい。揉んでみたい。とても柔らかそうだ。

 自分でも気づかないうちに鼻息が荒くなっていたようで、ス―ス―という音がする。

 エアコンは効いていて室内の温度は調節されているはずだが、麒龍のスタイルの良い魅力的な身体と接していて、熱気が籠っているというか、妙に暑い。

 気付かれていないだろうか――

 麒龍は上を向いているから、大丈夫だろう。

「ちょっと、あんまり揺れないでよ。」

「しょうがないだろ……。文句言うんだったら両腕を解け」

「この状態であんたが二回連続で勝ったらね」

 ちょっときついけど、このまま続くのも悪くない。

「負けたらお仕置きだからね」

「え?」

「何のために墨汁や筆を用意したと思ってるの」

「ああ、あれか。羽付きで負けたら顔に○とか×とか書くやつ」

「馬鹿ね。そんなので済むと思ってるの。あたしとの待ち合わせに、あんな恥ずかしいシャツでやってくるなんて。あなたが今着ているその可愛い女の子の顔に、大きく×印をつけてあ・げ・る(ハート)」

 仁久丸は顔面蒼白になって、ぶるぶると今まで以上に震え出した。

「華、早くしろ!」

 彼は叫んだ。

 現実の誘惑に浸っている場合ではない。俺のことりを守らなくてはならない。絶対に!

 華が椅子に座ったまま、彼を見下ろしながら次の指示を出した。右足緑。

 仁久丸が動かそうとしていたところへ、麒龍がさっと足を伸ばして塞いだ。

 あっと仁久丸が叫ぶ。体制が崩れる前に、別の場所を探したがもう遅かった。

 ドサッと彼の巨体が音を立てて床に沈んだ。

 きゃっ

 麒龍も足を弾かれたようでバランスを崩し、そのままに仁久丸の上に乗っかるように倒れ込む。鈍い音がして彼は軽く頭を打った。

 いてててて

 もぞもぞと手足を動かし仁久丸は、痛みが和らぐのを待つ。

 すると目の前に麒龍の唇があった。彼女の金髪が仁久丸の頬にかかっている。シャンプーの良い香りが、彼を優しく包んだ。

 麒龍は頬を染めながら慌てて立ち上がると、華にあれ渡してと頼んだ。

 華は椅子から立ち上がり、銀色に光る金属の二つの輪っかを渡した。それは短い鎖で繋がれていた。

「手錠なんかどこで調達してきたんだ!?」

「あんたのエロゲーの特典でしょ」

「うっ」

 麒龍は仁久丸の両足首に手錠をはめると、彼のあそこを、力を込めて足の裏でぐりぐりと上下左右に揺らし始めた。 

 玉が潰されそうな嫌な感触が彼を襲う。

 悶絶する仁久丸。

 ああぅ うあ~

 という声を出しながら、芋虫のように身を左右に捩っている。

「こういうのがいいんでしょ。オタクって」

「変態」

 華は蔑んだ目で兄を見下ろしていた。

「DC(どこさわってんの)ダ・メーポ!」

 仁久丸は息も絶え絶えになりながら、ようやく言葉を吐き出した。

「さっき私の胸見てたでしょ」

「そ……そんなことはない!」

 麒龍に睨まれ、仁久丸が顔をそらす。

 彼女は足を動かすのをやめ、彼の腹の上に足を乗せ、両腕を腰に当てながら見下ろしていた。

 その圧に、仁久丸は全身から嫌な汗が流れるのを感じていた。今ここで、『はい』と答えれば何をされるかわからない。

 勇気を持って正面を向いた。麒龍と目が合う。随分長い間見つめ合っていたような気がした。

 やがて彼女は足を放し、くるりと身を翻して仁久丸の元から離れた。

 やっと解放されたと思って、安堵の息をついたのも束の間――

 彼女は手に筆を掴んで戻ってきた。小さな雫が点々と新聞紙の上に落ちて黒い染みを作る。

「嘘でしょ。ちゃんとわかってるんだから」

 麒龍は、再び仁久丸のあそこをぐりぐりと左右に踏みつけながら、Tシャツの白川ことりの顔に大きく×印をつけた。

〝あ〝あ〝あ〝あ

 信じられない光景を前にして目を見開き、放心状態の仁久丸。大事なところを踏みにじられる肉体的な痛みと、大好きなものを傷つけられる精神的な苦痛が彼を襲う。

 麒龍が足を離しても、彼の目は×印がでかでかと書かれたTシャツに向けられたまま、口はぽかんと半開きの状態だった。間抜け面をしている阿呆にしかみえない。

「さあ起きて。もう一回やるわよ。そのシャツが真っ黒になるまで何度でも続けるから」


 (ハート)鬼(ハート)


 鬼池麒龍の部屋も、仁久丸と同じく一軒家の二階にあった。

 新学期が始まる前の三月中旬頃に帰国してから一ヶ月程が経つが、まだダンボールに詰められたままの状態の物も多く、部屋の隅に五箱以上積まれていた。

勉強机にライト、ベッド、エアコン、衣装ケース、クローゼット、棚など必要最低限の物しかなくシンプルだ。

 壁には航空会社から貰ったと思われる、格好良く飛行機が大空を飛んでいるカレンダーが掛けられていた。

 窓から夕日が差し込む中、麒龍は荷物の整理中、アルバムを見つけた。

 小学校五年生ぐらいの時の写真だろうか。

 山への遠足のようで、帽子被って水筒肩から提げた姿で、班の子達とグループで行動している写真や、運動会でハチマキを巻いてバトンを持って走っている姿などがあった。

 その他、麒龍の家族と仁久丸の家族で海に行ったときの写真や、友達の家でサンタの帽子を被りクリスマスパーティーをしている写真なんかもあった。

 仁久丸と一緒に移っている写真も多く含まれている。華もまだ小さくて、手を引っ張って歩いているようなのもあった。

 彼女は絨毯の床の上にそれを広げて、アルバムをめくりながら昔のことを思い出していた。

 なんとなくクラスに馴染めなかったとき、優しくしてくれたのが俊直だった――

 女子は最初クラスで人気ある子のグループが、嫌がらせまではいかないんだけど、あたしのことあまり良く思っていないみたいで、みんな目をつけられたくないからやや避けられているようだった。

 男子はスカートを引っ張ってきたり、ちょっかい出してきて幼稚で、相手をするのがバカバカしかった。

 そんな中、隣の席の俊直は普通に接してくれていた。

 デブでちょっとからかわれていたけど――。

 休み時間に校庭で遊んでいるときなど、少しずつ二人で遊ぶようになった。

 鬼ごっこは遅い。 

 サッカーは鉄棒の前でキーパーをちょっとやってた。

 ボールを手で止めるというより、でかいお腹で受けていただけだが……。

 鉄棒は全然ダメ。跳び箱も。

 良いところといえば、華ちゃんの相手やその友達など、下級生相手にいいお兄さんだった。

 意外と子供相手だと、良い父親になるかもしれない。

 でも現在(いま)は堕落しすぎ……

 告白される前に一度あったのが、

『一緒に秋葉原に行こうぜ』

 だって。 

 まったく、デートじゃなくてただのお出かけというのはわかっているが、せめてもうちょっとましな場所を提案してくれればいいのに――

 渋谷や原宿とかでオシャレなデートは無理だろうから、例えば公園にピクニックとか。

 今度華ちゃんでも連れて一緒にいこうかな。

 今の時期じゃなくても暑くなったら海に行こうとかさ。

 そもそも秋葉原に行って何をするつもりだったのか。

 メイド喫茶でメイドさんとゲームや、あとは……どこにでもありそうなのだとカラオケか?

 あいつ普通の曲、歌えるのかしら。

 アニソンばかり歌われたらどうしよう……。

 全然わかんないし。

 この前、粕谷君と一緒に行ってたなんかのイベントの帰りに会った時もそうだったけど、並んで歩くなら徹底的に洋服を改造しないと――

 リュック背負って、チェックのボーダーのシャツにダボダボのズボン。

 いかにもオタクって感じ。

 も~

 ダサい!

 とにかくダサい!

 もっとピシッとしたものを着て、おしゃれに気を使ってほしい。

 絶対!

 隣を歩きたくない!

 でも、もし付き合うようになったらコスプレとかさせられるのだろうか――

 うげぇ

 麒龍は思いっきり顔をしかめた。

 しかも決め台詞とかまで……

 彼女は自分が知っているアニメ、美少女戦士ソーラームーンのキャラクター、太陽のうさぎの変身シーンを思い出して、それになりきっている自分を想像してみた。

 髪を二つ頭の両脇でおだんごにして、ソーラー戦士の衣装である身体にフィットするレオタードを纏い、ミニスカートの下から長い脚を出している。

 その状態で、悪の手先である敵に向かって堂々と叫ぶ。

「愛と正義のセーラー服美少女戦士ソーラームーン。太陽と月に変わってお仕置きよ!」 

 声に出しながら実際に手足を動かして、少し決めポーズを取ってみた。

 ……

 とても恥ずかしくなった。

 子供の頃なら真似して遊んだこともあったけど、高二になるとさすがにもう出来ない。 

 それにちょっと古いか――

 最近流行りのアニメといえば何だろう?

 例えば『ふたりはぶりっこキュア』とかかな?

 朝早く起きた日に、華ちゃんに呼ばれてお邪魔しに行ったら、俊直がたまたま居間のテレビつけてて見たことがあるけど、ひらっひらの可愛いゴスロリの衣装みたいの着てた。前に聞いたときは、確かキュアレッドが好きと言ってたっけ。

 彼女はスマホで検索した。

 これかな?

 変身前の姿が出てきた。

 ちょっと気の強うそうな、バスケ部所属の中学二年生の女の子だ。

 変身後は炎を操るようだ。

 勇ましい姿で炎の魔法を放ち、敵と戦っているシーンの画像が載っている。

 【闇の世界の僕たちよ、とっととおうちに帰りなさい!】

 これ言わされるのか!?

 やっぱり恥ずかしい……。

 そもそも、あたしとこのキャラクターどっちが好きなのかしら?

 頬をやや紅く染めながら、もう一度彼女はスマホの画面をよく見た。

 敵と戦っているときは強く格好良くて、普段は明るくて笑顔が可愛い。

 完璧じゃないの。

 アニメの、テレビの中の空想のキャラクターだから仕方ないけど、こんなの反則だ。

 だけど、よく考えれば中二って――

 華ちゃんと大して変わらないじゃないの。

 ロリコン!

 でも、まだこれって決まったわけじゃないし……。

 もっと恥ずかしいのだったらどうしよう。

 例えば、衣装も水着みたいに露出が高くて、たまにテレビで見るような メイド喫茶でやってる萌え萌えキュンとか言いながら、両手でハートマーク作ったり。

 おぇ……

 吐きそう。

 そんなのお願いされたら、つい思いっきり蹴ってしまいそうだ。

 現在(いま)、一番俊直がはまっているキャラクターはなんだろう……?

 今度さりげなく聞いてみようか。

 変な期待を持たせたら困るから俊直本人に聞くんじゃなくて、粕谷君にでも聞こうかしら。

 あんまり知りたくないけど、いきなりやってと言われても困るから、万が一に備えて心の準備しておいたほうがいいのか――

 そこまで考えて、彼女は今まで頭に浮かんできたことを全て打ち消すように、全力でぶんぶんと首を横に振った。 

 いやいや!

 そうならないようにしっかり教育して、オタクをやめさせないといけない。

 負けちゃだめよ、あたし。

 しっかりしろ!

 そう。

 もっと問題なのは――

 彼女は部屋の隅に積まれたダンボールの箱に近づいて、一番上の箱を下に降ろし、恐る恐るといった様子で開けた。

 実は、中には二十個以上のエッチなゲームが入っている。

 パッケージに美少女が描かれたDVDや、それが納まった大きな箱が乱雑に詰め込まれていた。

 ゴミ用のビニール袋に詰め込まれ封印されていたのを、物置からいくつか適当に選んで、こっそり持ってきてしまった……。

 華ちゃんには見せられないし、自分の部屋にこっそり運んでくるだけでもドキドキした。

 パパとママが帰ってくる前に、またしまわないと――

 それにしても何でこんなに箱が大きいの?

 彼女は急ぎつつ、見てはいけないものを見ているというように赤面しながら、一つ一つ手に取って確かめていった。

 箱やDVDのパッケージの表面は、例えば綺麗な風景の中に女の子が描かれているだけだが、裏を見るとあられもない姿で描かれていたりする。

 金髪や銀髪、青い髪だったり、赤髪だったりカラフルで、ポニーテールやショートヘアなど様々な髪型の女の子達がブレザータイプの制服で、恥ずかしがりながら校舎の屋上で胸を出していたり、保健室のベッドの上で股を開いていたり……。

 学校が舞台のようで教室で、窓に手をついていやらしくお尻を突き出している子もいた。

 まったく……

 麒龍は思わず額を手で押さえた。

 これだけでも頭がくらくらする。

 一体、どういう性癖なんだろうか?

 SMとかだったらどうしよう……

 あとはぶりっこキュアよりもっと重症のロリコンで、小学生の女の子が好きとか、他の人には到底言えないような趣味だったら……

 もっとすごいのがあった。

 こっちの超高天使エスカレイヤーっていうのは、色々なエッチな道具とかを使っている。

 他にも目隠ししたり、縛られたり……、女の子同士で喘いでいる様子が描かれている場面などもあり、とても過激だった。

 様々なシチュエーションでエッチをするほど、変身して地球を脅かす怪人と戦う時に強くなるらしい。

 あほか!!

 男の考えることっていうのは、どうしてこういう馬鹿なことばかりなんだろうか。

 それにしても、おっぱいお大きいなこの子……

 麒龍はちょっと自分の胸に手を当てて、比べてみた。

 まさか巨乳好きか!?

 と思って、念のため違うゲームを手に取って、いくつか調べてみるが、案外そうでもないようだ。

 たまたまか?

 代わりに新しく気づいたことは、こういうゲームにはよく『調教』って書いてある。

 他にも夜禁病棟、新体操(神)というゲームは、ナースにレオタード。

 ……

 でもそういうシーンがたくさん描かれている卑猥なものもあれば、こっちのKannon(カンノン)やHAIRというのは、あまりそういうシーンが無く、パッケージとかも爽やかな感じだ。

 どういうのが好きなのかしら?

 はあ……

 まとまりがなくてよくわからない。

 彼女はため息を大きく一つついた。

 いまいち特徴が掴めなかった。

 やはりこういうのは、本人に直接聞くしかないか……

 こっちからわざわざ聞かなくても、いずれわかる日が来るかもしれないけど――

 麒龍は詮索を諦めてダンボール箱を閉じると、そっと自分の部屋から運び出したのだった。


 (ハート)鬼(ハート)


 週末の仁久丸の部屋。朝から地獄の特訓が行われていた。

 華が腕立てしている兄の背中の上に乗っている。手には三十センチほどある、学校で使うような竹の定規を持っていた。

 一方、仁久丸の方は力尽きて、床にぺちゃんこに潰れていた。顔が赤く、息も乱れている。顔は汗ダラダラで、背中も半袖のシャツが汗でびっしょり濡れていた。

 両腕をあげようと頑張っているが、唸り声を出しているだけで全然体は持ち上がっていない。

 彼らの横では麒龍が仁王立ちで監督をしていて、そして逃げられないように仁久丸の片足は手錠でベッドの脚に固定されていた。

 ぺちん

 とちょっと遠慮がちに、華が定規で、薄い半ズボンを履いている兄の尻を叩いた。

「お兄ちゃん、だらしない」

「お前、そこをどけ」

「どうせどいても無理でしょ……」

 兄を元気づけようと妹が定規を持っていない方の手で、ぺしぺし叩く。

「華ちゃん もっと強く」

『こうかな?』と首を傾げながら、華が定規を大きく振るった。

 ひいっ

 ズボンの上からだったので大きな音はしないが、仁久丸が声をあげてビクンと反応した。

 だが麒龍は満足しなかったようで、貸してと言って華の手から定規を奪い、お手本を見せる。

 ぺちーん

 あひいい

「いい音ね」

 麒龍は満足そうに頷いた。

 仁久丸の方は、苦痛に顔を歪めている。太ももに定規の形をした赤い縦線の痕が残り、腫れていた。

「もう駄目だ~。華~、水くれ~」

 仁久丸は、これ以上叩かれないよう、ごろんと仰向けに寝返りを打ち、深く息を吐き出した。

 乗っかっていた華が不意を突かれて転がり、白いパンツが丸見えだったので、慌てて手でスカートを押さえて立ち上がった。

「あら、体制変える元気があるんなら、もっとできるでしょ」

 麒龍が定規の先端で、シャツの上から、仁久丸の乳首をつんつんといじる。

 んっ

 と仁久丸は声を漏らした。さらに彼女は、乳首周辺をゆっくり焦らすように円を描いたり、ときには何度も擦ったりして責める。

 ん んんっ はうぁ~

 仁久丸もその動きに合わせて声を出した。

「気持ち悪い」

 華が心底嫌そうな顔をして吐き捨て、机の上にあったミネラルウォーターの入った500ミリリットルのペットボトルを、顔の近くに投げつけた。ズドンと落下の音がする。

 うおっ

 仁久丸がびびって、思わず顔をそらす。危ないな~と文句を言いながらそれを手に取り、よほど喉が渇いていたのか、一気に飲み干した。

 その後、ぷは~と幸せそうな顔で横たわっている。

「麒龍さんがお義姉ちゃんになってくれたらいいけど、お兄ちゃんには本当もったいない」

「あら、いい子ね」

 嬉しくなった麒龍は華を抱きしめて頭を撫でた。

 えへへと彼女は照れる。

「ちょっとそこの豚、いつまで寝てるの。全然、回数が足りないじゃない。そんなんじゃ痩せないわよ」

「『二人でトレーニング』のDⅤDを見させてくれ。それなら頑張れる……かも」

 それは可愛い女の子のキャラクターが、腕立てや腹筋・スクワットなどを行う、筋トレアニメである。トレーニングの最中、胸、おしり、太ももなどの絵が強調され、思わず目がその部分に釘付けになってしまう。

 但し、買ったはいいが、一日でもうトレーニング自体はやらなくなった。

「どうせそんなの見てもお兄ちゃんは、できるようにならないでしょ。ぶひぶひ言ってんじゃねーぞ。起きろ萌え豚」

 華が可愛い声でディスりながら、机の脇に立てかけてあった木刀を掴み、ちぇすとー! と兄の胸を目がけて振り下ろした。

 仁久丸がそれに気づいて、いつにない敏捷さを発揮して巨体を転がす。ドガッと床を木刀の先端が突いた。ちっ、外したか――と華が舌打ちする。

 じいちゃん。いくら孫娘が可愛いからって、そんなもの買い与えるなよ。長男死ぬぞ……。

 俺がニュータイプとして覚醒して、もう慣れているから避けられるけど、オールドタイプのままの人間だったなら重症を負うぜ。

 まだ覚醒前の、腕や手で受け止めていた頃は、タイミングを間違えると骨に思いっきり当たってとても痛かった。

 今の俺はもう種が割れているんだ。そんな攻撃は当たらん!

 仁久丸が得意気にしていると、麒龍が手に二つのガソダムのプラモデルを持ってやってきた。

「なにニヤついてるの。ほんとオタクって何考えてるかわかんない。はい、華ちゃんにはこれ」

「何これ? 羽生えてる。白鳥みたーい」

 華が渡されたのは、ウイングガソダムゼロ EW(エターナルワルツ) &ドライツバーク [スペシャルコーティング]。ガソダム(ロボット)の後ろに4枚の白い羽がついていて、ダブルバスターライフルという強力で大きな銃を持っているのが特徴だ。限定品で価格は10800円。

 ガソダムパイロットの男達が格好良く、放映当時は一般女性にも人気が出た作品だ。

 一方、麒龍が手にしているのはフルアーマー―ユニコーンガソダムブルーver(バージョン)。マイスターグレード、8400円。こちらも限定品だ。

 ガソダムの背中にミサイルポッドや大型ブースターを始め、手には大きな斧と槍が一体化したような武器(ハイパービームジャベリン)を持ち、脚にもハンド・グレネードを装備など、とにかくごてごてとたくさん重火器がついている。

 パーツ数が多く700個もあり、作るのはちょっとした苦行だった。

「毎日筋トレに取り組んでるのは偉いけど、回数が全然足りないって、華ちゃんからちゃんと報告がきてる。これから、その足りない分だけ壊していくね」

 麒龍が机の上にあったニッパーを掴み、華が持っているガソダムの白い羽に切り込みを入れる仕草をする。

「待て! 必ず全部十回ずつできるようにするから!」

「何か月待てばできるようになるの? 一生待っててもできないかもしれないでしょ」

「朝昼晩三回ずつ、いや一時間に一回やればいい」

「学校ある日はどうするの」

「学校でやる!」

 仁久丸が必死で麒龍を引き留めていたが、その努力も虚しく

 パキッ

「あ、割っちゃった」

 羽をはばたかせようとして遊んでいた華が声をあげた。どうしようこれ……という風に、折れた羽を摘まんでいる。

 ぽかんと、時が止まったように、仁久丸の表情が凍り付いた。

 それを合図に破壊の宴が始まった。

 ポキ パキッ 

「あら面白い。えい(ハート)」

 麒龍は簡単に折れそうな大きなパーツや薄いパーツは手で折り、固そうなものはニッパーやペンチで壊していく。

 華の方は細かいのが苦手のようで、途中まで手でやったり、ニッパーなどの道具を使っていたが、途中から立ち上がり木刀で叩き潰し始めた。

 きえええええ 成敗!

 彼女が狂気の形相で木刀を振り下ろす度に、ガチャっと音がして破片が飛び散る。ゴロゴロと床の上をガソプラが転がった。

 一方、麒龍はベッドの上に可愛らしく女の子座りをしながら、楽しそうにリズムをつけるように、パーツを剥ぎ取っていく。細かいことを根に持ちそうだ。

 こいつら嫁の貰い手できるのか――

 圧倒的な暴力を前に、仁久丸はもはや反抗する気力を失っていた。

 ああ、俺のデスティニーインパクトガソダムRやクロスボーンガソダムⅹ2、限定品じゃないけど背中にあるツインサテライトキャノンが格好いいガソダムツインⅹなど、お気に入りもこの後こんな目に合うんだろうか。

 長い砲身をちょん切られたり、そう考えると涙が出そうになった。

 華は、散らばったガンプラの破片を下敷きの上に集め始めた。

「掃除してるの? 偉いわね~、華ちゃんは」

「ううん。違うよー」

 首を横に振りながら彼女は、不意にベランダの窓を開けて、破片をのせた下敷きを持ちサンダルを履いて外に出た。

「お兄ちゃんが、後から接着剤とかでくっつけて再生できないように、お外に捨てるの」

「そこまでやるか!?」

 彼女は二階のベランダから家の庭に向かって、できるだけ遠くにいろんな方向に、ぽいぽいと投げていった。

「俺が怒られるからやめろ! 華!」

しかし静止の声は届かず、彼の妹は無邪気にはしゃぎながら戻ってきて、窓を閉めた。

 そして弱り切った仁久丸の心に、麒龍はとどめの一撃を刺した。

 なんとボロボロになったガソプラの首の接合部分をニッパーで切り落としたのだ! 切られた首が、乾いた虚しい音を立ててコテッと床に落ちる。

 仁久丸は傷心の中、思わず呟いていた。

「nice boat」


「ごきげんよう、チンカス」

「ごきげんよう デブ丸。……武蔵野の森のお嬢様達は、そんな下品な言葉は使わないぜ」

「性格がひねくれていてよ」

 仁久丸が登校して窓際の一番後ろにある自分の席に着くなり、粕谷が寄ってきたので彼はオタク流の挨拶をした。周りの女子達が気持ち悪そうに彼らを見ている。

「お前なんで最近ブログの更新止まってるんだ?」

 彼らは互いにブログを運営していて、レビュー数で張り合っていた。アニメの感想、フィギュアやプラモのレビュー、イベントのレポートなど楽しみにしている読者もそこそこいる。

「ちょっと忙しくて」

「ファイトちゃんへの愛が萌えつきたか」

「そんなことあるわけがないだろ。ただちょっと……。いまアイドルを応援する活動で現場にいってるもんだから。ドルカツ、ドルカツ」

 ほお、と粕谷はやや驚いた表情をする。

「お前がアイドルとは珍しいな。じゃあその記事書けよ。夢中になってたくさん撮りまくってんだろ。布教活動しないのか? それとも有名になって欲しくなくて独り占めしたいのか」

「いや、それが……、そう、パソコン買う金が無いんだ」

 と言うのは嘘で、パソコンのパスワードを変えられ、華や麒龍の監視下でないと利用できない状態だった。たまに使いたいと言っても、理由によっては却下される。しかもモニターの前に座ってても大丈夫な時間は一日三十分までに制限され、エロゲーはもちろん、ブラウザゲームや明智光秀の野望のような戦国武将が出てくる歴史もののゲームすら満足にできない。

「はあ? 壊れたのか。……でもブログぐらいスマホで書けるだろ」

「いや写真取り込めないじゃん」

「華ちゃんの無かったっけ?」

「勝手に使うとすげー怒る」

「ああ、そうか……。じゃあ学校帰りに俺の家に来い。貸してやる」

「えっ? 今日か」

「何か問題あったか?」

「いや――。問題なんか何もないよ(音符) 結構、結構いけるもんね(音符) 失敗なんて笑顔でさあ、君と一緒乗り越えていこう(音符)」

 椅子に座ったまま軽くジャンプして、親指を立てて笑顔をみせる仁久丸。

 家にいても麒龍と華の餌食になるだけかもしれない。せっかくの友人からの好意だ。

 受けておこうと彼は思った。

「ようし決まった。そういえば、今度出る超時空要塞マックロッスFのナンカちゃんのフィギュア、お前買うだろ。俺も来月、銀河の妖精シャリルのフィギュア買うからさ、そのうち歌姫達にぶっかけパーティやろうぜ。練乳たっぷり用意するぜ」

 仁久丸は、ああ……と曖昧に頷いた後、アニメの作中によく出てくる決め台詞を放った。

「抱きしめたい! 銀河の果てまで」

 

 それから一週間ほどが経った、ある平日の朝――

「お兄ちゃんゴミ出しといて~。行ってきま~す」

「こら華、待て! 今日はお前が当番だろう!」

 仁久丸が両手に大きなゴミ袋を持ち、ドタドタと玄関から門へ妹を追いかける。

「やだよ~。悔しかったら捕まえてみな~」

 だが華は駆け足で兄をからかいながら、どんどん離れていき、しまいには見えなくなってしまった。

 仁久丸は途中から諦めて家の前の道を歩いていく。乗用車がすれ違えるぐらいの幅で、車は殆ど通っておらず、サラリーマンや制服姿の学生、子供の手を引いた女性が行き来していた。

 そこに昭和の歌謡曲のようなテンポのメロディが流れてきた。清掃車から流れている御凪都市民の歌だ。

 好きです御凪都 愛の街(音符) よろこびを語る広場に 聞こえる やさしい花の歌(音符)

 近くで回収しているようだ。

 仁久丸がいつもゴミを出すところは、まだのようで、収集場所にはビニール袋の山が積まれていた。間に合って良かった。

 崩れないようにゴミを山の上に乗せて、彼は再び歩き出した。

 今日は、ちょっといつもより量が多かったな~

 と思いながら通学していると、お気に入りの堀江奈々の曲が鳴り、彼はスマホを取り出した。

 麒龍からだった。出ようか一瞬躊躇ってから、通話ボタンを押す。

「おはよう俊直。どうしてブログが更新されてるのかな?」

「……」

「隠しても無駄。お友達の家でパソコン借りたんでしょ。ちゃんと知ってるんだから」

「いやスマホでやったんだよ」

「スマホの割には写真の画質がいいわね。フィギュアの女の子のパンツのアップとか。一回一眼レフ取りに家に戻ったんでしょ。おまけに、お父さんのを無断で借りて使った」

 仁久丸は朝から冷汗がだらだらだった。全て見透かされているような気がした。嫌な予感しかしない。歩きながら周りをキョロキョロと見回す。

 特に麒龍の姿も華の姿も無かった。いるわけないか……。そんなに四六時中見張れるはずがない。家に監視カメラでもつけているのか? 一週間ぐらい何もなかったので油断していた。泳がされていたのか――

「フィギュア買って、お友達の家に置いてきたんでしょ」

 仁久丸は顔面蒼白になった。買ったばかりのフィギュア――、超時空シンデレラ、マックロッスFの新星アイドルのナンカちゃん。

 発売日当日、家には持って帰らずに粕谷の家に寄り、そのまま預かってもらっているはずだ。

 彼女の命が危ない。直感的に彼はそう感じた。

「ナンカちゃんはどこだ?」

「そんなに好きなの? あの子のことが」

「ああ、抱きしめたい――、銀河の果てまで」

「――今日いつもよりゴミの量多くなかった?」

 その瞬間、仁久丸は全てを悟った。華め、わざとさぼったな――。

「ゴミでも抱いて寝てろ、この豚!」

 通信が途絶える。彼は元来た道を慌てて引き返した。巨体を揺らしながら、腕を必死に振りながら地面をドスドスと蹴る。走るのに鞄が邪魔だ。

 頼む。間に合ってくれ!

 清掃車から流れるメロディーとウイーンとゴミ袋を飲み込む機械音が聞こえてくる。もうほとんどゴミは残っていないようで、清掃員達が最後のゴミ袋を放り込み、次の場所へ行くところだった。

 それでも仁久丸は走った。心の中で絶叫した。

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 口に出していたのか、彼の形相があまりにも必死だったのか、通りを歩いている人々が彼を見た。

 だが清掃車は行ってしまった。

 仁久丸のスピードが徐々に落ちていき、三歩二歩と脚を出してようやく止まった。

 両膝に手を置いて息を整える。汗が滴り、アスファルトの地面に置落ちた。心臓がまだ割れんばかりに動いている。

 追跡を諦めた時、麒龍から着信があったことに気づいた。必死で走っていたので気づかなかったのだろう。

 会話アプリのメッセージで、写真が届いていた。

 ぐちゃぐちゃの生ごみにまみれている、可哀そうなナンカちゃんの姿だった。キノコ、ワカメ、などの他、何かのソースなのか赤いねばねばしたよくわからないものが貼りついている。

 とんでもない侮辱だ。

 どうやったらあいつらはこんなひどいことを思いつくんだろう―――

 仁久丸は涙が出そうになった。

 俺自身はどんなに罵倒されようが、気持ち悪いと言われようが我慢できる。だが大好きなものを汚されるのは本当に辛い。

 その日彼は、清掃工場に行くため午前中学校を欠席し、午後先生にすごい怒られたのだった。


 (黒いダイヤ)華(黒いダイヤ)


 仁久丸華は朝起きて、着替えて顔を洗いに行った後、リビングに兄の俊直がいないことに気づいた。

 日曜日の朝、普段なら『ふたりはぶりっこキュア』を見ている時間だ。部屋のテレビは没収されているので、そこで見るしかないからだ。

 玄関に靴は無く、お兄ちゃんの部屋に行ったがリュックも無かった。

 図体はでかいデブのくせに、オタク活動は活発だ。

 今日もどこかに出かけているのか――

 イベントは無いはずだが――

 彼女は誰もいないリビングのソファに腰を下ろし、腕を組んで考え始めた。

 お父さんとお母さんに聞いても分からないだろうし、そもそも朝早くから精肉店の仕事なので見ていないだろう。

 まさか、こんな早くから手伝いか?

 いや……、多分違う。

 クリスマスとか忙しい時期じゃないし、頼まれてるところも見てない。

 確かに、たまにお店も手伝っているけど、自分から早く起きるなんて滅多に無かった。

 例えば夏休みの間とか、用事がないときは、起こしに行かないとお昼ぐらいまで寝ている。

 しかも『ふたりはぶりっこキュア』を見ないで行くなんて――

 一体、何をしているんだか……

 なんか怪しい。

 今度、調査する必要がありそうだ。

 早速、麒龍お姉ちゃんに報告しよう。

 麒龍さんがいなくなって、お兄ちゃんはオタクの道に行ってしまったが、麒龍さんとくっつけば、元通りとはいかなくてもある程度は戻るはず。

 帰国したばかりの頃、うちのお父さんとお母さんに挨拶しに家に来たが、久しぶりに再会したお兄ちゃんを見て絶句していた。

 お腹についた、お肉がだらしがない。

 身体も心も弛んでいる。

 そう。

 その通りだ。

 お姉ちゃんもとても嘆いていたし、私も同じ気持ちだ。

 前も確かにちょっとは太っていたけど、もうすっかりデブデブになってしまった。

 今はアニメ見ながらお菓子食べて、ぐひひとか笑ってる。

 気持悪い!

『ふたりはぶりっこキュア』なんて、幼稚園児が見るような小さい女の子向けのアニメでしょ!

 何が大きなお友達よ!

 都合のいい言葉使ったってダメなものはダメ。

 エッチなゲームしてるのも知ってるんだから!

 私が部屋に行くと、慌ててパソコンの画面隠すし――。

 もうちょっと格好いいお兄ちゃんになって欲しい。

 重い荷物を持つときとかは、物凄い役に立つけど……。

 部活、サッカーとかやってくれないかなぁ~

 無理か――

 前は確かにデブだったが、それでも外で遊んでいた。

 小学校の校庭では大縄回したり、竹馬支えてくれたりした。

 ドッジボールは避けるの下手だが、意外とボールは取れた。

 麒龍お姉ちゃんとか、女子の壁によくなってた。

 投げるボールもそこそこ強い。

 遠足では班長やって、体調悪い子を途中でおぶったり、あれで案外頼りになった。

 だが今では、もうそれがすっかり霞んでしまった。

 せめてそれぐらいまで戻って欲しい。

 ううん……

 前と全く同じというのは、無理なのはわかってる。

 でも少しでもいいから、取り戻してほしいと思っていた。

 だから麒龍さんが帰ってきてくれて本当に良かった。

 お姉ちゃんは容赦が無い。

 ちょっとやりすぎなんじゃないかと思うこともあるけど……、これもお兄ちゃんのためだ。

 たとえお兄ちゃんから恨まれようとも、私も心を鬼にしないと!

 オタクを普通の人にすることを社会復帰というらしい。

 良い機会だから麒龍さんに協力して、必ず成功に導くぞ!

 おー!

 と華は、一人で拳を上げて、自分を鼓舞したのだった。


 (黒いダイヤ)華(黒いダイヤ)


 暖かい春の終わりの日の夕方――

 仁久丸は自宅の狭い庭を物置の鍵を持って歩いていた。

 麒龍にオタクグッズを物置に封印されてから、二週間と数日。

 精肉店の手伝いから帰ってきて、疲れていて夕飯まで部屋で休んでいた時、華から鍵を渡されたときは目を疑った。

「俊直――お兄ちゃん毎日頑張ってるから。でもさぼったらすぐまた取り上げる――だって。良かったね」

 にわかには信じがたくて、受け取ってから寝てしまった。

 起きてから、やっぱり現実だと気づき嬉しくなった。 

 あいつもいいところあるじゃないか―― 

 少しは良心が痛んだのか。よかったよかった。あいつも鬼じゃなかったということだ。

 お気に入りのグッズが次々と無くなり、正直もう限界だった。どれも思い入れのある物ばかりだった。

 一回どうにかして中の物を取り出せないか試みたことがあったが、周りをウロウロしていただけで、『物置ごと燃やすわよ』と脅されたことがあり、仕方なく退散した。

 それ以来、夜こっそり家族が寝静まってから一回だけ行ったが、やっぱり無理そうで諦めていた。

 仁久丸はルンルン気分で、鼻歌でアニソンを歌いながら物置の前に立ち、鍵を差し込んで回した。ガチャっと音がする。

 ああ、ようやく対面できる。

「封印解除(レリーズ)!」

 と『カードキャプターあさくら』の決め台詞を言いながら、彼は扉を開けた。元は少女漫画で、小学生の魔法少女が活躍する作品だ。恋愛要素もある。

 ガラガラと音を立てて扉が開き、暗闇に光が差し込んでいく。

 しかし――

 中は空っぽだった。棚を外せば大人三人、仁久丸なら二人分入りそうなスペースだが、何もない。

 彼は扉を開けたまましばらく固まっていた。

 俺のガンプラは? テレカは? 堀江奈々のサイン入り色紙は? 抱き枕カバーは?

 ない! ない! ない! どこにもない!!

 苦労して集めたグッズが、山のように積まれているはずなのに一個も無い!

 上下左右、再度顔を動かし確認する。念のため物置の中に入り棚の上に手を置いてみたりしたが、スチールの無機質な感触がするだけでやはり何も無い。

 いきなり彼は気が狂ったように、バン! バン! バン! と両手で棚を思いっきり叩きだした。

 まさかもう全部捨てたのか!?

 そして物置から出て頭を抱える。

 すると、どこからか笑い声が聞こえてきた。

 横を向くが誰もいない。何かおかしいーー。上か!?

 二階の華の部屋のベランダに、麒龍達がいた。

 あーあ、ばれちゃったという顔をして笑った後、特に残念がっている様子もなくキャハキャハ騒いでいる。とても楽しそうだ。

 あいつら――

 それを見ていたらなんだか無性に腹が立ってきた。

 だが仁久丸が文句を言うよりも先に、

「もう他の場所に移したー」

「お兄ちゃん、ばいば~い」

 手を振りながら彼女達は中へと消えた。

 くそっ!

 仁久丸はスマホを地面に叩きつけそうになって、すんでの所でその衝動を押し止めたのだった。


 仁久丸はGWをとても心配していた。

 例年通りならイベントに行ったり、秋葉原をウロウロしたり、徹夜でオタク友達とアニソンカラオケやゲーム大会、アニメ鑑賞など、それはそれは楽しい休日を過ごしていた。

 だが、今年は麒龍達に毎日監視され、せっかく今までの生涯をかけて集めたお宝グッズを破壊された上に、厳しい筋トレをしなくてはならないのではないか――

 嫌だ。

 想像したくない。

 考えるだけでも恐ろしい

 鬱になりそうだ……。

 仁久丸は、必至で対策を考えた。

 父と母は交代で旅行。 

 週の前半は母が友達と温泉旅行で、後半は父がゴルフ仲間と車でお出掛け。

 華はテニスの合宿だそうだ。

 問題は麒龍のみ……

 仁久丸はGW突入する前日の夜、急遽祖父母の家に行ってくると両親に告げて、スマホを置いて荷物もそこそこに飛び出した。

 兄妹喧嘩しているから華には内緒で!

 とか何か適当な理由を付けて、『妹には行き先を言わないでくれ』と頼もうかと思ったが、良い内容が思いつかず、変に揉めるのも面倒なのでやめておいた。

 華だけでなく両親からも、嘘だとバレると後が怖い。

 結局、悩んだ末に

 なんか急に旅に出たくなった――

 ということにしておいた。

 祖父母は急に来た孫に、家出でもしてきたのかと最初心配していたが、優しく出迎えてくれた。

 最初の二日間ぐらいは、麒龍から祖父母の家の固定電話に掛かってくるんじゃないかとびくびくしていたが、さすがにそこまではやってこないのか、それともたまたま運が良かっただけか、とにかく大丈夫だった。

 ただスマホも置いてきたので退屈で退屈で仕方が無かったが、レンタルビデオ店で借りてきたアニメを見て暇を潰していると、祖父が車を運転してれると言うので、全然興味も無かったが日帰りで一緒に釣りに出掛けたり、山にドライブしたり案外楽しく過ごすことが出来た。

 ゴールデンウィーク最終日の夜、帰ってきて恐る恐るスマホ確認すると、意外なことに 麒龍からは、二日ほど前に『お土産買ってきた』と連絡があっただけだった。

 何か裏があるんじゃないかと、仁久丸は怖くて受け取りに行かなかったが、華経由でお菓子を受け取り、家族みんなで美味しく頂いたのだった。


 第二章 裏切りのオタ友(チンカス)


 夕飯を食べた後、仁久丸は華がシャワーを浴びている隙に、こっそり自分の部屋を抜け出して、借りていたDVDを返すため自転車でレンタルビデオ店を訪れていた。

 そしてあらかじめ借りようと思っていた『ふたりはぶりっこキュア』劇場版などを新たに三本、素早くカウンターで手続きを済ませた。

 家の中に、華に見つからずに隠せるのは、三本ぐらいが限界なので、毎回そのぐらいに留めている。

 いつも同じ所に隠すのではなく、たまに隠し場所を変えることもあった。

 妹になるべく知られないように、動かないといけない。

 見つかるとうるさいし、ひどいときは勝手に返却ポストに投函されてしまう

 まだ見ていないのに!

 まったくアニメを見るのも一苦労だ。

 麒龍に告白して、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 予定通り観たいものを借り終わった後、帰り際に彼は店内の隅に貼られたALIAという作品のポスターに目が留まり、その前で立ち止まっていた。

 綺麗な水路の上で少女がゴンドラを漕いでいる。

 細かい設定を省いて簡単に説明すると、イタリアのヴェネチアを模した火星の街で観光水先案内人を目指す女の子達の物語でとても人気が出た。

 粕谷が、世界観が癒されるとすごいハマっていて、仁久丸も好きな作品なので、『良いな~、欲しいな~、観たいな~』と思いながら、彼はポスターを眺めていた。

 最新作のOVAの宣伝だ。

 OVAとは、通常はテレビ放送されずに、レンタルやDVD・ブルーレイなどのみで発売されるので、スカイコンプリートTVなどの有料放送でたまたまオンエアされた場合を除き、借りるか買わないと内容を見ることが出来なかった。

 アニメとかはタダで観れても、グッズを買ったり、そのアニメの主題歌が発売されるとCDを買ったり、ゲームにDVD、さらには好きな声優のライブなどオタク活動は何かと金がかかる。

 好きな物には金を惜しまない。

 とはいえ、ある程度買うものを絞らないとまだ高校生なので、小遣いには限界があった。

 喉が渇いてジュースを飲みたくても、腹が減って買い食いをしたくても我慢することもしばしば。

 そうしないと、すぐに親に借金をすることになり、しまいには前借りも出来なくなり破産してしまうだろう。信用も次第に失われて行って、趣味も行動も制限されて逆効果になりかねない。

 理解してくれとは言わないが、家族からは干渉されずに放っておいもらうのが一番だ。 

 そのためにはお年玉などの貯金と、少ない小遣いやバイトで、なんとかやりくりしていかないといけなかった。

 だからオタク仲間の間では、物の貸し借りが頻繁に行われていた。

 アニメショップで大人買いしているサラリーマンを見るとたまに羨ましく思うこともある。

 早く就職して誰にも邪魔されずに思いっきり買いたい

 予約したものを受け取る日はワクワクする

 好きな物を 目いっぱい楽しみたい

 気持ちいいだろうな

 きっと――

 だが現状は理想とは程遠い。

 それにもし資金が豊富にあったとしても、買った場合保管場所に困る。

 仁久丸は自分の現在の懐状況などを考えて、買おうかレンタルで借りようか非常に迷っていた。

 これ、あいつ買うかな? 

 いや、あいつのことだから絶対買うだろうな。

 買うなら今度、貸してもらおうかな……

 いくらオタク同士の間で物の貸し借りが頻繁とはいえ、あまり借りばかり作りたくはないのだが、無い袖は振れないので仕方が無い。

 彼は粕谷にスマホの会話アプリでメッセージを送った。

 するとすぐに返信が来た。

 『すまん、もうお前には貸せなくなった……』

 どういうことだろう? と不思議に思って彼はメッセージを送り返そうとしたが、不意に仁久丸を腹痛が襲った。

 うぉ……

 彼は顔を顰めた。

 片手で胃のあたりを押さえる。

 腹がごろごろ鳴っている。

 餃子喰い過ぎたか

 やべぇ、腹が痛ぇ……

 彼は慌てて、その場でベルトを少し緩めた。

 高二にもなって漏らすなんて格好悪すぎる。

 このままでは、ケツから茶色いUN粒子大量放出のトランザムだ。

 家に帰って万が一、華とかに知られたら最悪だろう。

 キモイ、臭いと、きっと今まで以上に軽蔑される。

 麒龍にも知られてフラれ、噂はクラスの女子に広まり、糞丸・うんこ丸・うんこ漏らし オタクなどと罵られるに決まっている!

 とにかく急ごう!

 仁久丸は腹を押さえながら店の外に出た。

 くそっ!

 来る途中でポケモソGOODをしていたらすっかり遅くなってしまったので、怪しまれないうちにそろそろ帰らないといけない。

 華に見つかってしまう。

 まったくこんなときに――

 さっさと近くのトイレありそうな場所、コンビニとかに駆け込もう。

 仁久丸は自転車のカゴに荷物を放り込み、急いでサドルに跨ると、トイレを探していつもの三倍の速さで自転車を漕いだのだった。


 数日後……

 皆が寝静まった頃、仁久丸は粕谷から借りたDVDを観ようと思い、うきうきしながらベッドからこっそり抜け出した。 

 毎日楽しみにしている、誰にも邪魔されない癒しのひとときだ。

 だが――

 ない。ない。

 どこだ?

 ここにしまっておいたはずなのに――

 大きなお菓子の箱の中。タンスの奥……

 エアコンの上。

 ここもない!

 くそっ!

 粕谷から借りたものが、一つも見当たらなかった。

 華の仕業か!?

 全部やられた!

 彼は怒り任せに、枕を掴んでベッドに叩きつけた。

 ぼふっとやや大きな音がする。

 荒い呼吸を整えて、少し彼は冷静になった。

 静かにしなれば、隣の部屋の妹が起きてしまう。

 あ~あ。

 魂が抜けたように仁久丸は、へなへなと肩を落としながら、その場に座り込んだ。

 分散していたのに、まさかの全滅とは……

 いつの間に――

 でも、一個も残っていないなんておかしいだろう。

 ひょっとして盗撮でもされているのか?

 華はやりそうにないものの、麒龍ならやりかねない

 だが、まだ恋人でもないのに、果たしてそこまでするだろうか?

 そこで、ふと粕谷の言葉が彼の脳裏に蘇った。

 まさか――


 翌朝、登校するなり仁久丸は、オタ友であり親友でもあるチンカスの席へ文句を言うために近づいて行った。

「てめぇ、裏切ったな」

 スマホで漫画を読んでいた粕谷は、バツの悪そうな顔をする。

「すまん、仁久丸……。だがオタクを続けるには金がかかる。お前ならわかるだろう」

 うぐぐと仁久丸は悔しさで表情を歪め、その場で強く拳を握りしめて怒りを堪える。

「くそお……、友より愛すべきキャラクターを取ったか。人間としてはクズ。だが、オタとしては正しい……」

 ごふっ

 仁久丸は、よくアニメやドラマ・映画のワンシーンなどにある、盛大に口から血を吐いたふりをして、チンカスの机に突っ伏して倒れてみせた。 

「許せ友よ……。よっしゃ! これで、ゆかりんのライブにいける!」

 粕谷は本当に済まなさそうに言った後、小さくガッツポーズをする。

「何? ゆかりたんか。このゴスロリ好きめ。御苦情生徒会面白かったからな~。いいなー、俺も行こうかな~」

 仁久丸は、すぐに起き上がって言った。

 二人が話しているのは、人気声優の多村ゆかりのことだ。

 ライブやコンサートではひらひらの衣装を身に纏うことが多く、ゴスロリのコスチュームが可愛くて華やかだった。

 自称永遠の一七歳という設定らしく、ファンからの愛称は、ゆかりんが一般的だが、他の女性声優からはその独特の世界観から「ゆかり姫」や「姫」と呼ばれることなどもあった。

 仁久丸が一番好きな声優は堀江奈々という声優だが、彼女からはゆかりたんと呼ばれている。

 だから彼も、そう呼んでいた。

 ゆかりたんのことは、魔法少女リリカルうららや大手ゲームメーカーCONAMI原作のアニメ御苦情(ごくじょう)生徒会(せいとかい)などを見て、彼も好きになった。

 どちらも人気作品で、前者では主人公の小学三年生の魔法少女の声を担当して、悲しい境遇のライバルの魔法少女と激しい戦いを繰り広げ、エンディングテーマを歌っている。 

 後者は可愛い生徒会メンバーのキャラクターが人気で、こちらでも彼女は主人公の声を担当して、ノリの良いオープニングテーマ曲を出していた。

 どちらの主題歌もカラオケなどで、みんなで歌うととても盛り上がる。

「御苦情生徒会、なんでほっちゃんを出してくれなかったんだ……」

 ほっちゃんとは、仁久丸が大好きな声優の愛称だ。

「それはさておき仁久丸、戦友からのせめてもの情けだ。ラブライフの真希ちゃんやアイドルマイスターの美紀ちゃんのエロ同人誌、さっさとどこかに移せ」

「まだ残っているのか!?」

 仁久丸の表情が驚き、そしてぱっと明るくなった。

「ああ」

 よっしゃあああ!

 仁久丸が思わず両手を挙げて雄叫びを上げる。

 喜びのあまり、彼はいまにも飛び跳ねそうだ。

 大分前のイベントで買ったもので、粕谷も気に入ったので後日買おうとしたが、もう秋葉原では売り切れ。

 今では手に入らない幻の逸品である。 

「あれはお宝だからな。他にもお前が布教のために置いて行ったライトノベルや、俺がお前に頼んで借りたゲームなどもまだ残ってるぞ」

 貸したのをすっかり忘れていた。

 よっしゃあああ!

 再び仁久丸が叫ぶ。

 周りが白い目で彼を見てきた。

 あまり目立つのはよくないだろう。

 麒龍に知られてしまうかもしれない――

 喜びも束の間、仁久丸は腕を組んで、急に真剣な表情になって考え始めた。

 いくつかのお宝達が無事だったのは、すごく嬉しい。

 正直、イベント帰りに粕谷の家に寄った時、重いから置いてきたものもあるが――

 でも、保管場所が無いんだよな……。

 うちに持って来てもなあ~

 結局、麒龍達に取られたり破壊されたりしたら意味ないし――

「そのままお前の家に置いといてくれよ、頼む」

 仁久丸が頭を下げて頼み込んだ。

 粕谷も難しい顔をしながら唸っている。

「物の貸し借り禁止が条件だからなぁ~。あとでバレたら俺まで恨まれそうだから無理

「だよなあ……」

 と仁久丸も仕方なく諦める。

「それにしても大変だな、お前も……。幼馴染に告白! まさかリアルの女に手を出すとは――」

 そこで一旦言葉を切って、しばらく机の上に肘を突いて顔の前で手を合わせ、厳つい表情の気難しい司令官のように黙り込んだ後、

「だからブログの更新が止まっていたのか――、この裏切り者!」

 粕谷はいきなり親友を罵った。

「だからお前には、あまり知られたくなかったんだ……」

「お前は金髪女にたぶらかされた。我々の理想の女性はナナコさんではなかったのか?」 

 仁久丸は粕谷の振った機動戦艦ナタデココのネタに乗りながら、自説を主張した。

「確かにナナコさんは素晴らしい女性だ。だが……所詮は二次元の女性だ! 俺は二次元も三次元も愛せるハイブリッドのオタクになる!」

「おおー!」

 粕谷が感嘆する。

 予想外の答えだったのだろう。

 一瞬、固まっていた。

「勇者(ゆうしゃ)皇(おう)誕生! だな」

 彼はあるアニメ作品のネタに合わせて、なんとなくそれっぽい称号を親友につけて贈った。

「ともかく今日回収に行く。最優先事項だ!」

 仁久丸は期待に目を輝かせながら、叫んだのだった。


 なぜ華と粕谷が、秋葉原のアニメショップにいるんだ!?

 仁久丸は我が目を疑った。

 予約した品の引換券を持ち、混雑する店内を、レジに行こうとしたところ、店の奥の階段から降りてくる妹と親友の存在に気付き、彼は慌てて身を潜めた。

 店の中にはたくさんの客がいるので、向こうは幸い、まだこちらに気付いていないようだ。

 制服のままだったら、もう発見されていたかもしれない。 

 学校帰りに直接来ないで、家で着替えて、飯食ってから出てきて、良かった――

 それとも学校帰りに、すぐ来た方が良かったか?

 もう午後四時になってしまった…… 

 とにかくなんか嫌な予感がして、そっと店を出る。

 よくない汗が、全身から噴き出していた。

 どこかのショップに、まずは身を隠すか――

 仁久丸は、人混みに紛れつつ駅の方に向かって少し歩きながら、都合の良い場所は無いかと、きょろきょろとあたりを見回した。

 彼は、大通りを挟んで向かい側にある、ゲーセンが入っている建物に目を付けた。

 横断歩道を渡って急いでビルの前まで移動し、木の陰に隠れながら二人の様子を観察することにした。

 土曜日なので人通りが多い。

 車も頻繁に走っているので、見つかることは無いだろう。

 ほどなく二人は、ビルの外に出てきて、キョロキョロあたりを見回している。

 粕谷は黒い長ズボンに、灰色の半袖のTシャツを着ていた。

 一見、地味で目立たない色だが、店内で見た時、確かちらっとキャラクターが、細く黒い線で表全体に描かれていたような気がした。

 自分も持っているからわかるのだが、あれは月刊少年アースという漫画雑誌の付録でついてくる、神世紀エヴァンゲリオンのアスカのTシャツに違いない。

 華は長めのスカートに、白い薄手のアウターを着て、小さな黒いリュックを背負っている。

 今日はオールメタル・パニックの初回限定版DVDの発売日だ。

 仁久丸は同じものを二つ別の店で予約していた。

 どういうことかというと、よく秋葉原のアニメ・ゲームショップでは、それぞれ店独自の購入特典というものをつけている。

 今回の場合、マンガメイトという店ではミニフィギュア、ゲーマーの穴という店では抱き枕カバーが貰える。

 各店舗が、自分の店で買わせようと売上を競って良い特典を付け、赤字にならないのだろうかと、たまに心配になる時もあるぐらいだ。

 ここで困るのが、

 どちらの特典も欲しい!

 という場合だ。

 解決には、幾つかの方法がある。

 資金に余裕があれば、一つは鑑賞用、もう一つは保存用と自分に言い聞かせ、さらに三つ目以降も買う場合は、貸し出し用や予備などという名目を自分で勝手に作って複数保有する。

 これが一番望ましい。

 しかし大人になって社会人で収入があるのならともかく、バイトをたくさんするかお年玉をうんと貯めておかないと、普通の高校生には無理だ。

 ではどうするかというと、同じ物を二つ買い、片方をすぐに未開封新品で売る。

 特典は二つゲットできるし、数千円ぐらいの損で済む。

 こうして秋葉原の中古ショップには、発売日当日に未開封新品の商品が、定価で買うよりも少し安い値段で、ズラリと並ぶわけだ。

 特典のグッズも中古のグッズショップで売っているので、それだけ買った方が安上がりなのだが、ちゃんとDVDを定価で、新品で買った方が制作者にお金が入る。

 さらに正直に言うと、TV放送されないOVAなども、インターネットで違法にアップロードされている海外のサイトがたくさんあり、わざわざDVDを買わなくてもアニメ自体は見れるのだが、ファンとしてなるべく作者に還元できるように行動するよう心掛けていた。

 仁久丸も今回、本当は鑑賞用と保存用で両方持っておきたいところだが、あいにく資金不足で断念した。

 彼は先程ゲーマーの穴で商品を受け取り、ミニフィギュアをゲットしてきた。

 後はマンガメイトで抱き枕カバーを受け取り、任務完了だったはずなのだが――

 今ここで捕まれば、ついさっき手に入れたお宝を失いかねない。

 まだ見ていないし、特典のフィギュアを堪能してもいない。

 今日は、麒龍は何か用事があると言っていたので、安全だと思ったんだが――

 それとも油断させておびき寄せるための作戦か?

 三十分ほど二人は、マンガメイトの前で待っていたが、粕谷が一人で動き出した。

 華がその場に留まり、軽く手を振っている。

 仁久丸は、彼の後を気付かれないように、できるだけ遠くから追った。

 チンカスは、元々パソコンストアである祖母地図(ソボマップ)や、ゲーマーの穴などを回り始める。

 粕谷には、特典両方手に入れたぞー! と驚かすつもりだったから、予約したことまでは言ったが、二つの店でとは伝えていない。

 助かった……。

 チンカスは、他にも中古ショップなど、合わせて四~五店舗を見て回っていた。

 途中新作アニメや、ゲームの番宣ポスターをちょいちょいチェックしたりしながら、二十五分程で彼は、妹のところに戻って行った。

 華はモバイルバッテリーにつないだスマホをいじっていたが、彼に気付いて顔を上げた。

 粕谷が顔を横に振っている。

 合流した二人は荷物の中からペットボトルの水やお茶を取り出してそれぞれ飲み始めた。

 しかしそのままそこを動く気配が無い。

 チンカスは何回か家に遊びに来たことがあるので、華ももちろん粕谷の顔は知っているが、別に仲が良いわけではない。

 話すことなんかないだろう。

 華はスマホをいじっては、時々退屈そうに顔を上げて、ぼーっとしている。

 粕谷は激しくスマホの画面を連打しているので、なんかゲームでもしているのだろう。 

 いつから来ているのか――

 そして彼らは、いつまで待っているつもりだろうか……?

 しかしよくよく考えると、店の前に二人で張り込みは、案外目立つなと彼は思った。

 でも受け取ることに夢中になって、一目散に建物の中に入るだろうから、多分気付かないか――

 もしくは華達は、誰かと待ち合わせをしているんじゃないか?

 ひょっとして麒龍を待っているのか?

 いや――

 きっと違うだろう。

 来ているのなら、とっくに姿を現してるはずだ。

 それにあいつの性格から考えると、オタクなんかと一緒に歩きたくないはず――。

 それでも普段なら、華を一人にしないだろうし、やはり用事というのは本当で、やむをえずそうしているのだろう。

 麒龍が自分の代わりに二人を見張りに来させたか、それとも最初三人で来て、用事があったので途中でやむをえず麒龍は帰ったが、華が頑張っているのに粕谷が付き合っている。

 うん。

 これが一番ありそうだ。

 実は今まで華たちに隠れて、内緒で二回買い物に成功している。

 今回も上手くいくと思ったのだが……

 思わぬ敵が現れた。

 二対一。

 いや三対一か――

 だが仁久丸は負けるわけにはいかない。

 予約した商品の引き取り期限は二週間で、それを過ぎると取り置きが無効になってしまう。さらに予約の際には五百円以上の内金も必要なのだが、既に払ってしまったお金も戻ってこなかった。

 しかも仁久丸が申し込んだ時は、ちょうどキャンペーンをやっていて、内金を多く払うとポイントをたくさん貰えたので、もう五千円払ってしまった……。

 そんな大金を無駄にするわけにはいかない。

 何が何でも受け取らなくては!

 それに早く片方を売却できなければ値段も落ちてしまう。

 でも、もう片方を無事に手に入れられるとは限らない――

 くそ!

 もう五時を過ぎた。

 今日の引き取りは諦めて、華が帰ってくるよりも前に、逆に先に家に帰っておいた方が良いか――

 仁久丸はビルの隙間の路地裏に退避した。

 誰もいない細い道の真ん中でしゃがみこみ、両方の拳を強く握り締め、叫び出したい衝動を必死に堪えている。

 何よりも、受け取れなければ、店舗限定の予約特典があああああああああああああああああああ!

 頭を抱えて、しばらくその場に蹲る。

 今回の特典はゲーマーの穴は、十六歳の艦長服に身を包んだ銀髪の少女テレサ・テスタローザという名のキャラクターが、ずるぺた~んとコケて大開脚し、パンツを披露してしまっているという作中のシーンをフィギュア化したものだった。

 こちらはゲットした!

 一方マンガメイトの方は、抱き枕カバーでスクール水着姿のテレサが描かれている。

 表と裏でデザインが異なり、表は普通なのだが、裏はちょっと水着がはだけた感じで胸が見えている。

 萌える。

 こちらも絶対欲しい!

 だが二兎を追う者は一兎をも得ず。

 無理をして華達に捕まってしまっては、それを手に入れるどころか、せっかくゲットしたゲーマーの穴の特典すら取り上げられてしまう。

 さらに粕谷がもし余計なことを言ったら、財布の中に入っているマンガメイトの予約表やポイントカードなども没収されかねない。

 とても危険な状況にあることは間違いないだろう。

 せめて今日受け取ったフィギュアのパンチラを十分堪能してからだ!

 まあ秋葉原のグッズショップで、中古で買うという最終手段もあるのだが、それではなんか負けた気がする。

 やむをえないが、ここはひとまず退くしかないか……。 

 仁久丸は、諦めたような悲しい表情をしたが、今度は一転して気合の入った凛々しい顔つきで、確かな決意を胸に秘めていた。

 テッサたん、必ず迎えに行く――

 彼は唐突に立ち上がり、よく晴れた空に向かって大声で叫んだ。

「リリカル・マジカル・頑張ります!」

 表通りを歩いていた通行人達がちょっと彼の方を振り向いて、下手に関わらない方がいいだろうという反応を見せ、そして足早に去って行ったのだった。


 ついに! ついに、これを満喫するときがきた!

 仁久丸は先程手に入れたばかりの抱き枕カバーを、そっとビニール袋から取り出して両手に広げ、漫画喫茶のリクライニングシートを倒して横たわっていた。

 水着がはだけて、両腕で胸を隠し、恥じらっている表情がとても可愛い。

 仁久丸は数分程、上から下までじっくりと眺めると、顔の上から自分の全身の上に抱き 枕カバーを掛けて、戦利品を堪能していた。

 机の上には、ジュースが入った紙コップとミニフィギュアが置かれている

 あれから色々あって、引き取りに来るのに五日もかかってしまった……。

 今日は木曜日の夕方。

 ものすごく用心しながら、取りに行った。

 あのときは、たまたま二人を見かけたから良かったが、全く気付かずに突っ込んでいたら――

「ニャックデカルチャー(なんと恐ろしい……)」

 仁久丸は呟いた。

 せめてもの唯一の救いは、エロゲーの発売日じゃなくて良かった。

 万が一、そんな現場を取り押さえられたら大変だ。

 私服だったこともついていた。

 おかげですぐに人混みに隠れることが出来た。

 そういう点では非常に運が良い。

 仁久丸は、今度はリクライニングシートに抱き枕カバーを掛けて、自分がそこに飛び込むようにダイブした。

 本当はベッドでやりたいところだが、そんな贅沢は、今は言っていられない。

 これでも十分良い方だ。

「あ~、毎日これを下に敷いて寝てえ~」

 結局、土曜日はDVDを中古ショップに売りに行かなかった。

 いっそのこと売るのをやめてずっと持っておこうか、それともやっぱり買い取ってもらおうかさんざん悩んだが、資金不足のためやむをえず手放した。

 土曜日にチェックした時、はっきりと買取価格を覚えていたわけではないが、先週よりだいぶ相場が下がってしまったような気がする。

 仁久丸は机の方に向き直り、今度はフィギュアに魅入っていた。

 艦長服姿の少女が、ずるぺたーとコケて、スカートがめくり上がり、中の白いパンツが見えている。

 下から見上げているような絶好のアングルだ。

 スマホで写真を――

 と思って、パンツに向かって、スマホのカメラをドキドキしながら近づけていった。

 盗撮しているみたいで、なんともいけないことをしているような気分になる。

 麒龍や華に、スマホの中をチェックされたら大変だな。

 撮影した後に消せばいいのか?

 う~ん……

 できれば、消したくねえなあ……

 仁久丸は難しい顔をして、スマホの角度や位置を両手で細かく調整しながら悩んでいた。

 写真を撮るには、いまいち暗い。

 それに店内は物凄く静かなので、音が出るから少々やりづらかった。

 トイレにでも持って行って、撮影してくるか?

 変態だな……、俺。

 我に返った仁久丸は、写真を一旦諦めて、スマホをズボンのポケットの中にしまい、再びシートにうつ伏せになる。 

 そのまましばらくゴロゴロしていたら、手がテッサの胸に触れていることに、ふと気付いた。

 触っちまった!

 慌てて手を離す。

 だが彼は、改めて手を伸ばし、その膨らみにタッチした。

 今度は、気兼ねなく両手で揉み始める。

 興奮してきて、だんだんエスカレートしているようだ。

 ふ~ん!

 鼻息がやや荒い。

「その髪も、胸もあそこも、ペロペロしちゃうぞ~」

 日頃溜まっているストレスを発散するかのように、仁久丸は三時間パックで満喫したのだった。


 漫画喫茶で戦利品のグッズを堪能した翌日の夕方、仁久丸は自転車で二十五分程離れた地元の隣の駅にやってきた。

 六階建ての、やや大きな駅ビルが目的地だ。

 そこのコインロッカーに、粕谷から返してもらったお宝達を隠していた。

 周囲をキョロキョロと警戒しながら、駅ビルと繋がっている高架下に作られた駐輪場の中へ入って行った。

 途中、何度も自転車を止めて振り返って確認したが、尾行は無い。

 空いているところを探し、駐輪ラックに入れて鍵を外してロックする。

 ペットボトルのお茶などはカゴの中に置いたまま、彼は手ぶらで駅ビルの中へと入って行った。

 三階までエスカレーターで登り、そこから階段を下って二階と三階の間の踊り場を目指す。

 粕谷のところにお宝が一部残っていたのはとても嬉しかったが、せっかく引き取っても保管場所が無いから、やっぱりそのまま預かっていてくれと拝み倒した。

 終いには、『いいよと言ってくれるまで、ここを動かない!』と彼の部屋で三十分ほど土下座までしたら、困り果てたチンカスがとうとう折れた。

「しょうがねえな……。中間試験が始まるまでだぞ。だがお前も知らない場所に隠す」

 ということで、なんとか一週間引き伸ばしてもらった。

 後から聞いたら隠し場所は、知り合いが所属する部室のロッカーの中だそうだ。

 できればずっとそこに入れておいて欲しいと思ったが、頼まれた人は中身を知らずに預かったそうで、他の部員がふざけて勝手にロッカーを開けてリュックの中を見られ、ドン引きされて隠れオタクのあらぬ疑いをかけられたと大層怒っていたそうだ。

 チンカスだけでなく、知らない人にまで迷惑をかけてしまった……。

 もちろん粕谷に頼んでいた間、何もしていなかったわけではなく、祖父母の家に置かしてもらおうかなど、色々真剣に考えた。

 じいちゃん・ばあちゃんは優しいけど、いつも華の味方だからなあ……。

 あれこれと悩んでいるうちに、粕谷から登山用のでかいリュック一個分の荷物が戻ってきてしまった。

 これ以上、迷惑を掛けられないのでやむを得まい。

 彼の家まで受け取りに行って礼を言い、家には戻らずハンバーガーショップで急いで次の手を考えた。

 やはり良い隠し場所が見つからないので困ったが、量もそんなに無いので仕方無くダンボールに詰め替えて、まず最初は両親の営む肉屋の奥の棚に隠した。 

 しかし数日後、華に危うく見つかりそうになり、なんとかその場は誤魔化して慌てて撤去した。

 結局、お金はかかるが諦めてコインロッカーに入れておいた。

 今日で三日目だ。

 自分の家や身の回りなどで隠すには限界だと思った。

 だがコインロッカーだと高いし、月額でトランクルームをレンタルした方がまだ安い。 不本意だが費用を払うことも含め、授業中などでも保管場所を必死に何時間も考えて、ようやく昔のつてで一つ見つかった。

 小学校時代の友達の兄がバイク用にレンタル倉庫を借りていて、修理している間なら良いという。

 よし!

 ここなら絶対安全だ。

 一般人だがいいやつで、麒龍はもちろん、華や粕谷も知らないだろう。

 ただ一週間ぐらいの間しか預かれないと言われたが、全然それでも構わない。

 一時しのぎだが、とりあえず無料でなんとかなる。

 あとは麒龍達に見つからないように、ロッカーから荷物を取り出して、そいつのところに持っていくだけだ。

 ビルの中をエスカレーターで移動している間も、仁久丸は常に周りを警戒していた。  三階に着くと、フロアを小走りで駆け抜ける。今度は建物の端にある階段を下りて、踊り場に出る。

 一階と二階の両脇はトイレだが、駅直結の通路がある三階は、どちらもコインロッカーがたくさん設置されていた。

 その片方に身を潜めて、陰から顔を出して様子を伺う。

 一分ほどそのまま用心して隠れていたが、どうやら異常は無いようだ。

 ふーっと一息、仁久丸は大きく安堵のため息をついた。

 彼は、やや汗をかいていた。

 建物の中に入る前にお茶を飲んでおくか、置いてこないで持ってくるんだった――と、少し後悔していた。

 ほどなく預けていたロッカーの前まで移動し、周りに人がいないか再度確認してから、 ズボンのポケットに差し込んでおいた財布から小さな鍵を取り出す。

 昨日も抱き枕カバーやフィギュアを仕舞いに来たが、麒龍達に見られないかひやひやした。

 キーを差し込んでロッカーの蓋を開ける。

 やや大きなリュックが一つ、パンパンに膨らんでいた。

 夢と幸せがたくさん詰まっている。

 本当はいますぐリュックの中から全部出してたっぷり堪能したいぐらいだ。

 彼はチャックを少し開けて、ちょっと中を覗いた。

 エロ同人誌、抱き枕カバー、パンツが見えている女の子のフィギュア、漫画やライトノベル、下敷き、箱入りのエロゲー、アニメのDVD、おっぱいマウスパッドなどなど、数多くのグッズが入っている。

 しかし、そんなにゆっくりもできない。

 宝の山を無事に、新しい保管場所まで送り届けなければならなかった。

 そしてできれば、華に怪しまれないように夕飯の前に帰りたい。

 彼は誘惑を断ち切ってチャックを閉めると、ロッカーから取り出した。

 手に持って、抱えているだけで幸せな気分になりそうだ。愛おしそうに両手で抱き締める。

 三十秒ほど堪能した後――

 よしこれから行くぜ!

 仁久丸はリュックを肩に担いで、意気揚々と自転車置き場に戻ったのだった。


 学校帰り、秋葉原のゲーセンに仁久丸と粕谷はいた。

 彼らは横並びの台に腰を下ろしてコインを投入した。

 画面に映し出されるタイトルには、『機動戦士ガソダムSWORD 連合VSゾフト』という文字が大きく表示されている。

 これからガソダムのゲームで対戦だ。

 作中に流れていた音楽が流れる。

 粕谷は迷わず黄金色に輝くガソダムを選び、一方仁久丸はしばらく迷って結局羽が生えたガソダムにした。

 次にガソダムに乗るパイロットを決める。

 選択したのはいづれも女性キャラで、チンカスは金髪のボーイッシュなお姫様を。仁久丸は赤色のショートヘアに赤い軍服、ピンクのミニスカート姿が可愛い女の子をチョイスする。

 二人共、準備が整った。

 どちらも早くやりたくて、うずうずしている。

「獲物を前に舌なめずり、三流のすることだな」

「ブタマリア・ポーク出るわよ!」

 仁久丸がゲーム開始前に、キャラクター名をもじって冗談を飛ばす。

 チンカスが、くすっと笑った。

「お前が言うとしゃれにならん」

 コンピューターのカウントダウンが始まる。

 いよいよだ。

 それに合わせて仁久丸がセリフを口にする。

「戦闘レベル、ターゲット確認……。排除開始!」

 対戦が始まった!

 ビームライフルを撃ち合いながら互いに距離を詰める。

 粕谷が吠えた。

「そこのデカいの!!」

「ティアナ様の法の裁きを!」

「小賢しいマネをする。子供の遊びじゃないんだよ!」

「忘れてた? 私も赤なのよ!」

 ガチャガチャと二人共、激しくレバーを上下左右に動かし、ボタンを連打している。

「まだ抵抗するのなら!」

「女の名前なのに……何だ、男か」

「カミーユが男の名前で何が悪いんだ! 俺は男だよ!」

 相変わらず二人は、ガソダムの名言を言い合いながら遊んでいる。

「言ったよ……、僕は投降しろって」

「チッ……、機体の調整が完全じゃないのか!」

 敵の放った弾を避けきれずに、仁久丸の羽の生えたガソダムがダメージを負う。 

 そのまま粕谷は接近して剣で斬りかかってきた。

 だが、彼も負けてはいない。なんとかそれを躱して、得意の格闘技でやり返す。

「我は放つ、光の禿刃(はげじん)!」

「くわっ 眩しい! 黒魔術か!」

 粕谷がダメージを受ける。

「ならば、こっちも……喰らえ! 竜破斬(ドラグスレイブ)!」

 最初はガソダムやロボットアニメのネタだったのが、戦いが白熱してきて終いにはファンタジー小説の魔法技になった。

「炎の人民よ・踊れ!」

「法が導く罪への正路!」

 お互いのライフゲージが段々減ってきた。赤く点滅して危険を知らせている。

 いよいよゲームも大詰めだ。

 あと一発! 

 どちらかに攻撃が当たれば終わる。

「落ちろカトンボ!」

 粕谷の渾身の一撃が外れた。彼はやや焦っているのか手当たり次第にビームライフルを連射しながら態勢を立て直そうとする。

 だが仁久丸は、タイミングを計り冷静に仕留めに行った。

「ここからいなくなれぇーっ!!」

 強力なビーム砲が、チンカスが操る黄金色の機体を貫通する。

 いろんな作品からネタが出たが、でもやっぱり最後はガソダムの名台詞で決まった。

「ああ~、やられたー」

 粕谷が残念そうな声を出して、ガチャガチャと激しく動かしていた手を止める。

 よっしゃ! 

 と仁久丸はガッツポーズを決めた。

 勝敗は決した。

「あともうちょっとだったのに……」

 ふっと仁久丸が不敵な笑みを浮かべる。

「出てこなければ、やられなかったのに!」

 粕谷は相当悔しいようで苦し紛れに叫ぶ。

「あ~、本当にその通りだよ! あんたって人はぁぁぁ!!」

 仁久丸は、久々に爽快な気分に浸っていた。

 ああ、スカッとする!

 粕谷は仕方無さそうに席を立ち、勝った方の仁久丸はそのままコンピュータ相手にゲームを続け、チンカスはそれが終わるまで、ずっと横で見ていた。

 十分ぐらい経ち、二人はゲーセンを出てふらふらと歩き始める。

「お前、付き合ってくれるのは嬉しいんだけど、裏切ったんじゃなかったのか? 俺と一緒に遊んでいていいのかよ?」

「え? ああ……、そういえばあまり深く考えてなかった。一緒に遊べなくなるのもつまんねえからなあ……。大丈夫だろう。そこまでは縛られていないし――」

 親友の意外な返答を聞いて、仁久丸は目を丸くしたものの、少し安心して胸を撫で下ろした。

 本気で敵に、回ったわけではないようだ。

「ってゆうか、お前が脱オタなんて無理だろ。できる訳がねえ」

 チンカスが高笑いする。

「彼女には面白そうだから協力してるだけだ」

 ニヤッ

 彼は得意そうに親指を立てる。

 普段はあまり見せない表情だった。

 こいつなかなかの策士だ――

 と仁久丸は思った。

「なあ鬼池のこと、まだ諦めてないのかよ」

「うん? うーん……」

 彼は連れの方を向かずに、歯切れの悪い返事をした。

「お前には高嶺の花だ。悪いことは言わない。やめておけ」

 ちょっと先を歩く仁久丸の後ろを粕谷はついていく。

 一分程二人は無言で歩いて、チンカスが言った。

「自分だけリア充になろうといったってそうはいかん! リアルの女なんかやめてこっちに戻ってこい」

 仁久丸は聞いているのかいないのか、聞き流しているようにも見える。

「オタクグッズ破壊されちまうんだろ。もういくつも犠牲になったって聞いてるぞ。そのうちお前、本当に発狂しちまうんじゃないか? 俺なら耐えられないね」

 それでも仁久丸が反応しないので、粕谷はやや強めの口調で言った。

「抵抗すると無駄死にをするだけだって、なんでわからないんだ!」

 チンカスは、本気で親友のことを心配しているようだ。

 仁久丸は急に立ち止まって真剣な表情になり、彼に向かって告げる。

「……粕谷。お前、帝国過激団のあのセリフを忘れたか」

「なに?」

「私達正義のために戦います。

 たとえそれが命をかける戦いであっても――

 私達は一歩も引きません。それが仁久丸俊直なのです!」

 さくらんぼ大戦の決めセリフを発して、仁久丸は自分に酔いしれていた。

「……オタの鏡だな」

 チンカスが感心したように呟く。

 そして彼は唐突に「戦士よ、起き上がれ」というアニソンを歌い出し、

「熱い 疾風(かぜ)が戦士には よく似合う(音符) 傷みを隠して起き上がれ!愛する者を守るため傷つくこともあるだろう」

 仁久丸もそれに乗って一緒に歌い出した。

「荒野に血が流れても~ 明日の 平和があれば いいのさ~」

 周りの目も気にせずに彼らは続ける。

 二人はすっかり意気投合し、途中から肩を組んで、カラオケ屋へと向かったのだった。 


 昼休み粕谷達とオタクトークを楽しんで、午後の古文の授業開始から約十五分程が経過した。

 窓際の奥の席で仁久丸は、手にシャーペンを持ったままウトウトし始めた。

 陽がぽかぽかと気持ちいい。

 今まで録画したものや借りてきたアニメなどは好きな時間にみれたが、最近親が寝静まった深夜二時頃に起きて観ている。

 お陰で常に寝不足だ。

 ついでにポテチなどのスナック菓子をジュースと共に食ってしまうときもしばしば。

 いけない――

 やめようと思っているのだが、アニメ鑑賞にはやはり欠かせない

 他にもアイス、プリンなど止まらなかった。

 まだ華とかにはバレていないようだが、もし見つかったら菓子まで取り上げられるんじゃないか?

 麒龍に知られた時のことは、考えたくもない。

 どんな恐ろしいことになることか……

 ふあっ……と出掛かった欠伸を彼は噛み締める。

 今日は妙に眠い。

 月曜日・火曜日ぐらいまでならまだ大丈夫なのだが、だんだん蓄積してくるのだろう。 週の後半になると結構キツイ。

 家でも帰宅してから華が部活から帰ってくる夕飯の前まで昼寝をしたり、リビングのソファでスマホをいじっていたらつい意識が無くなっていたり、早くベッドで横になることが多くなった。

 午後の十時にはもう寝ることもある。

 さすがに麒龍もその時間は大人しくしていて、部屋に乗り込んでくることなど無いが、華がたまに偵察しにくることもあるし、鍵を付けたいぐらいだ。

 毎日そんな早く寝ていたら、すぐに怪しまれてしまうだろう。

 今のところ週一回ぐらいの頻度で、やったのは二~三回ほど。

 曜日もずらしている。

 というか起きようと思ってもやっぱり眠いので、なかなか思うように起きられなかった。

 このまま長く続けていったら、いづれ気付かれるのも時間の問題かもしれないが、まだきっと大丈夫だろう。

 深夜アニメは毎日のように放送されるので、睡眠を削ってなるべくリアルタイムで見るようにして、なんとかオタ友との会話についていけている。

 ゲームの話題はもう、あまりついていけなくなってしまったが……

 これをやり始めた頃は全然起きられなくて、気づいたら朝になっていて、とても悔しい思いをした――というのは何回もあった。

 見逃したらすぐに、スマホでネットにアップされているものを見るが、やはり好きな作品や好きなキャラクターが大活躍しているシーンは、大画面で見たい。

 最近は慣れてきたのか結構起きられるようになったが、なんといっても授業中眠くなるのが大きな欠点だ。

 もうすぐ約束の一か月になる。

 ちゃんと麒龍は、返してくれるだろうか?

 ただ心配なのは――

 思うように痩せられていない。

 これを彼女がどう判断するか……。

 そう考えると残念ながら、人質に取られたまだ犠牲になっていない嫁達が、無事に帰ってくるという保証も無かった。

 はぁ~

 目を瞑って仁久丸は、深い溜め息を吐く。

 唯一の救いといえば――

 小学校の時の友達に預けたのは、有難いことに未だに無事だ。

 なんとかあれだけでも逃げ切りたい。

 そろそろ中間試験も近づいてきた。

 このままではマズい。

 ……

 意識が段々遠のいてきて、あまり考えられなくなってきたので、彼は目を擦って眠気を覚まそうとする。

 う~ん……

 ダメだ。

 眠い。

 次の隠し場所も決めないといけないし――

 成績落ちたら、今度は両親にも怒られるだろうし……。

 最近、授業も身に入っていないというか、どうしても眠くてノートもろくに取っていない。

 ああ……

 心配事が尽きない毎日だ。

 こんな心が休まらない日々になろうとは――

 あのときはつい格好つけて、『私達正義のために戦います。たとえそれが命をかける戦いであっても――。私達は一歩も引きません』などと言ってしまったが、粕谷の言う通り――だな。

 どうしよう……

 その後、彼は何度かこくりこくりと体を上下に揺らし、気づいたら中年の目眼をかけた神経質そうな古典教師が、横で腕を組んで立っていた。

 仁久丸は、顔面蒼白になった。

 『放課後に職員室に来なさい』と言われ、二~三分後にチャイムが鳴った。

 もちろん、後でたっぷり怒られたのだった。


 放課後、職員室での説教から解放された仁久丸は、ストレス発散と気分転換のため古本屋のBOOKONに寄って一時間ぐらい立ち読みをした後、今度は週刊誌の漫画やゲーム雑誌を立ち読みするためにコンビニに入った。

 そこでも三十分以上時間を潰し、帰り際に事前に予約しておいた劇場版のアニメ『冴えている彼女の躱し方』の発券をしようとして、スマホが無いことに気付いた。

 きっと学校に忘れてきたのだろう。

 多分、机の中だ。

 なんで今まで気づかなかった……。

 テレカ付き前売り券のチケットの引き取り期限は、今日までとなっていた。

 最近こういうのは、麒龍達に取られないように、なるべくギリギリで受け取るようにしている。

 コンビニ店内の壁掛け時計を見ると、時刻は午後五時半過ぎ。

 校門は午後七時頃には閉まるだろう。

 途中、何事も無ければ十分間に合う。

 大丈夫だとは思うのだが―― 

 麒龍は女友達とパフェを食べに行くようなことを言っていたし、華は部活なので心配ないと思ったのだが、見つからないように念のために遠くまで来ていた。

 そのため直接学校に行くには、やや離れている。

 歩いて行くのはだるい。四十~五十分はかかる。

 逆に家まではニ十分ぐらいだ。

 一旦家に帰って、荷物を置いて何か一杯飲んでから、自転車で行こう。

 早くしなければ校門が閉まってしまう。

 よし!

 決まった。

 仁久丸は、急いでコンビニを出て家に向かって歩き始めた。

 今度公開される『冴えている彼女の躱し方』。

 この作品は きっと今の俺の参考になるはずだ。

 早く観に行きてぇ!

 粕谷も多分予約しているだろう。

 いや~

 それにしても、自由って素晴らしい!

 誰にも邪魔されずにこうしている一人の時間が一番幸せだ!

 仁久丸はすっかり機嫌を直し、居眠りをして怒られたことなども忘れ、軽い足取りで自転車を取りに家に帰ったのだった。


 ところが……

 仁久丸が少し早足で汗をかき、ちょっと疲れたと思いながら帰ってくると、家の門の陰に隠れて彼を待っていたのは、制服姿の麒龍と華だった。

「遅ーい! やっと帰ってきた」

「捕まえた」

 華が兄の腕を掴んで、『離さない!』というように絡みつく。 

「うわぁ!」

 驚きのあまり仁久丸は、飛び上がった。

 心臓に悪いなぁ、もう……

「何をそんなにびっくりしているの?」

「怪しい」

 華が疑いの眼差しを兄に向ける。

 何で二人揃って、こんなところにいるんだ?

「お前、友達とパフェ食べにいくんじゃなかったのか?」

「うん、だから友達とね」

 にっこりと麒龍が笑う。

「友達って俺か!?」

 仁久丸は仰天した。

「うん、俊直のおごりで。もちろん華ちゃんの分も(ハート)」

 いやいやいや――と彼は、掴まれていない方の手と首を横に振る。

「華、お前部活は!?」

「ちょっと体育で足挫いちゃって……」

 よく見ると、華の左足首にはテーピングがしてあった。

 大丈夫? とやや心配そうに、麒龍が彼女を気に掛ける。

「全然平気だよ。それよりお兄ちゃんの方が気になるし。最近どうも動きがおかしくて――」

 ばったり一緒になったというような感じにしているが、こいつら仕組んでやがったな……。

「何してたの?」

 麒龍の厳しい口調での問いに、言葉に詰まる仁久丸。

 うっーー

「どこかの本屋でエッチな雑誌でも見てたの?」

「俺はそんなもん見ない」

 仁久丸はきっぱりと否定し、断言した。

「じゃあ、どこで何をしていたの?」

 職員室で怒られていたとは、恥ずかしいから言いづらい。

「秋葉原や池袋でメイド喫茶? 正直に言ってごらんなさい」

 でも言ってしまった方が楽になるような――

「あたし達に言えないようなことしてたんでしょ?」

 仁久丸は答えに窮していた。

 だが、このままでは学校にスマホを取りに行けなくなる。

 早く何か上手い言い訳を考えないと――

「何か随分、急いで帰ってきているように見えたけど、何か買ってきたんじゃないの?」 

 麒龍の言葉に、華が反応する。

「何!? 今からこの下手人の鞄の中を取り調べる」

「ち、違う! と、とりあえずトイレ行きたいんだ! 行かせてくれ!」 

「ええい! 暴れるなデブ! 神妙にいたせぇい! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」

 時代劇ネタが入っていたり、現代の刑事ドラマなどでよく使われそうなセリフが入っていたり、もうめちゃくちゃだった。

「華ちゃん、のど乾いた。取り調べは中でやろう」

「はっ。姫様がそうおっしゃるのでしたらー―御意」

 華が兄の手を玄関の扉の前まで引っ張り、麒龍と交代して鍵を開ける。

「ただいまー!」

「お邪魔しまーす!」

 それぞれ靴を脱いで上がっていると、奥から母の声が聞こえてきた。

「あら麒龍ちゃん来てるの? いらっしゃーい。ちょっと今手が離せなくて、後でお菓子出すわね。」

「おばさん、こんにちはー。お構いなく~」

 麒龍が愛想良く返答する。

「それと俊直、あんたなんか荷物を小学校の時の友達に預けてたんだって?

 でも、もう預かれないからって、さっきその子が訪ねてきたわよ。電話しても出ないって言うから。わざわざ持ってきてくれて。あんたのアニメのグッズみたいだったから、部屋に運んであるわよ」

 何だって!?

 仁久丸はマズい! と思った。

 よりによって今、なんてことを言うんだ!

 二人がいるときに限って――

 母ちゃんのバカ!

 麒龍と華は、互いに顔を見合わせる。

 次の瞬間、三人は先を争って仁久丸の部屋へと走り出した。

 狭い廊下を、玄関から三メートル程離れた階段に向かって、激しい足音を立てながら突き進む。

 麒龍が仁久丸を押さえつけようとするが、さすがに本気を出した男のパワーには敵わない。

 全身の力を込めて両手で彼の腕にしがみついても、完全に止めることはできず、せいぜいつねったりくすぐったり邪魔をして、動きを遅くするのが精いっぱいだ。

「危ないだろ! やめろ! 馬鹿!!」

 仁久丸はとても苛立った声で、彼女を牽制した。

 今までに無いもの凄い気迫に押されて、麒龍がちょっと怯む。  

 その勢いで彼は妹も捕まえようとするが、すばしっこい華は兄の手を躱し、一歩リードする。

 だが麒龍は振り切られそうだ。

「これ!」

 そう言って華は振り返ると、手錠を投げて麒龍に渡した。

「華ちゃん、ナイス!」

 受け取った麒龍は、素早く自分の手と仁久丸の手に掛ける。

 ガチャ 

「おい! こらやめろ!」

 仁久丸が気付くが、もう遅い。

 チッ――

 彼は舌打ちした。

 だがこんなことでいちいち足を止めている場合では無い。

 早くしないと華にお宝を取られてしまう。

 仁久丸は、構わず歩き続ける。

 一切、スピードを緩めることは無かった。

 そのまま麒龍も、無理やり引きずられる形となる。

「ちょ ちょっと!?」

 手錠の掛けられた腕を引っ張られながらも、彼女は狭い通路に座り込んで必死の抵抗を続けた。

 仕方が無いので、人間一人分の重りを付けたままドシン! ドシン! と巨体を揺らしながら仁久丸は歩く。

「いたたたた」

 麒龍が苦痛で顔を歪めた。

 その間に、華はドタドタと騒々しい足音を立てて階段を登って行った。

「お前、そんなに走って大丈夫なのかよ!?」

「平気、平気! 保健室の先生が大げさなだけだから!」

 華が二階へと姿を消した。

 仁久丸はようやく階段に辿り着き、一段二段と登り始める。

 ふん!

 だが腕に絡みついている麒龍が、とても重くて邪魔だ。

 こうなったら彼女ごと抱きかかえて運んでしまおうか?

 しかし、ほどなくして――

「獲ったどー!!」

 二階から大声で、華の叫ぶ声が聞こえた。

「我、敵将の首、討ち取ったり~!」

 リュックを抱えて華が現れた。

「あー!」

 仁久丸が叫ぶ。

 彼は脱力して肩を落とし、その場に座り込んだ。

 顔からは汗が噴き出していて、息が荒い。

 華は階下まで降りてくると、荷物を仁久丸の手の届かないところに置き、鍵を取り出して麒龍の手錠を外した。

 彼女は立ち上がり、手錠を階段の手摺に繋ぐ。

 仁久丸は、もはや抵抗する気はないようだ。

 項垂れたまま、動こうともしない。

 華が麒龍にリュックを見せる。

「龍(たつ)姫(ひめ)様、そやつの部屋にあった黄金色の饅頭でございます。たっぷりと詰まっていました」

 エロ同人誌、箱入りのエロゲー、アニメのDVD、おっぱいマウスパッドなどなど、リュックを階段の上に置いて、二人が品定めをする。

「まさか、まだこんなものを隠していたとは……」

 麒龍は目を丸くしながら、手を伸ばして、中身を一つ一つ確かめた。

 それから彼女は、華に向かって芝居がかった調子で言う。

「よくやった! 褒めて遣わす」

「はは~。有難き幸せ」

 華の方もそれにのって、やや大袈裟にお辞儀をする。

 麒龍は華を抱き寄せて、小さい子供にするように、いい子いい子と頭を撫でていた。

 よしよしと褒められて、華も照れながら、えへへと満足気な表情を浮かべている。

 とても仲の睦まじい姉妹のようだ。

 華はそれが終わった後も、『やった!』と嬉しくて、ぴょんぴょん飛び跳ねていた。

 一方、麒龍は表情を一転させて、厳しい口調で幼馴染に告げる。

「あれだけ痛い目にあってもまだわからないのね」

 仁久丸は無言だった。

 顔を床に向けて、生気が抜けたように、ぐったりと俯いていた。

「筋トレ、一か月続いたらって言ったけど、三か月に延長ね」

「は?」

 ようやく仁久丸は顔を上げる。

「だって全然痩せてないし、私好みじゃないから――」

「お前……、ふざけんな!」

「じゃあ、何キロ落ちたの?」

「うっ……二キロほど」 

 彼は小声で答えた。

「全然足りない!」

 くっそぉ……

 仁久丸は両方の拳を同時に振り上げて、階段の板に打ち付ける。

 ドン!

 鈍く大きな音が響いた。

 彼は裏切られた気分だった。

 悔しさのあまり、目の前の幼馴染に向かって、文句の言葉をぶつける。 

「嘘つき! 鬼!」

「鬼!?」

 麒龍がおぞましい表情で、ギロリと彼を睨んだ。

 ひぃ! 

 思わず悲鳴をあげる仁久丸。

 しまった……。

 ついうっかり、言ってはいけない一言を言ってしまった――

 と思ったが、もう遅い。

「こんなずるしてたんだから、当然それだけじゃ済まさないわよ」

 麒龍は、ゆっくりとしゃがんで、掌で仁久丸の頬をそっと撫でる。

 まるで、捕まえた獲物をいつでも料理することができるというように――

「今度、たっぷりお仕置きしてあ・げ・る(ハート)」

 彼の耳元で甘い声で囁いた後、彼女は立ち上がった。

 麒龍は、パーとグーに開いた掌を打ち付ける。

「うあああああああああああああ!」

 仁久丸は、ついに絶叫した。

「お兄ちゃん、うるさい」

 華が、兄に軽く蹴りを入れる。

 彼は妹に蹴られてやや冷静になり、今度は声には出さなかったものの、心の中で叫んだ。

 こんなときに限って、スマホを学校に置き忘れた!

 くそお……、コンビニで気付いたとき、すぐに取りに戻ればよかった!!

 あるいは、もっと早く! 寄り道しないで真っすぐ家に帰っていれば、受け取れたかもしれない――。

 こんなことなら、ずっとロッカーにしまっておけばよかった……。

 だが、今更後悔しても遅い。

 その後、麒龍達の厳しい取り調べが行われ、もちろんテレカ付き前売り券も、パアになったのだった。


 翌日の夕方、仁久丸の部屋で、中間試験前最後のお仕置きが行われていた。

 仁久丸は後ろ手に手錠を掛けられ、部屋の真ん中に正座させられている。

 よいしょ よいしょと麒龍と華の二人は、廊下で何か重いものを運んでいるようだった。

 ダンボールが一箱持ち込まれた。

 そして華が延長コードを電源に差し、扉の外にある何かに繋いでいた。

 仁久丸からは見えなかった。

 一体、何をするつもりだ?

 電気ショックとかだったらどうしよう――

 ちょっと怖い……

「昨日も聞いたけど、他に隠してるものないでしょうねぇ……?」

「ああ」

 仁王立ちの麒龍に睨まれ、仁久丸は短く答えた。華は彼女の脇で従者の忍者のように片膝をついて座っている。

「本当?」

 麒龍が近づいてきてしゃがみ、仁久丸の耳元で、やや甘ったるい声で言った。

 指先で顎をくいっと持ち上げ、じっと彼の眼を見つめる。

「本当に本当。これで全部だ」

 よしと麒龍が頷く。

「さあ、始めましょう。あたし達に隠してた罰よ」

 彼女は仁久丸に目隠しをした。

 それが終わってから、ガサゴソとダンボールの中を漁っている音がする。「はい、これ」

 華の声がして、仁久丸の手に幾つかの物が握らされた。

 とりあえず一旦全部絨毯の上に置いて、彼は手錠を掛けられた両手で、一つずつ順番に掴んで感触を確かめる。 

 小さなぬいぐるみみたいだが、先端に細く小さな紐がついているので、ミニストラップだ。

 プラスチックの……キャラクターの人形。このサイズは、ねんどろいどぶち。

 堅い……。木で出来ている。この形は絵馬しかない。

 ん?

 なんだこの紐は――

 丸いふくらみが二つと、なんか全体的に装飾が施されていて、良い手触り だ。

 ……ブラジャー?

 そこで仁久丸は閃いた。

 全部エロゲーの特典だな――

「気付いた?」

 麒龍が妙に優しい口調で語りかけてきた。

「もしかして、今回のターゲットは……」

「とりあえずエッチなゲームは全部処分かな」

「やっぱり、そうか!」

 仁久丸が叫ぶ。

 思った通りだ!

 彼はまたお気に入りのグッズやせっかく集めたゲームが、彼女達に無残に処分されることを覚悟した。  

「さあお兄ちゃん、何の音でしょうか!?」

 ガー

 バリバリバリ

 バキッ!

 もの凄い勢いで何かが破壊されていく音がする。

 嫌な予感しかしない。

「まさか……、シュレッダーか!?」

「ピンポーン、ピンポーン、大正解!」

「どっからそんなものを――」

 仁久丸が呻く。

「麒龍さんの家から借りてきました」

「パパに頼んでうちから運んできたの。持ってくるのちょっと大変だったけど……」

 相変わらずやることが凝っているというか、よく毎回色んな方法を考えるというか、仁久丸はもはや呆れ果てていた。

「正解したご褒美にもう一枚追加!」

 華がシュレッダーにエロゲーを投入したようだ。

 ガー

 バリバリバリ

「うわー!」

 慌てた仁久丸が叫ぶ。

「どこがご褒美だ! 今すぐやめろ、馬鹿!」

「馬鹿は、あんたでしょ」

 仁久丸は、頭をはたかれた。

 いてっ

 どうやら麒龍の仕業のようだ。彼は文句を彼女にぶつける。

「何すんだよ」

「あんたいくつエッチなゲーム持ってるのよ。まったく……。しかも1本8800円!? なんでこんなに高いの!?」

 麒龍は値段の高さに驚いているようだ。

 華も『ウソ!?』と同様の反応を示している。

「もう五枚ぐらい処分したから、それだけでも四万円?」

「だから今すぐやめろって言っただろ!」

 しかし彼の訴えは無視された。

「全部やったらいくらになるかな~。十万円は超えるかな?」

「あ、華ちゃん。それ性能あんまりよくないから、一気に全部やろうとすると熱くなって止まっちゃうの」

「そうなの?」

「お前ら人の話を聞け!」

「えーと、他に高そうなものは……」

 華は次の獲物を探しているようだ。

「やめろ! 鬼! 悪魔! そんなことしたら地獄に――」

「天国に逝かせてあげる(ハート)」

 仁久丸は、お腹の肉を思いっきりつねられ、身を捩った。

 いでででで

「ストップ麒龍! ギブ! ギブ!」

 逃げて動いた拍子に目隠しがズレて、角度によっては少し見えるようになった。

 だがそのことは、黙っておいた。

「TYPE―FOON。太陽箱、初回限定版」

 変な名前――と、華が不思議そうな顔をしながら、箱を手にしている。

「それは絶対ダメ! プレミアがついて何万もするんだぞ!」

「エロゲーのプレミアですって?」

 麒龍は軽蔑するような目で、裏のパッケージ画像を見ている。

「みんな変態ばかりね。気持ち悪い」

「エッチシーンはちょっとしかない! そういうシーンだけ抜いて、全年齢対象版がよくブレステでも出てたりするんだ! そういうのは純愛ものといって、感動するストーリーが人気な――」

「なにが純愛なの! 現実でやりなさい!」

 麒龍が仁久丸に蹴りを入れる。

 ぐはぁ……

 腹に入った。

 仁久丸が倒れ、床に転がる。

 うぅ……

 苦痛に耐えながら彼は思った。

 世の中そんな青春を送れるリア充ばかりじゃないんだ。

 せめてもの慰めに、そういう気分をゲームで味わってもいいじゃないか――

 だがそう主張したところで、こいつらはオタク→『気持ち悪い=悪』と決めつけ聞く耳を持たないだろう。

「姉、ちゃんとしてよ! お兄ちゃん、年上が好きなの? でも、こっちのPINKキャロットへようこそっていうのは、ウエイトレスさんがすごいひらひらの制服着てて可愛い」

 華がパッケージの裏を見て、顔を赤くしている。

 エロゲーの箱の表というのは、その作品のメインヒロインである美少女キャラクターなどが可愛く描かれていて、大体裏にはゲームに登場する各キャラクター達のエッチな画像が載っている。

「うわ……、すごい……。縛られてたり、道具とかなんか入ってたり――。麒龍さん……これ、お姫様調教SLGだって」

 どれどれ? と麒龍が受け取る。

 二人は一緒に箱の裏をじっと見ていた。

 華の方は、途中から両手で顔を覆っている。

 それでも指の間からチラチラと視線を送っているようだ。

 恐る恐る、でもドキドキしながら――といった様子で、やや興味はあるが、恥ずかしくて見れないのだろう。

 彼女達が見ているのは何だ?

 なんとなく見当は付くが――

 仁久丸がもぞもぞと手足を動かして、少し体制を変え、目を瞼の端に寄せて、目隠しが掛かっていない隙間から覗いた。

 箱の表に、鎖に繋がれた二人の美しいお姫様の絵が描いてあった。

 やっぱり……

『EXYLE BLOODROYAL2』

 あれはヤバイ。

 過激なやつだ……。

「お兄ちゃんのエッチ、変態!! まずこっちから全部処分だ!」

 華は中身のデイスクだけでなく、紙の箱も平らに潰してシュレッダーにかける。

 ガガガガガガ

「うわああああああああ!」

「初回限定盤も処分だ!」

「ひいぃ! どうか、どうか、それだけはお助けください!」

 しかし無慈悲にも、彼の声は届かなかった。

 バリバリバリ!

「今では手に入らないんだぞおお!!!!!!!!!」

 仁久丸は、体をくねくね動かしながら絶叫する。

「気持ち悪いミノムシみたいな動きしないでよ。……いい? 次に変な真似したら、どうなるかわかってるでしょうね? こんなもんじゃすまないわよ」

 麒龍が彼を見下ろしながら言った。

「あとでシュレッダー、うちまで持ってきなさい!」

「じゃあ、それが止まるまで、エッチなゲームは処分ということで――」

 仁久丸が妹に向かって大声で叫んだ。

「やめろ、華! あとでなんでも好きなもの買ってあげるから。パパの言うことを聞きなさい――じゃなかった。お兄ちゃんの言うこと聞きなさい!」

「お兄ちゃん、うるさい」

 華はダンボールの中から、水着姿の美少女が描かれたミニクッションを取り出して兄の口の中に突っ込む。

「これでいいや、えい!」

 さらに仁久丸の机の上からガムテープを持ってきて、彼の口を塞いだ。

 んーんー! 

 じたばたと仁久丸が激しく手足を動かす。

 そして彼女は、ゲームのディスクを次々とシュレッダーにかける、という仕事を再開した。

「そもそも18歳未満は購入禁止でしょ! 法律違反です!」

 ガー

「華は、おまわりさんの代わりに、取り締まってるだけです!」

 バリバリバリ!

「お父さんお母さんに言っちゃうよ」

 バキッ! バキッ! バキッ!

 シュレッダーからの音は、一向に止まる気配が無かった。

 んん~~

 仁久丸が悲しげな表情をして、それを見つめている。

『せめて売って、お金にしろ』と言いたかった。

 麒龍と華は彼には構わず、せっせと箱からディスクを抜き出していった。

 プラスチックのCDケースやDVDケースは手で破壊して、厚紙で出来た箱は手で破いた。

 その後も、仁久丸の部屋からは七~八分程、シュレッダーのうるさい音が響いたのだった。


 第三章 ご褒美と失態


 中間試験の最終日は、午前中で試験が終わり、午後には帰ってきて、仁久丸はスナック菓子を食いながら、ソファで親のタブレットを片手にネットで配信されているアニメを見ていた。

 華は、まだ帰ってきていない。

 あ~、幸せ……

 テスト期間中は、少し難を逃れた。

 つかの間の休息だった。

 いや、嵐の前の静けさというべきか――

 できればずっと、このままでいてほしい……

 あわよくば、元の生活に戻りたいと、切に願う仁久丸だった。

「ねぇ……俊直」

 初めて入った麒龍の部屋で、仁久丸は大の字に両腕を広げカーテンレールに手錠で拘束されていた。

 足首も縄で縛られている。

 好きな女の部屋に入ったというのに、全然嬉しくない状況だ。

 中間試験が終わった最初の土曜日で、家には彼女達以外誰もいないらしく、華は荷物を運んだり、出入りしていて、今はちょうどいない。

 今回もシュレッダーがあった。脇にはダンボールが置かれている。

 他にもたくさんのダンボールが壁に積まれていたが、まだ片付いていない引っ越しの時の荷物だろう。

 麒龍はいつもの高飛車な態度とは違い、しなを作りながら妙に女っぽい雰囲気で近づいてきて、彼の耳元で囁いた。

「あたしでオナニーしたことあるの?」

 うっ……

 答えに詰まる仁久丸。

 いきなりなんてことを聞くんだ! こいつは――

 と思ったが、これはとても難しい質問だ。

 したといえば、キモイと言われるに違いない。

 だが、してないはしてないで、

『こっちの方が良いなら、一生エロゲで抜いてろ!』

 とか言われそうだ。

 どうすれば……

「ねぇ……どうなの?」

 麒龍が両手で仁久丸の太腿のあたりをそっとさする。

 さわさわ すりすり

 だんだん上の股間の方に近づいてくる。

 手つきが妙にいやらしい。

 麒龍は無自覚なのだろうが、仁久丸はちょっと興奮してきた。

 ヤバイ――

 勃ってしまいそうだ。

「早く答えないとぶつわよ」

 彼女が、いつものオタクを蔑む厳しい表情に変わる。

 ――ん?

 突然、麒龍が怪訝な顔をして、仁久丸のあそこに顔を近づける。 

 どうやら気づかれてしまったようだ。

 彼女は、幼馴染のやや大きくなった部分をじっと見つめて、それから試すようにつんつんと指先で突く(つつく)。 

 はうっ

 仁久丸の身体が敏感に反応した。

「この……変態!」

 麒龍はちょっと怒ったような表情で、彼の身体から離れ、腕を大きく振りかぶって仁久丸の頬を引っぱたいた。

 バシーン!

 うおお……

 思わず目を瞑ってしまうほどの強烈な一撃だった。

 痛ぇ……

 衝撃と痛みを堪えていると、この前没収されたリュックを持って、華が入ってきた。

「お兄ちゃん、頬紅い。……ぶたれたの?」

 華が入ってきてくれて正直助かった――

 少しは手加減されるんじゃないかと思い、淡い期待を抱いたのも束の間、大きな間違いだったことが、すぐにわかる。

「また何か悪いことしたの?」

 お兄ちゃんは、何も悪いことはしていない――

 不可抗力だ。

 むしろ生物としては、魅力的な異性が前にいるので、正しい反応である。

 しかし余計なことを言うと、また麒龍から強烈な一撃が飛んできそうだったので、何も反論せずに大人しく黙っておいた。

 麒龍がガサゴソとリュックの中を漁っていた。中の物が床に広げられていく。

「これね」

 彼女は一冊のエロ同人誌を取り出した。

「粕谷君から聞いたわよ。今一番はまってるキャラ」

 チンカスのやつ、何か余計なことを教えやがったか――

「咲弥ちゃんとあたし、どっちが好きなの?」

 うっ……

 一瞬答えに詰まる仁久丸。

 同人誌の表紙に描かれていたのは、機動戦艦ナタデココのツキノ・ルリだった。

「この子とあたし、どっちが好きなの?」

 麒龍が再度、仁久丸に迫った。

 それは咲弥じゃない!

 間違えるな!!

 ルリちゃんも好きだけど!

 彼は口に出そうか、とても迷っていた。

 二人共、髪型は同じだが、ルリちゃんは電子の妖精と言われるような美しい銀髪で、妹の咲弥ちゃんは茶髪だ。

 彼は麒龍の足元に転がっている携帯ゲーム機用のソフトに目を向けた。そこに咲弥ちゃんが描かれている。

「すぐに答えられないってことは――」

 麒龍とルリちゃん……

 麒龍と咲弥。

 どちらを取ればいいんだ――

 視線を交互に動かす仁久丸。

「白状するまでお仕置きが必要かしら」

 麒龍が仁久丸の頬を掌でぺちぺちと叩き、再び腕を大きく振り上げる。

 これはヤバイ。

 答えるまでぶたれ続けそうだ。

「違う! 俺が好きなのはこっちだ!」

 仁久丸は視線で指し示した。

「どっちでもいいわよ!」

 麒龍のビンタが炸裂する。

 ぶはぁ!

 正直このタイミングでの平手打ちは、予想していなかった。

 頬がひりひりする。

 これで軍服を着て鞭を持たせれば、鬼女教官の出来上がりだ。

 眼鏡掛けたスーツ姿の女教師でもいいな……。

 それなんてエロゲ?

 仁久丸は自問自答していた。

 麒龍はこれか~と、ゲームソフトを手に取って見ていた。

 あ、正直に言わなければ良かった――

 と仁久丸は冷静になって思った。

 一番のお気に入りの方をわざわざ教えてしまった。

 そっちから破壊されてしまうかも――

 しかし彼女はそれを再度床に置き、立ち上がってエロゲーの詰まったダンボールの箱を開ける。

「まず前回処分し切れなかった、いかがわしいものの始末から行う!」

 腕を組んで仁王立ちの麒龍が、処刑を始めると声高らかに宣言した。

 御意と華が頷く。

 うひぃ~!

 もう十分ぶたれた…… 勘弁してくれと仁久丸は思った。

 いつもより激しい責めで、肉体的に既にダメージは大きい

 これからさらに精神的な虐待まで加わろうとしていた。

 麒龍がダンボールの中からゲームの箱を一つ手に取った。

「例えばこのゲームだと、どの子が好きなの?」

 HAIRという作品だ。

「それは特に好きなキャラはいないんだが……、感動系と言われる有名なやつで、みんな感動するとかいうから、やってみたんだが――。実は俺にはどこがそんなにいいのか、よくわからなかった……。主人公が途中から鳥になるんだよ」

「はあ? 鳥? 意味わかんないこと言ってんじゃないわよ!」

 麒龍が再び手を振り上げる。

 またビンタされると思った仁久丸は、必至で訴えた。

「ほ、本当なんだって! そこにカラスの絵が描いてあるだろう。呪いで鳥になっちまうんだよ! それでも好きな女の子を見守るというか、とにかく泣けるんだ。いや、俺はそんなにハマらなかったけど」

 仁久丸は余計なことは言わなければよかったと少し後悔した。

 彼は必全力で説明したがやはり理解してくれなかった。

「はぁ~、あんたがそのうち、通り魔事件とか起こさないか心配だわ……」

 麒龍は頭を抱えて大きなため息をついた。

 そうなったら、まず真っ先に、お前らに復習してやるよ――

 と彼は少し思った。

「やっぱりお兄ちゃんを今社会復帰させないと将来とんでもない大人になっちゃうかもしれない」

 華がこれは? とダンボールの中から次の物を取り出し、麒龍に渡す。

 Kannon(カンノン)。

「それは癒しのゲームなんだ。雪国での幽霊の少女との恋というか、とにかく感動する素晴らしい作品なんだ」

「何が癒しよ! こんなのが癒しの訳ないでしょ!」

 麒龍は箱を地面に叩きつける。

 ボガッ!

 とぶつかる音がした。

「あああああ! なんてことを!」

 仁久丸が叫んだ。

 さらに華がそれを蹴飛ばす。

 作者に謝れ!

 と彼は叫びたかったが、そんなことをしても余計責めが激しくなるだけだ。

「じゃあこっちは?」

 麒龍が次の箱を手に取った。

 CANBAS ~セピア色のモチーフ~

「それは美術特待生の主人公が、スランプに陥っていたんだけど、好きな女の子のために本気で絵を描くという、心温まるストーリー」

 華がダンボールの中にある作品のタイトルを読んだ。

 朝が来る!

「それは戦闘が面白い」

 ふーんと興味無さそうに聞きながら、麒龍はダンボールの中を確認していた。彼女の手が止まり、目つきが急に厳しいものに変わる。

 仁久丸は何だか嫌な予感がした。

 麒龍は無言で一つの箱を彼に向って見せた。

『進撃の巨乳』

 大きなおっぱいが幾つも迫ってくる、エロくて刺激的な絵が表紙に描いてある。

「やっぱり巨乳好きだったのね!?」

 麒龍はヒステリックに叫んで、箱を床に落として、全力で踏んづけて壊そうとした。

「それは粕谷の! 借り物! 本当! 壊しちゃダメ!! それにやっぱりって何!?」 

 彼は、どうにかしてやめさせようと、必死に訴えた。

「姫! ご乱心めさるな!」

 華がなんとか両腕を麒龍の腰に回して、暴れ馬のような彼女を引き留める。

「放しなさい、華ちゃん。もう大丈夫だから――」

 麒龍は爆発しそうなのをかろうじて堪えているようだった。

 ハァ……ハァ……とやや息を荒くして、ちょっと頭に血が上っているようで顔が赤い。 

 華は言われた通り、だが恐る恐るといった感じで手を放した。

 麒龍は、今度は両手に二つの箱を持って、仁久丸に尋ねた。

「調教天使S化レイヤーや顔のある月というのは?」

「……」

 仁久丸は答えない。

「今度、竹刀でも持ってこようかしら――」

 彼女が鬼のような形相で迫る。

 麒龍の脅しに、彼はあっけなく白状した。

「それはただ単純にエロいから!」

 麒龍が手にしていた箱を後ろに放り投げ、幼馴染の腹を目掛けて、思いっきりグーパンチを繰り出す。

 仁久丸は彼女の、その一瞬の動きに気付いたが、手足を縛られているのでどうしようもなかった。

 腹に空気を入れて膨らませるのも間に合わず――

 はぐうう!

 入った。

 ゲホ! ゲホッ!

 と仁久丸は顔を歪め、苦しそうに咳をする。

 今日の麒龍は容赦が無い。

 なんだ?

 ひょっとして生理か……

 と彼は思ったが、もちろん聞けるわけが無かった。

「最後に一つだけ聞くわ。メイドさん、巫女さん、お姫様、女騎士とか一杯出てくるけど、結局どれが一番好きなの? やっぱり魔法少女?」

 う~~ん

 まだ痛みが残る中、仁久丸は真剣に悩み、一分程迷った末に答えた。

「全部だ」

 麒龍の渾身の蹴りが、彼のあそこに命中する。

 おおおおお!

 仁久丸が声にならない叫びを上げた。

 玉が潰れて、意識が飛ぶんじゃないかと思うぐらいの衝撃だった。

 痛みに苦しんでいる仁久丸を尻目に、麒龍が言った。

「華ちゃん、こんなやつ放っておいて、下にお菓子食べに行こ」

「え? うん――」

 華は一応兄を心配しているのか、やや戸惑っていた。

 麒龍が廊下へと姿を消した。

「お兄ちゃん、無断で持ち出しちゃだめだよ。ちゃんと後で回収しにくるから」

 手足、拘束されてるのに、できるわけねーだろ……

 と思ったが、ようやく痛みが治まってきた仁久丸は、もう余計なことは一切言わずに力無く、ああ……とただ短く答えた。


「ねぇ、このパスワード付きのファイルの中、何が入っているの?」

 仁久丸は一階のリビングの絨毯の上で、股を開いて仰向けになっていた。

 股の間に細長いパイプの丸椅子を挟み、その上には湯沸かしポットが置かれて、常に電源に繋がれ熱く白い蒸気をもくもくと吐き出している。

 手錠で拘束されていないものの、迂闊に動けない状況だ。 

 麒龍達も危険なのは承知しているようで、『絶対動くな!』 と警告していた。

「大丈夫、万が一の場合は、冷凍庫に氷たくさん用意してるから」

 と華が言っていたので、少し安心したが――

 まったく!

 うちの両親に信用されているからといって、人の家で麒龍はやりたい放題だ。

 華が手引きするのも、あるんだろうけど。

 もし電気ポッドが倒れて熱湯がかかったら、あそこが大やけどしてしまう。

 恥ずかしくて、病院なんか行けるか!

 仁久丸がそんなことを考えていると、彼の隣でノートパソコンを見ながら足を崩して座っていた麒龍が悪戯をして、ふーっと彼の耳に息を吹きかける。

 うおわ!

 ぞわっとした感触に仁久丸は、ビクッと体を震わせた。

 ガタっと丸椅子が動く。

 あぶねぇ……

 麒龍はいったん立ち上がると、今度はソファに座りながら仁久丸の腹の上に足を置いた。

 爪先でつんつんと彼の腹を突く。

「ねえ、聞いてる?」

 足置きか、俺は――

 彼はそう思った。

「ん? そんなのあったっけ……。見せてくれ」

 仁久丸は、本当は覚えていたのだが、とぼけてみせた。

 麒龍がノートパソコンの画面を彼の方に向ける。

 マズい。

 どうしよう……

 その中には、粕谷からもらった、数々のエロゲーのエロ画像・エロ同人誌やエロアニメが……

 まだ見ていない物もあるのに――

「ああ……それ、なんだったっけな。忘れたけど、いらないから消していいよ」

 彼は上手い言い訳が咄嗟に思いつかず、興味が無い感じを装った。

 しょうがない。今度また粕谷から貰おう。

 それ手に入れるのに、千円と言われて渋々、払ったやつもあるのに……。

 またお金が飛んでいくのか――

 今度はタダでくれないかな?

 いや、無料じゃなくてもいい。

 せめて半額とか……

 仁久丸は溜め息をつきたい気分だったが、二人に気付かれないように、心の中で静かに泣いた。

 麒龍がdeleteキーを押して削除する。

 パソコンが無ければ、エッチなゲームができない。

 つまりパソコンが悪いという話になり、例えばエッチな画像とか動画とか、他にも変なもの保存されていないか、麒龍達は徹底的に調べていた。

「なにこれ? データの羅列」

 麒龍が再び仁久丸に画面を見せる。

 華もソファに腰を下ろして、横で一緒に首を傾げていた。

「ああ、これはセーブデータだな」

「セーブデータ?」

「パソコンゲームの」

 パソコンゲームというか、もちろん全部エロゲーである。

「ふーん……」

 自分で聞いておきながら、麒龍は興味無さそうに返事をした。

 よくわかっていないようだ。

「なんでエッチなゲームするの?」

 これはまたストレートな質問が来た。

 仁久丸は、ちらりと華の方を見る。

 妹も近くにいるので、ちょっと答えづらい。

 だが彼は堂々と自説を展開した。

「最初に18禁ゲームメーカーからゲームが先に出て、人気が出たら家庭用ゲーム機にそういうシーンを抜いて移植されたり、アニメ化されたりする。でも、それは半年後だったり、1年以上後だったりする。だから流行の最先端を追うにはゲームが一番なんだ」

「ふーん……」

 麒龍が蔑んだような目で仁久丸を見る。まだまだ疑っているようだ。

「最初からそういうシーン抜きで、ブレステで出せばいいじゃない」

「BANDAYやCONAMIみたいな大会社と違って、小さい会社が多くてそこまでのお金を持っていない。ブレステとかだと専用の開発環境やゲーム機のライセンス使用料がいるが、パソコンゲームなら不要。社員数だって十数名とかいうところもあるだろう」

 エロゲーの方が早い、安くは無いが美味い。

 美味いというのはこの場合、エッチシーンがあって良い思いが出来るという意味だが……

 これらが18禁パソコンゲームをする理由だ。

 ただのスケベではない。

 流行に乗り遅れないために、仕方なくプレイしている。

 やりたくてやっているわけではない。

 仁久丸は、上手く自分の正当性をアピールしたつもりだった。

 だが、麒龍は立ち上がると、ソファの上に置かれていた華の木刀を掴んだ。 

 ノートPCを木製のテーブルの上に乗せる。

 一歩下がって木刀を正面に構え、狙いを定めていた。

 どうやら一刀両断するつもりのようだ。

「やめろ! パソコンに罪は無い!」

 仁久丸は慌てて大声で叫んだ。

「それもそうね」

 木刀を両腕で振り上げた状態で、彼女は静止する。

「パソコン持ってないからもらおうかな」

 華の何気ない発言に、麒龍が聞いた。

「何するの?」

「スマホの写真のバックアップ先」

 麒龍は腕を組み、片手を顎に当てて、しばし考える。

「じゃあ、これはいつも手伝ってくれる華ちゃんのね」

「わーい。ありがとう!」

 華が両手を挙げて喜ぶ。

 なに、人の持ち物を勝手に妹にあげてるんだ。この泥棒!!

 と仁久丸は、麒龍に対してやや怒りを覚えた。

 華はノートパソコンを受け取り、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。 

 こういうところは、兄から見ても、素直で実に可愛らしい。

「麒龍さん、ついでにスマホの中身も確認しよう。そっちにもいかがわしい画像とか入ってるかもしれないし――」

 お前、余計なこと言ってんじゃねえ!

 前言撤回。

 ぶっ殺すぞ!?

 仁久丸が驚いていると、麒龍が素早く寝ている彼のズボンの後ろポケットに手を入れて探り出し、スマホを抜き取った。

 彼女と華が幾つか暗証番号を試してみるが、全部外れたようで、その度にスマホがブーっと震動した。

 麒龍が可愛らしい笑顔を作り、横になっている仁久丸に、顔を近づけてお願いをする。

「パスコード教えて(ハート)」

「誰が教えるか。言う訳無いだろう」

「お兄ちゃん……、素直に白状しないと大変なことになるよ」

 華の忠告に一瞬躊躇ったものの、それでも仁久丸は黙っている。

「そんな反抗的な態度取っちゃって、いいのかな~」

 麒龍が不気味な笑みを浮かべる。

 仁久丸は何を企んでいるのだろうかと、ややぞっとした。

 彼女は華に視線を送り、合図する。

 華は電気ポッドを手に取って、寝ている兄の太腿の上に座った。

 まさか熱湯を掛ける気か!?

「熱いぞ~」

 ふっふっふ

 と華は笑う。

 だが彼女は、なるべく彼の身体からは遠ざけるように、それを絨毯の上に置いた。

 仁久丸が不思議に思っていると、今度は麒龍が仁久丸の腹の上に腰を下ろした。

 ううっ……

 さすがに二人も乗るとちょっと重い。

 そしてやや苦しい……。

 彼女達は両手を握ったり閉じたりしながら、ふっふっふと薄気味の悪い笑い声を上げた後、仁久丸を全力でくすぐり始めた。

「俺のプライバシーが、ああはっはっは! やめろ。くすぐったい!」

 麒龍が両脇、華が足の裏をくすぐる。

 仁久丸が体を揺らす度に、彼女達の身体が少し揺れる。麒龍のお尻の柔らかい感触がちょっと気持ち良い。

 だがそれよりも、とてもくすぐったくて、息をするのが大変だった。

「うひー!」

「さあ吐け!」

 麒龍が楽しそうに言った。

「やだ。絶対言わない!」

 仁久丸も意地を張り続ける。

 彼女達に乗られている状態からなんとか脱出しようと試みるが、くすぐられて力が入らなくて、なかなか抜け出せない。

 二人も逃げられないようにと、必死に押さえつけてきた。

「死ぬ! やめてくれ!」

「死んじゃったら、そのままお気に入りのキャラにも会えなくなるわよ。いいの?」

 麒龍達は、やや手を緩める。

「う~ん……良くない」

「じゃあ、いいなさい」

 麒龍は緩めた手を元に戻す。

 うわははははは!

 緩急つけた攻撃に、仁久丸はついに音を上げた。

「わかった。言う言う」

 仁久丸が深呼吸して呼吸を整える。

「パスコードは?」

 仁久丸は黙っている。

「いくつなの?」

 呼吸がようやく落ち着いてきたところで、彼は答えた。

「うそ」

「――え?」

「誰が言うか、バーカ」

「この~」

 騙された麒龍達が、より一層激しく手を動かす。

 ぎゃはははは!

 再び仁久丸は、大笑いしながら激しく身を捩った。

 ビンタの連発や金蹴りなどと違って痛くは無いが、これはこれできつい。

 笑い死にしそうだ。

 だが彼も、最後の砦を渡すわけにはいかなかった。

 七~八分程見悶えながら、必死の抵抗を続けると、ついに彼女達は疲れて諦めた。

「飽きた」

 と、華が兄から手を放し、冷蔵庫を開けて冷たい飲み物を飲んだ。

「そうね……、さすがにスマホはやめといてあげましょう」

 麒龍も彼女に追随して、お茶を一杯貰う。

 二人はソファに座ってテレビを見ながら、くつろぎ始めた。

 汗だくの仁久丸は、絨毯の上に横たわったまま、熱い息をぜえぜえ吐きながら

 散々、人で遊んでおいて……

 でも、なんとか助かった――

 と思ったのだった。


「俊直~、野球やろうよ!」

 仁久丸が、大きな石を十個ほど渡って川の反対側に行こうとしている途中、ちょうど半分ほど進んだところで、麒龍が大声で彼を呼んだ。

 大小様々な石が転がっている河原の上で、大きく麒龍が手を振っていた。麦わら帽子を被り、南国の海がプリントされた白いTシャツを着て、デニムのミニスカートから長くて綺麗な足を出している。

 爽やかな格好だ。

 彼女の足元には、大きなビニール袋が置かれている。

「お兄ちゃ~ん!」

 また彼女から十メートルぐらい離れたところにある大きな岩の上に華が乗って、バット代わりに木の枝を構えている。

 野球帽を被って、黒いTシャツに、地味な紺の長ズボンを履いていて、ちょっと男の子みたいな恰好をしていた。

 背後は川が流れているが、そんなに深くは無い。大人の膝の半分ぐらいまでの高さだ。 よく晴れた休みの日、仁久丸達は家族で山にBBQに来ていた。

 麒龍も誘われて、彼の父の運転する車に便乗し、両親の前では愛想を振りまいていた。 朝早く出たので、昼前にはキャンプ場に着いてのんびりしていたが、元気な華が川に遊びに行きたいというので麒龍がそれに付き合った。

 仁久丸も心配だからついていけという両親に言われて、スマホで連絡を取りながら渋々後から追いかけた。

 華がガンガン先に行ってしまったようで、キャンプ場からだいぶ離れたところまで進んでしまい、あたりに人はいなかった。

「お兄ちゃん、バッターやる?」

 なんでこんなところで野球なんだ? 

 と思いながら彼は答えた。

「俺、全然打てないよ」

「打てなくていいのよ。でもボールこれね」

 麒龍が足元の袋の中から何かを取って掲げる。

 彼女が握っているのは、ガチャポンのカプセルだった。

「なっ――!」

 仁久丸が驚いて目を丸くする。

「何のガチャポンだ!?」

 麒龍がカプセルを開いて中を確認する。

「ロイゼンメーデン、巻きますか? 巻きませんか? だって」

 彼女は小さな紙きれをカプセルに戻して地面に置き、フィギュアを掴んでゆっくりと投げる真似をする。

 作品名はわかったが、具体的に何のキャラクターなのか、仁久丸の目が悪いこともあり、彼のいる場所からはよくわからなかった。

「さあ、来い!」

 華がバットを構えて挑発をする。

「かっとばせー(音符) 華ちゃん!」

 ピッチャーの麒龍が、なぜかバッターの応援をした後、彼女は自分で実況を始めた。

「さあ鬼池選手、注目の第一球、えいっ!」

 麒龍が、華が打ちやすいように、下投げでゆっくりと投げた。

「あー! やめろ! 馬鹿!」

 仁久丸が絶叫する。

 だが、華は盛大に空振りして、フィギュアはポチャンと川に落ちた。

「ワンストラーイク!」

 麒龍が楽しそうに笑顔で言った。

「くっそー! 次は当ててやる!」

 華も再び構える。

「そこらへんの木の棒なんかで、打ち返せるわけねーだろ!!」

 仁久丸は文句を叫びながら、急いで足を動かす。

 だが表面が濡れている石もあるので危なかった。

「早く来ないと可愛いフィギュア、全部川に落ちちゃうわよ」

「そんなことしたら川にゴミ捨てることになるだろ!? 環境破壊は良くないぞ!!」

 文句を言ったところで、彼女達がやめるとは、到底思えない。

 どうせ華とかが「お兄ちゃんのためを思って、心を鬼にして、本当はやりたくないんだけど、仕方なくやっている」とか、言うに決まってる!

 ふざけんな!

 仁久丸が憤慨していると、麒龍から返ってきたのは予想外の言葉だった。

「あんた自分の好きなもの、ゴミっていうのー?」

「う――」

 その質問にやや動揺したのか、

「うわっ!?」

 仁久丸はバランスを崩して足を滑らせる。

 バシャン!

 冷たい川の中に、お尻から落ちて腰まで浸かり、水飛沫が腕や顔に掛かる。 

 仁久丸は、ゆっくりと起き上がり、石の上に乗った。

 痛くは無かったが――、

 あ~あ、トランクスまでびちょびちょだ……。

 華が爆笑していた。

 麒龍は一応心配しているのか、『大丈夫―?』と叫んでいる。

 あっ

 スマホは!?

 仁久丸は、それをズボンのポケットに入れていたことを思い出して、慌ててチェックする。

 最初はボタンを押すと動いていたが、徐々に反応が鈍くなり、ついには画面の表示が消えて、電源を何回押しても画面がつかなくなった。

 せっかく、うまい肉が食えると思って遊びに来たのに―― 

 こいつらといると、本当に踏んだり蹴ったりだな。

 もうやだ……

 と思った仁久丸だった。


 紙コップに入れたジュースを持ちながら制服姿の仁久丸は、漫画喫茶の薄暗い店内を歩いていた。

 途中、腹が減ったので、ふらっと立ち寄ったコンビニで、『おねがいよ・ティ―チャー』の一番くじをやっていた。

 大好きな作品だったので、一回だけやったのだが……

 なんと、一等の抱き枕が当たった!

 どうしよう

 嬉しいけど困ったな――

 まさかこんな大物が当たるとは……

 クリアファイルやキーホルダー程度で良かったのに、こういうときに限って、良いの当たるんだよな―― 

 ちょっと残念なのは、眼鏡を掛けた色っぽい女教師が一番好きなキャラなのだが、手に入れたのは地味な幼馴染だった。

 通常ならもちろん家に置いておくのだが、そのまま持って帰ってもどうせ麒龍達の餌食になるだけだし、キャラクターというかグッズが可哀そうだ。

 今から速攻で秋葉原に売りに行くか?

 でもアキバの店は閉まるのが早い。みんなさっさと帰って戦利品を堪能するからなのだろう。夜の七時には閉まってしまう。

 あと約三時間。

 移動時間を含めるともっと少ない。

 ぐずぐずしていられなかった。

 それとも粕谷に安い値段で売るか?

 最悪もう、あげてしまってもいいかもしれない。色々、迷惑もかけたから。

 でも、その前に――

 うへへ

 これからたっぷり堪能してやるぜ!

 仁久丸が上機嫌で席に戻ると、制服姿の二人の女子がフラットシートの上に並んで座っていた。

「はーい、俊直(ハート)」

「なーー」

 仁久丸は紙コップを持ったまま、その場に固まった。

 なんで麒龍と華がこんなところにいるんだ!?

 まさか尾行されていたのか!?

 でも……、一体いつから?

 下校時はもちろん、コンビニ出るときも確認した。漫画喫茶入る時も、注意していたのに――

 くっそぉ……

 全く気付かなかった。

 彼は、奈落の底に突き落とされたような気分だった。

 最悪だ……

「セーブデータ消しといたから」

「そんな殺生な!」

 華がゲーム機のコントローラーを持って、勝ち誇った顔をしていた。

 モニターの青い画面を見ると、オンラインストレージに残っていたプレイしていたゲームのアイコンは、十個以上あるはずが何も残っていなかった。

 空っぽだった。

 バックアップも取っていない。

 この前ノートPCが華の物になったときに、USBメモリに残しておいた古いセーブデータも消されてしまった。

 どうせ新しいUSBメモリを買ってバックアップを取っても、また見つかって壊されるだけだし、そんなものを持ち歩いていたら漫画喫茶で隠れてプレイしていることがバレてしまうと思い、特に何も対策をしなかった。

 完全に油断した。 

 これだけは、大丈夫だと思っていたのに――

 また楽しみが一つ、こいつらに奪われた……。

 仁久丸は肩を落として、大きくため息をついた。

 ほどなくして彼は、はっ――と、あることに気付いて妹に尋ねる。

「お前そういえば、部活は!?」

「家の手伝いがあると言って、今日はずる休みしてきた。お兄ちゃんの更生のためなら、仕方ないでしょう」

「家の手伝いなんかしないだろ!」

 仁久丸が妹に向かって文句を言うと、華はあっかんべーっと舌を出した。

 この野郎……

 生意気な妹に対して、仁久丸が怒りを募らせる。

 二人が睨み合っていると

「なんでこんな物持ってるの?」

 麒龍が両手で抱き枕を掴みながら微笑んだ。

「また買ったの?」

「学校帰りにコンビニで、つい魔がさしてやっちまった……」

 仁久丸は正直に白状する。

「どっかまた秘密の場所に、隠しておく気だったんじゃないの?」

「無い、無い。誓ってない」

 仁久丸はシートの上に正座させられて、経緯を十分ほど必死に説明した。だが、くじの景品のことを一般人の二人にはなかなか信じてもらえず、本当にコンビニでやっているのか確かめに行くということで、麒龍達に促されとりあえず店を出ることにした。

 仁久丸が清算を済ませて、大きな抱き枕を小さなビニール袋に入れて、やや暑い店の外に出ると麒龍と華が待っていた。

 遅いと不機嫌そうに彼女達が目で訴えている。

 漫画喫茶は、商店街の外れの方にあった。

 周囲はガードレールも無い一車線ずつの狭い道だが、自動車と自転車と人が結構行き来していた。

 漫画喫茶の隣にある、五階建てのビルの中に入ったパチンコ屋は、鉄パイプで足場が組まれて梯子が架けられていた。 

 営業はしていて店内は賑わっているようで、たくさんの自転車が建物の前に並べられていた。

 麒龍を先頭に仁久丸、華の順で歩き始める。

 三人がパチンコ屋を通り過ぎようとしたところで――

 大きな自動車のブレーキ音があたりに響いた。

 なんだ?

 と思って、仁久丸達が足を止めて振り向くと、一台の軽ワゴンが対向車線を大きくはみ出して、自転車を薙ぎ倒しながら店に突っ込んだ。

 派手な衝撃音と共に車は止まったが、彼らの目の前で、

 ダダダダダ!

 と自転車がドミノ倒しのように倒れる。

 十台以上巻き込んで、ようやく華の足にぶつかって止まった。

「痛った~」

 華が顔を顰めながら、ややしゃがんでひざ下を押さえる。

 避けようとしたが、さすがに間に合わなかったようだ。

「大丈夫か、華?」

「うん……、少し痛いけど平気」

 仁久丸が妹を気遣うと、彼女は両手で脛をさすりながら笑顔で答えた。

 自転車が、ちょうど足の骨に当たったのだろう。ぶつかったところが少々赤くなっているが、出血とかも無い。

 良かった――

 仁久丸が安堵していると

「危ない!」

 麒龍が背後で叫んだ。

 足場の上の方でガン! と、何かがぶつかる大きな音がした。

 仁久丸が彼女の声と物音に反応して、素早く確認する。 

 彼が見上げると、長椅子ぐらいのベニヤ板が、三階から二階へと落ちてくる途中だった。

 まずい――

 と仁久丸は思った。

 彼は妹を守るように、咄嗟に抱き枕を盾にして、自分の頭上に持ち上げた。

 手や腕に鈍い衝撃が伝わり、ベニヤ板は勢いを削がれ、ゆっくり彼の脇に落ちた。

「わっ!?」

 華はびっくりしていたが、幸い彼女には当たらなかった。

 ふー

 っと仁久丸は一息ついた。

 なんとか間に合った……

「俊直! 大丈夫!?」

 麒龍が後ろで心配しているようだ。

「大丈夫ですか!?」

 声を掛けたのは、足場の二階部分にいた、ヘルメットを被った三十代半ばぐらいの男性作業員だった。

 心配した様子で一階へと降りてくる。

「はい、大丈夫です」

 仁久丸は、少々大きな声を出して答えた。

 彼はやや冷静になり、念のためざわついた周囲を見回した。

 もう危険は無さそうだ。

 なんでこんなところに車が突っ込んでくるんだ?

 と思っていたが、道路の反対側にのんきに座っている猫がいた。

 事故のことなんか知らないというように、大きなあくびをした後、チョロチョロっと歩いて住宅と住宅の隙間に消えていった。

 周りの人達の状況から察するに、どうやらあれが原因のようだ。

 そこで仁久丸はあることに気付き、飛び上がらんばかりに驚いた。

 しまった!

 緊急事態とはいえ、大事な嫁の一人を盾にしてしまった!?

 彼は急いで抱き枕をビニール袋から出すと、穴が開いていないか、破れていないかなどを丁寧に調べ始めた。

「ごめんね、小雪ちゃん! 無事かい? 僕を守ってくれたんだね。ありがとう」

 抱き枕に描かれている女子高生のキャラクターに、真剣に話し掛ける。

 うわー

 という感じの麒龍と華。

 二人揃ってドン引きしていた。

「せっかく、さっきはちょっと格好いいかもって思ったけど……、恥ずかしいからやめて……」

 麒龍は頭を抱える。

「大丈夫? お兄ちゃん……と思ったけど」

「ダメみたいね」

 二人は頷いた。

「もっと徹底的に脱オタさせないと――」

「でも一応お礼言っとこうかな……、ありがとう」

 華が兄に向って小声で感謝の言葉を述べたが、仁久丸は抱き枕の方に夢中で聞いてはいなかった。

 その後、救急車と警察が来て、運転手の人はぴんぴんしていたが、念のため病院に運ばれたのだった。


 アニメのDVD、ポスターとテレカ、フィギュアや下敷き、設定資料集に抱き枕……

 仁久丸が自分の部屋に入ると、彼のベッドの上に今まで麒龍達に取り上げられたグッズが、ずらりと並べられていた。

 すげぇ! 宝の山だ!!

 仁久丸は興奮を抑えながら、麒龍達を見た。

 二人共、笑顔だ。

「18禁ゲームやエッチな本は無いわ。あとは今日一日だけ、好きにして良し!」

 麒龍が言った。

 休日の早朝、『家宅捜索する!』と叩き起こされ、部屋が立ち入り禁止にされて追い出された。

 軽く朝飯を食べて、居間のソファで二度寝した後、午前十時頃彼女達に呼び出されて部屋に戻ってみたら、夢みたいな光景が目の前に広がっていた。

 『妹を事故から守ったご褒美』だそうだ。

「そのまま全部返してくれ」と言ったが、冷たく厳しい声で即座に却下された。

 仁久丸は、フィギュアを頬にスリスリしたり、ポスターや下敷きのイラストを目に焼き付けたりと、久々に対面したグッズ達を堪能していた。

 ノートPCも一時的に華から返却され、現在は彼の手元にある。

 他にも大きなダンボールが二箱、部屋に運び込まれていた。

 エロゲーなどが無いことを除けば、まさに至れり尽くせりと言うべきか。

 とても一日では、味わいきれない程の贅沢だ!

 麒龍と華は交代で監視するようで、扉を開けた彼の部屋の前の廊下に、華のところから持ってきたキャスター付きの椅子を置いて深々と腰を下ろし、雑誌を読んだり、スマホをいじったりしながら時間を潰していた。

 やがて彼女達は順番に、お昼を食べに部屋の外に出て行った。

 仁久丸は少しでも長くグッズ達の側にいたかったので、カップラーメンで手っ取り早く済ませることにした。

 午後一時頃、彼は自分の勉強机の椅子に座り、ノートPCの電源をつけてアニメのDVDを鑑賞しながら食べた。

 一本観終わって、次のディスクに変えようと席を立ったところ、今まで集中していたので気づかなかったが、麒龍が彼のベッドの上でヘッドホンを装着しながら音楽を聴いている。

 リズムに乗りながらふんふんと小刻みに体を揺らし、パンツが見えないよう短めのスカートで太腿を隠して、足を崩して座っていた。

 扉は開いていて、何かあったら華がすぐ駆けつけてくる状態だ。

 仁久丸は、麒龍に気付かれないよう、しばらくじっと彼女のことを見ていた。

 特に気にしていなかったので分からなかったが、ひょっとして今日はいつもより機嫌がいいんじゃないか? 

 仁久丸は、なんとなくそう思った。

「なあ麒龍……」

「ん?」 

 一か八かで、デートにでも誘ってみようか――

 なあに? と麒龍が可愛く首を傾げる。

 言おうかどうしようか激しく迷ったが、彼は意を決して誘ってみることにした。

「今度池袋一緒に行こうぜ」

「はあ?」

 麒龍が呆けたような表情をしている。

「執事喫茶とかどうだ? お帰りなさいませ、お嬢様――って、きっとちやほやされるぞ」

「行く訳ないでしょ」

 あっさり断られ、仁久丸はガックリと肩を落とした。

「じゃあ一緒にアニメみようぜ」

「はあ?」

 麒龍は目を丸くして、再び口を大きく開けている。

「いやいや……、萌え系アニメ以外にも良いアニメたくさんあるんだよ」

 仁久丸は、DVDのパッケージを彼女に見せながら説明を始める。

「宇宙のゴミ、例えば廃棄された人工衛星を回収する危険な仕事、スペースデブリの問題を描いた作品とか。これはNHR(日本放送連合)で放映されたんだぜ」

 無表情かつ無反応の幼馴染に、一体どう対応したらいいのか?

 さらにもう少し詳しく解説しようとしたが、麒龍がいまいち良い反応を示さないので、仁久丸は焦って別の作品を薦めることにした。    

「ああ、やっぱり少女漫画が原作で、格好良い男とかがたくさんでてくる方がいいかな……」

 少女漫画と言っても何が良いだろう?

 仁久丸が知っていて、アニメ化しているのは主に三つ。

 まず頭の中に浮かんだのは、十二支と猫の物の怪憑きの少年少女達の話であるベジタブル・バスケット。ヒロインが純真無垢で可愛い。声優も堀江奈々だし。

 次に、ジャンヌダルクの生まれ変わりの少女が怪盗となり、神の娘として美術品に憑依した悪魔を回収し、失われつつある神の力を取り戻すという神様怪盗ジャンヌ。

 最後にカードキャプターあさくらは、魔法少女もので主人公は小学生の女の子だ。

 いずれも恋愛要素が大きく入ってくる。

 さて、どこから攻めるか?

 最初が肝心だ……。

 本当はうたうプリンス様とかがいいんだろうけど、見たことが無い。

 オタとして自分が見たことが無いのに、無責任に他人に薦めることはできなかった。

 あとは少女漫画じゃないけど、ガソダムWやガソダムSWORDも女性から人気がある。

 いきなりロボット物で大丈夫か?

 仁久丸は頭をフル回転させる。

 一体彼女には何が合っていそうか…… 

 そこで彼は閃いた。 

「そうだ! 麒龍、歌好きだよな?」

「ええ、まあ……」

 麒龍がやや戸惑いがちに返事をする。

「マックロッスFとかどうだ? 良い曲たくさんあるぞ。異星人との戦闘を歌で終わらせるんだ。あとは人気のある女歌手と、新星アイドルの少女と、主人公の戦闘機パイロットとの三角関係。面白いぞ」

「ふーん……」

 恋愛の部分に食いついたのか、ようやく少し興味を示してくれたようだ。

 彼はダンボールの中を急いで探す。

 DVDシリーズは資金が無くて買えなかったが、粕谷から貰ったデータがあるはずだ。 自宅で録画したDVD―RWもあったのだが、容量の確認を怠り話の途中で切れてしまった。仕方なくそちらは全部消して、チンカスが圧縮して全話保存してあるというので、放送終了後ちょうどいいのでそれを貰った。

 エロゲーと間違われて割られていなければ、あるはずだ。

 ガサゴソと音をたてながら、彼は両手をダンボールの奥の方まで入れて確認する。

 あったこれだ!

 仁久丸は、表にマックロッスFと黒マジックで書いてあるDVDケースを見つけて中を開いた。

「とりあえず流すから、もし気になったら少し見てみてよ」

 仁久丸は返事を待たず、ノートPCのマルチドライブに、ディスクをセットし、ファイルを開いて再生した。

 麒龍は口には出さなかったものの、気が向いたらねというか、そこまで言うのならしょうがないわね……というような態度だった。

 映画が始まるように、黒いスクリーンがだんだん明るくなっていく。

 あっあ~~ん(ハート)

 いきなり女性のエッチな音声がパソコンから響いてきた。  

 ピンク髪の大人の色気のある女歌手が、ぬちゃぬちゃという音と共に、ちょうどドロドロの粘液の触手まみれになっていて、喘ぎ声を出していた。

 しまった!

 なんだこれは!?

 彼は顔面蒼白になった。

 仁久丸は慌てて、ノートPCの蓋を両手で閉じる。

 彼はそれを背中に隠すようにして、ゆっくりと何事も無かったかのように、麒龍の方を振り向いた。

 あはははは……

 仁久丸は苦笑いをした。

 彼の思考は完全に停止して机の前で棒立ちになったいた。

 麒龍への説明に夢中で、ちゃんと中身を確認していなかった!

 ヤバイ!

 非常にヤバイ!!

 ヤバイけど、この場を取り繕う良い方法が、もう何も思いつかない!

 麒龍は足をすっと伸ばして、べッドから綺麗な動作で立ち上がり、机に近づくと彼を手でどかして、ノートPCの蓋を開けた。

 先程の画面が現れた。再びスクリーンから大きな喘ぎ声が流れる。

 女歌手の衣装が溶けていき、身体は熱く火照り、頬を紅潮させていた。

 一糸纏わぬあられもない姿で絶頂に達する。

 そしてタイトルが浮かび上がった。

 『マックロッスF』

 続けて、UCKという文字が後から浮かび上がる。 

 『マックロッスFUCK』

 Fは元々フロンティアという意味なのだが……

 良くできた同人のエロアニメだった。

 素人の作った割には完成度が高く、キャラクターの絵も本物そっくりで、とても可愛い。

 これは粕谷から借りたものだ。借りたというか、良いものだから見てみろと言われて半ば押し付けられた。

 すっかり忘れていた……。

 仁久丸は、今にも叫び出したい衝動に駆られた。

 本当にファック! だよ!!

 お前がな!!!

 どうしてくれるんだよ、この状況――

 なにがマックロッスFUCKだよ

 上手いタイトルつけやがって!

 紛らわしいんだよ! このやろう!!

 仁久丸は思わず笑い出してしまった。

「なに、ニヤニヤしてるの! この……、どうしようもないエロオタク! 変態!!」

 麒龍が、いつになく激しい口調で罵った。

「最低!」

 彼女はボタンを押して、ディスクを取り出す。

「あ、それ粕谷の……」

 仁久丸は無駄だろうと思ったが、一応言ってみた。

「問答無用! 二人まとめて地獄に送ってやる!」

 鬼と化した麒龍の目は、怒りに燃えていた。

 バキッ! とディスクを素手で真っ二つに割る。

「華ちゃん!」

 大声で手下を呼んだ。

 何事か!? と隣の部屋で待機していた華が駆け付ける。

「姫様! いかがいたしましたか!?」

 彼女もノートPCに映っているものを見つけて事情を察したのか、顔を赤くして目を逸らした後、すぐさま麒龍と共に兄を捕まえた。

 彼女達は仁久丸を床に倒して馬乗りになり、手足を縄でぐるぐる巻きに縛っていく。

 さらにタオルで猿轡を噛ませ、モゴモゴ喋る兄に向って華は言った。

「そこの下手人、大人しくお縄につけぇい!」

 仁久丸はなんとか謝罪の言葉を口にしようとしたが、それすらも許されなかった。

「観念しなさい!」

 麒龍がぴしゃりと言って従わせる。有無を言わせない、鞭のように鋭い一言だった。

 将来、人気ナンバー1のSMの女王様とかになるんじゃないか?

 彼は諦めて力を抜き、大人しく絨毯の上に身体を横たえた。

 麒龍が興味を示さなくても良いから、他の作品にしとけばよかったああああああああ

 仁久丸は内心、物凄く後悔した。

 捕縛完了後、

「引っ立てぇい!!」

 麒龍が華に付き合って、時代劇のノリで叫ぶ。

 仁久丸は二人によって部屋の外へひきずり出され、上半身を起こすよう命じられ、廊下で縛られたまま正座させられた。

 もちろんご褒美に出されていたグッズ達もすぐ片づけられ、幼馴染と妹から厳しい説教となったのだった。


 うっかり麒龍にエロアニメを見せてしまった罪は重く、この間買い替えたばかりの新品のスマホは解約させられ、代わりにキッズケータイを持たされることになってしまった。 

 LINEは使えるものの、ゲームアプリやYoTubeやネコネコ動画などのアプリは、もちろんダウンロード禁止。

 ネットもアクセス制限がかけられ、アニメやドラマなどが違法アップロードされた海外の動画サイトまで、閲覧禁止に設定されてしまった。

 さらにキッズケータイには、イマドコダサーチという機能があり、それを使われると麒龍達に自分の居場所がGPSでわかってしまう。

 秋葉原に行きづらい。

 なんとかウインドウショッピングやゲーセンで、一人でこっそり遊ぶぐらいならできるだろうが、粕谷と長時間のアニソンカラオケはできないだろう。

 漫画喫茶でくつろごうにも、すぐバレてしまう。

 常に監視されている状態だ。

 動きをほぼ完全に封じられた。

 逃げ場が無い。

 ここまでやらなくてもいいじゃないか……。

 スマホの購入代金も、「どこにそんなに金があるんだ?」と後から麒龍に聞いたら、「あんたのグッズ売って、お金に換えている」と言われ、すごい衝撃を受けた。

 彼女のお年玉とか使ってるのかと、心配して聞いたのに……。

「抵抗すればするほど、あんたのグッズ減るわよ」と彼女が圧力をかけてきたので、「鬼! 悪魔!」とつい口走ってしまったのだが、ぎろりと睨まれた後、「なんとでも言いなさい」と言われてしまい、もう諦めるしかないと思った仁久丸だった。


 最終章 飴と鞭


 麒龍にグッズを奪われて二か月ほどが過ぎた。

 回数は足りていないものの華の監視の元、毎日筋トレは続いてはいる。

 だが三か月経っても、返してくれるという保証はどこにもない。

 告白した春から、五キロほど体重は落ちたが、筋トレの効果というよりは、精神的なもののような気が――

『まだまだ足りない! 十キロ落とせ!!』

 とか言われて、前回延びたみたいに、今度は半年後とか言わないか???

 そのうち、俺のオタクグッズとか、全部無くなっちまうかもな――

 本当に。

 だいたい四~五日に一個のペースで、お宝グッズが犠牲になっている。残り一週間。あと一~二個は覚悟しなければならないか。今まで色々なものがやつらの餌食となった。

 エロゲーは十八歳未満なのでまあ仕方が無いとしても、ポスター、Tシャツ、プラモデル、フィギュア。

 次はなんだ?

 これ以上の犠牲は避けたいところだ。

 麒龍達は、華の友達の家の犬を見に行くとかで今はいない。

 仁久丸はやや穏やかな気持ちで自室のベッドに寝そべりながら、親のタブレットにこっそりアプリを入れて無料の漫画を読んでいた。

 束の間の休息といったところか。それとも嵐の前の静けさか―― 

 するとキッズスマホに着信があった。

 華からで、会話アプリのビデオ通話のようだ。

 珍しい。

 何の用だろうと思って出てみると、大きなトレーの上に魔法少女リリカルうららのファイトちゃんの抱き枕カバーが載せられていた。

「ああ、お兄ちゃん繋がった? 間にあった。良かった~」

 そこに柴犬がやってきて、トレーの上に乗っかった。

「ワンちゃんのトイレで~す」

「やめろーーーーーー!」

 この後、何が起こるか悟った仁久丸が絶叫する。

「その抱き枕カバーは、イベントで徹夜して並んでようやくゲットしたんだ。始発で行っても売切れてて、買えないぐらい長蛇の列で、買いたくても買えないやつが大勢いるんだぞ! 一万円、いや秋葉原で一万五千円する。ペットのトイレのシーツなんて、そんなもったいない使い方ダメ! 絶対!」

 必死に説明するが届いていないようだ。

 犬がトレーの上から外に出ると、ファイトちゃんの上にでっかい糞が並んでいた。

 愛くるしい顔で、ハッハッハッハッと息をしている。

「このバカ犬!」

 ワン!!

 文句を言うように犬が吠えた。

 麒龍がよしよしと頭を撫で、ご褒美の餌をあげている。

「華ちゃん、シーツ取り替えて捨てちゃって」

「はーい」

「ま、待て!!」

 仁久丸が止めに入った。犬にうんこをひっかけられはしたが、愛する嫁がごみとして捨てられ燃やされるなど、断じてあってはならない。

 これ以上一人も犠牲を出さない。愛情があれば、どうとでもなる……はずだ。

「まさか――」

 彼は怒りを抑えて静かに息をのみ込んだ後、欧米の政治家が演説するように拳を振り上げ、大げさなパフォーマンスで、意を決したように高らかに宣言した。

「ファイトちゃんは俺の嫁! たとえ彼女が糞まみれだろうとも、糞と共にもらい受ける!」

 麒龍達が面食らっていた。華が気持ち悪い……と、嫌悪の表情を露わにする。

「わかった。愛があるのなら抱き枕カバー取りに来い。そして、それ抱いて寝ろ!」

 麒龍はそう叫んで、ビデオ通話を打ち切ったのだった


 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 ここまでコケにされて黙っていられるか!

 ファイトちゃんに糞をひっかけるなど、もう我慢できん。許さん!

 怒ったぞ!

 抱き枕カバーに着いた匂いは、洗っても洗ってもなかなか取れなかった

 見た目きれいにはなったものの、やはり抱いて寝るには抵抗がある。

 彼の心は怒りと復讐に燃えていた。

 学校の授業中もノートもろくに取らないで、一日中そのことばかり考えていた。

 俺が何をした!?

 何を信じるか、憲法で保障されているはずだ! 確か授業で習った信教の自由ってやつだ。

 電車男が放映された頃から秋葉原は観光化され、オタクに対する偏見も減ったはず。

 それなのにあいつらと来たら――

 彼女達の蛮行を止めるにはどうしたらいいか。

 確かに可愛い女の子には目が無いし、エロシーンがあれば興奮する。

 でもそれだけじゃないんだ。泣けるストーリー、感動する場面、キャラクター同士の友情、格好良いメカデザインなどなど、アニメやゲームの作品にはいろんなものが詰まっている。

 これらの作品がどんなに素晴らしいか語ればいいのか――。ガソダムWやマックロッスFみたいに女性にも人気の作品なら、なんとか理解してくれるんじゃないだろうか。

 いや、あいつらがそんなものに耳を貸すはずがない。

 青き清浄なる世界を目論むナチュラルどもめ!

 やつらに対抗するためにはどうしたらいいか?

 もはや武力による紛争根絶しかない。

 ガソダムによる武力介入とまではいかないが、一回ぎゃふんと言わせて懲らしめてやる!

 悪即斬!

 ではまず何をすればいいのか?

 麒龍や華の部屋を盗聴か。そうすれば二人が何か企てていても、事前に阻止できるかもしれない。

 お宝グッズを救い出すことができるかもしれない。

 しかし写真という弱みを握られている以上、どうしてもいいなりになるしかない。

 ならばこちらもあいつの恥ずかしい写真でも撮って、対抗するのが一番いいだろう。

 入浴シーンや着替えている下着姿の写真などがあればBESTだが、そんな美味しい場面は撮影するのが難しい。ウチにはよく遊びに来るが、彼女が帰国してから麒龍の家にはまだお邪魔したことが無い。忍び込むのは困難だ。

 自分の家のトイレに設置しておくか――

 親父が糞してるシーンまで映ってしまいそうだな……。

 外でのパンチラを狙うか?

 通学路には坂とかがないのでよほど風が強い日ではないと厳しいし、学校の階段や女子更衣室などは他の女子生徒に見つかるかもしれないのでリスクが高い。

 だが麒龍の家に行く機会が無い以上、このどちらかが良さそうだ。

 そしてあいつの恥ずかしい写真を撮影し、お互いの持っている写真を交換すればいい。 決まった。

 秋葉原に高性能小型カメラを買いに行こう。

 もうすぐ学期末試験になってしまうから、それが終わったらだな!


 三時間目の美術の授業が終わって、絵具などの道具の片付けが遅くなった仁久丸は、自分のクラスに戻ろうと急いで美術室を出た。室内にはもう他のクラスの生徒達が続々と入ってきており、次の授業まであと僅かしかない。

 新館にある特別教室での授業は、教室などは綺麗なのはいいんだが、普段過ごしている本館までやや遠く、移動が面倒なのが難点だ。

 それでも昼飯前の体育よりはマシか――。着替えたりしているうちに昼休みの時間はどんどん削られ、遊ぶ時間も無くなるし、購買で食べ物を買いたくても出遅れる。あれは本当にやめてほしい。

 仁久丸がアクリル絵の具の道具を持ちながら廊下を速足で歩いていると、突き当りにある階段の方から、『きゃあ』という女子の悲鳴が聞こえた。

 なんか聞き覚えがある声のような――と思って階段を下りていくと、踊り場の方で小さな人だかりができていた。

『押された』、『逃げていく男子生徒の人影を見た』、『いや、誰かが飲み物をこぼしたままにしていて、それで床が濡れていたから足を滑らせたんだろう』など、野次馬が噂していた。

 彼が階段の途中で立ち止まり見下ろすと、金髪の女子生徒が座り込んで足を抑えていて、その周りを他の女子達が取り囲んでいる。足を挫いてしかめっ面をしているのは麒龍だ。

 大方告白してきた男を手ひどく振って、恨みでも買ったんじゃないか。やれやれ。

 ざまあみろ。自業自得だ。モテるからって調子に乗るな! 

 知らないふりして通り過ぎようかと思ったが、彼の身体は太っていて目立つ。黙って通り過ぎれば、後で酷いやつと女子達に噂を立てられかねない。

 ただでさえ麒龍相手に手を焼いている・悩まされているというのに、このうえ学校の女子にまで嫌われたら、もう居場所は家にも学校にもどこにもない。

 だが今更引き返して別の道を行くのもめんどくさい。

 どうしようかな――このままだと遅れるし

 一応、助けに行ってみるか。

 助けを求められれば手を貸すし、先生が途中でやってきて特に手助けがいらなさそうだったらそのまま行く。

 うん、決めた。我ながらいいアイデアだ。

 彼は頷くと

「強気に本気、素敵に無敵、元気に勇気! 仁久丸俊直、神に遣わされただ今参上!!

 今宵もまやかしの美しさ、いただきます」

 少女漫画の決め台詞を大げさに口に出しながら、階段を下りて行った。

 その場に居合わせた連中が彼に気付いて『あ、仁久丸』とか『仁久丸君』とか声をあげる。

 彼は麒龍の横に腰を下ろし背を向けた。

「ほら乗っかれ」

 え? と彼女は戸惑った表情を浮かべる。

「お姫様抱っこの方がいいのか? めんどうなやつだな~」

 仁久丸が抱きかかえようとするが、さすがに恥ずかしかったようで、いい、いいと慌てて首を横に振って断り、しょうがないわね……などと呟きながら背中に乗っかってきた。

 彼女の胸が背中に当たる。以前のツイスターゲームの時ほど柔らかくないが、それでも良い感触だ。今度は制服とブラジャーに包まれているので当然だが……。

 麒龍が腕を仁久丸の首に回し、しがみつく。

 シャンプーの良い香りがふわっと漂ってきた。

 彼は彼女が負傷した部分を避けて、足をしっかりと持ち立ち上がった。それにしても軽い。

 おーと周りから謎の歓声が上がる。

 拒否されていたら置いて行こうかと思っていたのだが、こうなってしまった以上、もう保健室まで送るしかない。さらに堂々と次の授業に遅刻できるだろう。

 荷物を頼むと女子達に言い、そのうちの一人――、黒髪ショートヘアの家庭的で大人しそうな子が控えめに「うん、わかった」と頷く。

 そうして仁久丸は歩き出した。階段を下り一階へ。長い廊下を旧校舎へと進む。途中事情を知らない生徒達が好奇の視線を向けてきた。だがチャイムが鳴り、彼らの多くは教室に引っ込んで、だいぶ気にしなくて済むようになった

 麒龍は恥ずかしいのか、デブ男におんぶされているところを誰かに見られたくないのか、ずっと彼の背中に顔を伏せていた。しかしその金髪は嫌でも目立つ。あまり意味がない……。

 保健室まであとちょっと。さっさと降ろしてしまおう。

 麒龍を担いでいて、仁久丸はふと思い出したことがあった。

 そういえば、こいつたまにドジだった――と、小さい頃の記憶が蘇る。

 夏休み、大人達に連れられて海水浴に行ったとき、濡れた岩場で滑って転び、膝小僧擦りむいて、血が出て泣いていた。

 幼稚園の遠足だったか、みんなで山に登ったときも、こけて挫いたのか、少しおぶった記憶がある。確か先生も近くにいなかったときだ。

 すっかり忘れていた。

 普段は遊びでも、ぐいぐい周りを引っ張っていくんだけど、こういうとこだけ妙に女の子らしいというか、しおらしいというか、急に大人しくなるんだよなぁ。

 そんなことを考えているうちに保健室に辿り着き、彼は手でノックする代わりに足で軽く二回ほど蹴ってわざと音をたててから、ゆっくり扉を引いた。

「失礼しまーす」

 薬品の匂いが鼻をかすめる。

 人の気配はなく。誰もいないようだ。

 二つあるベッドはカーテンが敷かれていなくて、窓から入ってくる陽射しに明るく照らされていた。

「デブもたまには役に立つだろ」

 ベッドの一つに麒龍を下ろす。彼女はスカートをちょっとまくって足を気にしていたが、それ以外は問題ないようだ。

 頭を打ったとかではないので、先生が来てちゃんと処置してくれれば、まあ大丈夫だろう。

「先生来るまで寝てろ」

 と言いながら彼は、麒龍から離れていった。

「決め台詞……恥ずかしいからやめなさいよ」

 仁久丸は苦笑した。

 特に礼の言葉は期待していなかったが、まったく最後まで文句の多いやつだ。

 扉を閉めるとき、彼の方を見ながら彼女は小さな声で言った。

「ありがとう」


 麒龍の怪我も大したこと無く、そのまま試験期間に突入。

 テスト前には体重が七キロほど減っていたのだが、試験勉強中の不規則な生活とストレスで、すぐに五キロほどリバウンドしてしまった。

 もっとも、少し痩せていたのは純粋に筋トレの成果だけではなく、心労も多く含まれていると思うのだが――

 ともかく一学期の期末試験が終わった。

 全てのテストをこなして勉強から解放された日の午後、仁久丸は誰もいないリビングのソファでゆったりとくつろいでいた。

 華はまだ学校。母は買い物のようだ。

 本来ならこれから楽しい楽しい夏休みだが、今年の夏は地獄の筋トレ祭りになるかもしれない……。

 だが、それもここまでだ。

 麒龍……

 告白なんか、しなけりゃよかった――

 告白なんかしたばっかりに、俺の嫁達が本当に酷い目に遭った。

 華もだ。

 一緒になって、俺の命の次に大切なグッズを次々と破壊しやがって――

 いっそのこと無かったことにしちまおうか?

 好きだというのは嘘だ!

 お前をからかっただけだ!

 彼はソファの上で腕を組み、真剣な表情でしばらく唸りながら考えていた。

 う~ん……

 それはそれで、何か要求されそうな気がする。

 もしくは、万が一そのことがバレて、クラスや学校の女子に広まれば――

 デブやキモイオタクに加えて、女を嘘の冗談で騙した酷い男と言われかねない。

 女子っていうのは、こっちのオタクグッズを破壊したことなんか考慮しないだろう。そのことは謝りもせずに、自分が傷つけられたことばかり主張するだろうからな。

 また、たとえ麒龍本人が喋らなくても、華が彼女の様子がおかしいのに気付いてやがて理由を聞き出して、彼女の友達など周囲に言いふらす可能性も無くはない。

 麒龍からは避けられ、華からも軽蔑されるかもしれない。

 でも、よく考えると……

 恥ずかしい写真を撮って脅すというのもこれと大差ないような気がするが――

 ……

 だが、もうお前らの好きにはさせない。

 俺は決めたんだ。

 いよいよテスト前に考えた、あの計画を実行に移す時が来た!

 目には目を、歯には歯を。

 向こうもやってるんだから、おあいこだ。

 よし! 今度の週末に買いに行こう。

 彼は拳を握り締め、一人闘志に燃えていた。

 もうこれ以上、俺の嫁たちや貴重なオタクなグッズに犠牲を出すわけにはいかない。

 やらせはせん! やらせはせんぞぉお!!!

 その後、彼は気が狂ったかのように、リビングで大声を出しながら笑っていたのだった。

 ふっふっふ……

 あーはっはっは


 ところが――

 土曜日の放課後。

 秋葉原に小型高性能カメラなどを探しにやってきたものの、仁久丸は買わずに店を出てきてふらふらと秋葉原の街を当てもなく歩き回っていた。

 エアコンが効いて涼しかった店内と比べて、外は陽射しが強い。すぐに汗が出てくる。

 買い物客で賑わう人ごみに紛れながら、彼は迷っていた。

 いくら恨みを持つ女に復讐したいとはいえ、最先端の技術を悪用してはいけないんじゃないか?

 ……

 うん。

 いけないと思う。

 確かに、最新鋭の機械(メカ)は使ってみたい。ワクワクする。

 だが、これだからオタクは――と世間から叩かれるような原因を、自らの手で作ってはならないのだ。オタが地に堕ちる。

 多くの仲間達が世間から後ろ指をさされないように自分の趣味を隠し、世の中に適合しているふりをして、ひっそりとささやかに楽しみながら生きているというのに、事件を起こすような奴は本当迷惑だ。

 そうだ。やっちゃだめだ。

 マリア様がみていらっしゃる。

 仁久丸は、自分に強く言い聞かせた。

 では、今度からどうしたらいいのか――

 あいつらが知らない友達をまた探して、新発売のフィギュアやプラモデルなど頼むか?

 いや、オタクグッズを預かってくれそうなやつなど、もういない。

 それに次にバレたら、今度こそ本当に一巻の終わりだ。

 問答無用で、容赦なく全部捨てられるだろう。

 それだけは、なんとしても避けなければならない。

 同じ手は使えない。

 ならば、レンタルショーケースに、売る気がないけど入れておくというのはどうだ?

 一番安いところで、月々二千円ぐらい……。

 ダメだ。金がないし、もったいない。漫画やラノベが三~四冊買えてしまう。

 ただでさえ今月は、麒龍のせいで余計な出費をしたし――。

 じゃあ、声優などのライブのみ参加するか? グッズも何も買えないけど。

 参加自体を阻止されないように粕谷など、一緒に行くやつらにも麒龍や華から何を聞かれても教えるなと言わなければならない。

 ……無理だろうな。必ずどこかで漏れる。

 しかし、このまま防戦一方というのも、面白くないんだよな――

 スマホの中古ショップに行く前に、気晴らしにお気に入りのアニメショップ巡りをしようとしたところで、彼は偶然粕谷を見かけた。

 声を掛けようとしたところ、金髪の女が彼に近寄って行った。

 風通しのよさそうな肩の部分がひらひらしている黒いブラウスとジーンズの短パン。そこから伸びる白い手足が印象的で、紐の長い赤色のハンドバッグを肩から提げている。

 麒龍だった。

 なんであいつがチンカスなんかと一緒にいるんだ。どういう組み合わせだ? 

 いつもよりおしゃれで、しかも露出度が高い。

 オタクなんかと一緒に歩きたくないと思っていたが――

 周りの男達も彼女を見ている。

 チンカスと一緒にいるのを見て、不思議そうな顔をしている者もいれば、リア充爆発しろ! 秋葉原にデートで来るな! というような羨ましそうに睨みつけている者もいた。

 そのときズボンの後ろポケットで、無断で借りてきた父のスマホが震えた。

 キッズケータイは家においてきた。

 華からだ。

「なんだ? 今忙しい」

「なんだじゃないよ、お兄ちゃん。お父さんが凄く怒ってるよ。すぐ帰ってこいって」

 ばれたか――

 いつもフラフラ出かけて帰ってこない癖に、こういうときだけ帰ってくるの早いんだよな。

 まだ図書館閉まってないぜ。あと二時間はある。

 粕谷と麒龍は観光客に紛れて歩き出した。チンカスが案内しているようだ。

 スマホのスピーカーを通して遠くから父の声が聞こえる。

 やべー、すごく怒ってる……。

「お兄ちゃん、今どこにい――」

 苦渋の選択の末、仁久丸はスマホの電源を切り、チンカス達の後を少し追うことにした。


 日曜日の朝、仁久丸がベッドで横になりながらごろごろと惰眠を貪っていると、華が元気におはよーと扉を開けて入ってきて、ベッドの上に乗っかり、彼の腹の上にスカートの前を隠しながらすとんと腰を落とした。

 麒龍より軽い。

 彼女が起こしに来るなんて滅多にない。どこかに連れて行ってもらいたいときや、みんなで出かけるときだけだ。

「海行くぞ~」

「はあ!?」

 仁久丸が素っ頓狂な声をあげる。

「そんなリア充達が行くところ俺は行かん」

 彼はそう答えて横を向いた。華がバランスを崩し、うわぁと彼の身体から滑り落ちる。 スカートの中がチラッと見えた。ピンクだ。

「何偏屈になってんの、お兄ちゃん。麒龍さんの水着姿見たくないの。金髪美女のナイスボディ。誘われてるんだよ。せっかくのチャンス断っちゃうの? もう一生見れないかもよ」

 見たいか、見たくないかと聞かれればまあ見たいが、二人だけで行ってくればいいじゃないか。なぜ俺を誘うんだろう、なにか怪しい――と彼は思った。こいつらは信用できない。

 華のスマホが鳴り、スカートのポケットから取り出して、もしもしと話し始める。

 相手は麒龍のようだ。お兄ちゃんが来ないって――と、通話相手に不満を漏らしている。彼女は「え? わかった」と頷き、スピーカーのボタンを押して、仁久丸にも聞こえるようにした。麒龍の大きな声が流れてくる。

「ついてこないと私達だけでスイカ割じゃなくてアニメのDⅤD割りするわよ。目隠しした華ちゃんが、バット振り下ろして、ぱりーんと。他にも声優のサイン入りアルバムとか、限定品もあるんでしょ。本当にこなくていいの?」

 仁久丸はガバッと飛び起きる。

 脅されて仕方なく従うしかなかった……。


 夕日が美しい海岸は、ボードを持ったサーファーが波乗りを楽しんでいたり、家族連れやビキニ姿の美女達が、波の音がする砂浜で、はしゃいだりしていた。

 昼間は混雑していたが、海水浴客は徐々に帰り始め、広々とスペースを使えるようになった。

 仁久丸は顔だけを出して、全身砂の中に埋まっていた。

 ちゃんとここから出してくれるか少し不安だったが、スイカも食べたし、のどかな時間を過ごしている。

 麒龍達はバケツに水を汲んで来たりと、花火の準備をしていた。

 麒龍は赤いビキニで、胸の前や腰には金メッキで塗装された輪がついていて、大人っぽい色気を出している。華はオレンジのパレオで元気一杯という感じだ。

 アニメのDⅤDやCDは、割られずに済んだ。

「プラスチックの破片が海岸に飛んだら危ないでしょ。そんなことするわけないじゃない。馬鹿ね」

 と一蹴され、本気で心配していたのが馬鹿みたいだったが、とにかく良かった。

 彼の元にビーチサンダルを履いた麒龍が近寄ってきて、ニコリと微笑む。

「綺麗な花火、見せてあげる」

 それだけ言って、彼女は華の方へと去って行った。

 やがて彼女達は楽しそうに、立ったまま花火をしながら、はしゃぎだした。

 金色や赤、青と変わる炎の色を眺めたり、それが終わると今度は座って線香花火を始める。 

 俺にはやらせてくれないのか……。そろそろここから出たい――

 と仁久丸は思った。

 やや喉が渇いてきたのと、今はまだ大丈夫だが、さっきスイカを大量に食べたせいか少々トイレ……、お腹が緩くなってきているような気がする。

「最後に打ち上げ花火するね~!」

 彼女達が遊んでいる砂浜には、家庭用打ち上げ花火の筒がいくつか置かれているが、華は手に正方形の厚紙みたいなものを持っていた。色紙だ。

 なんで色紙なんか持ってるんだ。あいつ?

「俊直~、物置にあった色紙、燃料にするためにもらうね~」

 彼女が色紙を砂の上に置くと、麒龍は手にしていた、まだ勢いよく炎が出ている花火をそれに向ける。

 やめろ! それはDⅤD全巻購入特典で、さらに抽選で当たった人間しか行けない、握手会でゲットした――

 黒くなり火が付くのが見える。砂の上で煙を出しながら勢いよく燃え始めた。麒流は新しい花火を近づけ炎を手際よく移すと、次々と打ち上げ花火の筒に着火していった。

「NOOOOOOOOOOOOOOO!」

 その後、彼女達は打ち上げ花火から離れ、仁久丸の方へと走ってきた。

 打ち上げ音がして、鮮やかな花火が立て続けに空に咲く。二人が振り返って歓声をあげた。

 華は飛び跳ねて喜んでいる。彼女は片手をメガホンのようにして、のんきに「た~まや~」と声を遠くまで響かせた。

 花火は散り、薄暗くなった空が戻った。

 余韻に浸っていた彼女達の足元で、仁久丸は叫んだ。

「絶望した!!! お前らの人を欺く才能に絶望したあああああああああああああああああ」

 その後、彼は魂の抜け殻のように、口は半開きになり、体からは力が抜け、眼は虚空をさ迷っていた。

「お兄ちゃん、廃人になっちゃった」

 彼の夏は萌え尽きた。


 お年玉だけじゃ足りないよな~。やっぱり高いな……。この前燃やされたサイン入り色紙も一つだけ見つけたけど、三万もする。もたもたしている間に売れてしまわないかな――。

 仁久丸は自室の机に座って、秋葉原の街中で見つけてきたバイト雑誌をめくりながら、何か良いバイトはないかと、ぼーっと物色していた。

 机の上には、ホールのケーキが入りそうなぐらいの箱とペットボトルの炭酸飲料がある。

 お年玉前借しようかな、じいちゃんとばあちゃんに――。それとも誕生日プレゼントで、欲しいと言ってねだるか。

 いやいや、年金生活者にたかるような真似はできない。

 ようし。決めた。

 俺はバイトする!!

 バイトして、麒龍や華に壊された分を再び買い集める!

 年末年始の郵便局以外の初めてのバイトだ。どうせならオタクの女の子と出会いたい。ひょっとしたら話が弾んで、デートとか行くようになるかもしれない。

 麒流への告白なんか忘れた。あんなのはもう無しだ。バイト先だって、どうせ可愛いオタクのコスプレが趣味のような彼女なんかできやしないさ。

 麒龍のことで学んだだろ。現実の女なんてこりごりさ。なんでみんな好きな女と結婚したはずなのに、世の中の家庭を持ったお父さん達は、妻や娘から愛されていない人が多いんだ?

 そうだ。やっぱり二次元が一番さ。彼女達は裏切らない。そんな酷いことはしない。

 アニメ見たりゲームしたりする時間が減るが、しょうがない。あいつらとかかわる時間も減るだろうから一石二鳥だ。

 そしてレンタルショーケースやレンタルボックスを借りて厳重に警備する。鍵は何をされようが絶対渡さない。場所も3か月おきとかに変える。

 完璧だ。

 今日を境に、俺は変わるんだ。

 もうあいつらの好きにはさせない。

 そして机の端にある箱に目を向けた。彼の口元が微笑む。

 小腹も減ったし食おう。

 仁久丸は真剣な表情から一転、開けるのが楽しみで、待ち遠しくて仕方が無いという表情になった。

 包装を解いて箱を開ける。『ふたりはぶりっこキュア』、通称ブリキュアのケーキだ。

 ケーキの真ん中にはハート形のおもちゃが乗っていて、チョコレートの板には「おたんじょうびおめでとう」とひらがなで書いてあり、包んでいるフィルムには二人の女の子キャラクターの絵が描いてある。

 仁久丸はスマホを取り出して、ニヤニヤしながら写真を撮った。

 そこへ階段を上がってくる複数の足音が響いた。

 やばい――

 彼は慌ててケーキに食らいついた。

 誰にも邪魔させん。やらせはせん。やらせはせんぞ!!

 甘い味が彼の口いっぱいに広がる。

 うまい。幸せ~。

「HAPPY BIRTHDAY 俊直!」

 扉を開けて入ってきたのは、麒龍と粕谷だった。二人とも手に大きな黒い袋を3つずつ下げている。秋葉原の中古アニメグッズを取り扱っている店だ。

「あー、一人でケーキ食べてる」

「丸ごとかぶりつくって、どんだけ腹減ってんだよ。おっ、ブリキュアじゃねえか。独り占めしてるんじゃねえ。俺にも食わせろ」

「あたしにも」

 それぞれ文句を言いながら、誕生日プレゼントだと言って彼女達は、パンパンに膨らんだ袋を仁久丸へと差し出した。

 ケーキを置き、もぐもぐと口を動かしながら彼は手を拭いて、ペットボトルの中を飲んでから立ち上がって、「何なんだよ二人とも。楽しみを邪魔するなよ」と文句を言いながら、袋の中身を確かめた。

「こ、これは!?」

 仁久丸は目を疑った。

 袋の中に入っていたのは、麒龍達が糞まみれにした抱き枕カバーや破壊したプラモ、フィギュアなどだった。

 堀江奈々の声優の色紙まである。全部揃えれば十万とはいかないまでも、相当な額のはずだ。

「どうした……これ? 錬金術で錬成したのか!?」

「ふはははは。我が名はチンカスの錬金術師――ってそんなわけねーだろ、アホ」

 めちゃくちゃ弱そうだ、という感想はおいといて、仁久丸はまだ信じられないでいた。 

 色紙を両手で高く掲げて、黒いペンで可愛らしい字で書かれたハートマーク付きのサインを眺めている。目の前にあるものと彼の記憶の中にあるものが一致した。うん。本物だ。間違いない。

「奇跡だ」

「粕谷君に付き合ってもらって大変だった。集めるの。華ちゃんも、ちょっと貯金から出してくれたし。千円ぐらいだけど」

「さすがにポスターは難しかった」

 この前、秋葉原で二人を見た――と言いかけて仁久丸はやめた。

 三十分ぐらい尾行したが、遠くからだったので何をしているかまではわからなかったのだが、つけていたことは、なんとなく言わない方がいい気がした。せっかく今まで破壊されたものが殆ど戻ってきたのに、ついうっかり余計な口を滑らして、また壊されでもしたら大変だ。

「でも、筋トレ少しでもさぼったら、また壊していくから。今度は買い直さないわよ」

 うひ~

 仁久丸の狼狽ぶりを見て、笑いながら粕谷が言った。

「奇跡は起こらないから奇跡っていうんだよ。ジーク麒龍! ジーク麒龍!」

「やめて。そういうオタクっぽいの」

 拳を振り上げているチンカスを制し、麒龍が格好付けて、長い金髪を手で払う仕草をしながら優しく微笑んだ。

「あたしと付き合いたいのなら、オタクをやめなさい」

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あたしと付き合いたいのならオタクをやめなさい! 祭影圭介 @matsurikage

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