先輩がかぐわしい

伊織千景

先輩がかぐわしい

はっきり言おう。臭かった。


思わず声が出てしまいそうになる程、先輩の口臭はきつかった。心が折れそうになるレベルで臭かった。いつもは地上に舞い降りた女神もかくやとばかりの先輩なのに、きょうは沼の底から錬成された泥人形のようだった。こちらのそんな思いが伝 わったのかどうなのか、先輩はなぜかしたり顔で笑みを浮かべた。


「どうやら実験が成功したようだな!」


口からヘドロのような匂いをまき散らしながら、先輩は無い胸を張る。また良からぬことを考え、良からぬことを実行したらしい。そういえば実験室の中に、見慣れない液体の入った容器がいくつもある。これは間違いなくやらかしたに違いない。


「一応聞きますが、何の実験ですか?」

「異性を虜にする実験だ!」


先輩は頭がいいのにアホなたぐいの人種なので、こういう時凡人の自分は対処に困る。はじめの頃はボケているのかと思っていたが、そうではない。いつも真剣なのだ。先輩はいつも真剣にアホをする。


「どう見ても、いや嗅いでも実験は失敗ですよ」

「なぜだ!」

「ラフレシアみたいになってますから」

「世界最大級に魅力的ということか!」

「世界最大級にアホですかあなたは」


先輩の有り余る魅力には、いままで存分に惑わされてきた。だからこそ、彼女の行う奇妙奇天烈摩訶不思議な実験にも付き合ってこられた。けれど、今日のこれはあまりにひどい。おかしいではないか。ありえないではないか。眉目秀麗、容姿端麗、少し背が小さいことがコンプレックスな、つまる所は美少女で、16歳にして国から研究に莫大な補助金が出るレベルの頭脳明晰な先輩が、あろうことか口からえげつない匂いを発しているとか、神の御心を疑いたくなる由々しき事態ではないか。


「どうだ、すごい匂いだろう!」

「あ、自覚してたんですね」

「当たり前だ! それが目的だったのだからな」

「え?」


先輩は明らかにサイズの合ってない白衣をはためかせ、研究室用のスリッパをパタパタとならしながら何かの資料を引っ張り出してきた。そこにファイリングされていたのは、たくさんの花の写真だった。


「動物は、匂いで多くの情報を得ている! 例えば腐った食べ物を食べないように、腐敗臭に対して嫌悪感を抱くようになっていたり、今自分の体が求めている栄養源を持つ食べ物の匂いを、美味しそうだと感じるようになっている。花なんてものはそれを上手く活用している。動物に自らの花粉や種を運ばせるため、みずから様々な匂いを発するのだ! 私はそれに着目した!」


先輩は資料をめくる。そこに映されていたのは、奇しくも先程例えに使ったラフレシアだった。


「この花の放つ強烈な腐敗臭は、受粉者を惹きつけるために放たれているという! 意思ではなく、本能に訴えかける臭いなのだ! これを改良し、人間を惹きつける効果のある臭いに変換できれば、異性にもてもて、ウハウハな芳香剤が出来るわけだ!」


高らかに笑う先輩の口からは、まだ強烈な腐敗臭が漂っていた。しかしなぜだろう。はじめは泣きたくなりそうな気持ちにさせたその匂いは、確かになる程癖になる。たとえるならそう、3日履いた自分の靴の匂いを、臭いと思っても何故か嗅いでしまうような、そんな認めたくない中毒性だった。


次第に理性が薄れてきて、もっと匂いを嗅ぎたい。そんな風に思わされはじめた。もっと嗅ぎたい。もっと。もっと!


「まあ、流石にこれは製品化出来ないな。自分でも臭くてかなわん」


そんな元も子もないことを言う先輩を、気付いたら僕は押し倒していた。両腕を押さえつけ、馬乗りになり、暴れる彼女を無視して、無理やりに本能の赴くままに、彼女の口臭を嗅いだ。正気に戻ったあと、涙目の先輩にきついビンタを食らったが、後悔はしていない。

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先輩がかぐわしい 伊織千景 @iorichikage

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