【卒業】

「また離れ離れになっちゃうわね」

 卒業式を終えて、図書準備室にて橘と二人きり。

 ここは外から色めく声が微かに聞こえてくる程度で、ほとんど静寂に等しく、流石に来館者も一人だっていない。

「今年は……中学の百倍寂しいッス……」

 式の最中から泣いていたというのに、橘は今もなお涙を流し続けている。それを拭う私にもハンカチ越しに彼女の気持ちが伝播してきた。

「中学の時は付き合ってなかったしね。私も今年は一段と寂しいわよ」

 しかし、橘にそう思ってもらえたということは、恋人になった後も悪くない関係を築けたということだろう。それに関しては安心だ。

「……先輩、難しい大学行っちゃうし……」

「まあね。二人でキャンパスライフを楽しみたいなら、橘も勉強頑張りなさい。高校だって追いかけてきてくれたでしょ、私、楽しみに待ってるから」

「……本当ッスか?」

「当たり前じゃない。受かったらルームシェアでもなんでもしてあげるわよ」

「! 絶対待っててくださいね!」

 ルームシェアという言葉に反応して、急に顔が持ち上げられ輝いた。

「待ってる待ってる」

「大学で出会ったイケイケな奴と恋に落ちたらダメっすよ!」

「落ちない落ちない」

「何浪しても待っててくださいね!」

「それは……ダメ。橘の為にならないから。絶対に現役合格してみせなさい」

「……はいッス……」

 言ってしまえば何浪したって、同じ大学でなくったって、橘が進学以外の道を選んだって、私は彼女と共にいられる方法を探すだろう。

 けれどまぁ、掛けられる発破は掛けておこう。恋人してではなく、先輩として。

「みんなのスター、橘 千咲がそんなしょぼくれた顔しないの。ほら、こっち見て?」

 せっかく輝いた顔に翳りが生じてしまったので、私はなけなしの勇気を振り絞った。後回しにしても緊張は増していくだけだと、知っているから。

「なんスか、先輩」

 橘がこんな大切な日に、自分からシてこなかったのは、きっと私からして欲しいという(無意識なのかは知らないが)意思表示なのだろう。

 これで彼女の不安が少しでも拭えるなら――高校の先輩として、最後の責務を果たそう。

「んっ……。……身長差があるんだから……少しは屈むとかしなさいよ」

 目をまんまるにしたまま微動だにしない橘の口元へ、限界まで背伸びをしてなんとか達成。

 初めてにしては外さなかったし、変なところがぶつかったりもしなかった。悪くなかったはずだけど……。

「………………………………」

「……た、橘?」

 何かしらのリアクションをもらえると思いきや、橘は硬直。しかし同時に涙は止まっているが……これはえっと……どうなんだ?

「は…………」

「は?」

「初チューだぁぁぁぁああああああ!」

「びっくりした。急に叫ばないの」

「やった! やったぁ! 先輩から初チューだ! ファーストキスだぁぁあああ!」

「ちょ、ちょっと、大きな声を……もう」

 ここには私達しかいないとはいえ、その声は学校中に響いてしまいそうな力強さを持っていた。

「先輩!」

「な、なによ」

 それはもう抱擁というより拘束と呼ぶべき力で私を抱きしめた橘は、耳元で、嬉しさと声量を押し殺して言う。

「自分、絶対に来年追いかけるッス」

「ええ、そう言ってもらえると安心して待っていられるわ」

「だから先輩……もう一回!」

「も、もう恥ずかしいから今日はおしまい!」

「なっ………………?」

 あっ、まずい……橘の瞳からハイライトが……。

「じゃあ……自分から、良いっスよね。今ままでずっと、ずっと我慢して来たんですから」

 顎を持たれて顔が強制的に持ち上げられる。次の瞬間には唇が触れ合い、やがて口腔内におずおずと忍び込んで来たソレに少し驚くも、こういうのは怯んだら負けだ。わからないなりに触れ返してみる。

 すると橘の動きが激しくなって、呼応するように私も――。

「はぁ……はぁ……」

「……」

 長い間、呼吸も忘れていた。くらくらする意識に咎められようやく互いから離れ、私はもう一度橘の瞳を見た。

 周囲は薄暗いというのに、そこには無限のハイライトが差し込まれ、どんな宝石よりも煌々と輝いている。

「……千咲」

「……なんスか、かがり先輩?」

 今しかないというタイミングで名前を呼ぶと、彼女も合わせてくれた。

「私を好きになってくれて……恋人にしてくれてありがとう。貴女のことが大好きよ」

「なんスか先輩……自分を……脱水で殺す気ですか?」

 私の言葉を受けて再び涙腺を緩ませた千咲は、足の力までも抜けてしまったらしく、床に膝をついて腰に抱きついてきた。

「自分も……かがり先輩が好きで……大好きで、いつもおかしくなりそうです。先輩がいてくれたから、今まで何でも頑張れました。これからも……ずっと支えてください。距離が遠くなるなら、心はもっと、近くで――」

 泣きじゃくる恋人を撫でながら、自分はなんて幸せ者なんだろうと思った。

 学校の王子様でも、バスケ部のカリスマでもない、一人の乙女である橘千咲を知っている。

 この幸せを――彼女の真の魅力を――知ってしまったのだから、私はもう二度と手放すことなんてできないだろう。

「ええ。どんなに離れても、心は今までよりもずっと、貴女の傍にいるわ」

 いつか私以外にも、千咲を支えてくれる存在ができることと――

 ――いつまでも私だけが、千咲の支えでいること。

 矛盾した二の願いを込めながら、あいらしい後輩を――いとおしい恋人を、強く、強く抱きしめた。

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なんスか先輩!? 燈外町 猶 @Toutoma

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