第34話 僕と暴君⑤【完】

 北棟の物置部屋。

 倒れた西園寺たちをそのまま放置し、俺とリリアナは二年十組の教室を後にした。

 教室を出ると、溢れ返った生徒たちの好奇の目に晒されたが、面倒事は全て放り投げた。まあ、暴力沙汰を起こした以上、停学は覚悟の上だ。

 そう考えると午後の授業に出るのも馬鹿らしくなった。

 俺はリリアナと一緒に部屋に戻って、弁当の残りを食べている。テーブル越しに向かい合うようにお互いの定位置に座る。

 殴られた時に口の中を切ったらしく、若干血の味がした。

 リリアナは野菜入りのおかずを舐め回すように見つめると、恐る恐る口に運んでは怪訝けげんな顔をしていた。野菜と知った途端、一切手を付けないと予想してただけに、彼女の行動は少し意外だった。

 リリアナは食事をしながら、一年前に彼女が起こした『いばら姫事件』の顛末てんまつを語ってくれた。

 入学早々、彼女はその美貌びぼうから学園中の注目を浴びる。そんな彼女を一目見ようと、教室には多くの生徒が押し寄せたらしい。その後、実力試験でオール満点を叩きだし、彼女の人気はさらに過熱していく。

 まるで見世物小屋のチンパンジーみたいな学園生活に、彼女は苛立ちをつのらせていた。そんな中、西園寺にしつこく言い寄られ、彼女は遂に我慢の限界を超える。ストーキングを続ける西園寺に後ろ回し蹴りをお見舞いすると、彼は勢いそのまま二階の窓を突き破って転落。

 停学が明けて登校すると、根も葉もない噂が広まっていた。西園寺の取り巻きなのか、リリアナに対して陰湿いんしつな嫌がらせも始まる。全てにうんざりした彼女は、誰もいないこの物置部屋に引きこもったらしい。

 なるほど。つーか、おおむね最初に予想した通りじゃねぇか。

 しかし、これで二人は恋人同士って、どうやったらそんな話になるんだよ。誇張どころじゃない。無から有を生み出してるじゃん。よくもまあ、リリアナが停学中に『いばら姫事件』なんて大嘘を広めたもんだ。

 西園寺の執念に呆れを通り越して、もはや感心してしまう。

 「それにしても、よく電話一本で貸しビル買収ばいしゅうなんてできたな。お前一体何者だよ?」

 俺がまじまじとリリアナを見つめると、彼女は箸を進めながら淡々と答える。

 「まさか、さすがの私でもそれは無理だよ」

 「はあ?」

 もしや、ハッタリだったのか? いやでも、現に西園寺にも電話があって、あいつは相当動揺していた。

 俺は納得いかない顔で聞き返す。彼女はこちらを一瞥いちべつすると、話を続けた。

 「言っただろう。ここは私に任せろと。お前が何て答えようが最初から対処するつもりで動いていたんだ」

 「えっ、いつからだよ?」

 俺がそう尋ねると、彼女はしれっと、さも当然のように言い放つ。

 「お前が階段から落ちた日から」

 「おい、なんだそりゃ……」

 思わず身体の力が抜けて、ぐったりとソファにもたれ掛かる。俺は最初からこいつの掌の上で転がされてたってわけかよ……。

 「まぁ、あの件は一年前の話だし、確信はなかった。思い過ごしで終われば良かったんだが。それに、お前が自力で解決できるようなら、私も手を出すつもりはなかったよ」

 リリアナはなぐさめるようにそう言うと、俺はふと違和感を覚えた。

 ちょっと待て、そういえばやけにタイミング良く教室に入ってきたような……。

 「お前、まさか……」

 「ん? 何のことだ」

 俺は疑いの眼差しで、じっとリリアナを見つめる。彼女は心当たりがない様子で、小首を傾げていた。

 まぁ、もう終わったことだ。ボコボコで全身痛いし、余計なことを色々考えるのは止めだ。

 俺は仕切り直すように一つ咳払いをして本題に入る。

 「で、お前が見つけたやりたいことってなんだよ?」

 食事を終えたリリアナは、満足そうにしていた。それから、両手を上げて大きく伸びとすると、深く息をつく。返事を待っている俺を見て、おもむろに口を開いた。


 「あぁ、今日で引きこもり生活は終わりだ。テツロー、付き合ってくれ」


 えっ? なんだって?


 「はあぁっ? つ、つきっ、付き合うって……」

 おっ、俺とお前が? 下僕げぼくじゃなくて恋人同士? 一緒に恋に溺れてラブラブちゅっちゅするの? つーか、何でそんな平気な顔してんの? 恥ずかしくないの?

 思いも寄らない彼女の告白に、俺は完全にパニックにおちいった。一方、俺とは対照的に、彼女は大きな胸を反らして、堂々と宣言する。

 「この一年、学生のうちにやれることを全てやりたい。青春ってやつだ。だからテツロー、私に付き合ってくれ」

 「……なんだ、そういうことかよ。期待させ――」

 そう言いかけて、俺は慌てて口をつぐむ。

 ……いやいや、別に期待なんてしてないし。ガッカリなんてしてないし。ホントだよ、マジで。

 俺はそう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。そんな俺を見て、リリアナは不思議そうな顔をしていた。すると、急に背筋をしゃんと伸ばして、真っ直ぐな眼差しを俺に向ける。

 その真剣な眼差しにあてられて、自然と俺も姿勢を正して、彼女を見つめ返す。

 「テツロー。この一年、お前の時間を、青春を。私にくれないか?」


 これが俺が望んだ彼女の言葉で、そして彼女が俺に望んだ願いだ。ならば、彼女にも俺の言葉で俺の想いを伝えるべきだ。


 「……だったら、お前の青春も俺に――」

 「いや、私のものは私のものだ。お前が私に合わせるんだ」

 「だからっ! お前はどこのジャイアンだよっ!」

 リリアナは断固拒否するように、ぷいっと横を向く。俺は呆れ果てて、がっくりと肩を落とした。

 ……この女。毎度毎度、人が真剣に話をすれば、すぐこれだ。

 「それにやれること全てって結局何も決まってねぇじゃねぇか。なんかほら、一つでもないの? 具体的なやつ。もうそれにしようぜ……」

 俺は半ば投げやりな気分でため息をつく。彼女は足を組んで頬杖ほおづえをつくと、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。

 「うーん、まだ何も思いつかなくてな。それにたった一つで満足するほど、私はではないからな?」

 「……てめぇ、やっぱり聞いてたんじゃねぇか!」

 「ふむ、何のことだ? 私にはさっぱりだ」

 先程とは打って変わり、リリアナはとぼけた顔を作って、嬉々として尋ねる。

 ……嬉しそうにしやがって、居たなら殴られる前に助けろよ。まったく、ほんと可愛くねぇ女だ。

 不覚にも、付き合うという言葉に浮ついてしまった自分に激しく後悔する。

 くそっ、何が恋に溺れてラブラブちゅっちゅだ、馬鹿馬鹿しい。そもそも、こんな女に、絶対に何があっても俺は……。

 いや、『眠り姫の下僕げぼく』にはこっちのほうが皮肉めいてるか。

 俺は不貞腐ふてくされてぶつぶつ独り言を呟く。そんな俺を見て、彼女は楽しげに笑っていた。

 「……なあ、テツロー」

 「あん? なんだよ」

 俺が無愛想ぶあいそうにそう言うと、彼女はふっと優しげに微笑む。


 「ありがとう。私を見つけてくれて」


 その言葉に、心温まっていくのを感じて自然と顔はほころんだ。俺はちゃんと見つけることができたみたいだ。

 ――そう、イメージや幻想なんかじゃない。本当の彼女を。


 「馬鹿、俺は迷い込んだだけだよ」

 俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを押し上げて、自嘲じちょう混じりに笑って見せる。リリアナは一瞬きょとんと目を丸くしたのち、小さく吹き出すように笑った。

 「あぁ、そうだったな」

 彼女は無邪気な笑顔を俺に向ける。その微笑みに悔しいかな、俺はどうしようもなく見惚みほれてしまう。

 

 誰もいない北棟の物置部屋で二人っきり。

 確かにあの日、俺は一人の少女とおとぎ話のような運命的な出会いをしていた。

 

 まぁだからと言って、今更少しデレたって駄目なもんは駄目だっ! そんなものでは俺の心は動かない。

 

 絶対に、何があっても、俺は、いや――

 

 ――僕は暴君に恋をしないっ!

 

 ……こともない。 

 

 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕は暴君に恋をしないっ! ……こともない。 百地 @tutiyaman

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ