第33話 僕と暴君④

 リリアナの手を握った俺は、彼女に引っ張り上げられ立ち上がる。

 銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げて、状況を整理する。

 目の前の西園寺は憎悪に満ちた視線を俺に向けていた。取り巻き連中は俺ではなくリリアナを警戒している。教室の入口は生徒で溢れていた。

 さて、ここからどう収拾をつけるか。

 リリアナは何とかすると言ったが、もう一度写真で脅しをかけてみるか。先程は暴力で有耶無耶うやむやにされたけれど、野次馬やじうまがいる手前、手荒な真似はできないはずだ。

 俺は周囲をじっと観察しながら策を練る。すると、リリアナは何か言いたそうな目でこちらを見つめていた。

 「……テツロー、そろそろ離してくれないか。心配しなくても私はどこにも行かないよ」

 「あっ……」

 繋いだその手は今もなお、強く握り締めている。彼女の手を意識すると、途端に恥ずかしさでいっぱいになり、俺は慌てて手を離す。そんな俺を見て、彼女はくすっと小さく笑った。

 「イチャイチャしやがって。良いご身分じゃねぇか、宇佐見」

 西園寺は歯ぎしりをしながら、怒りに燃えた目で俺を睨みつける。あぁ、だからさっきから俺のことをすげぇ見てたのか、こいつ。

 彼は入口にいる野次馬やじうまをちらりと見ると、突然、芝居じみた振る舞いを見せる。

 「ほら、周りも見てるんだ。もう手荒な真似や姑息なデマは止めて、事実だけで話をつけようぜ」

 西園寺は大袈裟おおげさに肩をすくめると、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 ……この下衆げす野郎。手荒な真似されたのは俺で、てめぇのカンニングは事実だろうが。俺は口の端をひくつかせながら、怒り狂う気持ちを必死に抑える。


 不意に、携帯の着信音が鳴り響いた。

 一同の視線が音の鳴る方に集まる。着信音の主はリリアナだった。


 「あぁ、私か」

 彼女はスカートのポケットからスマホを取り出して電話に出る。相変わらずの気怠けだるげな声でテキトーな相槌あいづちを打っていた。

 しばらくの間、異様な沈黙が教室に流れた。

 ……いや、空気読めよ。最終決戦だよ? こんなときに電話なんか出るんじゃねぇよ。しかも、長えなぁ。後でかけ直せ、馬鹿。

 リリアナは電話を終えると、こちらを向いてあっけらかんと言い放つ。


 「テツロー。貸しビルは買収ばいしゅうしたぞ。今日から西なんとかに代わって、私がオーナーだ」

 「は?」

 誰もが耳を疑うその言葉に、俺は愕然がくぜんとして立ちすくむ。思わず西園寺に視線を投げかけると、彼も同じように固まっていた。俺の視線に気付いて、西園寺ははっと我に返る。

 「ふっ、ぶざけんな。デタラメ言うんじゃねぇっ! そんな電話一本で簡単に――」


 またもや、教室に着信音が鳴り響く。今度の主は西園寺だった。


 「おい、鳴ってるぞ。話の途中だが仕方ない。手短に済ませてくれ」

 リリアナはやれやれとばかりに肩をすくめて、ため息をつく。

 何言ってんだこいつ。お前、さっき断りもなく長電話してたじゃねぇかっ!

 俺もようやく頭が追いついて、冷静さを取り戻す。西園寺は恐る恐るスマホを取り出して、電話を取った。

 瞬間、電話の先から怒号どごうが聞こえた。彼は思わずスマホから耳を離す。

 それからしばらく、電話の先から罵詈雑言ばりぞうごんが投げつけられた。父親なのだろうか、西園寺の顔はすっかり青ざめて、額には汗がにじんでいた。

 突然、彼は電話を切ると、苛立ちをぶちまけるようにスマホを床に叩きつける。それから、怯えと怒りが入り混じった表情でリリアナを睨みつけた。

 「くそっ! どういうことだ。九條家だろうが一年前は何もできなかったのに。俺から逃げ出したくせに……」

 「……だから、お前なんて敵じゃないんだよ。私は私の都合で嫌気が差して、あの部屋にいただけだ」

 リリアナは呆れた表情で首を横に振る。それから、馬鹿にしたように鼻で笑った。

 「それにしても、お前も憐れな男だな。この私ですら、少しばかり同情しているよ」

 その言葉をきっかけに、西園寺の中で何かがぷつんと切れたようで、奇妙な笑い声を上げる。

 「家の力がなんだ、そんなもんは関係ねえっ! お前らをボコればそれで終わりだっ!」

 「……お前がそれを言うのかよ」

 おい、坊ちゃま。さっきと言ってることが全然違うじゃねぇか。

 駄目だこりゃ、もはや話にならない。せっかく丸く収まりそうだったのに。俺が言うのもなんだが、リリアナさん、煽り過ぎですよ。

 俺はうんざりした顔でリリアナを見る。彼女はバキッ、ボキッと拳を鳴らして、獰猛どうもうな笑みを浮かべていた。

 「ほぅ、実力行使か。面白い、相手してやる」

 「おいおい、嘘だろ……」

 西園寺の指示に従い、取り巻き連中は先程と同じように俺とリリアナを四方しほうから囲む。ジリジリと間合いを詰めて、襲い掛かるタイミングをうかがっていた。

 ……えぇ、こいつらマジかよ。やる気満々じゃねぇか。いくらリリアナが暴力女だと言っても、相手は女の子だよ? そして俺は戦力外だよ?

 「おい、逃げるぞ。こんなの相手にしてられるか」

 「テツロー。少しの間、しゃがんで目を閉じてろ。大丈夫、私を信じて――」

 彼女が俺に視線を移した。その時。四方しほうから同時に拳が襲い掛かる。

 リリアナは俺の頭を押さえつけて、強引に俺をしゃがませる。突然の出来事に、俺は思わず目をつむってしまった。


 ――瞬間、鈍い音が鳴り響いた。


 「リリアナっ――」

 咄嗟とっさに目を開けて立ち上がる。目の前には大の男が四人、仰向けに倒れてうめき声を上げていた。

 「えっ、なんだこれ……」

 「なんだこれも何も。まさかの一撃ノックダウンだよ。拍子抜けもいいとこだ」

 リリアナはつまらなそうな顔で手をはたく。その光景を間近で見ていた西園寺は顔を引きつらせて固まっていた。入り口にいる野次馬やじうまも同様の反応である。

 ……なにこの娘、武術も極めてんの? お嬢様のたしなみなの? 覇王はおうなんちゃら拳とか使えんの?

 俺は唖然あぜんとしてその場に立ち尽くす。すると、彼女は俺の背中を押して、西園寺を指差した。

 「テツロー、これはお前の問題なのだろう? だったら最後はお前が決めてこい」

 彼女の言葉を聞いて、俺は心を落ち着かせるように、ゆっくりと歩を進める。一方、西園寺は既に戦意喪失してるようで、怒りは消え失せ、恐怖の色に染まっていた。

 「ちょっ、ちょっと待て。わかった、お前の取引に応じてやる。九條にはもう近づかない」

 彼は取り繕うようにへらっと笑っていた。俺も応えるように、にっこりと笑みを浮かべる。

 「……うっ、宇佐見。俺たち、友達だろう?」

 「悪いな、親友。たった今、先約が入ったんだ」


 ……西園寺。お前のせいで、転入早々、俺はほんと散々な目に会ったよ。

 おかげでクラス委員になるわ、クラスの前で恥掻くわ、階段から落とされるわ、自慢の眼鏡は壊れるわ、家計は火の車になるわ、母さんの夢は潰されるわ、頬は千切られるわ、引っぱたかれるわ、顔面殴られるわ、蹴り倒されるわ。ああ、もう数え切れない。


 俺はこれまでの鬱憤うっぷんの全てを込めるように、拳を強く握り締める。


 「取引だって? お断りだ二位野郎っ――っ!」


 生まれて初めて、人の顔面に一発ぶちかました。

 全体重を乗せた拳が西園寺の鼻にめり込む。彼の身体は面白いように吹っ飛んで、そのまま床に倒れ伏した。顔を覗き込むと、西園寺は鼻血を垂れ流して気絶していた。


 これにて、本当の本当に一件落着。

 俺はほっと安堵あんどの息をつく。気分も爽快いい――。


 「――いってえええええぇぇぇぇぇぇえっ!」

 気が抜けた瞬間、拳に激痛が走る。


 俺は痛みのあまり、のた打ち回って床に倒れた。

 ……なにこれ、殴られるのも相当痛かったけど、人を殴るのってこんなに痛いの? いや、心じゃないよ。心は微塵みじんも痛くない。

 リリアナは腰に手を当てて、呆れた様子でこちらを眺めていた。

 「テツロー、素人が素手で殴るのはオススメしない。拳を痛めるぞ」

 ……先に言えよ、このやろう。


 俺は涙目で恨めしそうに彼女を見上げた。

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