第32話 僕と暴君③

 教室の入り口付近に生徒たちが押し寄せる。

 教室棟には滅多めったに姿を現さない『眠り姫』。その彼女が騒動の渦中かちゅうに身を投じている。おまけに相手は西園寺。その光景は嫌でも一年前の『いばら姫事件』を思い起こさせる。

 廊下には不穏な空気がただよっていた。

 リリアナは教室に入ると、真っ直ぐにこちらに向かってくる。倒れた扉を遠慮なく踏み付けると、教室にはガラス窓が砕ける音が響いた。

 「……おい、私の物から離れろ」

 彼女はドスの効いた低い声で凄んでみせる。目には凄まじい殺気が宿やどり、部屋には緊張が走った。リリアナの剣幕けんまく気圧けおされて、取り巻き連中は後ずさりして離れていく。

 ……えっ、ちょっと待て。俺ってお前の物だったの? 俺のことペットくらいにしか思ってない気はしてたけど。そりゃ、下僕げぼくは物だし、ペットも民法では物扱いだけどさ。なんかもっとあるでしょ……。

 俺は床に座り込んだまま、両膝を抱えてうなだれる。彼女は俺の傍に立つと、不思議そうな顔でこちらを覗き込んだ。

 一方、西園寺は唖然あぜんとした様子で、食い入るようにリリアナを見ていた。すると、不意に嫌な笑い声を漏らして、ゆっくりと歩み寄ってくる。 

 「九條、久しぶりだな。元気だったか?」

 西園寺は朗らかな笑顔を浮かべて、彼女に手を振る。一方、リリアナは眉根まゆねを寄せて、じっと彼を眺めていた。

 「この一年、俺から逃げ続けたお前がここに来たってことは、俺と対立する覚悟を決めたんだよな。まぁ、俺も鬼じゃない。お前が素直になるって言うなら、話くらいは聞くぜ?」

 西園寺はたちまち表情を一変させる。その顔は醜悪しゅうあくな笑みに満ちていた。リリアナは珍しく真剣な面持おももちでしばし考え込む。やがて、おもむろに口を開いた。


 「お前、誰だ? 私は西にしなんとかって奴に用があるんだ」

 「「はぁ?」」

 その場にいた一同は揃ってぽかーんと固まってしまう。張りつめた空気の中、俺は思わず吹き出すように笑った。


 ……工藤先生、あんたの言ってたことは本当みたいだ。

 俺は笑い涙を指先で拭って、周りに聞こえないように小声でささやく。

 「おい、リリアナ。お前の目の前にいるのが、西にしなんとかさんだ」

 彼女はへーっと感心したような吐息といきを漏らす。それから、きりっとした目で西園寺を睨みつけた。

 「おい、お前っ! 私に何の恨みがあって嫌がらせなんてやってるんだ」

 「いや、そこは覚えとけよっ! 『いばら姫事件』の人だよ。ほら、いつもテストでお前の後ろにいる二位の人だよっ!」

 驚愕きょうがくのあまり、思わず声を張り上げる。彼女はしばらく考え込んでから、思い出したようにぽんと手を叩いて満足げに頷いた。

 「あぁ、二位の人か」

 「いや、そっちかよっ! お前とんでもねぇなっ!」

 ……嘘だろ、こいつ。名前どころか嫌がらせの心当たりすらなかった。でも、だったら何で俺の前から姿を消したんだよ。

 俺はすっかり混乱して周りに答えを求めるが、誰もわかるわけがなかった。彼女は不敵な笑みを浮かべて、再び西園寺に視線を戻す。

 「お前、去年の実力テストも二位だっただろ。どこかで見たことある名前だと思っていたんだ。へぇ、お前があの時、突き落とした奴か」

 ……なんだこれ。西にしなんとかさん、完全に独り相撲じゃん。

 俺は西園寺に何とも言えぬ哀れみの目を向ける。彼は怒りと恥辱ちじょくで顔を真っ赤に染めて、身を震わせていた。

 「どいつもこいつも……。二位の人、二位の人。人のことをハムの人みたいに言いやがってぇ――――っ!」

 うわぁ、こりゃ相当トラウマみたいだ……。

 西園寺は癇癪かんしゃくを起したようにわめき散らす。それから、ひざに手をつき、肩で大きく息を続けた。しばらくすると、落ち着いたようで、静かに口を開く。

 「……九條、そこの下僕げぼくを助けに来たんだろ? 立ち退きの件、知らないとは言わせねぇぞ。だったら、代わりに条件を飲め」

 そう、リリアナが西園寺にまったく興味がなかろうが、『いばら姫事件』の真相がどうであろうが、貸しビルのオーナーが彼である事実は変わらない。

 西園寺は俺を見て、小馬鹿にしたように笑うと、したり顔で話を続ける。

 「俺は今年、生徒会長になる男だ。九條、お前は副会長になるんだ。公私こうしともに可愛がってやる」

 もうメンバーは決めてあるってリリアナのことだったのかよ。……しかし、ほんと下衆げすいなこいつ。

 俺は高笑いを上げる西園寺にドン引きしていた。リリアナは床に座り込んだ俺を見下ろして、ふぅと小さくため息をつく。

 「……あの通り、あいつはこの私がお望みらしい。テツロー、ここは私に任せて、お前はもう下がっていろ」

 彼女は冷たく突き放すように言うと、不機嫌そうに視線を外した。そんな彼女を見て、俺はようやく最後の答えに辿り着く。


 ……まさか、こいつ。俺を守るために敢えて遠ざけたのか?

 そう思った途端、俺は大声で叫びたくなるのを必死で抑えて、頭を掻きむしる。

 ああっくそっ、この大バカ野郎がっ! ほんとダメだな、俺は。


 思わず自嘲混じちょうまじりに苦笑を漏らす。すぐさま、大袈裟おおげさに顔を逸らして、はっと鼻で笑った。

 「嫌だね。俺たちの契約は今日までだろ。契約の条件、三つ目。俺はまだお前を満足させていない」

 「いや、待て。私はもう満足している」

 彼女はむっとした表情で視線を戻す。俺は薄ら笑いを浮かべて、挑発するように居直いなおった。

 「いや、してないね。お前言ったよな。解釈は俺に任せるって。俺がそう思ってるんだから、お前は満足してねぇんだよっ!」

 「なっ……」

 リリアナは言葉を失くして、押し黙る。それから、納得いかない様子で悔しそうに小さくうなった。

 「なっ、なんだっ! その無茶苦茶な言い分はっ!」

 「その言葉、お前にだけは言われたくねぇ!」

 俺とリリアナは無言で睨み合う。俺たちの間を割り込むように、西園寺は痺れを切らして怒鳴り声を上げた。

 「おいっ! お前らいい加減に――」


 「「うるさいっ! ちょっと黙ってろっ!」」

 俺たちの殺気立った視線に、西園寺は一瞬怯いっしゅんひるんで黙り込む。


 リリアナはこちらを一瞥いちべつすると、仏頂面でそっぽを向いた。俺は観念して、優しくさとすように口を開く。

 「それにこれは俺の問題だ。お前があいつの言うことなんて聞く必要はねぇんだよ……」

 まったく、暴君が下僕げぼくの心配してんじゃねぇよ。

 俺はふっと短いため息をついて、彼女を見やる。すると、リリアナは呆れた表情で頓狂とんきょうな声を上げた。

 「はぁ? 誰か、あの下衆げすの言いなりになるって?」

 「えっ、だって、この私がお望みって……」

 俺は呆然として驚いたように目を見開く。彼女は心底蔑しんそこさげすんだ目で俺を見ていた。

 「……まさか、お前。この私があの下衆げすはずかしめを受ける姿でも想像していたのか? まったく、妄想逞もうそうたくましい奴め」

 「べっ、別にそんなんじゃねぇよっ! 勘違いしないでよねっ!」

 図星ずぼしを突かれて、思わず声が上擦うわずる。若干きょどりながら、腕を振って必死に否定した。だって、あいつ丸裸にして写真取るとか言ってたし、仕方ないでしょっ!

 リリアナは疑いの眼差しでじっと俺を見下ろすと、深々ふかぶかとため息をついた。

 「そもそも、あんなのは私の敵じゃないんだよ」

 「それってどういう……」

 俺の疑問を無視して、彼女は腕を組んでしばし考え込む。のちに、ニヤリと笑ってこちらを見た。

 「なぁ、テツロー。一つ提案があるんだが。いいか?」


 ――それは俺と彼女が出会った日に交わした言葉だ。

 忘れるはずがない。俺の脳裏にあの日の光景がよみがえる。


 「ゴミ山に思えたこの学園生活で、私もやっとやりたいことを見つけたよ」

 彼女はひざに手をついて、少しだけ俺と目の高さを合わせる。それから、ふっと優しげな微笑みを向けた。

 「……でも、一人じゃどうしてもダメなんだ。ここは私が何とかしてやる。代わりにそれを手伝ってほしい。テツロー、私には……お前が必要だ」

 心なしか、リリアナの顔が赤く染まる。彼女は真っ直ぐに俺を見つめて、こちらに手を差し伸べる。

 何とかするだの、やりたいことだの、判断のしようがない。これじゃあ提案にすらなっていない。

 「……おい、今度はやるんじゃねぇぞ」

 俺が疑惑の目を向けると、リリアナは悪戯いたずらっぽく目をきらきらさせて、満面の笑みを浮かべた。

 具体的なことは一切わからない。だが、俺が見惚みほれたこの笑顔を信じて、俺は彼女の手を掴む。

 「あぁ、契約成立だ。よろしく頼む」

 俺は彼女の存在を確かめるように、もうどこにも行かないように、ぎゅっと手を握り締めた。


 そしてこの日、俺と彼女はもう一度、新たな契約を結んだ。

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