第31話 僕と暴君②

 俺は北棟の物置部屋を後にして、ある場所を目指す。

 最終決戦の場は教室棟の二年十組。

 直江がパシリで得た情報によると、あいつは昼休み、教室にいるらしい。

 教室からは昼食を取る生徒たちの喧噪けんそうが聞こえてくる。俺は窓が揺れるほど乱暴に扉を開けて、教室に入る。

 その瞬間、激しい騒音が鳴り響き、室内はたちまち静まり返った。周囲の視線は自然と扉の前にいる俺に集まる。

 西園寺は教室奥の窓際を陣取じんどっていた。周囲にはいかにもリア充な男女が彼を取り巻いている。

 俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げて、西園寺を睨み据えた。邪悪な笑みを浮かべながら、皮肉たっぷりに言い放つ。

 「よぉ、親友。相談があるんだ。二人っきりで相手してくれるか?」

 「宇佐見か、いいぜ、何でも話せよ。俺にできることがあれば何でもするぜ?」

 彼は愉快ゆかいそうに笑って、こちらを睨み返した。

 俺と西園寺の高らかな笑い声が部屋中に響き渡る。教室は異様な雰囲気に包まれて、俺たち以外は全員、わけが分からず困惑の表情を浮かべていた。

 取り巻き連中に誘導されて、クラスの生徒がぞろぞろと教室から出ていく。残ったのは俺と西園寺、だけではなく、取り巻きの男子が四人戻ってくる。

 ……おいおい、二人っきりじゃねぇのかよ。それと三下ぁっ! 鍵を閉めんじゃねぇ、怖いわ。話し合いだよ? わかってんだろうな。

 俺は恐怖で軽く身震みぶるいしながら、西園寺のもとに向かう。

 「それで、つばきから事情は聞いたんだろ。もしかしてあれか、あいつと付き合うことになったから、九條とはもう無関係とか、そういう話か?」

 西園寺は机に頬杖ほおつえをついて、つまらなそうに尋ねる。

 昨日の食堂での騒動が原因だろうか、以前の俺なら「さすがは坊ちゃま」とそのまま媚び売ってそうで、思わず苦笑した。

 「まぁ、それも考えなかったわけじゃない。でも、俺だってやられっぱなしで黙ってるほどお行儀良くねぇんだよ」

 俺は胸ポケットから写真を取り出すと、西園寺の机めがけて華麗かれいに放り投げた。だが、写真はあさっての方向に飛んで、彼から遠く離れた床に落ちる。

 「……ほら、拾えよ?」

 「……お前、なにやってんだ。遊んでんじゃねえよ」

 しらばっくれる俺を見て、彼は冷ややかな視線を送る。若干気まずい空気が流れたが、取り巻きの一人が空気を読み、写真を拾い上げて西園寺に渡した。

 彼は呆れた様子で写真を手に取る。だが、それを目にした途端に、表情は一変した。西園寺は机を叩きつけて憤慨ふんがいすると、激しい敵意を向けてくる。

 教室は一気に険悪な雰囲気が漂い始めた。

 「……なんでお前がこれをっ! まさか、昨日のメールはお前が?」

 「さすがは坊ちゃま。学年主任からテスト横流しして貰うなんてやることが大胆だ。まぁ、そうまでして二位なんだから笑えるよな。オール満点は露骨だもん」

 俺は西園寺を指差して、馬鹿にしたようにけらけらと笑った。

 昨日、証拠がなかったので、大宮のふりをしてメールをした。すると、返事はすぐに返ってきたらしく、簡単に証拠は手に入った。念のため、直江はメールを削除したらしいが、後はバレようがバレまいが関係ない。西園寺の様子を見るにバレてなかったみたいだ。

 「てめぇ、こんなので勝ったつもりかよ。こんなでっち上げは何の証拠にもなんねーぞ」

 確かに、こんなものはいくらでも否定できるかもしれない。だが、狙いはそこではない。開き直った俺は、ふてぶてしい態度で言い返す。

 「正直、真実なんてどうでもいい。お前、今年の生徒会長狙ってるんだろ?」

 にこりと笑みを浮かべて、痛いところを突いてやる。案の定、彼は言葉に詰まり、顔をしかめた。票集めのために、こんな時期からわざわざ自宅でパーティやるくらいだ。生徒会長の座に相当なこだわりがあるのだろう。

 「おおやけになれば、生徒会選挙に間違いなく影響が出るよ。噂なんてこの程度で簡単に広まるから。『いばら姫事件』みたいにな。これであの噂もかすんじゃうなぁ」

 俺はすっとぼけた口調で痛烈な皮肉を込める。怒りが沸点に達したのだろうか、西園寺の全身がわなわなと震え始めた。

 「でもまあ、嘘っぱちだと証明するのは簡単だぞ。テストで同じ点数を取り続ければいい。今度は実力で平均九十五点オーバーを叩き出してみろ」

 彼は悔しさをにじませながら、激しい憎悪の目を向ける。これ以上煽るのは不味い。まともに話ができなくなる。

 でも、最後に一言だけ。相変わらず一言多い性格だ。

 「……なぁ、お前、リリアナと付き合ってたらしいな。だったら、あいつの好物知ってるか?」

 俺が淡々とそう尋ねると、西園寺は勝ち誇った顔でしゃくに障る笑い声を上げる。

 「はあ? 知ってるさ。お前が食ったこともないような高級――」


 「あいつは、俺の作る甘い卵焼きが好きなんだよ」

 ――今は自惚れだって言われても構わない。あいつの横暴さも優しさも一緒にいる俺が一番よくわかってんだ。


 たがが外れたように、感情が流れ出して止まらない。次から次へと湧き上がってくる高揚感に身をゆだねて、声高こわだかに言ってのける。

 「いいか、よく聞け。あいつの胃袋は安上がりだが、お前みたいな二位野郎に惚れるほど安い女じゃねぇんだよっ!」

 西園寺はゆっくりと立ち上がると、額に青筋を浮かべながら笑っていた。こいつも行くところまで行ってしまったらしい。

 「じゃあ、なんだ。あいつの隣はお前が相応ふさわしいってか?」

 そもそも、あの女が恋い焦がれる姿なんて想像できない。あいつは色気より食い気だろ。まぁ、それでも色気もあるんだが……。

 あいつは稀代きたいの暴君だから、並び立てる男なんて限られてる。俺は銀縁眼鏡ぎんぶちめがねを指先で押し上げて、勝ち誇った顔で笑ってみせる。

 「俺はあいつの斜め後ろくらいがちょうどいい。なんたって俺は、『眠り姫の下僕げぼく』なんだから」

 「……この奴隷根性丸出し野郎が」

 西園寺、ほんとお前の言う通りだよ。いつの間にか奴隷根性が染みついてしまったらしい。

 とにかく、言いたいことは全て吐き出した。俺は仕切り直すように手を叩いて、交渉にのぞむ。

 「さぁ、ここからは取引だ。まずはピアノ教室の立ち退きを取り消せ。そして、二度とリリアナに近づかないと誓え」

 「いや、宇佐見。ここでお前をボコボコにしてデータを消すって選択もありだろう?」

 「馬鹿、なしだよ。頭に血上りやがってこの脳筋め。バックアップは取ってあるから、ここで俺をボコボコにしても……」

 必死に説得してみるものの、西園寺がそれに応じることはなかった。その間に、取り巻き四人から囲まれてしまう。

 彼は狂気じみた笑い声を上げると、取り巻きの連中もつられて笑い出す。

 ……俺、喧嘩なんてしたことないんだけど。くそっ、調子乗って煽りすぎた。

 すぐさま、取り巻きの一人が大きく拳を振りかぶる。俺は咄嗟とっさに目を瞑ってしまった。

 次の瞬間、右頬に衝撃が走る。勢いそのままその場に倒れ込んだ。

 ……えっ、なにこれ。ちょっ、ギブッ! ギブギブッ! マジで痛ぇ――――っ!

 俺が床に倒れて悶絶もんぜつしていると、西園寺は満面の笑みで語りかける。

 「宇佐見。案外、こういうのが一番効くんだよ。お返しに最後は丸裸にでもして写真撮ってやる」

 取り巻き連中に四方八方しほうはっぽうから一方的に蹴り倒される。俺は床にうずくまり必死に頭だけは守った。

 ……こいつら、容赦ねぇ。だだの死体蹴りじゃん。駄目だ、もう無理――。


 ――瞬間、扉の方から轟音ごうおんが響いた。


 途端に蹴りの嵐が止み、顔を上げようとした、その時。ガラスの割れる音が耳をつんざく。

 俺は思わず身をすくめて目を瞑る。それから、恐る恐る扉の方を見ると、鍵の掛かった扉を蹴り破り、不敵にたたずむ少女がいた。


 リリアナ・九條・ダリ。下僕げぼくな俺の暴君だ。

 彼女は縦に巻かれた髪をさっと手で払い、勝気な笑顔を浮かべている。

 「テツロー、ずいぶんと長いトイレだな。待ちくたびれたぞ」

 「お前、なんでここに……」

 俺は呆けたようにリリアナの顔を見つめる。そんな俺を見て、彼女はふっと鼻で笑った。

 「それと、さっきは散々言ってくれたな。まぁ、ボコボコみたいだし、今回は特別に不問にしてやろう」

 

 ……まったく、何を偉そうに。

 ほらな、俺の思ってた通りだ。やっぱりお前は尊大で横暴で滅茶苦茶なやつだったよ。

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