第30話 僕と暴君①

 翌日。チャイムが鳴り、四限目が終わる。

 その音が鳴り止むの待たずに、俺は勢いよく席を立ち上がる。自然と教壇きょうだんに立つ工藤先生と目が合った。先生はどこか呆れた様子で肩をすくめていた。

 「宇佐見。あの娘に言いたいこと全部伝えてこい」

 「はいっ! あの馬鹿に、必ず伝えます」

 俺がぐっと親指を立ててニヤリと笑うと、先生は満足げに微笑んだ。俺は先生に一礼して、颯爽さっそうと教室を飛び出す。

 教室棟を出ると、緑あふれる回廊かいろうを走り抜けて北棟に辿り着く。年季の入った扉を開けて、俺は息を切らしながら最上階の三階まで一気に階段を駆け上がった。

 俺は今日もまた、あの物置部屋に向かっている。

 だが、いつもとは違う。今日は必ずあいつが待っている。扉の前につくと、俺は胸元に手を当てて、しばらく呼吸と整える。頭と心の整理は既についている。後は覚悟を決めるだけ。

 最後に大きく深呼吸をして、意を決して扉を開いた。

 そこには懐かしい光景が広がっていた。

 腕を組んでソファにふんぞり返る黒髪のツインテール。 

 会うのは何か月ぶりだろうか、実際は二週間ちょっと。でも、それくらい待ち望んでいた光景だった。

 「よぉ、リリアナ。待たせたな」

 一言目はこれに決めていた。こいつめ、散々人を待たせやがって。勝負はこれからだってのに、俺は不覚にもへらっと笑みがこぼれてしまう。リリアナは一瞬呆然としてから、やや困惑した様子で口を開く。

 「……テツロー、何でお前がここに。……いや、そういうことか。キョーコめ、やってくれたな」

 彼女はまんまと出し抜かれたことを察すると、悔しそうに下唇を噛んだ。

 ご推察すいさつの通り、俺は工藤先生に頭を下げて、あいつに学校に来るように伝えて貰った。俺はもうこの部屋には来ていないと付け加えて。

 昨日、先生の恨み節を見て、約束を破るんじゃないかと不安だったが、そこは大人な対応をしてくれた。まあ、俺にはほんと罪ないしな。

 俺は部屋の中に入ると、彼女と向かい合うようにソファに腰かける。ランチバックから弁当を取り出して、見せつけるようにかかげる。

 「ほら、弁当だ。食えよ、お前のために作ったんだ」

 「……お前、まさか毎日来てたのか」

 リリアナは眉をひそめて、疑わしげな視線を向けた。俺はさも当然のようにあっけらかんと言い放つ。

 「ああ、契約だからな。さあ、時間がないんだ。さっさと食うぞ」

 彼女は心底呆れ返って深くため息をつくと、二食分の弁当を受け取った。俺とリリアナはテーブル越しに向かい合い、久しぶりに二人で昼食を取る。

 俺たちはしばらく沈黙を続けて、黙々と弁当を食べた。

 いつもは飲む込むようにむさぼり食うリリアナが、今日は味わうように箸を進めている。食べ方は違えど、時折見せる彼女のはにかむような笑みに、俺は心が満たされていくのを感じる。この穏やかな時間がずっと続けばいいと、素直にそう思った。

 だが、その沈黙を破るかのように、先に口を開いたのはリリアナだった。

 「テツロー、身体はもういいのか?」

 「あぁ、おかげさまでな。まったく、突然不登校になりやがって。快気祝かいきいわいに好きなもん作るって言っただろう。お前はいつだって勝手なんだよ」

 俺は軽口を叩きながら、呆れたように笑う。すると、彼女は一瞬しゅんとして、柄にもなくしおらしげに目を伏せた。

 「すまない。でも、この弁当で充分だよ。私の好きなものばかりだ」

 リリアナはにこりと笑みを浮かべる。だが、その言葉は最後の別れを告げるようで、どこか悲しげにも聞こえた。俺は彼女を繋ぎ止めるように話を続ける。

 「実力テストのお礼も忘れてないからな。部屋を見てみろ、お前がいない間に一つ残さず磨き上げたぞ。かなり苦労したが、無茶な要求はお前の専売特許せんばいとっきょみたいなもんだ」

 俺は両手を大きく広げて、得意げに鼻を鳴らす。リリアナは感心するように頷きながら、部屋の中をぐるりと見渡す。

 「あぁ、凄いな。一つ見当たらない。これで、あの時の非礼は許してやる」

 一つ一つ、彼女は俺との繋がりを断ち切っていく。お前の言いたいことはわかっている。けれど、そう簡単には離れてやらない。

 ……ほんと、いばら姫とはよく言ったものだ。そのとげに触れたら、この関係は終わってしまうかもしれない。それでも俺は一歩踏み出して、彼女の核心に近づく。

 「それから‥‥。お前が起こした『いばら姫事件』ってもの聞いたぞ」

 その言葉に、リリアナの身体がぴくりと動いた。先ほどまでの穏やかな雰囲気が一転して、緊張が走る。思わず息を呑み、心なしか口の渇きを感じた。

 わずかな沈黙を経て、俺はもう一歩、彼女に近づく。冗談めかして笑ってみたが、不安に押し潰されそうで声は震えていた。

 「お前、無茶苦茶やったらしいな。まぁ、お前らしいといえばお前らしいな。でも、二階から落とすのはやりすぎだ。最悪死ぬぞ。その加減のなさも含めてお前らし――」

 ――カタッと箸が置かれる音がした。

 その音は物静かで小さな音でしかないのに、静寂な空間の中で嫌というほど響き渡る。

 覚悟はしていたものの、いざ対峙すると身がすくむような気分だった。俺は小さく息を吐いて、彼女を見据えた。

 「……テツロー。さっきから、何も知らないくせに、あまりこの私を語るなよ。前に言わなかったか。くだらない幻想を私に押し付けるな」

 ひどく冷ややかな声だった。一瞬にしてピリピリと張りつめた空気に支配される。

 それでも、俺は目を逸らすことなく、真っ直ぐに彼女を睨み付ける。不安やら恐怖やら怒りやら、負の感情をい交ぜにして、重々しく口を開く。

 「あん? だったらお前が話せよ。俺はお前から何も聞いていないし、お前は俺に何も言ってないからな」

 俺が攻撃的な口調でそう言うと、リリアナは冷淡れいたんな態度で答えを告げる。

 「お前に話すことは一つだけだ。今日で私とお前の契約は終わりだ」

 「はあ? なんだそりゃ、全然わかんねぇよ……」

 彼女は悲しげな眼差しを向けると、さとすような口調で話を続ける。

 「テツロー、お前だってわかっているんだろう。これ以上、私に関わるのはやめておけ。これで本当にサヨナラだ」

 「だからっ! 全然わかんねぇって言ってんだろうが。そんなんで伝わるわけねぇだろっ!」

 俺はソファから立ち上がると、声を荒立てて顔をゆがませる。

 「何で俺の前から姿を消したのかも。何でお前が引きこもってたのかも。あの時、死にそうなくらい不安だった俺がどんなに救われたのかも……」


 これまで身体中に溜めこんでいた感情を、想いを、一気に爆発させる。

 「何も知らないくせにこの私を語るなだって? 本当のお前? そんなもん俺が知るかっ!」


 俺は肩で息をしながら、彼女に向かってびしっと指を突き付ける。

 「ただな、俺の暴君はやられっぱなしでウジウジしてるほど、お行儀良くねぇんだよっ!」

 そう、リリアナ・九條・ダリは尊大で横暴で滅茶苦茶なやつなんだ。

 ――なぁ、リリアナ。これも俺の幻想なのか?

 彼女は驚いたように目を見開いて、じっと聞き入っていた。それから、はっと我に返ると、気まずそうに目を逸らした。

 まったく、ここまで言ってもまだ駄目か。ほんと可愛くねぇ、強情な女だ。

 俺は頭をがしがしと掻いて、ため息混じりに口を開く。

 「……おい、リリアナ。お前が契約は終わりだと言うなら、俺はそれでも構わない。でも、最後にもう一言だけ言わせろ」

 過ぎた時間を懐かしむように、彼女との出会いを振り返っていく。

 「お前との時間は、ほんと馬鹿馬鹿しくてくだらねぇことの連続だった」

 あの日の光景を思い出すだけで、俺は思わず苦笑してしまう。

 「……けどな、終わってみれば、案外悪くなかったよ」

 「あぁ、私もだよ」

 俺が自嘲気味じちょうぎみに笑うと、彼女も同じように笑ってくれた。


 ――俺たちは確かにあの時、青春ってやつをしていた。馬鹿馬鹿しくてくだらねぇ、でもほんの少しだけ羨ましいと思った。青春を。

 「だから、明日もまたここで、弁当食べるぞ」

 「えっ……」

 リリアナは大きな目をまばたかせて、呆然ぼうぜんとしていた。俺はそんな彼女を余所よそに、くるりと背を向けて扉の方へ歩いていく。

 「言いたいことも言ったし。ちょっとトイレ行ってくるわ」

 「おっ、おいっ! 待て、テツロー」

 彼女は慌てて腰を浮かせて、引き止めるように手を伸ばす。俺は扉の前で立ち止まると、顔だけ振り向く。それから、いかにも今思い出したかのように、あっと声を漏らした。

 「それと、お前が今日食ったおかず、全部野菜入りだからな」

 「なっ……」

 リリアナは驚きのあまり、言葉を失う。そしてすぐさま、その驚いた顔がみるみるうちに真っ赤に染まった。

 やっと見たい顔が見れた。まったく、お前は食わず嫌いなだけなんだよ。もっと自由にいろんな物食べてみろよ。世界が広がるぞ。


 いばら姫なんてくだらねぇ噂がお前にとってかせになってんなら――。

 ――まずはその幻想をぶち殺す! とまではいかねぇけど、かすむくらいは暴れてやれる。

 

 俺は満を持して、宇佐見くんの復讐リベンジを決行する。

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