この箱を開けたら、あなたと結婚します!

江戸川台ルーペ

⭐︎

 ヒカリは二度と失敗しない結婚を望んでいた。

 ヒカリは一度離婚しているのだ。

 原因は、元旦那との性の不一致だった。


「なぁ頼む」

 初夜、ぴったりと寄り添った布団の上で二人が浴衣姿で膝を突き合わせ、「ふっつかものですが」「今後ともよろしく」等といざ参らんとした際、夫から刃渡り30cmもの包丁をうやうやしく差し出され、ヒカリは夫が切腹するのかと思って気が動転した。

「落ち着いて」

 とヒカリは諭した。

「あたし達はこれまでずっとエッチな事を我慢していたけど、ようやくこれでくんずほぐれつ、ダイナミックかつ合法的にダイクマが出来るのよ」

 ヒカリは肉食系女子だった。美しい女性である。短大時代には数名の経験があったが、これからいざ初夜を迎えようとする夫とはキスすら交わしていなかった。一流企業の御曹司、百兆円とも言われる資産を持つ男をモノにする為に、ヒカリはありとあらゆる情報網を駆使し、この男が清楚かつ貞淑な女性を求めていると知ったからだ。


 ナチュラルメイク、髪をゆるふわセミロングに、仕草にシナを作り、時には伊達眼鏡を掛けてインテリジェンスさを演出しながら、ヒカリはようやく念願の結婚にまで漕ぎ着けた。ざっと二万人ほどの恋敵を蹴落としてきた。男に対して愛はなかったが、金に対しては愛があった。だがヤることはヤらないと結婚した事に男が不満を感じてしまうだろうし、子供だって出来ない。


「違うんだ、包丁を俺に突き付けてくれ」

「え?」


 夫は、包丁を向けられないとエレクチオンできなかった。


 そのようにして、ヒカリは念願の初夜を包丁でうっかり夫を刺殺しないように注意しながら迎えなくてはならなかった。


「ああ、最高だよヒカリ、あぁ〜」

「あ、あぶないっ」

 ヒョイと包丁を脇にどかすと、途端にダーティーワーク中の旦那のインモラルは柔らかくなってしまった。

「ちゃんとこっちに向けてくれヒカリ!」

「でも危ないから……!?」

「その命のやり取りが最オブザ高なんだ……あぁ〜、そう、それそれ、俺の首にそう! 最高だよぁあ〜」

「ああああ危ないってば!」

「こここ、殺すぞって言ってくれぇ〜!」


 まったく集中出来なくて、ヒカリの不満はトラトラトラMAXだった。これではとても充実したダイナミック・ダイクマ生活は望めない。


 何度か包丁以外(鉛筆・マドラー・TVリモコン)で試してみたが、いずれも不調に終わった。荒縄で夫の首を締めながらクマるのはギリいけそうだったが、やはり夫は「物足りないので包丁を持ってこい」と顔をま赤紫にしながらヒカリに命令した。「このままでは死んでしまう」


 そのようにして結婚生活は半年で破綻を迎えた。

 元夫の性癖については一切他言無用という念書にサインをし、ヒカリは晴れてバツイチとなった。ヒカリは清々した。包丁を突き付けながらダイクマをするなんてもうゴメンだわ、と思った。そもそも寝室と刃物は相容れないものなのだ。次はまともな、安心してダイナミック・ダイクマができる男性と結婚して、毎晩オノデンボウヤと化してシビれる世界を駆け巡りたい、とヒカリは思った。


 新宿で有名な占い師の元を訪ねると、ふむふむ、と頷きながらヒカリの相談を聞いてくれた。

「では、この箱を授けましょう」

 それは指輪が入るのにちょうどいい大きさの赤い箱だった。実際指輪が入っているのかも知れない。安っぽいフェルト地のようなもので覆われている軽い箱だ。ヒカリは受け取って、早速開けようとした。

「ん……開かない……」

 よく箱を観察してみると、上部に携帯電話の充電ゲージのような青い電子表示があった。「0%」が瞬いている。

「この箱をあなたの目の前で開けられる男であれば、幸せな結婚が出来るでしょう。ただし……」

 占い師は顔を布で覆っていた。

「開ける事ができるまで、男とセックスをしてはなりません。万が一開ける前にシてしまった場合、箱が爆発して大勢が死にます」

「……電池とか大丈夫なんでしょうか」

 ヒカリは質問した。

「そっちが気になりますか。良いでしょう。後ろに接続口があるので、たまに充電してください。iPhoneのでオッケー。はい、お代は五万円です」


 ヒカリは新たに職を得て、週末になると男性とデートをした。

 バツイチとは言えヒカリはとても美しくかつ聡明であったので、男性からのお誘いは頻繁にあったし、友人・知人からしょっちゅう婚活パーティーに声が掛かった。本人も安心してダイナミック・ダイクマができるパートナーを切望していた。結婚に必要なものは何と言ってもお金ではなく、ダイクマなのだ……そこに愛さえあれば完璧だ。


「開けて」

 ヒカリは数度のデートを経て、これは良いダイクマが出来そうだと思う男に箱を差し出した。そういう男は、大抵物静かで、知的で、優しそうな人だった。ヒカリは自分の異性の好みというものを慎重に見極めるようになった。すると、明るく無責任にウェイウェイ騒ぐパーティーピープルより、控えめで知的な男性が好みである事に気が付いたのだ。

「ん」

 と男は受け取って、簡単に開けようとした。

「あれ? 開かない」

「あたし、これを開けた人じゃないと結婚できないの」

「何それ?」

 男は軽く笑った。

「マイナスドライバー借りてくる」

 男はスツールから降りて、穏やかな笑みを浮かべながら言った。

「それでも開かないのよ」

 ヒカリは既に何度か自宅で試していた。マイナスドライバーはもちろん、トンカチ、風呂に沈める、アパートの屋上から落とす、車にひかせる、硫酸を掛ける……全て無駄だった。充電せず、電源を落とせば変わるかと思ったが、上部の青い蛍光表示が暗くなるまで一週間は掛かったし、やはりその後もウンともスンとも言わなかったのだ。


 何人もの男と出会い、食事を重ね、「開けて」と箱を渡す。

 何人かの男は怒って地面に叩きつけ、踏みつけ、馬鹿にするなと捨て台詞を吐いて帰って行った。また別の男はUSB端子にPCを接続してハック的に箱を開けようと試みた。だが男は朝まで作業に没頭したものの、箱を開けるまでには至らなかった。ヒカリはその間、ずっとプレステでバイオハザードをしていた。

「駄目だね」

 と男は眼鏡のブリッジをクイっと上げながら言った。

「この箱は、何もしてないのに壊れている」


 そんな時、偶然高校時代の元カレと再会し、居酒屋で酒を飲んだ。ヒカリはその先輩と悪くないダイナミック・ダイクマを数回した事があったが、ありがちな青春の波に揉まれ、自然と消滅してしまったのだった。


「へぇ」

 元カレは箱に興味を示した。

「ホントだ、開かねえな。変なの」

 すぐに興味を失い、テーブルの真ん中に放って置かれた。やがて二人の話は自然とエロみを増していった。エモみとかそういう高尚なものではない。

「お前さ、最近シてる?」

 元カレが酔った勢いでヒカリに聞いた。ヒカリは結婚に失敗して以来、全くダイナミックしていない事を告げた。

「えー、もったいないなぁ。お前すごくいい身体してるし、感度も良いし、最高だったよ。かわいいし」

 箱に表示されたゲージが上がった。

「でもイキそうになると『オノデンボウヤがァー!』って大声を出したり、ちょっと変だったよな」

 さらにゲージが上がった。

 ヒカリは変化に気付き、箱を勢いよく取った。

「ゲージが上がってる……」

 青い蛍光は、15%と表示されていた。

 ヒカリは元カレを凝視した。

「今、私とダイナミック・ダイクマしたい?」

「だからお前さ、なんでそうダイナミック・ダイクマにこだわるんだよ。ダイクマに親でも殺されたのかよ」

「いいから答えて」

「正直、元カノと会って、ヤレるかもって思わない男はあんまりいないんじゃないかなって……」

 ゲージは溜まらない。

「ハッキリ言って!」

「し、したいです」

 ゲージが18%に上昇した。

「これは……」

 個室の居酒屋だったので、ヒカリは元カレの前でオフショルダーの左側をじんわりと下げていった。セクシーなドモホルンリンクル(今すぐフリーダイヤル)が少しずつ露わになる。

「お……おっ……」

 元カレが鼻の下を伸ばす。ゲージはさらに上昇、24%になった。

「これは、私に対するダイナミック・ゲージなんだわ!」

 ヒカリがついに発見した。

「欲情ゲージだな」

 と元カレがわかりやすく言い直した。

「へー、どんな仕組みなんだろう」

 それから二人はちょっとここには書けないような赤裸々な話をした。例えば、どんな体位が好きか、だとか、愛撫されて気持ちの良い場所はどこか、とか、そういう話だ。ゲージはグングン上がっていったが、94%から先にはどんなにどエロい話をしても進まなかった。

「エレクトしまくりですよ正直」

「あたしのコール・アハーンも正直もう……宍戸錠だわ……」

「だからお前、そういう所だぞ」


 元カレは既に結婚し、幼い子供が二人いた。

「そういうの先に言ってくれないと困る」

「でもさぁ、なぁいいだろう?」

「爆発して大勢が死ぬわよ?」

 ヒカリは二千円置いてとっとと居酒屋を後にした。


 そのようにしてヒカリは箱の謎を解明した。

 だがその解をもってしても、100%に到達する男は依然として出現しなかった。ヒカリの好みの男はおとなしく控えめで、草食系男子と呼ばれる類の男だった。知的でクールな冗談を言ってヒカリを笑わせる。だが、性欲という面ではその男達にとってはまるで「無いようなもの」として振る舞うことがマナーであると心得ているようだった。ヒカリは二人で食事をする事前の段階で服装や髪型の好みなどをリサーチし、自分に磨きを掛けさらにエロさを演出した。スカートを短めにするのはどんな男に対しても効果テキメンだった。その努力の甲斐もあって、コンスタントに50%台後半は叩き出せるようになったが、それ以降となるといまいち伸びが足りなかった。


 ヒカリはため息をついた。100%なんて不可能ではないか、と諦めに似た気持ちを抱いた。ていうか、そもそも世間の夫婦が100%である訳がないのだ。それはヒカリの百回以上にも及ぶ多くの男性とのデートを経て実感した結論だった。ある程度の妥協はやむを得ないのではないか。だが死んでもあたしに100%の何か……欲情……を感じる男を探さなければ、一生ダイクマはお預けなのだ。


 一年が経ち、婚活に精を出しすぎたヒカリは体調を崩した。


「どうしました」

 散々待たされ、ようやくヒカリは医師による診察を受けられた。ヒカリは体調不良を訴え、マスクをした男性医師はそれを書き留めた。

「それでは少し胸を」

 ヒカリはシャツの上から聴診器を当てられた。それから口を開けさせられ、扁桃腺を見られた。

「まあ、単なる風邪でしょう。お薬出しておきますね」


 家でヒカリは箱の異変に気が付いた。

 89%を超えていた。尋常ではない上がり方だ。誰かが私にものすごく発情していたのだ。ヒカリはマスクをした若い医師を思い出した。しかし、私よりもかなり歳下そうだったけど、とヒカリは思った。それから自分を診察している時に医師がどんな目をしていたかを思い出そうとしたが、無駄だった。本当に熱が高かったのだ。


 翌週、ほとんどヒカリの体調は回復していたが、しっかり病院へ赴いた。きちんと化粧をして、普段着にほんのりと香水を付けた。

「経過はどうですか」

 マスクをし、穏やかな目をした若い医師が落ち着いた声でヒカリに尋ねた。この男は本当に私に欲情をしているのだろうか?

「少し喉が痛いです」

「口を開けてください」

 それから医師は棒のようなものでヒカリの舌を抑え、扁桃腺を見た。

「大分良くなっているようですね」

 コリコリとカルテに書き入れた。

「すいません、ちょっと携帯を……」

「どうぞ」

 ヒカリは携帯をバッグから取り出す振りをして、箱をチェックした。32%、やはり欲情している。だが意外と低い。

「何だか動悸もひどくって」

「少し見ましょう。む、胸を開けてください」

 医師が少し噛んだ。それから咳払いを小さくした。

 ヒカリは上目遣いで医師の様子を確認しながらわざとゆっくり青いニットのカーディガンのボタンを外していった。その下から薄い黄色のブラウスに包まれた大きい胸が現れた。医師は聴診器をその上から当てた。

「問題はないでしょう。コーヒーなどを摂り過ぎてはいませんか?」

「コーヒーは苦手なので……」

「そうですか。僕と一緒ですね」

 また机に伏せてカルテに書き込んでいる間、ヒカリは箱をチェックした。92%。ダントツだ。この男は、あたしとクラッシュ・バンデグーがしたくてしたくて堪らないのだ。そう思うと、ヒカリは目の前の医師が可愛く思えてきた。それはおとなしい男性が好きだという自分の好みに気付いたのと同様、意外な事だった。ヒカリは年上の男にしか興味が無かったのだ。

「先生、もしよかったら……」

 思わずヒカリは口にした。

「道玄坂に美味しい紅茶が飲めるお店があるので、ご一緒していただけませんか?」

 医師は呆気に取られたように顔だけをヒカリに向けて固まった。

「え、あ、はい。ぼ、僕でよければ」

 どっちが患者なのか分からないくらい、医師は赤面した。マスクを外すと、端正な顔立ちが現れた。


 数回のデートを重ねる内に、箱のゲージは調子が良いと98%をマークした。だが2%が埋まらなかった。箱の件については、医師に既に明かしていた。あと2%さえ埋まれば、あたしはあなたと結婚したいのだとヒカリはハッキリと伝えた。

 医師は美しい歳上の女性の匂い立つような色気にあてられ、大人な仕草と思わせぶりな会話に、期待で胸とそのダイダラボッチははち切れそうになっていた。だが男として女性をエスコートし、リードする事は義務であると思っていた。ヒカリはその気持ちは嬉しかったが、空回りする歳下の男の子特有の暑苦しさに苦笑いを禁じ得なかった。


「ねえ」

 ヒカリはデートの別れ際、自宅のマンションの前で医師に言った。

「あなたは、あたしとどうしたいの? もう、この2%が埋められないのは、箱が壊れてるんじゃないかって思うくらい、あたしはあなたとダイナミックしたいと思ってるのに、何で駄目なのかしら? ちゃんとあなたは全てをあたしに打ち明けていてくれているの?」


 それから二人は会話でだけでダイナミック・ダイクマをしているかのような濃厚な話をした。どこを舐めたいとか、どのようにエントリーしたいとか、そういう事を。医師はヒカリの事を如何に愛しているかを力説した。君を必ず幸せにする。僕と結婚すればこんなにいい事がある。うんたらかんたら。


「駄目ね」

 重たい雰囲気が立ち込めた。

「今までありがとう。これから一生、風邪を引かないようにするわ」

 ヒカリは背を向けて、歩き出した。


「いやだ! ママいかないで!」

 医師が泣き出した。

「ママ! ずっとママって甘えて大きいおっぱいにおギャってバブりたかった! 男だから我慢してたんだ! バブりたい! おギャリたい! ママー!」


 ヒカリは絶句した。

 そして、「チン!」という十年前の電子レンジみたいな音がヒカリのバッグの中から響いた。


「まさか!」

 ヒカリは箱を取り出した。

「開いた!!! 」

「やったー!」

 二人は抱き合ってクルクルと回った。

「あなたが素直な気持ちを打ち明けてくれたからよ! この、甘えん坊さん!」

「ママ、ママ〜!」

「……うーん、ちょっと気持ち悪い……けどまぁオッケー!」


「箱開けてみようよ」

 医師が息を切らして提案した。

「そうね。何が入ってるのかしら?」

 二人の手のひらの上で、箱の蓋を恐る恐る開けた。

 0.002と表記されている極薄コンドームが、その中央でまるで結婚指輪のように輝いていた。


「コンドーム……」

 男が呟いた。

「あたしと結婚してください」

 ヒカリがプロポーズした。

「もちろん」

 男が微笑んだ。


 二人は目を見合わせて、ゆっくりと手を繋いだ。

 大体そのようにして、幸福が二人に訪れた。

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この箱を開けたら、あなたと結婚します! 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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