『蒲田』あの熱かった日々ー1

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第1話 『蒲田』あの熱かった日々

            【1】


 あれはぼくが高校1年生だった頃の、ある土曜日の出来事だった。

 京浜蒲田のアーケード街を歩いていると、黒い学ランの高校生がぼくを呼び止めたのだ。

「おい、お前。ちょっとツラ貸せや」

 黙ってビルの脇に付いていくと、その高校生が凄んだ。

「ちょっと、金貸してくんねえか。お前、いくら持ってんだ」

 男の学ランの詰襟に、3本のペン先が三菱マークのようにデザインされている校章が見える。

 剣呑な光が宿っているその目に、ぼくは蚊の鳴くような声で答えた。

「・・・・・・お金、ありません」

 男はぼくの胸ぐらをつかんで揺さぶり、さらに凄んだ。

「てめえ、ふざけてんのか。怪我してえのか。あ。あ」

 そんなやり取り、押し問答がしばらく続いているとき、ぼくの背後から声がした。

「コバ、何してんの。そんなとこで」

 声をかけてきたのは、去年まで同じ中学校に通っていた木村クンだった。

 木村クンはぼくとその男のあいだに入ってきて、

「おっ、どこのどいつと思いきや、東十条の三ペン野郎じゃないの。もしかしてお前、オレのダチからカツアゲしようとか思ってんの」 

 木村クンはそう言うないなや、いきなり男の顔面にチョーパンを叩きこんだ。

 チョーパンとはいわゆる頭突きだ。のけぞる相手に木村クンは顔を近づけ、

「てめえ。今度蒲田でこんなことしたら、こんなもんじゃ済まねえぞ」と恫喝した。

 男は捨て台詞を吐いて、鼻を押さえながら逃げていく。

 それを見ながらぼくは、木村クンに感謝の言葉を述べた。

「木村クン、ありがとう。おかげで助かったよ」

 木村クンは頷きながら、

「いいんだよ。そんなこと」。

 そして言葉を続けた。

「ほら、この先の多摩堤通りにブルースポットっていうライブハウスがあるだろ。あの店に出ているルパンズのべ-スがオレのマブダチなんだよ。マサルって言うんだけどな」

 木村クンは言葉を続けて、

「そのマサルが先だって三ペン野郎にボコボコにされたんだよ」

「マサルは高輪商業だから、制服は紺の海軍服なんだけどよ、それを三ペン野郎は国士館の黒の海軍服と間違えやがってな」

「それでオレ、今、その仕返しで三ペン狩りしてんだよ」

 黙って話を訊いているぼくに、木村クンは誘いの言葉を投げかけた。

「そうだ。コバ。その三ペン狩り。オレに付き合わないか」

「別に手を出さなくたっていいよ。見てるだけでいいんだよよ。一緒にいるだけで安心できるから」



              【2】


 その申し出を了承したぼくは、それから毎週土曜日、木村クンとつるんで蒲田の街を闊歩した。

 三ペン野郎とは、京浜東北線東十条駅に近い在日系高校のツッパリたちのことで、駅という駅、電車という電車で日本人高校生にケンカを売ったり、カツアゲをする恐怖の不良高校生集団だった。

 木村クンはそれらしい生徒を見つけると、まずガンを飛ばした。

 不良同士はそれだけで、ケンカが始まるのだ。

 でもその不良同士のケンカにはルールがあった。

 基本はタイマンで、武器は使わず、素手で殴りあって相手が戦意喪失した段階で終わる、というものだった。

 木村クンのケンカの基礎は、どうやら空手らしかった。でも正式に習ったわけではなく、小学生の頃、少し道場に通った程度だという。

 その木村クンのケンカは、まず先手必勝だ。

 相手がその気になる前に木村クンはチョーパンや肘打ちを出す。

 たいていの相手はそれで戦意を喪失するが、なかにはタフな奴がいる。

 そんなタフな奴に木村クンは容赦なく、正拳、肘打ち、前蹴りを叩きこんだ。

 連戦連勝。ぼくが見ていた限りでは木村クンは無敵だった。最強だった。

 それは今思うと、彼はただ強いだけではなく、その民族に対する怒り、怨嗟、憎悪がエネルギーを増幅させていたからだと思う。 

 なぜなら彼は日ごろからその民族に対する侮辱の言葉で、三ペン野郎たちをののしっていたからなのだ。


              【3】

 

 やがて蒲田から三ペン野郎どもがいなくなった頃、その事件は起きた。

 木村クンは身長175cmくらいだけれど、相手はそれ以上の大柄で185cmくらい、体重も木村クンよりありそうだった。眼光の鋭さも体重も、これまでのどの相手より強そうだ。

 こりゃダメかな。ぼくがそんな不安に思っている最中にケンカが始まった。

 木村くんはいつものようにチョーパンを仕掛けたが、相手はそれを軽いウェービングで避けた。そして、スウェーバック、バーリング、ヘッドスリップ。

 木村クンの正拳突き、キックはことごとくブロックされるか、かわされ続けた。

 そしてその間隙を縫って、相手のジャブやストレートが確実に木村クンの顔面にヒットする。

 どうやら相手はボクシング経験者らしかった。

 空手とボクシングでは軸足が異なるから、歯車が噛み合わない。体重移動の方法も違うから、次の攻撃が読めない。さらに相手はフットワークも使うので木村クンの攻撃はほとんどが空振りになる。

 やがて劣勢で押され気味の木村くんは助け舟を求めるようにぼくを見て、「コバ」と叫んだ。そしてこっちに来いという意味の手招きをする。

 ぼくは条件反射で身体が前に動いた。すると相手はぼくに視線を移して、ぼくからの攻撃に構える。

 相手が木村クンから目をそらしてぼくを睨んだ刹那、木村クンの中段回し蹴りが相手のわき腹に突き刺さった。

 さらにその直後、けたたましいホイッスルが鳴って、自転車でやってきた警ら中の警察官が二人、木村くんと相手の間になだれ込んできた。


              【4】


「やめろ。やめるんだ。警察だ」

 木村クンと相手の怒号や罵声と、警察官の怒鳴り声が蒲田の街に響く。

「暴れるな。いい加減にしろ。逮捕するぞ」

 その警察官の大声でケンカは中断された。

「てめえ。汚ねえぞ。タイマン勝負に仲間呼ぼうとしやがって」

 警察官に動きを封じられた相手は、わき腹を押さえながら木村クンに毒づく。

「ばーか。作戦だよ。作戦」

 木村クンは唇の端から少し血をにじませながら、耳の上を人差し指でトントン叩き、相手をあざ笑った。


              【5】


 現場は続々と野次馬が集まってきて、騒然となっている。 

 やがてそこにサイレンを鳴らしたパトカー3台と救急車1台がやってきた。

 どうやら相手はろっ骨にヒビが入ったか、骨折したらしく、わき腹を押さえたまま

救急車で運ばれて行った。

 そしてぼくと木村くんは別々のパトカーで蒲田警察署に連行されたのだった。


              【6】


 ぼくは連行されるパトカーの中で考えていた。

 あのとき木村クンは、ぼくに助太刀してほしくて名前を呼んだんだろうか。

それとも相手の気をそらすために、名前を呼んだんだろうか。

 蒲田警察署に連行されたぼくに、少年課の刑事による事情聴取が続いた。

 それも三人の刑事が一人ずつ時間をズラして何度も同じことを訊き、供述書に書き込むのだ。

 ぼくは思った。もし3回のうち1回でも供述が違っていれば、警察はそこを突いてくるだろう。

 またその供述は木村クンのそれとすり合わせされるだろう。

 だから嘘なんて言えなかった。

 ぼくはありのままを少年課の刑事に話した。


              【7】


 やがて警察から連絡を受けた母親が心配を顔に張り付けて署までやってきた。

 いわゆるガラ受けだ。こういう事件の関係者は身内のガラ受け人がいないと帰してもらえない。

 木村くんの父親、あるいは母親はまだ来ていない。

 たぶん仕事か何かで遅くなっているんだろう。

 ぼくは自分の母親を先に帰して、木村クンを待つことにした。

 木村クン。キミはほんとうにぼくに助けを求めたくて、ぼくの名前を呼んだの。

それとも相手の気をそらす、作戦だったの。


              【8】


 静まり返った蒲田警察署の廊下。少年課の前の廊下。

 けれど木村クンはなかなか、その取調室から出てこなかった。

 1時間くらいして、やっとその少年課から担当刑事が出てきたので、ぼくは訊ねた。

 「あのう・・・木村くんの調べ、まだ終わらないんですか」

 担当刑事はちょっと考えてから答えた。

「木村くん。ああ、中にいる高校生のことかな」

「はい。そうです」

ぼくが答えると、担当刑事は意外なことを口にした。

「あの高校生はね、ほんとうは木村って名前じゃないんだよ。金昌博(キム・チョンパク)っていう名前の、在日なんだよ」




                        《この項続きます》









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『蒲田』あの熱かった日々ー1 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7

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