窓に映った黄衣の王

@NanOoo_87

窓に映った黄衣の王







この病院の待合室は、一階の受付の他にもうひとつある。



入り口で受付を済ませた後、本当にただ待ち時間を過ごすためのラウンジ。

コーヒーマシンやウォーターサーバー。お菓子やカップ麺まである様々な自動販売機。

テーブル席と離れた薄いピンクや緑のソファ。


診てもらうものと付き添いで来た人たちや検査の結果待ち、受付を済ませて順番が呼ばれるまで長い時間がかかるひとは4階のここで待っている。


アナウンスがかかるまで、ノートパソコンを開いて仕事をしている人もいれば、食事をしている人もいるし、字幕表示をオンに設定された大きなディスプレイのテレビを見ているひともいる。机に伏して休憩している人もいた。


座る場所もテーブルも、頻繁に職員のひとが消毒しにやってきてくれるおかげで清潔そうだ。長時間ここで待っているときは、もう何回彼らがやってくるか数えてすらいないくらいに入れ替わり立ち代わりやってくる。ごくろうさまだ。





私もいつもこのラウンジで待つ。


長いときは一度で四時間くらいここで過ごすこともあった。

それだけいろいろなことに時間がかかる。

大抵はスマホをいじっていればあっという間だけど、その日はなんとなく窓辺に座っていて、そして気づいた。


なにかが飛んでいる。飛ばしているひとがいる。


テレビから視線を外し、スマホからも顔を上げた時、彼に気づいた。

病院の窓から見える土手で、たった一人飛行機を飛ばしているひとがいた。

外は薄曇りだ。そして肌寒い12月。川沿いの土手は全体的に緑の芝生で覆われてはいて自然が豊かではあるけれど、そこまで頻繁に刈り取られていない背の高い草が薄茶色に茂みを作っている。


そこに、鮮やかな山吹色の、黄色いジャケットの人がひとりぽつんと立っていた。


明るいグレーの外、下半分に緑の景色の中で、その黄色は目についた。

そして彼が飛ばしている飛行機の模型は真っ白だ。光って見える。


おそらく男性だ。

だけどここからではその飛行機も3ミリくらいだしその人物も5ミリくらいに見えている。

飛行機はドローンのようなものではなく、紙と木で作られているような、もしかしたらプラスチックも使っているかもしれないけれど、とにかく凧のようなものだった。


時計塔のある海の見える町で、飛行船からぶら下がったあの少年がエンドロールで漕いでいたような飛行機。それが高く高く昇って行ったかと思うとΩを描くよう彼の手元へと戻る。4階の窓からみてあんなに高く昇って行って見えるということは、数十メートルの高さまで風を掴んでいる。もしかしたらプロペラにきちんと仕掛けがあって、見えないほど小さい彼の手元ではなにかを操作していたのかもしれない。


誰も、私以外こんなことに気づいていない。


彼がいる周りの緑には誰もいない。これだけひいた視界から誰もいないように見えるということは、彼自身からみても見渡す限り無人なんじゃないか。

土手をあがった先の道にも通りかかる人すらいない。あの川沿いはよく散歩道やランニングコース、サイクリングコースにしている人もいるけれど、平日の昼近いこの時間になぜか一切無人だ。そして当然、この待合室にいる誰も窓の外の、遠くの彼にも、宙を自由に旋回して飛び回る飛行機にも気づいていなかった。


観客がわたしだけの大道芸のようだ。

彼はわたしのために今日この時間にあの場にいたのだろうか。


なんとなく、今日はこのおもちゃを飛ばしてみようと思い立って、なんとなくあの場でそれをしはじめたとしたら、その『なんとなく』という無意識の先には私を愛する集合無意識が働いていたのだろうななんて感じてしまわざる得ない。


私には昔から見えざる手の因果関係が見える。

そして、目の前に起こった現実の道筋も見えるほうだった。


窓はウィンドウだ。スマホをいじってブラウザを開いていても、顔を上げて窓越しの景色を見ていても、実際はそう変わらないことをしている。


彼から私が見えるわけがない。

黄色の上着の彼から見て、まずこの病院の窓など見えていないだろう。

私からも顔までは見えない。

3ミリほどに見えるような遠さの動き回る白い飛行機を、薄曇りの昼間のなかで捉えられる程度の視力や洞察力があっても、彼を見てわかるのは川辺の緑のなかでまっすぐ立っていて動かないことと黄色いジャケットにジーンズをはいた男性だということだけだ。


目を凝らしても見えない彼に顔などないのかもしれないな、なんて連想するのはさすがに実在する彼に失礼だ。彼は私のために遣わされた何も知らずにエンターテイナーとなった人間。生きた人間なのだから。そしてあの黄色い服の彼にも、黒い彼にも当然顔はある。どちらも観測できないだけだ。


黄色い衣を纏っていようとワルモノではない。

しかし今、この瞬間、誰もいない緑の野原では王様かもしれない。


窓に向かってぼーっと視線を向けていて、おやあれは、と気づくことは本当に昔から多かった。いつもそうだ。私しか気づいていない。普通に考えておかしいようなことがよく起こった。それを授業中に指摘してみたら面白いことになったことも、誰も気づかず自分だけああなんだあれあんなこと起こってるのにだれも気づかないのかよとそわそわしながら終えたこともある。それはやっぱり私がそういう目の持ち主だったからだろう。


しかし、これはまた随分久しぶりだ。

それもいちだんと素敵なショーを見せてくれる。


私がここで拍手しても彼には届かないだろうが、賞賛と感謝の意はこころのなかで送らせてもらった。どんな人物だったとしても、きっとあんなことが出来る彼は私と同じ特別な人間だ。

彼の手から離れた飛行機のおもちゃは少なくとも30m以上は高い空に飛んでいる。

それも飛び上がってただ落ちてくるのではなく、降りてくるときはなめらかに滑空しまっすぐ地面と平行に滑るように飛びながら彼の手元へ戻っていった。

そして彼はずっと動いていない。飛行機を受け取りに右へ左へは走っていない。

やはりラジコンのようになっているのか?プロペラは頭部分にしかついていないように見えるけれど。そして彼の手元は見えないけれど。


運命や奇跡などに対して必然に至るまでの逆算が理解できる自分にとって、感謝すべき神は。その手の持ち主は、それはやはりつい先月にその方程式と同化した自分だった。



すてきなことだ。うれしいな。

今日はいいことがあった。

ああ、もったいないな、こんなにすごいというのに。

あんなにきれいな流線を描いているというのに。


つい勿体なくなってしまってスマホをかざした。

録画しはじめてみる。するとカメラ越しではすぐに見失ってしまう。

なんとか数秒収めたところで、彼はそれをやめてしまった。

彼は手元に戻した白い飛行機を裏返したり回したりしたあと、踵を返していってしまう。


あーあ、やっぱりこういう奇跡はシャイだなあ。

記録に残されるのは嫌か。

そういうものかもな。


カメラを止めて手を下した途端、私の目の前に、集中してくぎ付けになっていた窓ガラスの向こう側にクリーム色の可愛い羽虫がとまった。ぱっとあらわれ、どんと視界の中心に収まる。


そしてその子が退場していく彼を隠した。

見せられないよ、これ以上見ちゃ駄目だよ、というような動画の修正スタンプのようだ。

実際そういう役目だったんだろう。


その子もとてもかわいい子だった。私は昔から虫が好きだ。甲殻類の裏側だけは少し後から苦手になったが、それ以外は物心ついたときから今に至るまでだいたいは平気だった。その子がなんという種類に分類されるどんな虫だったのかはわからない。まあ体のつくりを見るに刺したりする子じゃなかったと思う。蛾と蠅の中間のような子だが、顔や触覚的には蠅じゃない。蛾にしては小さく翅のつくりがちがう。まあとりあえずかわいい。


ただただ透き通った翅も足も身体もクリーム色で、小指の爪の半分程度の大きさの羽虫だ。小さきもの。

12月の肌寒い日に、この子も彼と同じく何故か私の窓越しの向こうにいた。そして何故か、黄色の服の彼がショーを終えると同時にこの私の目の前の窓ガラスに留まった。


そしてその、『何故か』が何故ことここに至ったのかが、私には流れが見える。



本当になにもかもが愉しませてくれる世界だ。

謙虚に恥じらったのか、ショーの最中は録音録画は禁止ですというスタンスなのか、とにかくそういうことらしかったので、しかし私としてはもったいないほど素敵すぎたので、これは言葉に書き残しておく。感想くらいはいいだろう。




これは数日前、私の目の前で実際に起こった素敵な出来事。

なんの脚色もしていない。実録の日記。

動画も正直数秒程度なら撮れているけれど、私の言葉でエッセイとしてここに記す。




きっとあなたも気づいてないだけだ、いつでも窓の向こうでは素敵なことが起こっている。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

窓に映った黄衣の王 @NanOoo_87

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ