三
舞台暗転のまま、由美子と佳奈の歌声だけ。
由美子 ヨーイヨーイ、ヨイヨイヨイ。
佳奈 アリャランコリャラン、コーイトナ。
由美子 お前好きだとて、親捨てらりょか。
佳奈 金で買われる親じゃない。
由美子 ヨーイヨーイ、ヨイヨイヨイ。
佳奈 アリャランコリャラン、コーイトナ。
照明つく。前の幕から一晩明けた翌朝、港。由美子と佳奈が一幕と同じく見得を切っている。二人は冬道を走る用の防寒スポーツウェア。由美子は蜜柑の入ったビニール袋を手に提げている。そこにニシン様、下手からゆっくり入ってくる。
ニシン様 今度のはね、子叩き唄って言ってね、陸に戻ってきてから、網にこびりついてる数の子を棒で叩いて落とすんだけど、そのときに歌う唄なんだわ。
由美子 ニシン様は昔っからこの唄が一番好きだもね。
佳奈 あ、私も。
ニシン様 子叩き唄はね、陸の唄だからさ、海の上でやる唄ほどおだってなくてな、いいんだわ。
由美子 (佳奈に)どう、ちょっとか、すっきりしたべか?
佳奈 んー、いや、あんまり。
ニシン様 なしたのさ。朝から大声出して、由美子ばあ連れて島一周して。
佳奈 なんか、昨日の晩に綾さんから星のこと教えてもらって、そのときはなんかその場の雰囲気に結構じーんときたんだけども、家帰って布団の中で考えたら、なんかやっぱりもやもやが収まってなくて。だからちょっと、わーって。
ニシン様 わーって。
佳奈 でもだめだね、叫びながら島を一周したけど、こんな島、わーって言ってる間にぐるっと回れちゃうもな。
ニシン様 三十分もあれば回れるベな。
佳奈 なんなら途中で、杉山さんちのおばさんに挨拶されるし。
由美子 内地の息子さんから蜜柑送られてきたんだって、これ貰ったわ。はあ。走って唄ってもう体こわい。
ニシン様 それで、昨日のお客さんはどうしたの。
佳奈 綾さんね、もう今朝の便で帰っちゃうんだって。ほんとはもうちょっと時間あるらしいんだけど、ほら、冬は便が少ないし、荒れることもあるべな。
由美子 島ではそのとき乗れるものに乗れって。
佳奈 よく言うけどね。
ニシン様 慌ただしいな。
佳奈 みんなそうやって、何も片付けないで乗れるものに乗っていったんだべか。
ニシン様 そんで、お客さんのことみんなで見送るの。
佳奈 うん、まあなんとなく、そんな感じ。もうすぐ陽くんも来るって。
ニシン様 はあ、それでお客さん本人より先に港さ着いてるんだから、なんだかいたましいべな。帰ってく人は自分の帰ってく家のことばっか考えてんのに。
佳奈 そんなことないでしょ。
ニシン様 ニシン漁もな、季節が終わると出稼ぎに来てた若い衆が元いた内地へ帰ってくんだけど、その早さったらなかったな。給金さもらったら後はもう用無しよ。
●鉄蔵 佐藤さんはよう、もう腰が弱っちゃってるから。とにかく低く入って、上に突き出していくんだよ。
●陽 でもはたき込まれないですかねえ。うちの父さん、そういうのあるからな。
●鉄蔵 いやあ、卒業相撲で親側がそんなことしたっけ大変だよ。大丈夫だからやってみなって。ほれ。
上手から鉄蔵と陽が●を言いながら入ってくる。二人は前幕までと同じ服装。陽はリュックサックを背負っている。
陽 あ、佳奈、もう来てる。
佳奈 げ。
陽 げって。
佳奈 なんでそんな仲良くなってんの。
陽 相撲とった。
佳奈 は? 昨日そういうのやだって、陽くんも言ってたのに。
陽 そうだけど。ずっとそうってわけにもいかないから。
佳奈 何それ。
鉄蔵 いや、陽もずいぶん大きくなってたんだなあ。佳奈を任せるにはまだまだだと思ってたけど、相撲にはなかなか粘り強さがあるもな。投げても投げても向かってくるしな。俺もゆるくなかったさ。はっはっは。札幌に行っても佳奈を頼むべな。
陽 はい!
佳奈 ちょっと待って、何それ、何それ? なんでそんなの、相撲なんかで決まるの? それ、全然私と関係ないじゃん!
陽 なんか、昨日の夜、俺も考えたんだけど、とりあえずはこういうの、しょうがないんじゃないかな。
佳奈 なにがさ!
鉄蔵 昨日から何いちいち怒ってんの。お、母さん、それ何。
由美子 蜜柑。杉山さんにもらったの。
鉄蔵 一個もらうわ。相撲とったら喉渇いた。陽も食うベ。
鉄蔵、由美子の手のビニール袋から蜜柑を二個取り出し、一つを陽に放って渡しもう一つを自分で向いて食べる。陽も受け取ったものを剥く。
由美子 佳奈も要るかい。
佳奈 要らない。
由美子 ニシン様は、後で神棚に供えておくべさ。
ニシン様 ああ、ありがとうよ。大漁祈願しておくよ。
由美子 そうかい。
陽 (食べ終わって、手に残った蜜柑の皮を見ながら)皮どうしよ。ばあちゃん、その袋に入れといてもらっていい?
鉄蔵 なんもさ。その辺投げといたら、雪解けた頃に畑の肥料になるよ。
鉄蔵、そう言って自分が持つ蜜柑の皮を無造作に足下に投げ捨てる。それを見た佳奈、不機嫌そうに目をそらす。
陽 いやあ、鉄蔵さん、雪が解ける頃には、僕らもうこの島にいませんから。(佳奈に向かって)あのさあ、しょうがないんだよ、もう、こういうのは。
佳奈、無言で陽から蜜柑の皮をふんだくり、鉄蔵の腰辺りに向かって思い切り投げる。鉄蔵にぶつかって足下に落ちた蜜柑の皮を、ニシン様が拾って由美子の持つビニール袋に入れる。しばらく気まずい間。
綾、下手より小さめのキャリーケースを引いて登場。前の幕までと同じ服装。
綾 あ、皆さん。
佳奈 やっと来た。もう、すぐ船出ちゃうじゃないですか。
綾 なんかね、昨日からスマホの電池の調子がおかしくて。ギリギリまで宿の部屋で充電してたんだ。(バッグからスマホを取り出して)うわ、もう六十パーセントだ。なんだろうな。
陽 暖めるとちょっと戻るかもです。
綾 (手でスマホを暖めながら)えー、やっぱ気温なのかー。
由美子 今日の内に東京さ着くのかい。
綾 いえ、羽幌でだいぶバスを待つので。今日は札幌で一泊です。
由美子 車出してくれる人いないと大変だべな。
綾 ええ、自分で借りようかとも思ったんですが、雪道はちょっと不安だったので。
佳奈 綾さんでも、不安でやめることとか、あるんですね。
綾 そりゃあるよ。佳奈ちゃんには不安なことってないの?
佳奈 あるけど、不安は、乗り越えるものだと思ってます。
綾 それはね、うん、多分、そうなんだけど。でも、なんていうのかな、乗り越えなくてもいい不安も、いっぱいあるよ。そう、私みたいに一人でなんでもやろうと思ったら、特にね。自分の不安くらいしか私を止めてくれないこと、あるから。
佳奈 そんなの、分かんないです。
陽 佳奈の番兵なら俺もやれるしょ。俺が見てますよ。
佳奈 さっきから、なんなのもう! (綾に)私を連れてってくれないのも、それなんですか。
綾 なにが?
佳奈 昨日、東京に一緒に連れてって欲しいって頼んだら、私のことふったじゃないですか。
綾 ああ、それ。
佳奈 そんな軽く、
綾 それはまた別だよ。佳奈ちゃんはきっと、すぐ自分でなんでもできるようになるから。それを私が途中で連れてったら、良くないんだよ。
佳奈 なんでそんなこと分かるんですか、なんでみんな私のこと勝手に決めるの。
陽 (佳奈へ、言い聞かせるように)ぜんぶ、そういうのぜんぶ俺のせいでいいから。
陽、背負っていたリュックサックから、ラベルのない缶詰が十個ほど入ったビニール袋を取り出し、向き直して綾へ手渡す。
陽 えっと、島の土産です。うちの中学で作ったんですけど。
綾 中学校で?
陽 地元の観光と水産とを両方学ぶっていうんで、島で採れたものでこういうのを作る授業があるんですよ。学校に、缶詰を作る大きな機械があって(言いながら、大型の製缶巻締機のレバーを引く仕草をする)。
綾 ごめん、その仕草が何をしているのかは知らないけど、(ビニール袋から一つ缶詰を取り出していろいろな角度から眺める)でも、へー、手作りの缶詰なんだ。ちゃんとしてるね。中身は?
陽 この島で採れたウニとかホタテとか。
綾 あ、そうなんだ。え、すごいね。もらっていいの? ありがとう。
陽 どれがどれかは開けてみてのお楽しみです。たぶん半々くらいだと思うんですけど。あと、運が良ければ、当たりの缶には隣の島で捕れたペンギンの肉が入ってます。
綾 え?
陽 冗談ですよ。ペンギンなんか、自分もこないだ札幌の動物園で初めて見ました。
綾 あ、そうなんだ。旭川の動物園に行ったりしないんだね。
陽 地方(じかた)なら、もうどっちも近いとかないですよ。
そう、それで、動物園で象とかも、こないだ札幌で初めて見たんです。象、やっぱりめちゃめちゃ大きくて。(徐々に綾から目線を佳奈に移しながら)象の建物、建てたばっかりらしいんですけど。それが、象が四匹住むために、ものすごく広い砂場とプールが用意されてて。もう、全部合わせたらここの港がすっぽり入っちゃうくらい。でも、のっしりのっしり歩く象を見てたら、それが全然広すぎるようには見えなくて。
昨日、札幌からこの島に帰ってきて、一晩考えたんです。(どんどん熱を込めて)佳奈が、この島を早く出て行きたがっていることとか、この島の狭さとか、前から佳奈が言ってた意味がやっと少し分かったんです。それから、札幌に行ってから佳奈を守ろうと思ったら、自分がどうしなくちゃいけないか。
たくさんの下らないものを、佳奈に届かせてはいけなくて、俺が受け止めればいいんだ、当たり前みたいに。俺はものすごく広い何かになって、でもそれは佳奈と一緒にいたら、全然広すぎるようには見えなくて、ちょうどいい大きさになるんだ。だから、佳奈。
陽、抱き留めるように佳奈に向かって両腕を広げる。
佳奈 (感極まったような声で)陽、くん。
佳奈、陽へ駆け寄り背中へ両腕を回す。陽が佳奈を抱きしめようとする前に、佳奈が陽へ足を掛け左へ強引に合掌捻りで倒す。ここから終幕までスピーディーにテンポ良く、倒されたものはそのまま倒れている。
佳奈 (吐き捨てるように)馬っ鹿じゃないの!
ニシン様 ただいまの決まり手はぁ、合掌捻り、合掌捻り!
佳奈、そのまま鉄蔵へ向かっていき、低く入って蹴返しにして鉄蔵を倒す。
ニシン様 ただいまの決まり手はぁ、蹴返し、蹴返し!
佳奈、大きく肩で息をしてから反転して、綾へ向かう。
綾 え、私も?
佳奈、答えずにそのまま綾へ抱きつき、いったん持ち上げてから鯖折りにして綾に膝をつかせる。
ニシン様 ただいまの決まり手はぁ、鯖折り、鯖折り!
下手から江藤が駆け寄ってくる。
江藤 ちょ、ちょっと、え、何をしているんですか、喧嘩はやめなさい!
佳奈を止めようと駆け寄ってくる江藤の勢いを利用して、佳奈、江藤をたすき反りにして腕をつかせる。
ニシン様 ただいまの決まり手はぁ、たすき反り、たすき反り!
佳奈、反転してニシン様の方を向く。一瞬見合う。
ニシン様 佳奈っぺ、そうだ、むしろ俺も投げろ! そうしてこの島を、
佳奈、ニシン様の言葉を全く聞かず、駆け寄り台詞の途中で舞台上手側へニシン様を勢いよく押し出す。
ニシン様 (舞台の外から声だけで) ただいまの決まり手はぁ、押し出し、押し出し!
佳奈、由美子へ向き直る。その瞬間、他の倒されていた登場人物たちは腕を伸ばして佳奈を止めようとする。
綾 そ、それは駄目だよ佳奈ちゃん!
佳奈、綾へ一顧だにせず、由美子を寄り倒す。
佳奈 (一旦周囲を見回した後、渾身の叫び声で)っしゃおらーーーーー!!!!!
急暗転、幕。
病少女越境 椎見瑞菜 @cmizuna
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